@PAYASO

少しだけ更新再開してます(愚痴オンリー)

親父がいなくなったことでおこる変化とかそういうの

2021年10月23日 | Life

すっかり寒くなって、秋はどこに行ったって感じですね。
僕は10月生まれなので本当だったらこの季節が1番好きなのですが、今年は寒いし寂しいし。
そういえば、去年もなんとなーく寂しく、孤独な秋だったなーって感じます。それを思い出しました。

母がいなくなった時は自分がこの家でしっかりしていかなくては、これまで2人でやってた親父の介護を1人でしっかりやらなくては・・・そんな思いが強くて母の死に伴う各種手続きをやりながら前向きに、前向きにと頑張ってたように思います。

父がいなくなってまだそんなにたっていないので実感がないというのが現状ですが、それでも色々と変化はやって来るのです。

介護ってのはやってみなければわからない部分がたくさんあるし、一括りにできないのは当たり前で介護レベルでも単純に分けることができません。親父は要介護1だったし、入院時に一時的に3まで上がったことがあったけど、かなり酷い状態になった今年ですら要介護2でした。

特養老人ホームに入れる最低条件が要介護3です。
虐待などがある場合は特例として要介護2でも入れると条件に書いてあります。ですが現実はそう簡単ではなく、僕が住む地域で言うと要介護4以上の人しか特養老人ホームを利用できていないというのが現状です。

じゃ、要介護1だと介護が楽なのかっていうとそういうわけではありません。

寝たきりの要介護者を抱える家庭は本当に大変だと思います。
でも、良く動く痴呆老人の面倒を見るのはもっと大変な場合があります。

親父はアルツハイマーな上に自分であれこれやりたがる。でも車椅子や歩行器を使わないと歩けないくらいに足が不自由。つまりは常に転倒のリスクがあるし、突然元の職場に電話をするみたいな問題行為も抱えていて目が離せないという意味で介護が大変でした。

でも介護レベルは1。

介護レベルについても上がれば上がるほど楽になるわけではありません。
要介護4でも特養に入るためには数年待つ場合もあるし、月に使えるサービス量は増えるけど手がかかるという理由で1度1度の介護サービス利用料が高くなります。
親父が8月末まで入っていた老健施設でいうと、月額で2〜3万円以上違ってきます。

つまり、介護レベルが上がると介護保険で利用できる回数(ポイント)は増えるけど料金が上がる。だからといってそのポイントを全て使い切るくらいに介護施設の各種サービスの予約が取れるわけじゃないし、そこまで使う必要もなかったりする。で、フルに使えるとしてもその都度の負担額が上がるわけだから、そこまでは結局は使えないのです。

うちでも介護レベルの範疇を超えてサービスを利用したのはこの5年半で2度程度だったと思います。

うちで利用していたのは主にショートステイだったのですが、月に10日〜12日程度の利用で負担額が5万円〜7万円くらいかかったいたのですがなかなかにきついものがありました。
介護ってのは介護者の心身的な負担だけではなく、金銭的な負担もかなり大きなものになっていきます。介護料金だけではなく医療費もあるし、食費などもちょっと違ってくると思います。そして子育てとは違って死をもってしか終わらないのも大きいですよね。

 

介護だけでなく親父の性格とかそういうので我が家には色々なルールみたいなのがあったり、ちょっと他とは違うことがあったりしました。それらの多くが今後は必要なくなりました。前置きが長くなってしまいましたが、今日はそれをちょっとリストアップしていきます。

 

・食卓の上の小さなクズ入れ
親父はよくティッシュペーパーを使いました。次に書きますがトイレットペーパーもなんでも。朝起きて新聞を読んで、髭を剃って。この間ずっとダイニングテーブルのとこに座っています。その間に口を拭いたり、鼻をかんだり。それ以外にも何故か大量にティッシュを使っていました。使うとその都度ゴミ箱に捨てに行こうとするので、それは危ないからとクズ入れを置いたのです。あと、ゴミ箱まで捨てに行くのが大変だからか、ポケットに入れて忘れてしまうんですね。そうすると洗濯の時に大量にポケットから出て来るってことがあるわけです。クズ入れを置いてても入ってましたが。

