@PAYASO

少しだけ更新再開してます(愚痴オンリー)

介護はケースバイケース

2021年08月15日 | Life

ずーっと雨ですね。
雨が降っているっていうだけで災害には至っていないので文句は言えないです。
日本というか世界というか地球はどうなってしまったんでしょう。こうも災害が続くと元に戻してはまた災害みたいになって、心が折れてしまいそうになりますね。その上このコロナ禍ですから・・・元に戻すのではなく前に進めなくちゃならないのかもしれないですね、もしかすると。前に進めるということが後退なのかもしれないですがそれも必要なのでしょう、きっと。

まだまだ雨が続きます。危険な地域に住われている方はどうぞお気をつけください。

 

さて、先日、現在老健施設にてリハビリをしながら療養している親父の帰宅に関する介護関係者ミーティングが我が家でありました。

この日は親父も一緒に一時帰宅し歩行器はどれがいいか、もしくは車椅子がいいのか、現在の体の様子はどうなのか・・・などなどシミュレーションしたり話し合ったりしました。新たに訪問介護のサービスも利用するので契約やサービス内容に関する説明もありました。

親父と会うのは老健施設に入所した日以来。5月末以来ってことになるでしょうか。

家に入るのに介助のために体を支えた時に腕や肩が細くなったな〜と感じたのですが、ソファに座りマスクを取った時にびっくりしました。ガリガリに痩せていたのです。

2月に入院し、4月の頭に病院からリハビリ病院に転院した時のタイミング、リハビリ病院から老健施設に入所した時のタイミングのどちらでも痩せたな〜っては感じていました。実際に体重を聞いて痩せていることもわかっていましたが、今回は少しびっくりしました。
数値的にはリハビリ病院に入院していた時が1番痩せていて、老健施設ではそこまで痩せていないのですけどなんなんでしょうね。

親父的にも1番居心地が悪かったのがリハビリ病院で、その次に最初の病院で、普段からショートステイでお世話になってるせいか老健施設は随分と居心地が良かったようです。だから体重の減少も老健施設が1番少なかったのですが、見た目的な変化は1番大きかったように感じました。これは僕の気持ち的な問題も多分に含まれているのだと思いますが。

父の状態は痩せた以外に、尿閉は改善されずにカテーテルが入ったまま、体重減少に伴い体力が落ちている事が不安な点ですね。

これまでは、

このタイプの歩行器を使っていました。
ちょっとネットで画像を拝借しましたが(問題がある場合はご連絡ください)、うちで使っていたのとは少しタイプが違いますが概ね同じです。キャスター付きのピックアップ歩行器でいいのかな名称は。うちのは後ろにもキャスターがついていて、体重をかけるとブレーキがかかる感じでした。上部のグリップを握る感じですね。

今度はこのタイプになるようです。
体力が落ちたせいか、そもそもこのタイプが合っていたのかはわかりませんが、これだと調子が良いようです。このタイプは上部のクッションに肘まで乗せて移動する感じ。体が少し楽になるようです。ブレーキ付きのもあるようなのですが、ブレーキ管理がうまくできるかどうかわからないので、かえって危ない可能性もあるのでブレーキ無しのタイプで。

ブレーキ無しのタイプだと、立ち上がるときのサポートとして使ってしまうと動いてしまうので危ない。
なので、立ち上がり方を考えなきゃならないのと、僕が常に目を離さないようにしてサポートをしなければならないようです。リハビリと歩行器を使う練習を重ねればある程度は体が覚えてくれると思いますが、アルツハイマー型認知症なので忘れてしまう部分が大きいです。
健常者でも思わずやってしまったってことは付き物なわけで、転倒が致命的になってしまう高齢者であることを考えると介護者によるサポートは必要でしょう。後ほど話しますが親父の性格の問題もあります。

尿閉(おしっこが自力で出せない状態)が全く治ってないので、おちんちんにカテーテルが入りっぱなしなのとおしっこを溜めるパックが常に傍にある状態です。
家でやったシミュレーションだと歩行器に下げたおしっこパックを取り忘れてそのままトイレに入ってしまうということがあったのと、これまではトイレの前に歩行器を置いて、あとは手すりを使って自力で歩いて便座に座るってことができたのですが、それが少し難しく、トイレの中まで歩行器で入らなければならなくなりました。

家を建て替える時に親父の体のことをかなり考えて作ってはいます。

でも限界があって、その1つがトイレです。
我が家の1階のトイレは可能な限り広くしました。でも当時は親父は杖を使えばしっかり歩けたのと、流石に全てを親父に合わせて家を作るわけにもいかず、下手したらトイレ中心の家になりかねないというのもあり、介護用としては不十分なトイレになってしまいました。
介護のことを考えるともっと広くなくてはならないし、縦型の部屋の使い方ではなく横型でなければならないし手すりも現状では不十分だし・・・ま、土地や間取りの関係上かなり難しかったんですね。

