@PAYASO

少しだけ更新再開してます(愚痴オンリー)

hageになったりゆう(禿げてはいない)。

2021年06月29日 | Life

気候のせいなのか寝不足のせいなのか、気候のせいで寝不足になったせいなのか。
今日は午前中からいろいろとパソコン作業がしたかったのに、いざパソコンにむかうとだるくてダメでした。

よくあることではあるのですが、思うように時間を上手に使えないとがっかりするんですよ、自分に。

そのあと、少し寝て、気分転換にコンビニ行ってエナジードリンクとスイーツ買ってなんとか3時間ほどは集中できたのでよしとしようとは思いますが。

 

気温はそれほどでもないのだけどむしむしして気持ち悪い。
そんな日々が続いていますが、体調が悪くなったり集中力が低下するのもそのせいでしょう。夜寝ようとして体がべたつく感じが気持ち悪くてシャワーをあびたりなんて日があったりね。

こういう違和感、気持ち悪さってのは対処方法があるし簡単に対応できるのでよいのですが、どうにもならない違和感を感じたことってありませんか?

 

何年前だったかは忘れてしまいましたが、そういう違和感に苦しんだことがあります。
っていうか、当時ほど強烈な反応はないものの今でも時々その違和感に苦しんでいたりもします。

その時はどんな感じだったかというと、体中が痒くなるような感じがして・・・って説明が変ですが痒くなったわけじゃないんですよ、なんか痒くなるような変な感じがあって、なんなら体の皮膚を全部はがして交換したいっていうような、サイコな考えが浮かんでしまうような気持ち悪さ。痒いとも違うんだよな~。なんだろう。で、皮膚は交換できないから、同じく違和感が気持ち悪くて髪の毛をむしり取ってしまいたいような衝動にかられる頭ならなんとかなるかも?って思い行動を起こしました。

自分で風呂場でバリカンを使って頭を丸めました。

さすがに虎刈りでひどい有様だったので当時まだ存命だった母に仕上げをお願いしてすっきりと。

 

これでほんの少し違和感は落ち着きましたが、それから10か月後くらいにまた頭を丸めました。

痒いような変な違和感の正体はわかってます。恐怖と悔しさとなんとかしたいけどどうにもならないそんな感情がごっちゃ混ぜになって、うーーー!!!ってそんな感じw

 

ほんとは坊主にした写真を見せたかったのですが、何年前か忘れたのでカメラロールから探すのが大変なのと前髪がかわいそうだったのであまり見せられないっていう感じです。
禿げてはいないけど、禿げっぽかったのですよwまー、ハゲですねw

今でもたまに当時と同じく坊主にすれば楽かな~っても思うのですが、介護関係の人と会うことが多いし、そういう方達って年上の方が多くて介護のストレスで体調崩してる僕を見ていたりもするので、突然坊主になったら心配されると思うんですよね。だからやってないだけで(あと前髪が当時よりもっとかわいそうになってると想像できるので)。

なるべく自分のことは自分で解決しようって思う派なんですがどうにもならないことも多々あるわけで。

お金の事だったりね。

 

そんな中の1つがこの解決できない違和感と気持ち悪さです。

気が付いたら顔がぴくぴく動くなんてこともありますよw
人生を巻き戻しできるなら、あの時に戻ってこの違和感の原因をしっかり究明して避けるか、避けられないのなら・・・どうするんだろね。
なんともできないかも。


生きるのって楽しいことだし、人と関わって色んな刺激を受けてもっと楽しくなって。
それが良い人生だと思うけど、うまくいかないことはうまくいかなくて、それを避けられるなら避けるべきだし、避けられなかったらみなさんは忘れるように努力してください。

忘れるってことは人間が持ってる強い防衛機制です。あなたの強い味方です。

ぼくみたいに英単語や公式は忘れるのに、そういうのを忘れる事が出来ない人種もいるんですよ。

嫌な事は酒でものんでスカッと忘れて、楽しいことと好きなことだけに目を向けて生きていこうね。本当にそう思いますよ。

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東京に住む理由。

2021年06月16日 | Life

田舎暮らしで困ることってあまりありません。
でも、靴を買うお店はギリあります。洋服を買うお店がないです。

みんなどこで買ってるのかな〜って聞くと、県外、ネット。

という感じです。
コロナ禍前は年1くらいで県外に買い物には行ってました。
ネットでってなるとサイズがいまいちわからないし、返品交換サービス利用するのめんどいし・・・ってなりますねw

