ようやく雪が溶けて自由に行動できるようになったなーってとこなのに、気持ち的に前向きになれずにグテーっとしてます。感染が拡大して自粛できる人は自粛したほうがいいので、僕は「進んで」自粛しますよーってことに。
漫画版は読んでいないのですがアニメ版の「宇宙兄弟」が大好きです。
漫画版が嫌いってわけではなく、アニメから入ったので(しかもネトフリでなので数年前)漫画版を読むタイミングがなかっただけです。進撃の巨人もようやく読み終えたので読んでみたいなーって思ってる次第です。
宇宙兄弟の登場人物にシャロンおばさんがいるわけなのですが、JAXAの宇宙飛行士試験の3次試験でむったんがシャロンおばさんの話をしたら、一緒に閉鎖空間で試験を受けた仲間たちが、
「えー!あのシャロン博士!!」
みたいな感じで食いついてきたのです。
むったんは小学生の頃にシャロンおばさんが住む近所のシャロン天文台に日々人と一緒に遊びに行きすごい感動をするわけなのですが、これを同級生達に話をしても全く響かない。一緒に行こうって誘っても、そんなの嫌だよーって反応。
日々人と共に宇宙を目指してたむったんはシャロンおばさんの天文台の話だけではなく、自分が興味を持つものがどれも友人達に響かなくてさびしいような、つまらないようなそんな思いをしてたのでしょうね。
「あー、ここにいたんだ・・・」
むったんは3次試験の閉鎖空間でこんな感想を言葉にします。
自分が面白いって思ったこと、自分がすごいって思ったこと、自分が感動したこと。それを共有・共感して、話を聞いてくれる人、一緒に楽しんでくれる、一緒に感動してくれる人がここにいた!そんな心の底から嬉しかったようなそんな気持ちをここから感じます。
これ、誰にでもあることなんじゃないかなーって。
同級生や友達、恋人や家族・・・
全く同じ考えを持つ人ってのはいない。同じ趣味趣向の人を探すのも難しい。そりゃそうですよ、そんなのがごろごろいたら気持ち悪いもんです。でも、同じ時間を共にする人とは同じことを共有共感したいものです・・・
だから同年代での流行が大事だったり、テレビの話題が重要だったり、今だったらYouTubeは他の人が見てるものをできるだけ見ておきたかったり。そんな感じだよね。
でも、むったんみたいな部分だってみんなあるはずなんだよね。みんなが好きなものだけじゃなくて、自分が好きなもの感動したものをみんなと共有共感したい!でもできない!!すごいもどかしいし、寂しい!!
僕はこの感覚がずっと強いんです。
好きになるものは平凡なものというか流行り物が多いです。漫画が大好きでしたが王道しか興味持たなかったし、他の人より少しテレビが好きでしたがテレビはみんなが見るもので、田舎暮らしの僕は東京の人より見れるチャンネルが少ないしね。そもそも、自分独自のものを見つける才能なんて皆無だし、むったん、日々人みたいに大きな夢を抱いたりもしなかったんだけどね。
年齢がバレてしまいますが、例えば「キン肉マン」のストーリーや作画のヘンテコなところが有名ですよね。ジェロニモが2人いたり、ソルジャーのコスチュームが明らかにおかしなトランスフォームするとかね。キン肉マンは小学生の時にリアルタイムだったのだけど、僕が抱いた疑問はこれ。
超人オリンピックビッグファイト(2回目の方)の優勝パレードの時に7人の悪魔超人が登場して、ミートくんがバラバラにされるわけです。バラバラにされたミートくんは10日間以内に元に戻さないと復活できないっていうのが、7人の悪魔超人との戦いのストーリー。
タイムリミットギリギリになるわけなのですが、そんな中登場したのがモンゴルマン。モンゴルマンの正体はラーメンマンなのですね。ラーメンマンは超人オリンピックでウォーズマンのベアークローを頭に受けて植物人間になってしまうんです。でも、超人ドクターのドクターボンベと出会い、中国にある末期患者が最後の望みをかけて行く終点山に行き、そこにある霊命木から出るガスの高価で少しずつ体が動かせるようになるのです。
でも、霊命木のガスがないところに行ってしまうと元の植物人間に戻ってしまう。そこでドクターボンベが霊命木でモンゴルマンマスクを作り、マスクをつけてる間は超人モンゴルマンとして活動できるようになったのです。そして、悪魔超人に苦戦してるキン肉マン達を助けにきたんですねー・・・
ってここまでは良いのですが、ラーメンマンが終点山でリハビリをした期間ってのが問題なのです。ちょっとうろ覚えですが、1年かかってるんですよねw
でも、物語上はオリンピックの優勝パレードから10日間の話なわけで、優勝パレードなのにオリンピック終了から1年後にやったの??