今後は親父がトイレに入る際は歩行器を使いバックして入り、そのまま便座に腰をおろす感じになるようでした。
なので、これも僕の介助が必要で上手に便座に座るまで導いて転ばないようにサポートする必要があります。おしっこはカテーテルを通してるので大きい方だけなので回数はかなり少なくなりますが・・・

で、ここで親父の性格的な問題が浮上します。

親父は自分でなんでもやりたがるのです。そして頑固です。言うことを聞きません。
おしっこパックに溜まったおしっこは捨ててあげるよって言っても自分でやろうとするのです。これは施設の方も困っていて、1日の尿量をチェックしなきゃならないのに全然たまらないっていう状態が続いたそうです。おしっこが出ていない・・・と思ったこともあったそうなのですが、すぐに親父が自分で捨てていることが判明。アルツハイマーもあり、何度お願いしてもダメなので尿量のチェックは諦めたそうです。

おしっこは大丈夫だよって言っても、健常者が1日におしっこに行く回数よりも多くトイレに行く可能性があります。なのでその都度対応しなきゃならないのがかなり不安ですね。

この親父の性格の問題は家に帰宅すると顕著になっていくと思います。
それはこれまでの10数年の介護生活の中でも困ったことでありました。徘徊はしないのです。でも、外にゴミを捨てに行こうとしたり、草むしりをしようとしたり。他にもお茶を飲んでいたタンブラーを洗おうとしたり、なんでも自分でやろうとするので目が離せないのです。これまでは障害があるとはいえまだ足が元気だったので危険は少なかったですが、今後はそうも行かないでしょう。すぐに病院に逆戻りです。

次に食事について。

ガリガリに痩せてしまった原因はわかっています。
1つは長い病院と施設での生活によるストレスなどでしょう。もう1つは親父の偏食です。とにかく好き嫌いが多いのです。病院や施設は老人が無理なく食べられるように食事を用意してくれるし、ある程度なら好き嫌いにも対応してくれます。親父は親父で短い入院やショートステイなどの場合は我慢して嫌いなものも食べるのでしょう(アレルギーなどはないので)。でも、それが長くなると、我慢もできなくなるだろうしわがままも出るのでしょう。こまめに連絡をくれた老健施設で顕著にそれが出ているのがわかりました。ご飯の食べる量がまちまちになっていたそうです。栄養補助食は必須で、それでも体重が落ちてしまったということでした。
母も親父の食事にはかなり苦労してて、母でも苦労したのですから母が亡くなった後に引き継いだ僕はもっと苦労しました。フードサービスも利用したくらいで。

でも今後は減った体重をデザートなどのおやつではなく、しっかりと3度の食事でタンパク質を積極的に取りながら戻していかなくてはなりません。老化によって咀嚼も難しくなってるし、飲み込むことも難しくなっているようなので、そこまでに気を使って食事を準備していかなくてはならないと感じてます。

我が家には昨年大病を患った兄貴もいるのでそっちにも配慮しなくてはならず、体重を増やさなくてはならない親父と、減塩と減量しなければならない兄貴・・・幸にして親父も減塩食の必要があるのですが、この両方に対応しなければならないのはなかなかにきついです。健康体である僕が好きなものを食べられないっていうのもあったりで。まー、大変そうです。

 

親父の体の変化に関する問題点はこのくらいです。
もしかしたら家で生活をしていく中でもっと出てくるかもしれませんが。

他の問題点としてはお金の問題です。
今後は感染症なども怖いのでお風呂を家で入れることは難しいかなと考えています。お風呂とリハビリのために週に1度デイサービスを利用することになるのでしょう。それから導尿カテーテルなどのために訪問看護サービスを利用することになります。これまでは夏以外は週に1度しかお風呂に入れてあげられなかったのが、デイサービスと訪問看護で2回入れるようになるのでいくらかよくなるとは思いますが、サービスを利用するにはお金がかかるのですよね。
訪問看護は思っていたより安価でした。デイサービスはまだわからないのですが、ショートステイよりは安いはずです。ただ月に4、5回となるとそれなりにかかるでしょう。もちろんこれまでより回数が少なくなりますがショートステイも引き続き利用します。カテーテルの交換で月に1度の通院だったのが4週に1度になるので微増ですが通院費も上がります。それから食費ですね。食費は手間暇かけたとしても1.5倍くらいになるんじゃないかなーって予想してます。栄養補助食品が必須になるのでもっと上がるかも。
現状で、昨年の我が家のトラブル(兄の病気と親父の病気)以来、生活費は上がりっぱなしでそれ以前に戻すことができずにいます。今後、さらに上がる可能性があるのでそうなるといっぱいいっぱいです。次の問題点で書きますが、僕の時間っていうのも亡くなっていくので収入を他で得るというのも難しくなるでしょう。
何かあった時のために、もしくは僕の将来のためにと親父の年金から少しずつ貯金していて常に数十万は手元にあるようにしていたのですが、昨年より貯金ができなくなり、さらにはわずかばかりの貯金も無くなってしまいました。超ラッキーな臨時収入もあったのですが、それすら尽きてしまいました。
贅沢品として持っている僕の車も手放さなくてはならないでしょうね。
同居している兄も母の死から続くあれこれで随分と貯金を割いてもらっているのでこれ以上無理をさせるわけにはいきません。無職の僕に対して、しっかりと働いて収入を得ているのに親父の介護費で今後のライフプランもメチャクチャになってしまっただろうし。それと、いざっていう時に頼れるのが同居してる兄貴だけなので無理をさせてはいけないってのがありますね。