なんでも揃うわけではないですが、概ね間に合ってます。

でも、僕は実家に戻る理由がなければ横浜に住み続けたかったし、住み続けたい理由もありました。

○○女子とか、昔なら○○系とか言われる人たちはそこに住む理由を作るためにわざわざネーミングしたんじゃないかってくらい、そこに住む理由をはたから見ると感じなかったりします。そこに住んでる私すげーっしょ?ってくらいにしか感じないっていうかw
と、いきなりディスりから始まりましたが、あくまでも、○○ですから名指しではないですよw

タイトルは東京に住む理由ですが、僕が住んでたのは横浜の片田舎でした。

色々やってたので、週に3回以上は確実に都内に出てたし、アパートから駅まで行くのは大変だったけど、駅から都内に出ることに関しては全く苦労に感じない程度の距離でした。
でも、服を買うときは都内にでなかったり、ご飯を食べる時も都内に出なかったり、飲み会の時も都内に出なかったりw

それじゃ東京に住む理由って変じゃんってなるわけですね。

 

僕が東京に住む、東京の近くに住むっていうことをこだわりたかった理由は写真です。

途中でやめちゃったわけなので、過去の話になりますが。


写真作品のモチーフはたくさんあります。
人間は世界中の至る所にいるし、風景はその場所場所全てですし、スタジオで撮影する人はスタジオさえあれば都道府県は関係ないし、動物ならむしろ都内よりは地方だし、お花もどこにでもあるわけです。

僕は東京にこだわりたかったです。

これは学生時代の所属ゼミなどにも関わってはくるのですが、東京独特の建物の込み入った感じや道路の複雑さ、人の多彩さ、美しさと汚さの混在・・・東京って面白いんですよ。

僕が田舎者で東京に憧れてたからかな〜っても当初は思っていたのですが、そういう個人的な感情っていうのはどんどんなくなっていって、純粋に構造・構築的なモチーフとしての東京を見ていました。
写真のジャンルにもクラシック的だったり、現代的だったりってあるのですが、どの写真にも共通することは、

「今、ここ」

過去に撮った写真を持ち出すことはできても、過去の写真を撮ることはできないんですよね。
日本における現在を見るときにもっともらしいのは、やはり東京だし、モチーフとして過去的なものを垣間見れるのも東京はとても豊富です。時代のエモーションを切り取るっていう言葉を誰かが残していましたが、まさに感情蠢く風景を切り取るには最高の場所なんですよね。
写真はやめてしまったし、東京に住むことも難しくなってしまいましたが、「東京○○」ってタイトルで作品を紡いでみたいな〜って希望は少しありますよ。

写真撮影・・・だけじゃないんですよ、写真に関わることで。

学校卒業間近にほんの少しだけ就職を考えた時期がありました(この辺が間違ってるけどw)。
地元の写真館でわりと高待遇で募集してたんです。あと、確か、失恋に近いことがあったんだっけかなwなんかこの辺にいるの嫌だな〜実家帰ろうかな〜って考えたタイミングでした。

仕事で写真をするということでは全国に職場はありますから東京にこだわる必要はないんですよね。素晴らしい仕事がたくさん地方にもあります!写真って生活に欠かせないみたいな部分ありますからね。

でも、就職しても作品作りは続けるつもりでした。

そうなると地方では被写体以外の問題も出てくるんだな〜ってことに気づきました。もちろん被写体も問題になるわけですが。

 

地方では東京の100分の1も個展、写真展、展覧会が見れない!!!!!

