睡眠を上手に取れないってのは致命的だと思う。
先日、2ちゃんのひろゆきがこんなことを言ってた。
「自己啓発本を読むくらいならその分睡眠をとった方がずっとまし。睡眠をしっかり取れば仕事などの効率が上がるから。」
実にその通りだと思う。
自己啓発本って読んだ瞬間はすごい充実感とやる気に満ち溢れるんだけど、しばらくするとくだらねーってなったり内容全部忘れたり、あんなの実践するの無理無理(無駄無駄)ってなったり。
これは人によるのだろうけど、僕の場合は大体そうです。なんていうかエナジードリンク的な効果かなーと思ったり、痛み止め程度の効果かなーって思ったり。それなりには効果があるってことだとは思う。
それよりは質の高い睡眠をとって仕事や勉強をする時間に集中力が生まれた方がずっといいですね。体にも心にも。
僕は睡眠ってのがすごく苦手です。
実際、今、これを書いてる瞬間にもその睡眠苦手が出てしまっているわけなんですが・・・
睡眠が苦手なルーツはどこにあるかいつも考えるのですが、小さい時にはすでにその片鱗が出てました。
まず、いつまでも一人で眠れない子供でした。
あと、恥ずかしい話ですがおねしょをいつまでもしていました。小4まではしてたんじゃないかな、
こんな話をするのは初めてですw
僕は悪さをしたり、ワガママを言ってはよく母に怒られていました。もちろん父にも怒られることはあったのですが、父は僕にあまり興味がなかったので、母が手におえない時などに父に言って、その流れで父に怒られるって感じです。そんな経緯で父に怒られるので、頭を叩かれたり、外に出されたり・・・父は一発で言うことを聞かせようと無茶をするわけですねw
出来の悪い僕でしたので、それらはやむを得ないことだったと思っています。
ただ、母は、夜一人で眠れない、おねしょをするなどに関しては全然怒らなかったなーって思います。
ふつーは怒らないだろうって思うかもしれませんが、うちの母は穏やかで優しい人ではありましたが、キャパシティがあまりない人でもありまして、わりとしょーもないことでも怒られたようにも思います。
良い例が浮かばないのですが、えー、こんなことで怒られても・・・的な話はいくつかあります。
そういう意味では酒に酔った父にもかなりしょうもないことで怒られたような。
僕の一人で眠れないってのはなんの予兆などもなくあっさりと解決し、おねしょ問題も同じように何かあったわけでもなく解決していきます。30年以上前の話なので忘れてしまった部分もありますが、なんで一人で寝れなかったのか、なんでおねしょしてたのかもわからないままに。
ただ、そういう癖があったからかどうかはわからないけど、中学生くらいにはすでに睡眠が下手くそだってことを認識し始めます。新聞配達なんてことをやってたせいもあるし、夜中にふと目が覚めて考え事をし続けるなんて理由もありますし・・・それが現在まで続いてるって話ですねw
と、本題に。
母の話です。
少しだけ睡眠の話でも触れましたが、母は基本的には穏やかで優しい人でした。
僕が小学校4年くらいまではパートもせずに、少し内職をする程度で基本は専業主婦な人でした。
僕が学校から帰ると、こたつに入りながら編み物をしていたり。そんな姿がいつまでも印象的に記憶に残ってるんですよね。
父がやらかしても大喧嘩にはならなかったし、父に対して怒鳴り声をあげるような姿も覚えてません。もちろん少しは怒っていましたが。
父が結核で入院した時は、何故か小6の僕を学校に迎えにきてまで病院に連れて行って、医者から病気についての説明を聞いたのですが、その帰りに側に病院の食堂で食事をしている時に静かに泣いてる姿とか、僕の兄に怒鳴られて泣いてる姿とか、そんな弱い感じの母の姿をよく覚えてます。
まだガキな僕を病院に連れて行ったのは、一人で話を聞くのが不安だったからでしょうね。
そんな母でも1つだけ、うわー!やらかしやがったなーー!!っていう出来事がありました。
僕が一人暮らしを初めて数年が立った頃のことです。
その頃から今と変わらず暇な時間はネットを見て過ごしてました。もう覚えてる人も少なくなったかと思いますが、「ゆびとま」ってサイトがほんの短い期間でしたが話題になってた時期がありました。
「ゆびとま」ってのは何かって言うと、この指とまれの略で、自分の卒業した学校に登録していくと当時の同級生とつながることができるっていう、今でいうところのSNS的なサービスでした。
そのゆびとまで、同じクラスになったことはなかったけど、母のパート先で一緒に働いてるおばさんの娘さんを発見しました。ま、同い年なわけです。その人は自分のホームページをゆびとまで宣伝してて、なんとなくそのリンクをたどってみました。
まだブログのなかった時代なので、個人ホームページが主流でブログの代わりにその中に日記がある感じ。
日記には現在、某県にて彼氏と同棲してるってことが書かれてまして。ま、年齢も年齢だったので別に驚くような話でもないし、問題ももちろんなかったのです。
母から電話があった時に、
「○○さんの娘さん、今、○○県に住んでるんだね〜」
ってかる〜く話してしまったんです。
一応、娘さんのことを考えて、○○さんには言わないでねって口止めはしたのですが・・・
後日、その娘さんの日記をみたら、
「うちの母親から電話がかかってきて、一緒に働いてる同級生のお母さんからあなたが彼氏と同棲してるって言われた!なんでそんなことをインターネットに書くの!!って怒られた。そういう各仕事みたいなことをするから私は嫌なんだよ!同級生のあなた、こんなことで私は怒らないので、またここを見にきてくださいね」
と。即座に母ちゃんに電話をしたら、
「なんか面白そうだったから思わず言っちゃったw」
と。ふざけんなー!!!
