tokyo_mirage

東京在住・在勤、40代、男。
孤独に慣れ、馴れ、熟れながらも、まあまあ人生を楽しむの記。

コンタクトレンズ紛失 そして…

2017-07-11 23:00:00 | 今日の出来事
会社からの帰宅の際はいつも、コンタクトレンズ(ハード)をはずしてメガネに換えている。
コンタクトレンズを長時間付けたままだと目がショボショボして不快だからだ。
退社する際、立ったままエレベーターの中などで外そうとしたのがいけなかった。
渇いていたコンタクトレンズは、目からぽろっとこぼれてどこかへ消えた。
エレベーターが1階に着いて、そ知らぬふりして他の乗客を送り出してひとりになった後、
床を這いずり回って探すが、ない。
腕に提げていたカバンの中に入り込んだのだろうかと、ポケットの隅々まで浚ってみるが、見つからない。
…しょうがない、諦めよう。

帰宅して、このコンタクトレンズをいつから使用していたか確かめると、2013年4月からだった。
4年か、思ったより短いな…と思ったが、調べると、ハードコンタクトレンズの寿命は2~3年だという。
特に、僕が使っていたような酸素透過性の高いタイプは、
「酸素を通す穴」が多いのならそれは「汚れが溜まりやすい穴」が多いのを意味するということで、
いっそう寿命が短くなるらしい。
ならば、ちょうど換え時、いや、むしろ遅かったくらいかも知れない。
今回なくしたのも、その買い替えのいいきっかけだったのだろう。

折しもちょうど、何かで応募したソフトコンタクトレンズの「1週間お試しキャンペーン」に当選していた。
ハードレンズよりソフトレンズの方が装用感は格段にいいという。
この機会にソフトレンズを試してみよう。
ハードコンタクト歴は28年くらいになるが、ソフトレンズは初めてである。

翌日、店に向かった。

コンタクトレンズを新しく作る時は眼科で診察を受けなくてはならない。
コンタクトレンズ店併設の眼科など、目にチョロチョロっと光を当ててハイOKですと言うだけの
インチキ眼科だろうと思っていたが、その店に隣接する眼科は、一般診療もちゃんと行っている眼科だった。
待ち時間がとにかく長かった。
医師の診察はやっぱり1分足らずだったが、検査はかなりじっくり行われた。
ずっと使い続けるものだから、自分に合う仕様のものがしっかり選ばれて欲しい。
こういう検査は「どちらが見やすいですか?」と聞かれているうちに、
だんだん誘導尋問に引っかかっていくというか、あるいは妥協していくというか、
何が正解か自分でもわからなくなってきてしまうものだが、
それに耐えて、ベストを探り続けた…つもり。
結果的には、今持っているコンタクトレンズと同じ度数のものが処方されたようだが。

いよいよ初めてのソフトレンズ装着である。
ハードレンズより大きく、柔らかいということは当然知っていたが、
扱い方の感覚がハードレンズとは全然異なる。
水に濡らしてはいけないということも初めて知った。

付けるには普段より目を大きく見開かねばならず、ちょっと手間取った。不器用なのだ。
外す時は眼球に指先を突っ込むようにしてつままねばならない。これも勇気がいる。

さすがに装用感はハードレンズに比べ格段にいい。
その日は夜遅くまで付けていても目に負担を感じなかった。
ただし、目に疲れが出にくい分、異常が起きても発生に気づきにくいらしい。
そこは要注意である。

コストはハードレンズよりかかる。
一日使い捨てタイプで、両眼30日分で5400円。別途「入会金」3240円なるものもかかる。
ハードレンズは両眼14000円で、2年使えるとして24ヶ月で割ると583円だから、その差は大きい。

ソフトレンズはハードレンズより大きい分、動いていてもずれにくいと言うから、
山登りや旅行の際などにスポット的にソフトレンズを使うのがいいような気がする。
上記のような月額プランではなく、ケース買いで何個か家にストックしておいて、必要に応じて使うことにしよう。


つぶやき0711

2017-07-11 18:53:59 | つぶやき
出勤が30分以上早くなったので、家を出ると近所の小学校の登校時間と重なるようになった。子どもたちというのは、見ていると、なかなか「まっすぐ」歩かないものだ。立ち止まったり、後戻りしたり、脇目・寄り道を存分に楽しんでいる。大人になると目的まっしぐらに歩き、脇目・寄り道とは無縁になるが、そこには「非効率」「無駄」がない反面、「余裕」「豊穣さ」も欠落しているように思う。子どもたちの表情のなんと生き生きとしたことか!