 

これ、すっごい問題になると当時感じました。
学生の身だからってのもあったとは思いますが、写真集や写真雑誌だけではインプットが全然足りないんですよ。
新作の写真展をしっかり見続けていかないと、僕程度の能力では作品作りの迷子になるって感じてました。模倣の時期はもちろんありますし、その時期じゃなくても写真は常に「今、ここ」なんです。だから潮流ってのもあるし、その潮流にのるも逆らうも「今」を見て感じることってとても重要なことでした。

地元に帰るとして、月に1度都内に展覧会を見に行くってのはかなり大変なことです。月に1度では足りないですしね。

写真だけじゃなくて、都内の美術館の企画展、常設展、こういうのもとても大事でした。自分の中身だけでイメージを構築できるのなら地方でゆったりと仕事をしながらってのも良かったのかもしれませんが、才能は1ミリもなかったので環境が大事になっていくわけですね。

 

と、何となく思い出して書きたくなったので書いてました。

夢の大東京は憧れだけじゃなくて、あらゆる活動の下地としてとても大切な場所なんですよね、きっと。

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お墓参り。

2021年06月10日 | Life

春夏秋冬どれが好き?
って問われると、自分の誕生日の季節であり過ごしやすくもあり風景が少ししんみりしてて・・・などで秋が好きって答えるかもしれない。でも、どの季節も好きなんです。汗っかきだから暑い季節が苦手でもあるのですが、汗かいてもいいよ、平気だよ!みたいな感じなら暑いのも大好き。

でも、近年の傾向で夏バテが2回から3回くるんですよね。
7月の終わりくらいに1度、8月の終わりから9月の半ばくらいに1度かな。忙しいとお盆に死んでるってパターンも。それが今年はどうやら前倒しで今の時期にきてるみたい。
色々と追い込まれてるのもあって精神的なものが強い感じもするのだけど、症状的には完全に夏バテのそれ。困ったもんですよ。

さてさて、昨日は珍しくお墓参りに行ってきました。

お彼岸、命日、母の日、お盆、母の誕生日くらいにしか普段は行きません。家から自転車で10分かからないところにあるので行こうと思えばすぐに行けるのですが、毎朝仏壇に手を合わせてるとこっちに母がいるような気もするんですよね。ま、ま、多分ですが故人っていうのは思ったところにいるものだとも思います。ふと思い浮かんだ時にそこにいるみたいな。

お墓参りをしない言い訳って感じもしますがw

去年の12月にも思いついてお墓参りに行ってます、そういえば。
僕はずるいので自分が精神的に参ってる時とか何か嫌なことがあった時に話を聞いてもらいに行く傾向があるかもですね。

今回は報告的な感じで行ってきました。

母の晩年・・・というかこの10年はとある事一色な僕です。
母もそんな僕に付き合ってくれて話をたくさん聞いてくれてたんですね。何の事か話せないから少し変な感じの説明になってしまいますが。話を聞いてくれて、励ましてくれたり、一緒に楽しんでくれたり。そんな月日を4年ちょっとくらい一緒に過ごしてくれて、母は旅立ちました。

なので何となくそのまま気にかけてくれてるかな〜って思ったりもして報告したいなって。

とても良かったという話。
僕は多分、幸せだよっていう話。
でも、たくさんの事を諦めなければならなかったよっていう話。
お母さんが望んでくれたような未来は無理になってしまってごめんなさいっていう話。
僕はしっかりと覚悟を決めて迷わずに生きるよっていう話。

線香とお花を忘れたくせにいつもより長く話を聞いてもらうっていうw

 

母に生きててもらって実際に話を聞いてもらえるのが1番なのですけど、こういう気持ちの切り替えというかそういうのも必要だし良いものかなって思いました。

この間少し書きましたが、生きてる上で話を聞いてもらうっていうことはとても重要な事だと思います。
嫌な事もスッキリするし、楽しかった事嬉しかった事はより強く心に刻む事ができるはずですし。人は1人では生きられないって思うんです。でも、1人で生きなければならない事情がある人や1人でしか生きることができない状況にある人もいるわけで。そんな時、ネットの友達と話をするのもいいし、匿名掲示板で気持ちを吐露するのもいいかもしれません(悪口、バッシングは絶対にダメですが)。あとは昨日の僕のようにご先祖さまなどに話をするのもありですね。

