@PAYASO

少しだけ更新再開してます(愚痴オンリー)

ピエロのように

2021年04月27日 | Life

僕がよく使う「payaso」。

これはスペイン語でパジャッソ、ピエロのことです。
2002年のW杯の時にアルゼンチン代表の試合を見たのですが、目の前で見たパブロ・アイマールのドリブルに完全に魅了されました。彼のニックネームがpayasoだったんです。

ピエロっていうよりは曲芸師っていう言葉の方がしっくりきます。でもアイマールはそのニックネームが嫌いだったそうです。

このブログを始めたのは2005年でサッカー大好き(見るだけ)真っ只中だったので、大好きだったアイマールのニックネームをつけさせてもらったのでした。

ただし、僕の場合は曲芸師というよりはピエロって感じでw

 

笑わせているのか笑われているのか?

 

お笑い論争になると議論になることかなって思います。
笑われているのだったら芸ではないと言う人もいるでしょう。
僕は笑われている芸人も芸だと思います。笑わせるのも、笑われるのも笑いが起きるって点ではものすごく素晴らしいことです。比較する必要もないくらいに。

でも、芸という言葉を介入させると、それは単純に言えなくなってしまうのかもです。

「まるでピエロだよ。」

この言葉が悪いのかなーっても思いますが、例えとしては優秀な言葉だとも思います。

ピエロって笑わせてるんじゃなくて、笑われてる部類に入るんですよね。

ピエロは笑われるために高度な芸を身につけています。本当に笑われるんじゃなくて、計算の上で笑われるっていうのは芸事もマスターしなければわざと失敗できないし、タイミングも掴めない。間を捉えることにも習熟しなければならないでしょう。人を笑わせるために笑われるってのは高度なんだって思うのです。

だから人はピエロが好きなんだと思うのです。

 

そんなピエロになりたいから、payasoってつけた!

っていう意味ももちろんあります。でも、単に、まるでピエロだよーっていうようなことが多かったから、自虐的にピエロとつけたかったんです。

 

なんで今になってこんなことを、しかも内容も薄いのに書きたくなったんでしょうね。自分でもわかりません。
でも、きっと意味があると思っています。

どうしてこれを書こうと思ったか・・・

いつか答えがわかるといいなって思います。


母の面影

2021年04月24日 | Life

睡眠を上手に取れないってのは致命的だと思う。

先日、2ちゃんのひろゆきがこんなことを言ってた。

 

「自己啓発本を読むくらいならその分睡眠をとった方がずっとまし。睡眠をしっかり取れば仕事などの効率が上がるから。」

 

実にその通りだと思う。
自己啓発本って読んだ瞬間はすごい充実感とやる気に満ち溢れるんだけど、しばらくするとくだらねーってなったり内容全部忘れたり、あんなの実践するの無理無理(無駄無駄)ってなったり。
これは人によるのだろうけど、僕の場合は大体そうです。なんていうかエナジードリンク的な効果かなーと思ったり、痛み止め程度の効果かなーって思ったり。それなりには効果があるってことだとは思う。

それよりは質の高い睡眠をとって仕事や勉強をする時間に集中力が生まれた方がずっといいですね。体にも心にも。

 

僕は睡眠ってのがすごく苦手です。

実際、今、これを書いてる瞬間にもその睡眠苦手が出てしまっているわけなんですが・・・

 

睡眠が苦手なルーツはどこにあるかいつも考えるのですが、小さい時にはすでにその片鱗が出てました。

まず、いつまでも一人で眠れない子供でした。

あと、恥ずかしい話ですがおねしょをいつまでもしていました。小4まではしてたんじゃないかな、

 

こんな話をするのは初めてですw

僕は悪さをしたり、ワガママを言ってはよく母に怒られていました。もちろん父にも怒られることはあったのですが、父は僕にあまり興味がなかったので、母が手におえない時などに父に言って、その流れで父に怒られるって感じです。そんな経緯で父に怒られるので、頭を叩かれたり、外に出されたり・・・父は一発で言うことを聞かせようと無茶をするわけですねw