ってなるわけですw
キン肉マンの話がすげー長いことになってしまいましたが、この疑問を抱いた小学生の僕はこの話を誰にしよう?ってなったのです。兄貴達は相手にしてくれないし、同級生はそこまでキン肉マンが好きではないwでも、この問題を解決しないとスッキリしなくてずーっとモヤモヤしたままでした。
小学生の僕にとって、ジェロニモ2人事件は気づきませんでしたが、ソルジャーのコスチューム問題はスッゲー考えたし(その頃は高学年くらいになってたかな)。でも、キン肉マンのゆでたまご先生がそんな間違いするわけがない!何か理由があるんだ!!って本気で思ってました。ずーっと。
でも、ネットが普及してからその手の話がたくさん出てきてやっぱり間違いだよねーってなったのです。
漫画の話ならこんな具合に解決できるのですが、それは現代においての話です。
ネットがなかった頃はこういう話を共有共感できるとしたらそれは身近にいる友人や家族のみなんですよね。
子供の頃は僕はゲームは情弱な方だったので友人の話やプレイを見ることで感動とかを共感させてもらっていました。アニメや漫画、ドラマやバラエティ・・・中高生になると友人達と趣味趣向が違ってきますが、情弱な傾向にあった僕は友人の話をよく聞いてました。
共感、共有って凡人の僕だから、他の人に話を聞いてもらえなさそうなのかなー、キン肉マンなんてみんなが必死に読んでないもの(キン消しブームではあったけど)は1人で抱え込むしかないのかなー、とんねるずのあのネタが面白かったんだけど他の人は違うところで笑ってた・・・僕はずれてるのかなーとか。
そしてなんとなーくさびしさと違和感を感じながら、いつの間にか聞き役になってました。センスないし頭悪いし、そんな僕には聞き役がちょうど良いのかなーってなってましたね。むったんの感覚とはまた違う感じで。
そんな僕でも写真学校に行った時は少し別でした。
「あ、ここにいた!」
そんな気持ちを少し感じましたよ。
写真のど素人で入学した僕はずっと聞き役でしたが、当時感じてた熱い気持ちを共感してくれる人がいたし、もちろん写真の話をたくさんできたし。他のマニアックな話を共感してくれる人もいたなーって。
でも、そんな関係も長くは続かないんですよね。みんなが写真関係の仕事につくなか、僕は学校に残る(大学院みたいなやつ)ことにしました。でも、体調を崩したり気持ちのあれこれがあって僕は少しずつ写真から離れます。そうなると久々に会った同級生達とはまたしても話が合わなくなります。
これは地元に戻ってもそうでしたね。
僕なりに頑張った写真学校での2年間、地元の友人達にたくさん話をしたいこと聞いてもらいたいこと、共感してもらいたいことがあったのですが、誰も興味を持ってくれませんでした。
これは大学で心理学を学んでる最中も、卒業した後も同じでした。
いい加減に良い年で専門学校→大学と卒業した頃には、友人達の話題は子育てでしたし、男だで飲みに行っても年金の話しかしなかったこともありました。まだ学生上がりどころか実家で介護をしていた僕は社会のあれこれには詳しくなくて、話にまざれずに相槌を打つしかないなんてことが続きましたね。
横浜時代に1人だけ、学校の同級生でもなんでもなくてバイトで知り合った友達がいたのですが、そいつだけは僕がやっていたり興味を持ってるあれこれに興味を持ってくれて話をたくさん聞いてくれましたね。とても大事な友人だったのだけど、いつの間にか疎遠になってしまいました。