何となく、自分の生き方を肯定してもらえた。。。そんな風に勝手に感じたお墓参りでした。

ありがとう、母ちゃん。

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時の忘れ物。

2021年06月05日 | Life

昨日に引き続き体調が悪いです。
体調が悪いってなるとコロナの疑いを少なからず持たれてしまうのがどうにも、どうにも・・・
ま、100%そうじゃないのですが。98%かな、100ってのはないので。すぐに治るでしょう。

先日から久しぶりに「シュタインズゲート0」を見てる。

ゼロはオカリンがずっと元気がなくて鳳凰院さんもずーっと登場しないので少し苦手なんです。いや、大好きなんだけど、元気のないオカリンの印象が強くてw

ゼロの中で好きな話があります。

第12話「相互再帰のマザーグース」の回。

この回では記憶喪失のカガリの記憶が戻るきっかけの回になる。
カガリは10歳の時に未来(2036年)からタイムリープして現代に来ている。しかしすぐに一緒にタイムリープした鈴羽とはぐれてしまい、行方不明になってしまう。10何年後にオカリン達と行方不明の状態で出会う(鈴羽とは再開)。その間、とある施設に軟禁されていた。

カガリについてはざっとこんな感じ。

この回の冒頭では、未来(2032年くらい?)でまゆりがカガリに、

「探し物1つ、星の笑う声♪」

っていう歌詞の歌を教えるシーンから始まる。
この曲はシュタインズゲートゼロの挿入歌で「星の奏でる歌」という曲。まゆり役の花澤香菜さんと、カガリ役の潘めぐみさんが歌ってる曲。
未来ではまゆりがカガリを養子に迎え母親になっているのだけど、まゆりはカガリにこの曲を、

「とても大事な歌、この歌があったからママとカガリちゃんが出会えた。だからねカガリちゃんにも覚えてほしい。いつかカガリちゃんが大事な人と出会った時のために」

と伝えて教えている。この時のカガリは6歳。

現代で記憶喪失になっているカガリは、まゆりが鼻歌で歌ったこの歌を聞いたタイミングで何かを思い出し倒れる。

この歌がカガリの記憶のトリガーになっていると踏んだオカリン達はこの歌のルーツを辿る・・・

 

と、この話が面白いのですよ。この歌の出所をフローチャートにするとこんな感じ。


まゆり(現代)は鈴羽に聞いたと。

鈴羽は未来でゆき(鈴羽の母親)から聞いたと。でも鈴羽はかがりの前で歌った事はない。

ゆき(現代)はお菓子教室の他の生徒さんから聞いたと。

お菓子教室の生徒さんは実はオカリンの母親。

オカリンの母は中学の頃のオカリンがお風呂で歌ってるのを聞いて覚えた


未来や現代を行き来しながら、結局はオカリンがルーツだってことがわかる。
でも、肝心のオカリンはどこで誰から聞いたのか覚えていない。ルーツはここで途絶えてしまう。

なんかよくあるようで不思議な話です。
例えば現代で小学生くらいの子の前で「赤いスイートピー」を歌って、いい曲だね〜って言われても歌った本人が何の曲か知らなくてもすぐに松田聖子さんが80年代に歌ってた曲だよってルーツに辿り着く。
でも、この「星の奏でる歌」は作中では、

誰が作ったのか?
誰が歌っていたのか?
誰の曲なのか?
いつの時代の曲なのか?

これらが1つもわからないのである。
オカリンは誰に聞いたのか?・・・

と、シュタゲゼロを見た方ならわかると思う。ここがこの物語の面白いとこ。

この12話のエピローグで中学時代のオカリンがとある施設から脱走したカガリに出会うシーンで締めくくられている。
駅のホームで「星の奏でる歌」を呆然と歌うカガリにオカリンは、

「いい曲ですね」

と声をかける。多分、この時にオカリンは「星の奏でる歌」を覚えてお風呂で歌っていたのだろう。

 

はい、これで「星の奏でる歌」のルーツが判明する。

「星の奏でる歌」のルーツは現代にタイムスリップして数年後のカガリだったのだ〜!