・トイレのゴミ箱とトイレットペーパーの買い置き。
親父の1番の問題行動がこれでした。とにかく大量にトイレットペーパーを使うのです。お尻を拭くだけではなく、どんなに綺麗にしてても便器を一通り拭いたり。あとは何に使ってるかわからなかったりなんだりで、1日に1ロール使い切ります。1人で。母が生きてる時にトイレが詰まったことがあって、その原因を親父が使う大量のトイレットペーパーだと母は思ったようです。トイレットペーパーは溶けるのでそう簡単にはつまらないのですが。ま、それだけ大量に使ってたんですね。その対策として親父専用のゴミ箱をトイレに置いてたんです。それが必要なくなりました。
それからトイレットペーパーの買い置き。母はほとんどノイローゼみたいになってて(あれだけ無駄遣いされると多くの人がそうなると思います)、近所のドラックストアで月に2回くらいトイレットペーパーを安く売っていたのですがその度に買いに連れて行ってと言われてました。1人1パックしか買えないから2人で行けば2パック買えるでしょと。うちに18ロール入りが4パックくらいストックがあっても買いに連れ出されるので、終いには置く場所がなくなってそのまま僕の車の中に置いてありました。
この8ヶ月、親父がいない生活をしてわかったのが18ロール入りなら半年もつんですね。だからストックを置いておくなら1パックあれば十分なんです。これも必要なくなりました。

・家のあちこちにある張り紙
例えば空気清浄機です。親父はこれをヒーターかなんかと勘違いしてスイッチをすぐに切ってました。だから切るないじるなと。蓄熱暖房機も温度設定やら何やらすぐにいじってしまうのです。使い方もわからずにやるもんだから他の設定が変わってしまったりで大変でした。他にも色々あちこちに貼ってあります。それらも全ていらなくなります。

・電話機を隠すこと
親父はすぐにどこかへ電話をかけようとするのがとても困ることでした。定年退職して20年もたってるのに元の職場にあれこれ電話しようとしたり。ある時はどうしても電話をかけたがるので母がまだ職場に残っていた知り合いに事前に電話をかけて、親父からこういう内容で電話がかかって来るから適当に対応してくださいってお願いしたこともあったり。母が亡くなってからも職場や友人にかけようとするので大変でした。だから電話機は壊れたってことにして親機を2階に置いて子機を隠しておいて対応してました。あとは僕の携帯を連絡先にするようにあちらこちらにお願いしたりで。先日、親機をリビングに戻しました。

・夜に買い物に行くこと
親父は目が離せないので、食料品などの買い物は兄貴が仕事から帰ってきてからに行くことがほとんどでした。それかショートステイに行ってる期間を利用して買い置きしたり。もちろん、時々、親父に20分で帰って来るから!!などと行って行くこともありましたが。

・インターフォンのボリューム
親父がいる時に家を空ける場合は必ずインターフォンのボリュームを下げていきました。流石に来客をコントロールすることはほぼ無理なわけで。ピンポーンってなると僕がいてもすぐに反応して出ようとする親父でしたので。そのままボリュームを上げ忘れて来客に気づかないことも度々ありました。

・内側から親父が開けられない玄関の鍵
親父が年に何度か外に1人で出ようとしてました。これがかなり怖いこと。この3年くらいは、「そろそろ家に帰らなくちゃ」っていうことが度々あって自分の家はここだよって教えてもわからない感じでした。部屋から出てきたなーって思ったら玄関でゴソゴソ外に出ようとしてる時がまさにそんな感じで。痴呆が進んでいたんだと思います。
僕が寝ている時とか少し家を離れてる時にそれをやられるとかなり困ったことになったので、親父には申し訳なかったけど親父には開けられないように玄関の鍵をかけていました。
内側からだとひねれば鍵を開けられてしまうわけですが、2つある鍵の1つのノブが外れるようになってたので鍵をかけて外して僕のポケットにいつも入れておきました。こんなことをする必要はもうないのです。

・食事
親父は偏食だったので食事がとても大変でした。母はもうお手上げで、親父の好きなもので保存が効くものを必ず食卓に出してました。筋子、数の子など体にあまり良くないものばかり。塩分が多かったりね。そのせいで軽度の糖尿になったし、血圧も高くなったし、太ったし。そのせいで車椅子生活になったこともあって、僕はそれを改善するために頑張りました。でもお手上げでした。一生懸命作っても既製品の方を好んで食べたり、なかなかに頑張るということがきつい状況だったのでヨシケイのサービスを利用するようになりました。去年退院してからはまた僕が作るようになりましたが。
兄貴も減塩と減量の食生活なので、自分が食べたいものは食べられないどころか2種類以上の食事を用意することもあって、それも必要なくなりましたね。兄貴の晩御飯ままだしばらく作らねばならないですが。

・飲み物を飲むことを促す
水分不足になりがちでした。自分で水分を取ることをしないので常に飲むものを用意して、それを飲むように促していました。お茶だと利尿作用があるからとか色々考えたり。それでも改善することはなかったですね。

・お風呂
家にいるときは週に2回程度、親父をお風呂に入れてました。これも必要なくなります。

 

多分、他にも色々あると思いますが大体こんな感じですね。
あともう1つ忘れてならないのが、僕が自由に行動できるようになります。上にあげてきたことがなくなるのがその理由です。自由になったなーって感じられるのはいつのことなのかは今は分かりませんし、自由になって何ができるのか何がやりたいのかもさっぱりわからないですが、とりあえず、自由にはなりました。

