tokyo_mirage

東京在住・在勤、40代、男。
孤独に慣れ、馴れ、熟れながらも、まあまあ人生を楽しむの記。

電車で痴漢の疑いをかけられないためには

2017-05-16 16:11:56 | 雑感
“痴漢”「自分じゃない」線路を逃走、死亡

15日夜、横浜市の東急田園都市線・青葉台駅で、痴漢行為を疑われた男性がホームから飛び降りて逃走し、電車にはねられて死亡した。田園都市線は帰宅ラッシュ中で、約2万3000人に影響が出た。

警察によると15日午後8時20分頃、横浜市の東急田園都市線の青葉台駅で、30代の男性が「痴漢行為をした」と30代の女性に訴えられ、電車から降ろされた。駅員が話を聞いていたところ、男性は駅員の手をふりほどき、ホームから飛び降りて線路上を逃走したが、入ってきた電車にはねられ死亡した。

目撃した人「男の人と女の人が組み合っているような感じで、『痴漢』みたいな感じで女の人が助けを呼んでいた。(男性は)『自分じゃない』みたいな感じの話を叫んでました。走り出して線路に落ちた」

東急田園都市線はあざみ野と長津田の間の上下線で2時間近く運転を見合わせた。帰宅ラッシュの時間帯だったため、あざみ野駅はバスやタクシーを待つ人であふれ、一時、混乱した。

東急電鉄によると、上下線合わせて57本が運休し、約2万3000人に影響が出たという。(日本テレビ)


ついに死者が出たか。「痴漢の疑いをかけられて線路に飛び降りて逃げて」の結果として。

痴漢の疑いをかけられて駅事務室に連れて行かれたら最後、たとえ物証が揃わなくとも、
被害者の告発だけで、エスカレーター式に警察に引き渡され、起訴されるという。
起訴されたら、自分で無実・無罪を証明するのは極めて難しい。
「やった」こと(事実の存在)を証明するのに比べ、
「やっていない」こと(事実の不存在)を証明するのは至難の技だからだ。
「赤いカラスが存在する」と証明するには、赤いカラスの写真が1枚あれば足りる。
しかし、「赤いカラスは存在しない」と証明するには、
地球上のすべてのカラスを捕捉しなくてはならないのだ。
「やった」ことの証明には第三者の「やったのを見た」という目撃証言があれば成立するが、
第三者の「やったのを見ていない」という証言では、「やっていない」ことの証明にはならない。
「やっていないのを見た」という証言でなくてはならないのだ。
しかし、「やっていないのを見た」という状況が、いったいどのように成立しうるだろう?
他人の体の動きを死角(=空間的空白)なく、また隙(=時間的空白)なく見ている他者など、
いるはずがないのだから。

しかも、現在の司法制度では、被害者は痴漢の物的証拠を提示しなくてもいいことになっている。
「この人にやられました」という証言ひとつさえあれば、有罪に持ち込めるのだ。
それゆえ、「思い込みや勘違い」でその人を犯人にしてしまう危険性があるどころか、
「意図的に罪をかぶせる」ことさえ可能となってしまう。

こと痴漢冤罪に関しては、容疑者は被害者に対して、圧倒的に不利な立場に立たされている。

この立件・有罪まっしぐらのエスカレーターに乗らないためには、
「その場から走って逃げるしかない」と、複数の弁護士がテレビで言っていた。
弁護士だって決して無責任にそのような発言をしているわけではないだろう。
それがあながち極論とも言えないまでに、残念ながら、そうした司法制度の実情があるということだ。

では、痴漢の疑いをかけられないためには、どう振る舞えばいいか。

1、とにかく混雑時間帯、混雑車両を避ける。
諸悪の根源は殺人的なラッシュにあるのである。
人と人が密着する必然性がなくなれば、痴漢自体も行われにくくなるし、
もし痴漢が行われたとしても、手口の現認がしやすくなる。
混雑には近寄らないよう、時間や車両をできるだけずらす。
僕は行きは始発電車に座るようにし、帰りは混雑する乗換駅・乗換車両を避けるため、
30分ほど余計に時間がかかるが、迂回した経路で帰ることにしている。
この迂回経路だと着席できる確率が高いため、じっくり読書できる時間と割り切っている。

2、車内では中途半端な場所に立たない。吊革を確保せよ。
「中途半端な場所」とは、具体的には、吊革や手すりのつかめない場所、
電車の揺れでよろけ、他の人の体を支えとしなければ立てないような場所のことである。
通路の中ほど、出入口付近の中ほどと言ってもいい。
こういう場所に立っていいのはせいぜい一駅間にとどめる。
次の駅に着いたら、吊革や手すりがつかめるポジションに移るか、
それができないなら、周りの人間を「入れ替える」。
立ち位置をずらしたり向きを変えたりして、同じ人間と密着し続けている状況を作らない。
なるべく座席側の吊革を確保するようにし、右手で吊革を持ち、左手で本を読む。両手をふさぐ。
座席側の吊革下に立つということは、自分の前半身が誰かと密着することもなくなるということである。
僕が帰りに迂回経路を取っているのは、通常の経路だと混雑が激しすぎて、
この「中途半端な場所」に立たされ、身動きが取れなくなる可能性が高いからである。
「ただ立っているだけ」のこうした状態は、痴漢の疑い云々を別にしても、
時間の過ごし方として無駄だと思っている。
30分余計に時間がかかっても、読書の時間になるなら有意義になる。

3、もしも捕まっても決して「逆上」しない。
不運にも痴漢の疑いをかけられて女性に捕まったとしても、決して逆上してはならない。
「痴漢など到底するはずもない冷静な紳士」をどこまでも徹底して装い続ける。
怒りも見せず、焦りも見せず、相手を見下げることもなく、
ただただ「自分はやっていない」ということを淡々と主張する。
声は絶対に荒らげずに、相手に聞こえるギリギリのボリュームまで下げる。
「逆上しているのは相手の側であり、自分は露ほども動じていない」という状況を、
相手のみならず、周囲にも見せつける。
自分を不利にさせない空気を醸成するよう努めるのだ。
皮肉な話だが、本物の痴漢ほど、こうした「捕まった時のシミュレーション」を念入りに行っているだろう。
そしてふてぶてしく「やってませんよ」と、脈ひとつ上げずに居直れるのだ。
それに対し、痴漢行為など考えたこともないという人は、そんなシミュレーションも当然していないから、
いざ捕まると思いっきり動揺し、狼狽し、逆上し、あらん限りにボルテージを上げ、
大胆にも「駅員を突き飛ばして線路に飛び降りて逃げる」ことすら辞さなくなるのだ。
「もしも捕まったらこう振る舞う」というシミュレーションをしっかりしておき、
いざ「本番」を迎えたら、そのシミュレーションをきっちり演じ切る覚悟を持っておこう。

しかしね…繰り返すが、痴漢行為が起きるのは、「殺人的ラッシュ」、つまり、
「人が多すぎる」ことに起因するのは間違いないのである。
これだけ情報化が進んだ社会で、物理的に人間たちが一極に集中する必要が本当にあるのだろうか?
いい加減、日本人は、議論のステージを、「痴漢防止の対症療法」から、
「東京の一極集中解消」へ、一段上げていくべきじゃないんだろうか。