   ◇

満員の地下鉄。ドアが閉まらないとかで、駅で何度も開け閉めを繰り返す。車両のすべてのドアを何度も開け閉めすれば「失敗」の確率が高まるわけだし(1度目に成功したドアも、2度目・3度目には失敗することも)、ドア際に立つ乗客にとっても鬱陶しい。「閉まらなかったドアだけ」再度開閉するようにすればいいと思う。その工夫で出発の遅延もだいぶ解消できるはずだが、どうしてこんな些細な技術革新すら起こせないのだろう?

   ◇

軌道のない自動車ですら自動運転が現実化しつつあるのに、確たる軌道のある鉄道でその動きがないのも解せない。だから今日も、混雑遅延で駅間に数珠つなぎになった電車に乗り合わせると、運転士の気まぐれ急ブレーキ・急発進にガタガタ揺さぶられることになる。不快な急ブレーキをかけずに、前車との距離を一定に保ちながら、「もっと滑らかに」電車を動かすことも技術的に可能なはずだが、その技術革新も起こせていない。

   ◇

新宿駅で丸ノ内線に乗った。新宿に停車中、運転士は「この電車は途中の茗荷谷止まりです。池袋には参りませんのでご注意ください」と、まるで親の仇でも取るかのように繰り返し繰り返しアナウンスする。…何にも考えていないアナウンスだなあ、と思う。常識的に考えて、新宿から池袋に向かうのに丸ノ内線を使う人間はいないからだ。よもやそういう物好きがいたとしても、この電車に乗ってしまったからと言って致命的な不都合が生じるわけでもなく、茗荷谷で後続の池袋行きに乗り換えればいいだけ。この運転士はいったい何に執念深くなっているのだろう?と苦笑する。

   ◇

東京では今日から「時差Biz」なるムーブメントが動き出したそうである。その効果には懐疑的だし、旗振り役の小池知事も支持していいものかどうか判断はつきかねるが、少なくとも「満員電車」の問題点に着目した知事が現れたことは評価したい。公用車を私的に遠距離の別荘まで使い回して平然としていた前知事には考えも及ばなかったことだろう。


恐ろしい会議

2017-07-05 17:40:09 | 今日の出来事
前任者からの引き継ぎで出るように言われたある定例の会議。

なんとも恐ろしい会議だった。

関係者(10名程度)が一堂に会する意味があまりない。だから話にも中身がない。
出席者はひとりひとり発言するが、「発言のための発言」とでも言うのだろうか、
めいめいの立場がめいめいの立場であるということを再確認するだけの意味しか持たず、
(あるいは、「私もちゃんとここにいますよ」という存在アピールの意味しか持たず)
これによって何かが進んだり、何かが深まったりするということがない。
ただの「セレモニー」として議事が進行していく。

このうち2人は紙資料を提出し、
(特に重要な意味があるとも思えない画像のページを、丁寧にもカラーコピーで)
それについて説明をするのだが、これがまあ、しんどい。
何しろ出席者はそのディテールを逐一把握しておく必要がない。
話者2人のサイドで責任をもって進めてもらえれば構わない案件なのだが、
出席者は、「それについて情報共有していた」という姿勢をとらなくてはならないらしい。
いわば「パフォーマンス」である。
せめてドラマチックなパフォーマンスなら楽しい時間を過ごせるのかも知れないが、
あいにく話者2人は、人を惹きつける生き生きとした喋りのテクニックなど持っていない。
ぼそぼそとした声が部屋の中を行き場なく流れていく。
まるで諦念と無気力に絡め捕られた大学教授の授業の教室にいるようだ。
当然、話を真剣に傾聴するモチベーションは持ち得ない。
起こることは必定である。眠くなるのである。

自分も何度か落ちかけた。他の出席者も見れば同様である。
スマホというのは便利なグッズである。手の中で、気を紛らわす何かを探す。
(そうした行為をいちいち咎め立てするような「陰湿な鬼上司」のような者はいないのが、
この場の唯一の救いである)。
しかし、スマホにもそれほど身が入るわけもなく、退屈な時間がどんどん降り積もっていく。

ようやく話者2人のスピーチが終わる。
他の誰かが、いかにも話を興味深く聴いていたという体で、補足の質問を幾つか入れる。
もちろん、あってもなくてもいいような質問である。
それでも一同は、はあーそうなんですかあーと、興味深い新事実が発見されたかのように、
リアクションの芝居を打つ。

ようやく会議も終盤だ。
「定例」と銘打たれたこの会議、案件の歴史から察するに、
もしかしたら10年・15年このスタイルで続けられているのかも知れない。
もう誰にも止められない。
粛々と次回の日時が決められる。
月に一度だけの会議なのが幸いである。次回は過ごし方を考えねばならない。
思えば僕は、授業中の「内職」は学生時代から得意だった。


