tokyo_mirage

東京在住・在勤、40代、男。
孤独に慣れ、馴れ、熟れながらも、まあまあ人生を楽しむの記。

「1分間の深イイ話」<山なんかに登って本当に幸せなのかSP>

2014-05-29 22:26:53 | 今日の出来事
最近、バラエティーは日テレが面白い。

「イッテQ!」でも、「行列のできる法律相談所」でも、「有吉ゼミ」でも、「月曜から夜ふかし」でも、
番組がとりあげる「ネタ」は何でもいい。
その「料理の仕方」が絶妙なのだ。VTRのつくりが妙に“人を食って”いて。
「段取り通り、セオリー通りに話を展開したってつまんないじゃん」とばかりに、一筋縄ではすまさず、
美談を美談にしてなるものか、正論を正論にしてなるものか、という「ツッコミの執念」を感じる。
番組ごとに制作スタッフは違うはずなのに、どれも似たようなこのテイストで通底している。
これって、日テレの新しいDNAなんだろうか?
“偽善(?)”の「24時間テレビ」に全社総動員させられることへの反動が生んだ、
「ホンネを穿とうと希求する精神」とか。

録画で見た26日放送の「1分間の深イイ話」もその味がよく出ていた。
題して、「山なんかに登って本当に幸せなのかSP」。
このタイトルにもある通り、スタッフは「山好き」なるものを疑り、斜に観察しながら作っている。
僕は「山好き」を自認しているが、それでも番組のこのスタンスを楽しめた。

「山ガール」を密着取材、というのはいかにもありえる。
だが、年間ウン百日も山に登るという純然たる「山好き女子」とは別に、
“本当は山が好きなのか怪しい”元六本木ナンバー1ホステスのタレントを置いたりするところがうまい。
「キレイゴトなんじゃないの?エセなんじゃないの?」というツッコミの力がピリピリと効いていた。

とかく山は、爽やかさだの健全さだの克己だの努力だの目標達成だの、「美談」として語られがちで、
僕ははっきり言ってしまえば山で人とすれ違う時の「こんにちは」の挨拶すらも嫌いなのだが、
(こちとら、人なんかに会いたくないから山に入っているのに、この麗しく偉大な自然の中に、
小っちゃい「人間社会のコミュニケーションの道理」=「挨拶」なぞ持ち込んでくれるな、と思うのだ。
どうせ町場じゃ挨拶なんかしないくせにさ)
そうした「美談」に食傷気味だったところを、番組は実に小気味よく突いていた。

山の頂上で「深イイ名言」を拾おう、というVTRのまとめ方も悪くない。
山の頂上に張り込んで、登ってきた人に「あなたはなぜ山に登るのか?」と尋ねる。
ちょっとでもウマイことを言おう、気取ったことを言おう、利いた風なことを言おう…
と小賢しい知恵を働かせているコメントは、容赦なく斬り捨てる。
(あまりにもバッサリ斬り捨てるので、出演した人がOAを見て日テレに苦情を持ち込むんじゃないかと
心配になってしまうくらいだった)。
これがなかなか痛快だった。
山に登る人間というのは、なぜか「語りたがり」で「理屈っぽい」(しかも「声が大きい」)のが多い。
そういう奴らの鼻は、へし折ってやるがいいのだ。
しかし一方で、“本物の”山好きになると、言葉数は少ないのに、発する言葉に深イイ含蓄がある。
VTRでもそういう“本物の”人もいた。

僕が同じ質問を投げかけられたらなんと答えるだろうか。
「理由は要らない。言葉も要らない」。
…だが、そんな台詞を口に上らせて歯が浮かないでいられるほど、僕は慎み深さを失ってはいない。
マイクを向けられれば、「すみません、勘弁してください」と苦笑いしながら去っていくだけだろう。

ジョージ・マロリーが答えていわく、「そこに山があるから」。

これは真実だし、これを超える至言は、もう見つからないだろう。


<追記>

朝日新聞土曜版beの4コママンガ、山科けいすけの「らいふいずびうちふる」。
妻に「なんでそんなにしょっちゅう山に行くの?」と問われた夫は、
「そこに山があるからさ!」と得意満面で答える。
すると妻は「そこに“山ガアル”がいるから、でしょ!」と切り返す。
あれは傑作だった。

ブログランキング・にほんブログ村へ にほんブログ村 ライフスタイルブログへ にほんブログ村 ライフスタイルブログ 一人暮らしへ にほんブログ村 ライフスタイルブログ 30代の生き方へ にほんブログ村 ライフスタイルブログ おひとりさまへ