母が死んで2年くらい経ったところで、親父が朝起きる前に兄貴にあれこれ話をしたことがありました。こんなことがあったんだよーみたいな。そしたら兄貴は無反応でした。兄貴はそういう人なので、あー、またか・・・みたいにいつも思ってたのですが、この日は聞いてみました。なんでなんも反応してくれないの?って、そしたら、
「興味のない話に応える必要があるか?」
と。僕は兄貴はいくつになっても怖い存在だし、喧嘩もしたくないから、兄貴が話す「興味のない」話にもちゃんと反応するし、時間も割きます。でも兄貴はこう言ったわけです。それから数年経った今でも兄貴に何か話をしても全く反応がないことが多々あります。僕の話のほとんどがそうです。
母が死んで数少ない共感・共有できる人が1人いなくなったわけです。
親父は母ほどではなかったし、アルツハイマーだったのですがそれでも兄貴よりは僕の話を聞いてくれました。そんな父も昨年亡くなりました。
僕が悪いのですが、自分の居場所がどんどん無くなっていく感覚が強いです。
聞き役の人間だって話したいことがあるんだ!!
そんな思いです。このブログを休んだり消したりしてたのは、唯一、愚痴とかも含めて自分なりの変な話をたくさんできる開放の場でもあったのに当時の友人からメールで、
「ブログで言い訳ばかりしてるのわかってる?」
ってきてね。それからも頑張って続けたけど、どこかにこの言葉が残ってしまったり。
今でも、例えば話の流れの説明で写真の場合はこうだったよーとかしても完全に無視されたりとかもあったりで。いやー、興味のない話も僕に関係ない話もしっかり聞いたし、興味を持つようにしたし・・・でも、みんな普通の人は兄貴と同じ感覚なのかなーって思ったりもします。
と、最後の方は単なる愚痴になってしまいましたwすいません・・・
僕は昨年の10月に親父が亡くなったことで、18年間に及んだ介護生活にピリオドを打ちました。
これからは自分の人生を生きたい・・・そんな風に思ったのですが、なかなか前向きになれません。そして孤立感はますます強くなってます。自分が蒔いた種なのでどうにもならないのですが。でも、せめてって思うのです。僕みたいに話をしたくてもする相手がいない、することができない、話をする「仲間」がない・・・そんな人が世の中にはたくさんいると思うんです。
どんなに俯いてばかりの子でも、自分の好きなものの話をするとイキイキするってもんです。あなたの身近にいつも聞き役になってる人がいたり、気づいたら自分の話をしてないような人がいたら、積極的に話を聞いてあげてください。興味がないものであっても、興味を持ってあげてください、なんならその場でスマホでググってみてください。その人の話が愚痴ばかりであっても、言葉にしたことには意味があるはずです声でも文字でも。否定せずに聞いてください。あなたのように強くないかもしれないし、あなたと同じく愚痴れない人だったのかもしれません。人が何かしらを表現するとき、そこには多角的に意味があると思ってください。愚痴っていても裏では頑張ってるかもしれないです、あなたが目にした愚痴はその人の裏側なのかもしれないのです。
どんな風にこれから生きていこうかなーって考えてます。前回のブログでも書きましたが。
今の場所が自分の居場所じゃなかったら、僕のことを共感・共有してくれる人がいる場所を探してみるのも良いのかなーって感じます。それがどこにあるのかわからないし、もしかしたらそんなものがないのかもしれませんが。