最後に僕の体力と精神面の問題です。
親父が家にいなかったこの半年、何気にずーーと病んでいましたw
親父のこと以外にも色々あったのですが、親父が帰ってきてからどうしよう、さらにその先はどうしよう・・・こんなことばかり考えてずっと病んでいて、せっかく介護をしなくても良い時間を無駄にしてしまいました。ま、兄貴の食事を作ったりやらなくちゃならないことはたくさんあったので、自由な時間ってのもほとんどなかったのですが。
心が病むと体も調子悪くなるもので、8月に入り少しずつリハビリみたいなことをやってはいますが、目に見えて筋肉が落ちてしまっているし、疲労で1日動けないなんてこともあるしなかなかに厳しいです。

親父が帰ってきたら夜に親父がトイレに起きるたびにサポートしなければならないし、日中も親父が動く度にサポートしなければなりません。
元々、睡眠をうまく取れない人間なのですが、いつどのタイミングで睡眠をとるのかなど考えていかなければなりません。腰痛持ちで寝る環境が変わるとすぐに腰が悪くなります。自分の部屋で今後は眠ることができなくなるのでそれについても考えなきゃならないでしょうね。
ま、親父がショートステイに行ってる間は自室で眠れると思うのでそこで回復していけばなんとかなるかな〜って考えてます。

もう一つ、親父の介護が終わった後の僕の生き方ってのもあるのですが、これはもう諦めるしかないので考えないようにします。

 

うちの場合は親戚が近くにあまりいないっていうのもありますが、兄弟は兄貴が2人います。
同居してる兄貴は金銭面で随分と助けてくれていますが、少し離れたところに住んでいる兄貴は全然です。口出しはしてきますが。でもこれも、自分に兄弟がいるから甘えようとするんだなーって気持ちを切り替えることにしました。家族といえども他人なんです。まして自分の家族を作った場合は完全に他人って思った方がいいでしょう。同居してる兄貴は金銭的に手伝ってくれているから他のことはしなくてもいいと考えてもらっていいと思うし、離れて暮らしている兄貴は他人なので何も協力しないっていうスタンスでもしょうがないのです。おばさんも愚痴を聞いてくれるだけでも十分だし。

親父の介護を僕がやると決めた以上は僕ができることは他の人に頼ってはダメだし他の人に期待をしちゃダメ・・・そんな風に考えを切り替えました。

40何年間、介護の事に関わらず他人に期待を少しでもしていた自分が間違っていたのだとようやく気づいた感じですね。

ある家庭では血がつながらない家族なのに一生懸命家族を思ってあれこれする人もいます。
でも、ある家庭では誰かが犠牲になって家族の誰かの面倒を見るっていう話も聞きます。僕は28歳まで好き勝手やってきたし、実家に戻ってからも母が死ぬまでは母に甘えることもできたのでまだましなんですよね。知的障害の子がいる家庭で、学校を出たあとはその子の面倒を見るために全てを捧げて、面倒を見る必要がなくなった途端に亡くなってしまったなんていう話を聞いたこともあります。
もし、現在同居している兄が結婚していて、やがて父の介護と母の看病が必要になったときに、兄のお嫁さんがそれをやるようになっていたら大変だったろうし、かわいそうだなっても思ったので兄貴は結婚してなくてよかったのかも・・・って思ったり。兄貴が結婚していれば僕が現在自由にしてた可能性はかなりありますが、罪悪感でいっぱいになり自由になんてしてられなかったとは思います。

親父の介護の難しいところは金銭的にボーダーラインな所、アルツハイマーのわりにはしっかりしているところがある上に性格も手伝って目が離せないところにあります。

収入が微妙に多いので負担額が大きくなる、特養老人ホームに入れるのは難しい、でもあくまでもほんの少しだけ収入が多いボーダーあたりにいるので、収入の多さが裏目に出てる感じです。
言葉の間違いを恐れずに言うならば、寝たきりの方が楽っていうのもあります。眠る時間を確保できるし、目が離せないっていうのも軽減するので。