つぶやき0704

2017-07-04 13:58:53 | つぶやき
昨晩は今年初めての熱帯夜だったそうである(最低気温が25℃を下回らない夜)。今年初めて窓を開けて寝た。明け方、カラスの鳴き声で起こされる。「カア カア カア…」と間断なくしつこい。鳴きたきゃ森の自分の巣で鳴けばいいのに、どうしてわざわざ人の家に来て鳴くのだろう。安眠を妨害されて腹が立つ。僕は何が腹が立つと言って、眠りを妨げられるのがいちばん腹が立つ。

   ◇

鳥はだいたい「可愛らしい」(雀や四十雀など)、「美しい」(鷺や鴨など)と思えるものだが、カラスだけは嫌い。色や姿は不気味だし、鳴き声は汚いし、ゴミ集積所を荒らすし。「鳥界のゴキブリ」のような存在だと言ったら言い過ぎか。

   ◇

寝てる間の一晩中、扇風機をつけていた。ふと思った。この扇風機も使用20年になる。いつ故障してもおかしくない。動かなくなるだけならいいが、火を噴いたりしたら困る。真夜中、寝ている間だと発見も遅れる。買い替えを考えた方がいいかも知れない。

   ◇

今度扇風機を買うなら、1-ごくごく弱い微風を出せる(今の扇風機は「弱」でも当たりが強い)、2-音が静か(モーター音・振動音で安眠を妨害しない)、3-リモコン操作ができる(深夜、寝床から動かなくても扇風機を消せる)、の3点を重視したい。

   ◇

僕は物欲が強くないし、買い物も特に好きではないが、こうして家に新しく揃える買い物の目的が定まると、日々の暮らしに少しだけ張り合いが出るのも確かである。


今年も半年経過

2017-07-01 23:00:00 | 今日の出来事
仕事内容が変わった。面倒が多いわりに、実りも、学びも薄い、という印象。
まあ、結局のところは「やりゃあいいんでしょ、やりゃあ」ってことに尽きそうだ。
慣れてくれば「手の抜き方」も覚えるようになるだろう。
自分はこれまでそうやってやり過ごしてきた。これも相応の年の功。

梅雨の土曜日。
先週は旅行で家の掃除ができなかったので、起床後まず家中に掃除機をかける。
今日の湿度は90%超えとかで、床も湿り気を帯びているのか、掃除機の滑りは良くない。

先日火災報知機を取り外した時に、キッチンの壁に据え付けられている食器棚の上を目撃してしまった。
10年間一度も掃除をしていないので、当たり前の話だが、埃が積もっていた。
しかも調理の油を吸っているようで、ネバネバとこびりついている。小虫の死骸も転がっていた。
掃除せねばせねばと思いつつ先延ばしになっていた。
それにもついに着手した。
最初はフローリングワイパーのウェットタイプのシートで拭いてみた。
汚れの表面をなぞるだけで、ほとんど取れない。
次に台所用中性洗剤を濃いめに溶かした液に雑巾を浸して、それで拭いてみた。
やはり表面をなぞるだけ。汚れは取れず、黒い汚れが別の黒い模様になるだけ。

ここで真打ち登場である。
妻が掃除で何かと使っている「重曹」である。
粉状のそれを汚れの上に振りかけ、雑巾で拭う。
「酸性の油汚れがアルカリ性の重曹で中和されて汚れが落ちる」
…という原理は聞いたことがあったが、ここまで劇的な効果があるとは。
拭うそばから白い表面が姿を現した。しかも、べたつきも残らない。
重曹がここまですごいとは知らなかった。
換気扇のフィルターも今度これで掃除してみよう。

雨が止まず、昨晩浴室に干した洗濯物がまだ乾かず湿ったまま。
今年初めて扇風機を出す。
洗面所から浴室に向かって風を送る。

今日はちょうど1年の折り返し地点、掃除機の紙パックフィルターを取り替える。
ここ何年か、1月1日と7月1日あたりに交換することにしている。

妻が作った、野菜(先週那須の直売所で買ってきた)のたくさん入ったパスタで昼食。
午後は録画していたテレビ番組をいくつか見る。

夕方、雨がやんだ。
東京都議選の期日前投票を済ませる。
受付に係員が2人しかおらず、行列ができている。
そのわりに、出口には「ただお辞儀をしているだけ」という係員がいる。
人員配置にもっと頭を使ってほしいものだ。
そのまま、渋谷のヒカリエで行われている中古住宅のリノベーションセミナーに出かける。
妻が興味があるらしい。
「劇的ビフォーアフター」のような、ビフォーとアフターの落差に驚かされるような
事例が紹介されるのかと思いきや、こざっぱりしたアフターばかり見せられて、
新築物件を見ているのとあまり変わらない気分だった。

ヒカリエの中の飲食店で肉のグリルやグラタン、パンケーキを食べて帰る。
値段が高くつきそうでおっかなびっくりの注文で、大満腹までには至らず。