ブログ、書けません。
これ、誰かに読んで欲しいって思って書いてるわけじゃなく、ほとんどが自分の愚痴を漏らしたいがために書いてるブログなんです。このブログの理由が今日のメインになっていくので、また後で触れますが。なんていうのか、最近は鬱っぽさはそのままに、なんとかしよう、自分の人生をなんとか立て直そうと自らに鞭を打ってやってるのです。でも、それがうまく行かなくて。
ま、ま、単純にブログが嫌になったとか書くことがなくなったとかじゃなくて、書く余裕がないのです。
さてさて、渡辺裕之さん、上島竜兵さんと相次いで著名な方が自ら命を絶つというニュースが入ってきました。
僕の周りには自死された方はいません。
もしかして・・・という方は1人いますが、確証はないです。
ただ、1つだけずっと気になってる自死があります。
非公開にしてしまってますが、このブログの過去の記事には僕がカウンセラーを目指していた頃のものがあります。
ま、僕の経歴はどうでもいいのですが、少しだけ話をボカして書いていくことをお許しください。嘘は書きません。僕は嘘が嫌いなので、嘘は書きませんがボカします。この嘘が嫌いなことについても後で触れると思います。
話を戻しますね。
僕がカウンセラーを目指していた頃、楽しみにしていた講義(講座?授業?)がありました。
ようやくカウンセリングの本題に入るようなやつです。それを教えてくれる先生は顔も知らないし、経歴も知らない。でも、この名前の先生に習うんだ、きっと凄い方なんだって勝手に思い込んでました。
しかしその先生の講義を聞くことはありませんでした。他の先生になってました。
これについては問題ありません。
別の先生でも素晴らしい内容だったし、僕に取っては十分というよりも大満足でしたから。
でも、なんであの先生じゃなかったのかなーってのだけが疑問に残りました。
そして色々とネットで調べて知ったのが、その先生は少し前に飛び降りて亡くなったていたのでした。
センシティブな話しながらも、その界隈では少し話題になっていて、ほんの少しですが状況もわかりました。
落ち込んでいたり、悩んでいたり、そういう兆候はまったくなかった(らしい)こと、誰もいない夜とかではなく、本当に突然飛び降りたことなど。
なんとなーくですが、上島竜兵さんのそれを聞いた時にこの先生のことを思い出したのです。
もしかしたら状況的には似てるのかもなーと。
この先生はとても優秀な先生であるっていうことは聞いていました。
多分、講義や授業だけではなく実際にカウンセラーとしても活動していたんじゃないかなって思います。
心理学のプロ、カウンセリングのプロがなぜ自死してしまったのか?
心理カウンセラーを真剣に志していた僕には謎でした。
心理学の知識でなんとか回避できなかったのか?それとも借金などのどうにもならない事で悩んでいたのか?
とかです。
当時はなんとなくぼんやりとしかわからなかったのですが、僕自身の立場に置き換えて考えました。
なるほど。
愚痴をこぼせなかった、話を聞いてくれる人がいなかった、他人の悩みが重く肩にのしかかり続けた・・・
こういうことかなと。
カウンセラーが心を病むのは医者の無養生ってのより簡単な話ではないです。
医者の無養生にしても成人病のリスクは回避し続けられるかもしれないけど、癌などはそう簡単には防げないよなーっては思いますが、カウンセラーの無養生について考えると場合によっては普通の人よりも心の病にかかりやすいのでは?ってなります。
もちろん心が強い人(そんなひといるのかな)だったり、悩み事などができても心理学の知識で逸らしたりすることは多少はできて、心の病にかかりにくいって人もいるかもしれませんが、人から毎日毎日、悩みや愚痴を聞きまくっているんですよね。しかも、あなたはプロでしょ?みたいに見られて、悩みも自分で解決できるって思い込まれてしまっているんですよね。もちろんケースバイケースですが。
僕は母にはよく愚痴を漏らさせてもらってました。
でも、親子関係じゃ話せないこともたくさんあって、そういうのを相談する相手ってのはいませんでした。
「僕はよく人から相談を受けるから、それを職業にしたいって思ったんです」
僕が心理学を学んだ大学で最初に話をした5つくらい年下の男の言葉です。