出来の悪い僕でしたので、それらはやむを得ないことだったと思っています。

ただ、母は、夜一人で眠れない、おねしょをするなどに関しては全然怒らなかったなーって思います。

 

ふつーは怒らないだろうって思うかもしれませんが、うちの母は穏やかで優しい人ではありましたが、キャパシティがあまりない人でもありまして、わりとしょーもないことでも怒られたようにも思います。

良い例が浮かばないのですが、えー、こんなことで怒られても・・・的な話はいくつかあります。
そういう意味では酒に酔った父にもかなりしょうもないことで怒られたような。

 

僕の一人で眠れないってのはなんの予兆などもなくあっさりと解決し、おねしょ問題も同じように何かあったわけでもなく解決していきます。30年以上前の話なので忘れてしまった部分もありますが、なんで一人で寝れなかったのか、なんでおねしょしてたのかもわからないままに。

ただ、そういう癖があったからかどうかはわからないけど、中学生くらいにはすでに睡眠が下手くそだってことを認識し始めます。新聞配達なんてことをやってたせいもあるし、夜中にふと目が覚めて考え事をし続けるなんて理由もありますし・・・それが現在まで続いてるって話ですねw

 

と、本題に。

母の話です。

少しだけ睡眠の話でも触れましたが、母は基本的には穏やかで優しい人でした。
僕が小学校4年くらいまではパートもせずに、少し内職をする程度で基本は専業主婦な人でした。

僕が学校から帰ると、こたつに入りながら編み物をしていたり。そんな姿がいつまでも印象的に記憶に残ってるんですよね。

父がやらかしても大喧嘩にはならなかったし、父に対して怒鳴り声をあげるような姿も覚えてません。もちろん少しは怒っていましたが。
父が結核で入院した時は、何故か小6の僕を学校に迎えにきてまで病院に連れて行って、医者から病気についての説明を聞いたのですが、その帰りに側に病院の食堂で食事をしている時に静かに泣いてる姿とか、僕の兄に怒鳴られて泣いてる姿とか、そんな弱い感じの母の姿をよく覚えてます。
まだガキな僕を病院に連れて行ったのは、一人で話を聞くのが不安だったからでしょうね。

そんな母でも1つだけ、うわー!やらかしやがったなーー!!っていう出来事がありました。

 

僕が一人暮らしを初めて数年が立った頃のことです。
その頃から今と変わらず暇な時間はネットを見て過ごしてました。もう覚えてる人も少なくなったかと思いますが、「ゆびとま」ってサイトがほんの短い期間でしたが話題になってた時期がありました。

「ゆびとま」ってのは何かって言うと、この指とまれの略で、自分の卒業した学校に登録していくと当時の同級生とつながることができるっていう、今でいうところのSNS的なサービスでした。

そのゆびとまで、同じクラスになったことはなかったけど、母のパート先で一緒に働いてるおばさんの娘さんを発見しました。ま、同い年なわけです。その人は自分のホームページをゆびとまで宣伝してて、なんとなくそのリンクをたどってみました。

まだブログのなかった時代なので、個人ホームページが主流でブログの代わりにその中に日記がある感じ。

日記には現在、某県にて彼氏と同棲してるってことが書かれてまして。ま、年齢も年齢だったので別に驚くような話でもないし、問題ももちろんなかったのです。

母から電話があった時に、

「○○さんの娘さん、今、○○県に住んでるんだね〜」

ってかる〜く話してしまったんです。
一応、娘さんのことを考えて、○○さんには言わないでねって口止めはしたのですが・・・

後日、その娘さんの日記をみたら、

「うちの母親から電話がかかってきて、一緒に働いてる同級生のお母さんからあなたが彼氏と同棲してるって言われた!なんでそんなことをインターネットに書くの!!って怒られた。そういう各仕事みたいなことをするから私は嫌なんだよ!同級生のあなた、こんなことで私は怒らないので、またここを見にきてくださいね」

と。即座に母ちゃんに電話をしたら、

「なんか面白そうだったから思わず言っちゃったw」

と。ふざけんなー!!!
ま、うちの母ちゃんはそういうスキャンダルとか噂話とかそういうの大好きだったんだよね。ワイドショーとかいつも見てたし。母ちゃんとはたくさん喧嘩もしたし、怒られたけど、この時は流石にまいったなー。笑い話にできることでもあるんだけどさ。