親父の介護はとても難しいとようやくわかってきました。

ケースバイケースなんですよね。寝たきりが大変な場合もあれば、親父のようにまだ元気な部分が残っているからこそ難しいって言うのもあります。収入が少ないから難しい場合もあるし、親父のようにほんの少し収入が多いから大変ってのもあります。収入が無茶苦茶多いとなれば楽なのかもしれませんが、きっとその場合はその場合で大変なことがあるのかもしれませんね。

 

僕に必要なのは諦めるってことでした。
自分の好きなことを諦める、自分の夢を諦める、希望を持たない。これまでの後悔がたくさんありますが、後悔してたらどんどんひどくなるので後悔することも諦めることにしました。変な話ですが。
前向きに介護をするってことはできません。それははっきり言って大嘘をついてるようなもんですから。でも、頭を真っ白にして目の前にあることを処理していくことは可能です。それをするためには諦めが必要なんだと思います。あとは前にも書きましたが期待することもやめてしまうのです。

 

親父が戻ってくるまであと10日間。

せめてそれまでは映画でも見て過ごそうと思います。

あ、一応書いておきますが、親父を問答無用で施設に入れることはできないです。親父のことはやはり好きなんですよね。家が大好きな親父なので、せめて最期は家でストレスなく過ごしてもらうことが親父に対してできる唯一の孝行だと思ってます。迷惑ばかりかけた僕なので。

 


家族旅行

2021年08月10日 | Life

オリンピック終わりましたね。
色々ありましたがアスリートの活躍を見れるのは最高なものです。
僕はW杯、夏季オリンピック、冬季オリンピックだけを楽しみに生きてきた近年だったりするので、オリンピックは中止にすべきって思いながらも無観客で開催されたことは嬉しかったです。サッカーのチケット当選してたのですけどねw

さて、オリンピックが終わったので次はお盆です。

この2年はコロナ禍でお盆どころではなかったし、我が家としては親父が去年も今年も家にいないので亡き母と愛犬のために少しお花と迎え火を飾るくらいでおしまいです。母が亡くなるまで我が家には仏壇がなかったので、見様見真似で僕が準備するだけなのですが。

お盆の時期といえば家族旅行を思い出します。

お盆の少し前だったり、お盆中だったり、お盆の後だったり旅行に行くのはまちまちでしたが、ま、この時期ですね。

我が家の場合は2泊3日で海に行くっていうのが恒例でした。
っていうか、年に1度これしか家族旅行ってのはなかったです。唯一の楽しみっていうか。

海は隣県です。
父方のおばさんが若い時(戦後間も無くとかかなー?w)に勤務先へ通うために下宿先としてお世話になったところが民宿をやっていて、そこに泊まるのが恒例でした。泊まりに行くと申し合わせたわけでも無いのに、父方の従兄弟たちが家族連れできていたり、人がたくさんいるし、自分の父親くらいの年齢の従兄弟(母の2、3歳下くらい)に遊んでもらったりしてすごく楽しかったんですよね。

母方のおばさんや従兄弟が一緒に行くこともありました!

僕の父は末っ子で、母も2人姉妹の妹。で、僕は末っ子・・・つまりは従兄弟たちはみんな年上なのです。1番近い年齢の従兄弟でも8つ上。まー、みんなお姉さん、お兄さんどころかおじさんおばさんみたいな感じなので可愛がってもらってましたw

それと僕が物心ついた頃には兄貴達も従兄弟達もみんな大人だったし、家族よりも友達みたいな感じだったのであまり遊んでもらえなかったのもあって、家族みんな揃ってとか、親戚がたくさん集まるみたいなのが大好きだったんです。コミュ障であまり話もできないのに。

 

そんな家族旅行も20年ちょっと前まで続いてました。

 

僕が横浜に行く前だったと思います。
うーん、これ、前にも書いたような気がしますが、気のせいってことで続けますw

その年はうちの長男は仕事で参加できませんでした。
親父も行きたく無いってことで留守番に。母と次男と僕で、次男の車でいつもの海に行きました。

もう泳ぐ感じでもなかったので、釣りをしたり浜辺でぼーっとしたり中々に楽しかったんです。

でも、夜の8時くらいだったかなー、仕事から帰った長男から電話がありました。

「あのさ、○○さんからの宅配便があったみたいなんだけど、探しても探しても品物がなかったの。で、親父に聞いてみようと思ったんだけど、ぐっすり寝ててさ。家の勝手口から外に出てみたらあったの。空の酒の瓶とそれが入ってた箱が。親父、全部飲んだみたい。何考えたんだあいつ!その瓶で殴ってやろうかと思ったよ!!」