こやつに相談するか?って後々にはなったのですが、こやつみたいに堂々と相談をよく受けるって言えたらいいな〜、こやつは自信があってかっこいいなって当時思いました。
僕はこの当時は人から相談を持ちかけられるってことがなかったと思ってたので。
ま、ま、思い返してみればあれが相談を持ちかけられるってことだよなーみたいなのがあったので、ゼロではなかったのですが。
相談に乗ったことがないと自負していた僕は、相談の持ちかけ方もわからなかったんです。
それから愚痴のこぼし方もわかりませんでした。悩み事しかない人生だっては思いつつも、あっけらかんと生きていられたので必要なかったって思い込んでたのですね。
当時、実家で両親が相次いで怪我したり倒れたりして、全てを投げ捨てて横浜から実家に戻った頃でした。
なんとなーくこのブログを始めたのもその頃です。
このブログは、最初は漫画や映画のレビュー、当時ハマってたサッカーの話、それに加えて写真学校の時の話と、心理学を学んでいることについての話がメインでした。
家に縛られるようになったり、年齢も30目前だったので将来的な不安とかそういうのが渦巻き始めてたんでしょうね。家から離れたくてパチンコ屋にいくようになったり、家飲みはほとんどしなかったのに、安い焼酎買ってきて夜な夜な眠れなくて飲むようになったり、荒み始めていました。
加えて、自分は相談されないと自負していたくせに、学校で知り合った人や、過去の友人などから相談を持ちかけられることが多くなってきました。まどマギで例えるならソウルジェムが濁り始めてたんでしょうね、ブログで愚痴を書くようになったんです。
そしてその先生の死です。
あー、こういうことなんだ。
と、少し理解しました。その先生は人からの相談や愚痴を溜め込みに溜め込んで、自分のことは誰にも漏らさずに、さらに溜め込んで溜め込んで。
そして、ふと頭をよぎったのでしょう、あ、楽になりたいって。
上島さんの場合はそれが孤独だったり将来の不安だったりしたのかなって思います。
僕にはブログがある!!
そんな風に思いました。働いてなかった(というか働ける状況じゃなかった)ので、母にお金をもらってパチスロをすることにも嫌気が指してましたが、これはこれで発散してたんだなーって今は思います。でも、ギャンブルは良い時よりも悪い時の方が多く、さらにストレスを溜め込むわけです。発散しつつも何かしらのマイナスを溜め込むんですね。
それに対してブログは下手くそながらも文章を書くことにストレスを感じない僕に取ってはかなりよかったのです。
ついつい愚痴ってしまってばかりになりました。
ちょっとだけやってたバイトの面白話を書いてたつもりが愚痴になってたりね。
発散できてるだけいいとは思ってたのですが、見苦しくもあるわけですよね。そしたら案の定、写真学校時代の友人からメールがきました。
「愚痴ったり、言い訳ばかりしてるの気づいてる?」
と。
なんでこの人はそんなことを言うんだろ、俺のブログやぞ!俺が何を書いても自由じゃないか!!
「僕の状況を何も知らずにそんなことを言われる理由はありません。ブログでだけですよ、愚痴も言い訳も。それすら許されないんですか?」
みたいなことを返信したように思います。
友人からは謝罪が届きましたが、それっきりになりました。
ブログで愚痴を書くのやめよう・・・そんな風に思いました。止めることはできませんでしたが、書いてはアップせずに消してなんてことが多くなってました。なるべく前向きのことを書こう、そうだ、もっと今勉強してることを掘り下げて書いていこうみたいな。
僕が実家に戻ったこと、働くことができなかったこと、当時はそれでも悩んでました。
でも、どうすることもできなかったんですよね。
親父の面倒を母1人に任せて好き勝手することができなかったし、横浜に戻ろう、家を出ようと思って行動に移そうとすると親父の体調が悪くなったり、トラブルが起きたり(これ、ほんとなんですよ・・・タイミングの恐ろしさですよね)。
結婚式に呼ばれて久々に横浜の時の友人に会えるのを楽しみにしていたのですが、そこでもトラブルが。僕が横浜時代の最後に働いてた写真館の話を求められて話していたのに、1人の友人が
「人の話なんてどうでもいいの。なんで人の話しかしないの?なんで実家に戻ってそんなことしてるの?」
って。話は何故か僕のコンプレックスの話になっていって・・・