ま、うちの母ちゃんはそういうスキャンダルとか噂話とかそういうの大好きだったんだよね。ワイドショーとかいつも見てたし。母ちゃんとはたくさん喧嘩もしたし、怒られたけど、この時は流石にまいったなー。笑い話にできることでもあるんだけどさ。
母ちゃんが死んだ時に、新聞で知った母ちゃんの友人とか知り合いが葬儀にたくさんきてくれたんだけど、泣いてくれる人がたくさんいて、あー、うちの母ちゃんは愛されてたんだなーって思った。
「この間会った時、大変な病気をしてるのに、今は良い先生に出会えたから回復に向かってるんだよって笑顔で言ってて。だからそれを信じてたんだけど・・・」
と言ってた母の友達がいて。
母は確かに想像以上に抗がん剤などの効果が出てた。でも、あくまでも100%助かりませんよっていうのが、99%助かりませんよ、ほんの少しだけ余命を伸ばせますよ・・・っていう程度のものだった。母もそれは理解できてたはずなんだけど、この友達の言葉のまんま、誰に対しても心配をかけないようにと笑顔で振る舞っていて、愚痴の1つもこぼさなかったようだった。
母のこういう強さを垣間見ると、優しいってことは強いってことでもあるんだなーと感じるんです。
僕は晩御飯が終わるとすぐに自室に戻ってたんですが、母が闘病中のある日、ジュースを取りにリビングに戻ったら、ソファでテレビを見てる母の姿があって、でも、母はテレビを見てるようで全然違うとこをぼーっと見てるようでした。
抗がん剤をやった日は流石にだるいなどとは言ってたけど、闘病中に弱音をほとんどはかず、なるべく全部自分でできることは自分でやろうとしてたし、僕が積極的に手伝わない限りは晩御飯なんかも普通に作ってたし、家族の前でも元気に振る舞ってたのですが、夜、眠る少し前の1人の時間にどうにもならないくらいの不安に襲われたりしてたんでしょうね。テレビなんて頭に入ってこない、眠るに眠れない。。。そんな時間だったんだと思います。
流石にその姿には僕もまいってしまったので、それから母が亡くなるまでは母が眠るまでリビングにいるようにしていました。
「お父さんを看取るまでは私は死ねません。先生、どうかお願いですからなんとかしてください。私、頑張りますから」
母が最後に入院する前の診察で先生に言った言葉です。余命宣告こそされなかったけど、ほぼもう無理ですってことを言われた後に。
これは僕を思っての言葉なんですよね。
現在、父の介護に苦労してるわけですが、その未来を知っていたので母は死ぬに死ねなかったんだと思います。自分が病気になったら苦しい治療には耐えられないからホスピスに入れてね、延命治療はしないでねっていつも言ってた母なのに、こんな言葉を残して亡くなったのです。
父には興味を持たれなくて、兄貴達には馬鹿にされて、そんな中、唯一僕を認めてくれているのが母でした。
ずっと期待もされていたように思うし、あなたは大丈夫と言ってもらえることも多かったです。
なんか、母が期待してた僕の未来には辿り着けなかったけど、こんな母の子供として生まれてよかったなーって思います。
いつまでも心配かけて、期待に答えられなくて申し訳ないです・・・
父親っていう存在は僕にとっては謎です。わかりません、理解が及ばないです。
でも、なんとなくですが、多くの家庭の母親って存在は理解できるようにも思います。母親がとっている行動にはなんかしら意味があるし、それが確実に子供達のためにって繋がってるようにも思います。たまにやらかすのは愛嬌みたいなもので、きっと母親は子供の未来を信じて生きてくれているんだなーって思うのです。
最近は思うようにいかず、母の遺影に誤ってばかりですが・・・
もう少し長生きして欲しかったなーって思います。もう少しでいいから孝行させて欲しかったな。