 

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長い介護生活が終わりました。

2021年10月22日 | Life

今月の初めに親父が他界しました。

死因は重症肺炎。
某感染症とは関係ないです。

8月の終わりに半年に及ぶ入院と施設での生活から家に戻れる予定だったのですが、予定日の2日前に誤嚥性肺炎となり施設から病院に移動しました。その後も病院とやりとりをして、帰宅するかもう一度施設に入ってリハビリをしてから帰宅するかを話し合っていました。
で、肺炎の症状は良くなって来たけど、体力の低下が激しいのと食事のトレーニングなどを考えて10月1日に施設へ移動するということが決まっていました。1ヶ月の入所で11月には家に戻るという予定で。

それが9月の末くらいに今度は逆側の肺が肺炎になってしまいました。

気管挿管をして人工呼吸に頼らなければならない状態に。

その後、1度抜管できたのですが再び挿管。今後のことも考えて気管切開をしたのですが、その日の夜中に息を引き取りました。

 

8月の末に誤嚥性肺炎になった時にやばいなーっては思っていたのです。

でも、元気になったし頭もはっきりしてたから体力さえ回復すれば、主治医のアドバイスで嚥下治療などをしていけばまだまだ長生きできるって思っていたんですけどねー。2度目の肺炎にしても一度は山場を乗り越えていたので、年内は持つだろう、来年の春くらいまでは・・・そんな風にも思っていました。でも、だめでしたね。

長い入院・入所生活で体力が落ちてしまったのが1番の原因だと思います。
元々肺が弱かったり、20年近く禁煙できていたとしてもその前の30年以上に渡るヘビースモーカー生活が災いしたのもあります。30年前の肺結核も影響してるのかも。

でも、何よりも悪かったのは体力の低下です。
去年原因不明の病気をした時から、親父の老衰というか衰弱が始まっていたとは思います。でも、今年の入院、リハビリ病院への入院、老健施設への入所・・・この家を長く離れた生活が良くなかったと思うのです。親父の状態(病気及び認知など)を考慮しての事とは言えども、親父が家に8ヶ月以上も戻れないようにした僕のせいで死なせてしまったなーって思いもあります。

母の時も病気が発覚する前までの2年間、僕がずっと元気がなく落ち込んでいたせいでストレスを与えてしまい、結果的に病気にさせてしまった思いがあって。両親共に自分のせいだな・・・・・・そんな風に感じています。

 

その話は置いといて。

9月の20日過ぎくらいからだったかな、もう片方の肺が肺炎になってしまって、その時から医者からいつ何が起こってもおかしくない状態ですとは言われていました。コロナ禍もあってそんな状態でもあまり親父に会いに行けないもどかしさもありました(入院してた病院は他と比べて緩い方でしたが)。いつ僕の携帯に電話がかかってくるか怖い感覚も続きました。

当日も夜の10時までは病院にいたのですが宿泊はダメってことで、一度帰宅し2時半に病院から連絡があり2時45分には到着したのですが、すでに心拍が停止している状態で、あとは担当医の到着を待って人工呼吸器の停止と死亡確認を待つのみという感じでした。

通夜・告別式も寂しい感じでした。

83歳と高齢の親父だったのでお友達や仕事仲間の多くが他界してるとはいえ、通夜・告別式を知らせる文言にもコロナ対策の言葉が入っていたし、火葬場に行ける人数も自治体から通知があったので親戚全員が行けない感じだったし。この時代に死ぬもんじゃないな・・・そんな風にも思いました。コロナでの死亡ではなかったので、遺体にすら会えずにってわけじゃなかったのですが。家族がコロナで亡くなった人の気持ちを想像するといたたまれない思いにもなりました。

 

僕の生活にも色々と変化があるのですが、葬儀が終わって2週間程度経過して、少し気が抜けてしまった感じがあります。気候の激しい変化もあって少しだけ体調を崩していたり。

親父が体を壊して18年、母が亡くなって5年。

僕の介護生活が終わりました。
母が生きているときはいくらか自由があったし楽な部分もあったのですが、この5年はほんと親父との戦いの毎日って感じだったかも。28歳だったのが46歳になったし、体重は20キロ落ちたし、白髪も増えたし、好奇心や気力の低下もすごいし、物忘れも酷いし。長かったなーって感じます。

親父のことを恨んでばかりだったのに、今は不思議と親父のことで思い出すのは楽しかった時のことばかり。

母が亡くなったときは闘病の1年間があったから悲しいっていう気持ちだったのだけど、親父が死んでから感じるのはさびしいって気持ちばかりです。83歳なので十分に長生きしてくれたのですけどね。

 

これからは自分の人生を生きよう・・・そんな風に思うこともあるのですが、何をどうしたらいいのかわからないし、やりたいこともわからなくなってしまいました。

18年は長かったんだなー。

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