あー、僕は口を開いてもダメなんだ、友人との再会を楽しんでもダメなんだ・・・
本気でそんな風に思いました。
悲劇は続き、学校で一緒に勉強していた人がずーっとしょうもない嘘を僕についていたことが発覚。学校の実習の最終レポートをまとめる時に、みんなでスケジュールがきついなか協力して頑張ろうって時に、職場でトラブルが起こって参加できないって言ってきまししてですね、その人。僕も兄貴が骨折入院してパニくってたのだけど、なんとかする、あなたはそっちを頑張ってと。そしたらそれも嘘。旅行に行くための嘘でした。
ブログもダメ、友人と会ってもダメ、嘘もつかれる・・・
もう何もかもが嫌になりました。
その後、学校を無事に卒業することはできましたが、それ以外は完全に心を閉ざしていた感じです。
全部自分が悪いんだなー
そんな風に思いました。
みんなは普通に生きているのに、自分はダメ。何をやってもダメって。
どちらにしても親父の状態は徐々に悪くなっていったし、家のことも忙しくなって身動きが取れなかったので落ち込んでいても、家でずっとクヨクヨしていればいいと思えば楽なもんでしたよ。
ブログは閉鎖と再会を繰り返し、カウンセラーになる道を諦め、やることもなく何年も過ぎていきました。
震災があって、前向きになることがあって、勇気を出して外に出て(決して、本気の引きこもりではなかったです。むしろ家にいるのも苦痛でしたし)、でも、やはり拒絶されて。1年間、ずーっと母ちゃんに愚痴をこぼしてたら、母ちゃんが病気になっちゃって。母ちゃん死んじゃって、親父の世話をするだけで精一杯の数年間を過ごしたら、親父も死んじゃって。
気が付けば何も残ってませんでした。
空っぽです。
僕はいくらでも人の話を聞きますよ。
何時間でも相談に乗りますし、愚痴も聞きます。いくらでも。
たまに話を聞くよって言われることもあってそれは嬉しいし、話を聞いてもらえるのも嬉しい。
でも、僕が話したい本質は受け入れてもらえないことが多いし、そもそも聞いてもらえない、聞いてもらっても信じてもらえない・・・そんなことが多いように思います。
自死した先生は僕の境遇なんかよりも恵まれていたと思います。
その上でカウンセラーとしても立派だっただろうし、家庭の親としても立派だっことを想像します。
ただ、その先生もいつの間にか誰かに話を聞いてもらうってことを失ってしまっていたんじゃないかなって思うんです。僕の愚痴なんてたわいもないものです。社会で切磋琢磨してた先生が溜め込んでいたものは想像を絶します。
それでも、ほんの少し最初から最後まで話を聞いてくれる人がいたら先生は自死という突然起こった衝動にも打ち勝つことができたんじゃないかなって思うんです。
あれほど日本人をハッピーにしてくれた上島さんがこんなことになって、奥さんが悲しみに暮れるようなことだって絶対にあってはならないんだよって思うんですよ。でも、その衝動は止められないし、上島さんは誰にも真意をこぼすことができなかっただろうし。
なんなんだろうなーって思う。
ある人が何かを手にした時に、どこかではある人が何かを失ってる。そんなもんだと思います。
僕にメールをしてきた友人をこのブログ以外で批判することも責めることもしません。
僕に取っては友人との再会が楽しみなだけだったのに、それに水を刺した人のことも責めません。
嘘をついたあの人のことは今でも憎いけど、もう忘れました。
もう一つありますが、それは言いません。
少々疲れました。
楽しかったあの頃に戻りたいです。19年っていう月日は取り戻せないし、僕はこれから老いていくだけで、ただただ毎日生きるだけです。でも、死は選びません。なんとかして生きます。
ただ、もう良い人ヅラはしません。
幸せになってる人は勝手に幸せになればいい、毎日が楽しい人はずっと楽しんでいればいい。
僕には知ったこっちゃないです。
と、支離滅裂に盛大に20年分の愚痴をこぼさせてもらいました。
スッキリするかなーって思ったけど、全くスッキリしません。そして、これを書いたことで失うこともたくさんあるなーって思います。それはそれでいいのです。そもそも得られるものなんてなかったし、全てが虚像だったのですから。
心配はしないでください。死にはしません。かっこ悪くも生きようとしますので。
しばらくは誰とも話したくないなーって思います。