tokyo_mirage

東京在住・在勤、40代、男。
孤独に慣れ、馴れ、熟れながらも、まあまあ人生を楽しむの記。

消費が落ち込んでいるのは「贈り物をしなくなったから」という仮説

2017-05-11 18:16:49 | 雑感
日本の消費が弱まりつつある理由のひとつは、
「人へ贈り物をする」という習慣・発想がどんどん廃れているからだと思う。
中元・歳暮しかり、バレンタインデー・ホワイトデー・クリスマスしかり。

ハロウィンが新しい年中行事として近年浮上してきたのは、「仮装」という、
ナルシスティックなまでにベクトルが「自分」向きのイベントだからだろう。
主役はあくまで自分で、人に有形無形の何かを「贈る」という発想がそこにはないばかりか、
むしろ人に「お菓子をくれ」とせがむイベント。

「虚礼廃止」は極めて合理的な考え方だ。
好きでもない相手にお義理で贈り物をする必要なんかないに決まってる。
でも、好きな相手になら、奮発してプレゼントをしてもいいんじゃないか?
今はそれすらも徐々になくなってきている気がする。

そう思ったのは、僕がある人たちへの贈り物に、1枚5400円もするバスタオルを選んだから。
自分用にだったら5400円もするバスタオルなど勿体なくて絶対に買わない。
所詮は「水気を拭き取る」だけの用途なんだから。
人へのプレゼントだと思うから、値が張っても買えるのだ。
自分用ならスーパーで量販品で決めてしまうような食材も、
人へ贈るものなら、デパ地下で「逸品」を買おうと思う。
値が張るものを買う、そうして消費が、経済が動く。

思えば僕がふだん使っているバスタオルなど、もう「20年モノ」ばかりである。
しかも全部もらいもの。
亡くなって久しい祖母が、敬老祝として市からもらったもの(が僕のもとに流れてきて)。
大学時代のバイト先でたまたま「創立○周年」とかでもらったもの。
入社間もないころ借り出された野外イベントで、急に雨が降り出して買って来いと言われて
コンビニで買ったもの。
仕事でノベルティを作った店で粗品としてもらったもの。
…そんなのばかりだ。

自分はケチである。
自分に対してお金を使おうとは思わない。でも、人に対しては見栄も生まれる。
いや、見栄などというひねくれた見方をせずとも、
単純に「相手に喜んで欲しい」という素朴な気持ちは湧く。

…僕は人とのコミュニケーションが狭く、浅い人間である。
そういう人間には「贈って・贈られて」の機会も少ない。
たまにそういう機会に自分が居合わせると、こんなことを考えるのだ。


つぶやき0511

2017-05-11 15:56:13 | つぶやき
食欲がないんだよなあ、なんだか…と思いながらふらふらと地下鉄で出かけた今日のランチタイム。通りがかったビル地下街の、創業40年と看板が出ていたスパゲティ屋で食べたくなったのは「なつかしのナポリタン」だった。

   ◇

ケチャップの味が濃く、真っ赤な着色のウィンナーがまるごと何本か入ってる。麺は太めでモチモチしており、噛みごたえがある。もちろん全部平らげた。…「食欲がない」なんて嘘っぱちじゃないか。

   ◇

ともあれ、なんだか気鬱に襲われて、文字通りの「食事をする欲求」に乏しく、下手をするとお腹を壊してしまったりする今日この頃。美味しく食事ができたのはなにより。

   ◇

前の席の女子がマスクをしているのでどうしたの?と尋ねると、小声で、「なんか…風邪ひいちゃった…」と。「ひいちゃったんです」「ひいてしまいました」じゃなく、「ひいちゃった…」というところにキュンときた。(無論、相手による)

   ◇

「城本クリニック」のCMを見かけると、こんなCMでも、「カーペットに寝転がる女子」のコンセプトやら絵コンテやらが大真面目にプレゼンされたんだろうか?と、制作の舞台裏が気になってしまう。

   ◇

あるいは、医院オーナー・城本氏(推定)の鶴の一声で決まったか。「ウチは体全部の美容整形を手がけてるからね。とにかく全身を見せときゃいいの!ふかふか絨毯の上を女の子がゴロゴロ転がる!これでOK!」

   ◇

ついでに、「タケモトピアノ」のCMクリエイターもどんな姿かたちをしているのか見てみたくなる。あそこまで「ダサさ」を突き抜けさせられる人物とは?