 



いや、カガリは6歳の時にマユリから教えてもらってるはず。そしてまゆりは現代において鈴羽が歌ってるのを聞いて覚えたはず。で、鈴羽は・・・

 

「星の奏でる歌」はいったいどこから来たんだろう?

 

現代における実現不可能なもの、永久機関、不老不死、タイムトラベル・・・
もし、タイムトラベルが実現したらどんなに頑張って調整しても、タイムパラドクスのような事は起こるんだろうな〜って思う。その1つがこういう、どこから来たのかわからないものが発生する事なんだろうな〜と。

SFって説明がつかないことが起こったり、矛盾が出てきたり・・・

それがとても怖い表現になる場合もあるけど、シュタゲみたいなロマンチックなものだと心が安らぐような感じがあってとても好きなのです。クロノトリガーの時の最果てみたいな不思議な場所とかね。

 

SFにはさっぱり触れてこないままの人生だったけど、今から触れていっても面白いかなと思うのです。

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聞く力と骨の話。

2021年06月05日 | Life

今日は1日久しぶりにダウンしてました。

熱はなかったし感染症などではないです。
なんていうか、軽いオーバーワークシンドロームみたいなものかなーっていう自己判断です。

何か頑張ってたわけでもないんだけどねw

 

ま、でも、ほんの少しだけ心を解放したみたいなことがありました。

長年・・・トラウマ?まではいかないのかな、1人で抱えてたっていうわけでもないのだけど、なかなか理解してもらえないこと、僕だけが感じていたようなこと、うまく説明できないけどほんの少し共感してもらえたようなことがありました。

誰かに話したり共感してもらうことで解決したり僕の心から消えてなくなったりするようなことじゃないのだけど、ほんの少し楽になりました。でも、そういうことを表に出すってことはとても体力と精神力がいることです。数日分の体力と精神力をほんの数時間に一気に出したから燃え尽きてしまったみたいな。もちろん、開きたくない心の扉を開いたみたいな部分もあったのかもね。

 

40数年生きてきて、心から思うのは無条件に自分の話を聞いてくれる受け入れてくれる友達を作ってことなかったことへの後悔です。

友達じゃなくてもパートナーでもいいわけなんだけど、ま、それも作れなかったから同じことで。

 

世の中にはどうしても解決できないことってあると思うんだよ。
なんでもかんでも時間が解決してくれるわけじゃない。死ぬまでずっと心のかさぶたとして残り続けたり、喉に刺さって取れない魚の骨みたいにチクチク悪さをしたり。心にずーっと違和感として残ってしまうものってあるんだよね。

そういうのって誰かに聞いてもらうと少し楽になる。

楽になってもかさぶたは綺麗にならないし、骨は刺さったままかもしれない。でも、一時的にスッとしたり痛みが和らいだり。

なんていうのか否定せずに聞いてくれるのが友達だと思うし、信頼して聞いてくれるのがパートナーだと思う。

聞く力

僕が心理学で学んだことは何もなくて、唯一、こういう力があるってことだけを知りました。
でも実践できないのだけどねw

聞く力をしっかり持っていて自然に使ってる人っていうのは、優秀なベテラン心理カウンセラーの何倍もの力を持ってるんじゃないかなーって思う。時には心理学の知識も邪魔になることがあるわけで。

人間が人間として人と交わり触れ合っていくっていうのは、相手の気持ちを理解することであり、受け入れることであり、信頼できることだって思う。それらを意識せずに自然にできること。

 

僕は少々疲れてしまっています。
長く長く、喉に刺さった骨に悩まされて。存在を忘れてる時はなんてことないのに、時々、ちくちくと悪さをする。この違和感を解消する方法は何年考えても見つからなくて、付き合い方も分からなくて。でも、ほんの少しだけ必死に話して必死に伝えて、やはりほんの少しだけ骨のチクチクが和らぎました。