っていうお怒りの電話でした。
兄貴が怒るのも無理ないです。日本酒の詰め合わせがすっからかん。証拠隠滅しようと思ったのか家の裏に捨てる・・・しかも親父は常備してたお酒もしっかり飲んでいたし、夜ご飯のお金として置いていいったお金も全部お酒に使ってしまったようでした。

そんな電話がきたもんだから、旅行も台無し。
兄貴も来ないし、親父も留守番だったから2泊ではなく1泊だったので、帰りにどこどこに寄って行こうとかそういう話をしてたのも全部キャンセル。すぐに家に帰りました。家では酔い潰れた親父が寝てました。酒臭い寝息を立てながら。

この時だけではなかったんです。
昔は電車で行ってた家族旅行ですが、兄貴達が免許をとってからは車で。ま、電車でも変わらなかったんですが、親父は隙があればお酒を飲もうとします。車で夜中に出発してもすぐにコンビニに寄らせてお酒を買い込んで車内で飲む。現地に着く頃には酔っ払っててそのまま寝てしまいます。

親父は釣りが好きで、知識もあって。
兄貴達は親父に釣りを習うのが楽しみだったし、僕もいつかしっかり教えてもらうって楽しみにしてましたがその時は来ませんでした。僕がまともに釣りができる年齢になった時はお酒に負ける父の姿しか見ていません。

その年が我が家の家族旅行の最後となりました。

僕が1番思い出に残ってる恒例の家族旅行は僕が小学校に上がる前の年くらいのことだったと思います。
母方のおばさんとおじさんと従兄弟、そして僕の家族全員が一緒に行った最初で最後の時です。おじさんがハイエース的なのをレンタルしてくれて、全員で乗り込んで向かいました。

途中の休憩でサザエの壺焼きとかを買って食べたり、広い車内で寝転んだり。
現地に着いてからもずーっと楽しかったんです。泳ぐのもみんなが釣りをしてるのも。いつも民宿のおじさんかお兄さんに船を出してもらって釣りをしたり、メインの海水浴場の裏側にある穴場スポットに連れて行ってもらったりするんですが、それらも全て楽しかった思い出があります。

僕は大きな車が好きなんですね。

今でこそミニバンは買わなくなりましたが、荷物をいっぱい詰めるステーションワゴンなどを選びます。今は無理して買った憧れのSUVに乗ってます。
大きな車が好きな人は自分を大きく見せたいとか色々なネガティブなイメージがありますが、僕の場合は違います。

あの時の楽しかった家族旅行をもう一度って思うからです。
荷物をたくさん積んで、たくさん人を乗せて、遠くまで。そんな日が来るのを諦めたくなかったのかもですね。
そんな思いを込めて無理して買ったSUVもそろそろ手放さなくちゃならないのですが。

 

母が亡くなって、親父は足が不自由だしアルツハイマーだし。

兄貴と2人で旅行に行ってもつまらないし、もう1人の兄貴は自分の家族と旅行に行くので実家とは関係ないし。そもそももうそんな年齢じゃないし。

結婚して自分の家族を作って・・・

そんなことに憧れたこともありましたが、もうそれはないです。
気がついたら20数年前に僕の家族旅行は最後になってしまったわけです。

写真のことや心理学のこと。
他にもたくさんやりたいことを諦めていつの間にかこんな年齢になってしまいましたが、家族旅行まで自然と失ってしまっていたと気付いてちょっと悲しくなりました。

自分で選択してきた人生です。
親の面倒を見ることも、ありとあらゆることを諦めるのも。ぜーんぶ自分の選択ですから自分のせいです。

 

近日中に少し書きたいと思っていましたが、性格などはほとんどが遺伝によって決まるそうです。
もし僕が家族を作ったとしたら、親父のように家族に迷惑をかけて、嫌な思いをさせて、いろんなことを諦めさせて・・・

ま、僕のような人間をまた生み出したかもしれません。
だから、負のスパイラルは僕のところでお終いにするのが良いし、そんな風に自分の人生を自然と選択してきたのだと思います。

生きることをやめようとは思いませんが、このままずっと失って、諦めての連続なのは少し泣けてきますね。

2月に入院して今は施設に入っている親父が月末に帰ってきます。
親父はもう少しで83歳になります。今回の入院で随分と弱ってしまいましたが、長生きして欲しいし生きてる限りは家で面倒を見ようと思ってます。

なんか愚痴愚痴になってしまいましたが、家族がいる方は家族とのあれこれを大切にしてください。
我が家のようにいつの間にか失ってしまうことなんてないように。少し無理してでも家族旅行に行って思い出をたくさん刻んでくださいね。


