写真は小倉城。松本清張記念館もありました。帰りの新幹線で弁当をを食べて帰ったのでした。
ネット記事を見ていたらこんな記事…
こんなことしか考えられないのかなあ。集会を禁止だなんて 基本的人権をどうかんがえてんだろ、民主党政権は。
新型インフル法で意見募集=内閣官房
<noscript></noscript>上は通りがかりに見た広島地方裁判所前の風景、歩道いっぱいに道陣が「占拠」 こういうことには警察も何も言いません。もしも、市民グループなら大変です。
下は朝日新聞のネット記事。
「やり通せ、ホッと」耳不自由な裁判員会見 2012年02月04日
記者会見で、時折笑顔を見せながら手話で応じる都丸貴之さん=前橋市大手町1丁目 |
耳の不自由な男性が裁判員に選ばれた、前橋地裁の裁判員裁判で3日、被告の元少年(24)=埼玉県=に判決が言い渡された。公判後、記者会見に応じた男性は「最後までやり通せた」とほっとした表情を見せた。
男性は県内に住む都丸貴之さん(40)。3歳の頃に病気で聴覚を失い、以来耳が全く聞こえず、ろう学校に通っていたという。
高山光明裁判長は、強盗致傷罪に問われた元少年に、懲役3年執行猶予5年、執行猶予期間中の保護観察処分(求刑懲役5年)を言い渡した。
「とにかく今は、ホッとしています」
地裁であった記者会見に応じた都丸さん。手話通訳を介して笑顔で質問に答えた。終了後、県庁でも個別の取材に応じた。
昨年、仕事中に家族からメールが届き、裁判員候補に選ばれたことを知った。「え、私が?」と感じたという。耳が不自由で、仕事もある。「一時は辞退も考えた」。だが、父から「行ったほうがいい」と言われ、参加を決めたという。
4人の手話通訳の助けもあり、審理や評議はスムーズに進んだ。一緒に会見に参加した男性裁判員2人も「評議に違和感はなかった」と話した。
高山裁判長らの配慮もあった。
高山裁判長は証人尋問で、手話通訳が見せた「えっ?」という表情を見逃さなかった。休憩中、都丸さんは「声が小さくて通訳が聞き取りづらそうだったら合図して。大きな声で話すよう伝えるから」と伝えられた。
その後、声の小さい証人に、都丸さんが裁判官へ合図。高山裁判長が「マイクを口に近づけて」と促した。
課題も口にした。
手話通訳の位置について、裁判員の席が高い所にあるため、手話が見えにくい場面があったという。「もう少し高い位置に座って欲しい」と要望。
また、メモをするために手話通訳から目を離した間に、話が先に進んでしまったことも。「メモや要約をしてくれる人がいたらよかった」と指摘した。
手話通訳の数については、「少ないんじゃないか、と思ったくらい」。1日を通じ、4人が約15分ごとに訳し続ける通訳の大変さを代弁した。
手話通訳者によると、裁判員制度が導入された2009年以降、裁判の傍聴や法廷での模擬通訳、手話通訳者を対象とした裁判用語の勉強などの準備を進めていたという。通訳者の50代女性は「このことがニュースにならない社会になってほしい」とメールで感想を寄せた。(伊藤弘毅)