なんかね、嫌な事、辛い事、気持ち悪い事、怖い事。嬉しかった事、楽しかった事、面白かった事、不思議だった事、あなたが好きだって事。そういうこと全部少しでも聞いてくれそうな人がいたら話してしまうといいんだと思う。で、話を持ちかけられた人は解決しようとするのでもなく、否定するのでもなく、一緒に抱え込む必要はないからほんの少しの時間でいいから共感して、共有して、信じてあげればいいのかなって。
そうすればネガティブな事は少し軽くなるだろうし、ポジティブな明るい話はより明るく楽しくなるだろうし。

 

と、抽象的になってしまいましたが、ちょっと思うことがあったので文章で残しました。


ちなみに、喉に刺さった骨の表現は、ずいぶん昔にみた「贅沢な骨」っていう映画からの表現です。
贅沢な骨=うなぎの骨だったように思います。1度だけなんとなく見た映画だったのですが。骨=違和感。そんな話だったと思います。

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トロッコ問題

2021年06月01日 | Life

昨日はお休み。
そう決めていたのだけど、結局は家の事あれこれやらなくちゃならなくて休みにならないどころかいつもよりしっかり働いてしまいました。世の中の主婦って本当に大変だと思う。結婚してるわけでもないのに専業主夫になって6年目でまだまだままごとみたいなもんだけどそれでも1日主夫の仕事をしっかりやるとぐったりします。

さてさて。

昨日、メンタリストDaiGoさんの過去の動画がオススメに出てきて気になって見てみました。

こちら。
サイコパスを見抜く手段をいくつかあげていて、その中にトロッコ問題が入っていました。
簡単に説明するとトロッコ問題とは、

 

「制御が効かなくなったトロッコの先に5人の人がいてこのままだと確実に5人は死亡します。しかし、線路のポイント切り替えの所にあなたがいます。ポイントを切り替えれば5人は助かります。しかし切り替えた先には1人いてその人も確実に死亡します。あなたはどうしますか?」

 

といった問題です。
命の重さなど倫理的な問題などが問われる問題ですね。

これ、答えられます?w

DaiGoさんの動画を見たからってわけではなく、この問題を知ってからずーっと答えを出せずにいる僕だったりしますw
堂々巡りしてしまうというか、命の重さに答えを出せずにいるっていうか。いやそれが普通に思うのですよ。論理的な話の展開にも持っていけません。論理よりも感情が優ってしまいます。

論理的な答えを話してくれているのが最近話題のひろゆきさんです。

ひろゆきさんは5人を殺す派だそうです。
1人殺すってことはポイント切り替えを操作することになるので、少なからずこの事件に関与したことになる。だからそのままトロッコが走り5人を殺す方を選択するのだそうです。もちろん5人を殺す場合も切り替えスイッチを操作できるのに見て見ぬふりをしたってところで事故に関与したことにはなりそうですが、関わり具合では弱いですよね。

いやー、それでも割り切れないですよ、この問題。

5人を殺す数の問題としてはこれは大きいです。じゃ1人を犠牲にする・・・これは選択的に人を犠牲にするわけで選べるものではありません。ひろゆきさんの解説のように自分を守るっていう観点からしても選ぶことができず、むしろ自分も一緒に犠牲になった方が楽だったり。

 

そこで最初のDaiGoさんの動画になります。

「サイコパスは即座に1人を殺す方を選択する」

とあります。
これ、共感性の薄いサイコパスっていう人たちは人の命を量として捉えることができてるってことが1つですね。「犠牲は少ない方がいい」こんな風に割り切れるわけです。

そしてもう1つのポイントがあって、

「即座に決断できる」

これです。
僕がサイコパスじゃないですアピールではないですが、多くの人が答えを出せないでいるんじゃないかって思うんです。僕と同様に。一度答えを出してもまた迷ってしまったりとか。

決断が早いというのは優秀です。優柔不断があまりよろしくないみたいに言われるのでそれは間違い無いでしょう。

サイコパスの特徴の1つでもあるこの決断の速さ、トロッコ問題みたいなものに当てはめると怖さもありますが、会社の経営など物事を判断しなくちゃならない場合にはかなり優秀であることが多いと思われますよね。経営者、弁護士などにサイコパスが多いって言われる所以はここにあるのでしょう。