新型コロナウィルスワクチンについて思うこと。

2021年08月07日 | Life

僕はまだ打てていません。
正直なところ、注射が大嫌いで打つのが怖いです。でも早く打ちたいし多くの人に打ってほしいというのが僕の考えです。

35歳の僕が20代30代の「反対派」に聞いてみた「ワクチン打ちたくない」の真意

昨日かな?Twitterで話題になっていた記事です。
若い世代がなんでワクチンを打ちたくないのか、ワクチンとはどういうものなのかについてわかりやすくまとめられています。打ちたい打ちたくないに関わらず読む価値があると思います。

とは言ってもワクチンについての専門的な知識・情報は見ても聞いてもチンプンカンプンだし、過去のワクチンにまつわる事件事故について見ても聞いても恐怖感を抱いてしまうし、何が正しくて何が間違ってるのかわからないっていうのが現状っていう人も多いんじゃないかって思います。
所謂、陰謀論・・・これも結構大きく現在の人類にのしかかっている判断基準を鈍らせる要因の1つになっていたり。まー、わからんことばっかりです。

ただ1つ言えるのは医学の進歩、化学の進歩抜きには現在の人類の繁栄ってのはないのですよね。

また大きな方向に話がいってしまいましたが、織田信長は人生は50年と唄ったことは有名な話ですが信長の死から439年になる現代においては日本人男性で81.64歳、女性は87.74歳になります。

しかし、信長は人生50年と唄っていますが、これはどうやら当時の平均寿命を現したものではなく仏教の言葉から来ているものらしいです。比較的良い暮らしをしていた武士達と比べて、農民は食うか食わずやの生活をしていたわけですから武士の平均寿命からはグッと下がるわけです。
詳しい数字は分かりませんが、さらりとググってみると武士の平均寿命が40歳くらい、庶民が30歳くらいと書いてあるブログを見つけました。そのブログによると幼くして亡くなる場合が多く、現代と同じく長寿な人はたくさんいたのだけど平均寿命を短くしてしまっていたのでしょうね。

・・・と、難しいことはわからないので約450年前の平均寿命が40歳くらいだったとして、そして現代は男女平均で84歳とすると、450年で44年も平均寿命が伸びたことになります。この寿命の伸びが医療の発展だけではないのはいうまでもないことです。戦争で亡くなった方達も多かったでしょうし、命の重さの違いもあります。経済の発展や流通の進化なんてのも大きな違いでしょう。
人間が長生きするには文化的かつ文明的な生き方をしなければ達成できないってことは歴史を見ていくとよくわかることです。生きるために戦争を繰り返してきたっていう部分は確実にあることで、それによって多くの死者を出してきたのも歴史の1つです。

「この時代のこの地域には麦が1作られました。でもこちらの地域には2作られていました。この違いだけで戦争を繰り返しました。このくらい人間にとって肥沃な土地っていうのは重要だったのです。それに対してこの時代のこの地域では麦が10作ることができました。ここまで肥沃な土地があると文明が起こるのです」

詳しく書けないのが僕の知識の情けない所なのですが通っていた予備校の世界史の先生のお話です。
いわゆる「肥沃な三日月地帯」の話だったと思います。メソポタミア文明、エジプト文明に関わる土地ですね。食料事情っていうのは人類にとってそれだけ大きな事だっていう話です。

どうして戦争をするのか?

それは豊かな土地を巡って・・・だったわけですね。
少し文明が発達すると肥沃な土地からそうじゃない土地に食料が流通されるようになります。経済の発展です。しかし愚かな人間はそれでも戦争を繰り返しました。どんなに経済が発展し文化が発達しても、イデオロギーの違いによっていがみあうわけです。宗教の違い、思想の違い、文化の違い、人種の違い・・・しょうもないことばかりです。生きる場所と環境が違うのだから当たり前に起こる違いで戦争をするわけです。

まだまだ紛争地域は多々ありますが、お互いを認めること、お互いを知ることと言った現代的な考え方、文明的な考え方によって昭和初期と比較すると戦争という手段を取ることが少なくなり、それによって命を落とす事もかなり減りました。

寿命が伸びた要因の1つ戦争が少なくなった事ですね。

流通や経済の発展・進歩、テクノロジーの進化によって人類はグッと長く生きられるようになりました。

そして医療の発展がそれらを大きく支えていったのはいうまでもないのです。

せっかく便利で平和な時代がきても、病気にはなかなか勝つことができない人類なんですよね。
ペストやスペイン風邪、他にも多くの感染病で人類はピンチを迎えています。HIVもそうでしょう。未知のウィルスとの戦いの歴史でもあるんですよね人類は。

今から6年前に母が乳癌であることがわかりました。

最初の診察で末期であること、そんなに長くない事がわかりました。僕は毎晩のように泣いてました。
でも母は前向きに治療を受けることを決断してくれました。母の状態にしては治療はうまく行き、最初の診察から約1年と3ヶ月後まで生きてくれました。もちろんもっと長生きして欲しかったし、なんなら完治して今でも生きてて欲しかったです。こんな言い方をしてはいけないけど、現代医療は母に人生のロスタイムを与えてくれたって僕は思っています。そしてそのロスタイムは母だけのものではなく、母が必要だった僕や家族のためのものであったとも思っています。

