tokyo_mirage

東京在住・在勤、40代、男。
孤独に慣れ、馴れ、熟れながらも、まあまあ人生を楽しむの記。

広島一泊旅行 2日目

2017-07-30 23:00:00 | 旅と散歩と山登り
朝は6時前に目覚めてしまった。部屋のビューバスに横たわり、長々と寛いだが、妻がまだ起きない。外に散歩に出る。
6:57 ホテルの前には小さいながらビーチがある。釣り人がいる。小舟が沖を行く。

本土とは埋立地と橋を介して繋がっているものの、ここは島だ。その成り立ちは自然観察の対象となるらしい。柱状節理。先ほどは「断層」もあった。

島の南端をめぐっている。この後、海岸沿いをそれ、山道を灯台まで登っていく。朝からセミが盛んに鳴いている。朝風呂に入ったのに汗ばんできてしまった。…さて、ホテルに戻り朝食ビュッフェだ。

ホテルからのバスを、平和大通り近くのバス停で降りる。陽射しがかなり強く、セミが大合唱。
9:42 平和大橋を渡る。欄干が独特のフォルムをしている。彫刻家イサム・ノグチのデザイン。昭和27(1952)年完成。

橋を渡った元安川、そして本川に囲まれた中州一帯が平和記念公園。平和記念資料館を見学する。原爆のむごさ、戦争の愚かさをあらためて実感する。高校の修学旅行でも来たが、その時に比べ、展示の生々しさが弱まっている気がする。人形による被害の再現などはなくなっている。いいのか悪いのか、往時より洗練されている。しかし、ひとつひとつじっくり眺めれば、伝わってくるメッセージはやはり切実だ。

原爆死没者慰霊碑。アーチの中を視線が抜けた先に原爆ドームがある。公園の設計は丹下健三。外国人観光客がこの前で笑顔で記念撮影をしている。笑顔じゃないだろ、と思う。

台座の上で「平和の灯」が燃えている。資料館を振り返る。資料館中央部からここを通り原爆ドームへ、真っ直ぐな軸線が貫いている。8月6日の平和祈念式典に向けて、敷地内にはテントが設営されている。

11:27 原爆ドーム。あの日もこんな風に暑い日だったんだろうか。脇の相生橋を市電が渡る。

爆心地。この内科医院の上空600mで原爆が炸裂した。一帯は3000~4000℃の熱線と爆風、放射線を受け、ほとんどの人々が瞬時に命を奪われたという。今は近隣のデパート提携の立体駐車場入庫待ちの車で混雑している。

市電の走る相生通りに出る。この背後には、取り壊されて更地になった広島市民球場が。跡地には文化芸術施設やイベント施設が造られるらしい。

11:52 炎天下の舗道をとぼとぼと歩き続け、広島城へ。御門橋と表御門。

被爆したユーカリの木。ここは爆心地からおよそ740m。そばの建物群が炎上する中、この木だけ生き残ったという。そして今も齢を重ねている。

天守閣。原爆で倒壊したが、昭和33(1958)年にコンクリート建築で復元。中は博物館になっている。川(太田川)の流れが幾筋にも別れ、島や砂州が点在していた広島。「天然の堀」が得られることと、川の水運を活用できることが、ここに城の築かれる理由になったのだろうか。

天守閣の中が冷房完備であるわけもなく、暑さで展示物の見学も早回し気味。しかし最上階で外に出ると、吹き抜ける風が思いのほか心地よい。南側、原爆ドーム方面の眺め。

城を出ると、またしても輻射が激しく日陰もないアスファルト、コンクリートが続く。目指す縮景園のすぐ手前で、たまりかねて県立美術館のロビーに逃げ込む。縮景園の庭を見下ろす素敵な空間。何より冷房が効いている。汗を引かせる。

縮景園に入るも、見学前にまずは茶店へ。東屋で白玉クリームあんみつ。屋外でも日陰にいると意外としのげる。まして冷たいものを口にすれば。

広島浅野藩初代藩主・長晟が1620年から造成。大火や改修を経て、戦前に広島県へ寄贈される。原爆投下の被害を受けたが、その後、少しずつ復元されていった。

木立ちのトンネルは心が休まる。

しかしまた町へ出れば、そこは大都市、なんとも非人間的な灼熱空間が広がる。旅の印象として記憶に刻みたくもないので、早足で通り過ぎる。汗が噴き出る。
14:18 京橋川に架かる稲荷橋。爆心地からおよそ1.35km。原爆の爆風でレールが波打ち、川には無数の死体が浮かんだという。広島の町中はどこも、原爆の記憶が刻まれている。

3連接の大型車両が路上を走るのが広島市電の特徴。

14:39 繁華街・新天地に入り、遅い昼食。広島焼きを食べてみようとやってきた。昭和22(1947)年創業の「へんくつや」。

「お好み焼き そばスペシャル 肉玉・イカ・エビ入り」(1100円)と「お好み焼き 肉玉入り」(700円)。広島のお好み焼きは関西のとは異なり、具と生地を混ぜ合わせず、炒めた具や麺の上に薄い生地をかぶせる。つまり「魚介肉野菜焼きそば・クレープのせ」といった感じ。正直なところ、これは妻とも一致した意見だが、具・麺と生地が一体化していないのは、それぞれをバラバラに食べているようなもので、あまり「お好み焼き」という感じがしなかった。まあ、あまり好みではなかったということ。しかし、何事も一度は経験してみないことにはね。

陽射しから逃れられるアーケードの本通り商店街を歩き、広島の物産を集めた店で、つけ麺や牡蠣の缶詰などをお土産に買う。再び原爆ドームに着き、その名も「原爆ドーム前」停留所から市電に乗る。広島の市電は営業距離、利用者数、車両数いずれも日本一の規模を誇り、本当はもっと乗り回したかったのだが、乗ったのはこの旅でこれが最初で最後となった。広島駅へ向かう。
【広島16:17―(のぞみ42号)→20:13東京】