でも、思うんですよ、人間ってそもそも煮え切らないものであり、優柔不断であり、そんなに簡単に物事を決められないものなんじゃ無いでしょうか。

 

子供の頃にこんな経験は無いでしょうか?誕生日のプレゼントを買ってもらえるとなってAとBどっちがいい?と問われたとか。

 

簡単に決められましたか、その時。
僕は迷いに迷った挙句に親の口車に乗せられて間違った選択をした経験がありますよ。

当時はやっていた小型のラジコン(今でいうとミニッツレーサーみたいなのかな、もっと小さいけど)が欲しかった僕。親が提案してきたのは、

「あのね、今、キン肉マンのコミックを少しずつ買ってるでしょ。何巻まで揃った?うん、6巻までだよね。そして何巻まで出てる?12巻だよね。月に1冊ずつ買ってあげてるけど、全部揃うまであと6ヶ月もかかるよね。誕生日のプレゼントだったら全部買ってあげてもいいよ」

散々迷った挙句にキン肉マンのコミックを選択しました。ラジコンは多分5800円くらい、コミックは確か当時一冊380円くらいだったので2280円。まー、親にまんまとやられましたw

迷いまくった挙句に選択をミスった例ですね。もちろんお金の感覚が全然わからない子供の頃の話なのでやむを得ないですが。

 

ちょっと話がずれてしまいましたw

そう、人間は迷う生き物なのですよ。僕の場合は子供にとっては大きいけどたかだか数千円の選択ですし、しばらくすればクリスマスなんかもあってプレゼントの機会はまたやってきますからね。

それが一生の選択となったらどうでしょうか?

例えば就職です。A社とB社に内定をもらったとして、A社は給料が高いけどまあまあ仕事が大変。B社はA社より少しだけ給料が安いけどA社よりも少し仕事が楽でプライベートの時間も少し取れる。かなり微妙な選択肢にあえてしましたが、これ、なかなか選べないですよ。給料のほんの少しの違いって将来的に考えるとかなり大きな差になってきますし、プライベートの時間が欲しいって人は趣味を充実させるためには給料が多い方が良いなどもあるし。

例えば結婚。これは簡単にしようかどうか迷ってる。これだけでもいいでしょう。なかなか煮え切らないもんじゃ無いですか、1度迷ってしまうと。

これらのこと、もちろん人生には大きな選択肢がいくつも用意されています。その選択肢、自分のことなのですごい悩みますよ。答えなんてなかなか出てくるものじゃない。でもいつかは決断するのですが、決断に時間がかかってしまうことって当たり前のことだと思います。

しかし。

誰かにこういうことを相談することもありますよね。
この時に時間をかけずに答えを出してくれる人をあなたはどう思いますか?

 

なんとなくですがここにトロッコ問題やサイコパスの診断材料の本質があるように思うんですよ。

僕も何度かこういう相談を受けたことはあります。
でも簡単に答えは出せなかったし、こっちがベスト!!って言い切ることもできませんでした。もちろん、ちょと情けないくらいに役立たずではあったのですが。

人の人生に関わることに簡単に答えられませんよ。

それでもこっちの方がいいよなーとか、こっちの方がベストだしなんで悩んでるんだ?なんてことを心の中には持っていたりもします。そういう時は相手が自身の範疇から一歩飛び出して考えられるような話をしたりします。明らかにこっち!!っていう場合でも僕が決断をしてそれを伝えるってことはしないかな。ま、簡単なものだったらそっちが絶対にいいじゃん!みたいに言いますがw

 

決めることができない、煮え切らない、決断に時間がかかってしまう。

これらがいかに人間らしいことか。僕はそんな風に思います。
即座に決断できてしまうこと、悩んでる相手に対してすぐに答えを提示してしまうこと、こういうことができてしまう人って怖いです。

何時間も話し合ってそれでも答えが出なかったり間違った選択をしてしまうのが人間だと思うんです。

 

何か迷った時、選択を迫られた時、たくさん考えた、たくさん相談した、たくさん話し合った・・・これらのことが間違った選択をした時に後悔しない要因の1つにもなるかなって思います。

ま、優柔不断な僕の言い訳かもしれませんけどね。

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