これは母が最初に入れた抗癌剤です。
こんな毒々しい色をしてるんですよ。いや毒ですよね。
母は幸いなことに抗癌剤を入れた日だけ少しだるくなる程度の副作用ですみました。でもこの薬剤を見ただけで僕はうわー僕はやりたくないな〜って思いました。

この毒と手術のおかげで僕は母と1年とちょっとのロスタイムを過ごすことができました。
まだまだ母の死を乗り越えたとは言えませんが、このロスタイムがなかったら間違いなく今でもメソメソと毎日泣いていたと思います。それどころか現状のあれこれを考えると後を追っていたと思います。

人類は癌を乗り越えることはできていません。
でも、日進月歩で癌治療は進歩しています。ほんの10年前だったら母は3ヶ月と持たなかったかもしれません。

感染症の話に戻すとHIVウィルスで亡くなった著名人だとフレディー・マーキュリーが有名ですが、彼はあと数ヶ月生きていれば現代でも使用されている薬が間に合って生きていられたかもしれないと言われています。
1990年初頭でしょうか。いわゆるエイズは必ず死に至る病と捉えられていました。いまだに怖い病気であり人類は乗り越えることはできていませんが、HIVウィルスとの付き合い方はできていて気をつけることが多々あれど、共に生きていくことはできるようになっています。

そんな中に現れたのが今回の新型コロナウィルス(COVID-19)です。

人類は何百年もかけて、文明、文化、テクノロジー、医療を進歩発展させて平均寿命を伸ばしてきたのですが、驚くことに2020年のアメリカ人の平均寿命は1.5歳も縮んでしまったんだそうです。これは間違いなく新型コロナウィルスによる影響です。これは第二次世界大戦の時なみの落ち込みで、平均寿命としては2003年年以来の水準となるそうです。

コロナはただの風邪、インフルエンザより怖くないって言ってる人たちがいますが本当にそうなのでしょうか?

現在の日本では重症化患者の割合や死者数は確かに減少してます。
これは僕は専門家でもなんでもないので言及するのは控えますが、この1年で医療体制が整ったのとコロナに対する処置が進んでいることによることが大きいように感じます。
変異種によって感染率が高くなっているのが大きいし、コロナ変異し続けることでしょう。そうなるとワクチンを打っただけでは対応できないのかもしれません。

現状でのワクチン接種は半年は持つと言われています。
また、変異種に対してもある程度は効果があり、万が一感染しても重症化を防げると考えられています。
しかし、変異は続くだろうし、現状のワクチンで対応できなくなることも考えられます。あとはワクチンの効果が切れる時期とかもあるわけで。

なので、これからの数年はウィルスの変異とワクチンの対応の一歩進んで二歩下がる的な戦いが続き、いつかインフルエンザと同じ程度に付き合うことができる日まで耐える・・・しかないのが今のコロナウィルスとの戦いなんだと思います。

僕が考えるワクチンを打つ理由は、自分の身を守るだけではなく、身近な人を守る、大切な人を守る、さらに大きくは人類を守るためだと考えます。新型コロナウィルスに人類が勝利するために・・・ってのは言い過ぎかもしれませんが、できるだけ早く新型コロナウィルスとの付き合い方を確立するために打つってことが必要なんじゃないかなって思います。
人類のことなんて知ったこっちゃない。自分の身を守るのが1番大切!そんな風に考えて打つ打たないの選択をするのも1つであって正しいことだと思います。僕的にも理由はこれだけではないです。後ほど書きますが。

 

ここまで書いてきて、ちゃんと考えはあるのだけど話があっちこっちに行き過ぎてわけわからなくなったなーって思いますが、一言で言うと、人類がここまで必死にあの手この手で伸ばしてきた平均寿命なのにアメリカでは1年で1.5歳も縮んでしまうくらいコロナは怖いんだよってことと、人類が何百年もかけて進歩させてきた医療と化学を信じようよってことですね。はい。ツイートできるくらいの内容に4000文字も使ってしまいましたw

 

さて、人類の新型コロナに対する最初の防御兵器であるワクチンですがこのワクチンは人類にも害をなすのではないか?ワクチンの中に人類滅亡のための毒が盛られているんではないか?などなどが驚くほどの勢いで拡散されていてびっくりしました。その中もでこれは悪質なのがいわゆる「陰謀論」です。

僕はオカルトとか陰謀論とか大好きです。大好物です。
でも、それはネタとして面白く見るだけだし、そういう可能性は模索することでちょっとした面白い知識の旅をすることが面白いだけです。僕は頭が良くないし、知識も全然ないです。そんな僕に提示される陰謀論なんてネタとしては最大級に面白いものなのですよw1つの可能性から事実関係を結んでいって、最終的にどんなことが起こるのか?最近は頭の衰えが著しいので旅をすることが億劫になってますが、自分が知らなかった知識をたくさん知ることができるんですよね。

でも、本気で信じてしまってはダメですよw

世の中にある陰謀論の「ほとんど」は嘘だし妄想です。おもしろおかしいネタです。
ただ、あくまでも「ほとんど」なんですよ。全てを否定することはできないです。アメリカでは一般人が出入りできない場所がたくさんあって、例えそこが陰謀論的にUFOに関する施設を政府が隠してるからだってわけではないのでしょうけど、何かしらはあるのかもしれないってことですね。
日本で言うと「プチエンジェル事件」なんてものがあったりするので陰謀論ってのは全部嘘っていうのは言い切れることではありません。しかしほとんどが嘘で出鱈目です。

僕も兄貴や友人からもたらされた情報だった鵜呑みにしてる可能性があります。
ただ、それも今となっては過去の話で今の僕なら確実のその情報源の正しさなどを検証をします。

どんな検証をするかっていうと、まずはその情報を信じてる人の数はどのくらいいるか?Twitterのいいね数などですね。次にその情報はどんな感じで拡散されているか。これは第一次情報がそのまま拡散されているのか、それとも第一次情報を聞いた人によってもたらされてる情報である第二次情報が拡散されているのかってことです。伝言ゲームをやってみるとわかりますが、どんどん情報はずれていくものです。

そして1番大切なその情報源である人間はどんな人なのか。

情報をもたらしてる人が過去にどんなことをやってきた人なのかってのはかなり重要です。インチキ臭いことが1つでもあったら疑うべきでしょう。信用できそうな人間であっても間違ってる可能性があるってことも頭に入れておきましょう。
統計学はデータが1番大切なのですが、たまたまとある専門家が打ち出した理論とデータが一致してしまってあたかもその理論が正しいっていう風になってしまう場合もあることも頭に入れておきましょう。多くの場合はデータの母数が少なくて怪しむことができるのですが、そうでないパターンも昨年あったので(もちろんその理論は大間違い)突飛な理論はどんなに信用してる人が打ち出しているものでも疑うことをしてバチは当たらないです。
普通の人間関係は信用信頼から始まりますが、こういう時の情報は疑うことからスタートして間違いないです。

とにかくこういう危機的状況下においては怪しい人たちが跋扈しますので、疑い過ぎて悪いことは何もないですよ。

ほんとこういう時の陰謀論は危険極まりないです。いろんなところに潜んでは自分の思想を拡散しようとしますから。もっともらしいデータや証拠だけを集めに集めて不安を煽って自分の理論を押し付けてきます。アホかって思うくらいに害毒です。

 

僕がワクチンを打つ理由は大事な人を守るためって書きましたがこれが1番の理由です。
自分が打つことによって回り回ってその人の安全のための0.1%・・・それ以下にでもなればいいとおもいうからです。僕だって打ちたくないですよ。注射怖いし、熱なんてこの20数年出てないし。でも1人でもワクチンを打つ人が増えればそれだけ新型コロナウィルスの脅威が減少すると信じています。
自分の家族だったら土下座してでも打ってくださいとお願いします。でも、ワクチン接種に関しては例え親友であっても絶対に打って!!お願いだから打って!!と言えないのが辛いところです。

これだけ陰謀論も含めてネガティブな情報が拡散されてしまうと、何かあった時に謝っても謝りきれないのですよね。

重症化のリスク、後遺症・・・これらを考えたら何がなんでもワクチンを打って欲しいと思います。
ワクチンに対するネガティブな話が現実的に起こることよりも、感染によるこれらの脅威の方がずっと上なんですよ。とてもとてももどかしいのですが、少しでもネガティブな情報が世の中を駆け巡ってる以上はワクチンを強制するようなことはできないです。

先ほども話したように陰謀論を100%否定することはできないし、万が一にでもワクチンによって大変なことになる可能性ってのも否定できないわけで。

だから医学的な見地によるワクチン危険論ならまだしも、陰謀論のようなクソみたいな情報を拡散している人たちが憎くてしょうがないです。

 

だから最後にまとめとして、

「僕はワクチンを信じて打ちます。それが自分のため、人類のため、そして何よりも大切な人のためにつながるからです。人類をここまでの存在にしてきた現代医学の進歩を信じます。そしてワクチンを打たないと選択した人が感染しないためにも自分は打ちます。」

ここまでしか言えません。あとは自己の判断で打つ打たないは決めてくださいねと。

でも実際の所、自己判断しかないと思います。
いつまで続くか先の見えないコロナ禍です。もう何もかもうんざりですね。