母ちゃんが死んだ時に、新聞で知った母ちゃんの友人とか知り合いが葬儀にたくさんきてくれたんだけど、泣いてくれる人がたくさんいて、あー、うちの母ちゃんは愛されてたんだなーって思った。

「この間会った時、大変な病気をしてるのに、今は良い先生に出会えたから回復に向かってるんだよって笑顔で言ってて。だからそれを信じてたんだけど・・・」

と言ってた母の友達がいて。
母は確かに想像以上に抗がん剤などの効果が出てた。でも、あくまでも100%助かりませんよっていうのが、99%助かりませんよ、ほんの少しだけ余命を伸ばせますよ・・・っていう程度のものだった。母もそれは理解できてたはずなんだけど、この友達の言葉のまんま、誰に対しても心配をかけないようにと笑顔で振る舞っていて、愚痴の1つもこぼさなかったようだった。

母のこういう強さを垣間見ると、優しいってことは強いってことでもあるんだなーと感じるんです。

僕は晩御飯が終わるとすぐに自室に戻ってたんですが、母が闘病中のある日、ジュースを取りにリビングに戻ったら、ソファでテレビを見てる母の姿があって、でも、母はテレビを見てるようで全然違うとこをぼーっと見てるようでした。

抗がん剤をやった日は流石にだるいなどとは言ってたけど、闘病中に弱音をほとんどはかず、なるべく全部自分でできることは自分でやろうとしてたし、僕が積極的に手伝わない限りは晩御飯なんかも普通に作ってたし、家族の前でも元気に振る舞ってたのですが、夜、眠る少し前の1人の時間にどうにもならないくらいの不安に襲われたりしてたんでしょうね。テレビなんて頭に入ってこない、眠るに眠れない。。。そんな時間だったんだと思います。

流石にその姿には僕もまいってしまったので、それから母が亡くなるまでは母が眠るまでリビングにいるようにしていました。

 

「お父さんを看取るまでは私は死ねません。先生、どうかお願いですからなんとかしてください。私、頑張りますから」

 

母が最後に入院する前の診察で先生に言った言葉です。余命宣告こそされなかったけど、ほぼもう無理ですってことを言われた後に。
これは僕を思っての言葉なんですよね。
現在、父の介護に苦労してるわけですが、その未来を知っていたので母は死ぬに死ねなかったんだと思います。自分が病気になったら苦しい治療には耐えられないからホスピスに入れてね、延命治療はしないでねっていつも言ってた母なのに、こんな言葉を残して亡くなったのです。

父には興味を持たれなくて、兄貴達には馬鹿にされて、そんな中、唯一僕を認めてくれているのが母でした。

ずっと期待もされていたように思うし、あなたは大丈夫と言ってもらえることも多かったです。

 

なんか、母が期待してた僕の未来には辿り着けなかったけど、こんな母の子供として生まれてよかったなーって思います。

いつまでも心配かけて、期待に答えられなくて申し訳ないです・・・

 

父親っていう存在は僕にとっては謎です。わかりません、理解が及ばないです。
でも、なんとなくですが、多くの家庭の母親って存在は理解できるようにも思います。母親がとっている行動にはなんかしら意味があるし、それが確実に子供達のためにって繋がってるようにも思います。たまにやらかすのは愛嬌みたいなもので、きっと母親は子供の未来を信じて生きてくれているんだなーって思うのです。

最近は思うようにいかず、母の遺影に誤ってばかりですが・・・

 

もう少し長生きして欲しかったなーって思います。もう少しでいいから孝行させて欲しかったな。


みぎとひだりがわからない

2021年04月21日 | Life

去年の8月だったか9月だったか、そのくらいの時期。
兄貴が突然こう言いました。

「お前は左利きだったはずだよ」

 

 

青天の霹靂とはこういうことをいうのか。
ちょっとニュアンスは違うかな。

僕は右利きとして生きてきました。

箸を持つのも右、字を書くのも右、ボールを投げるのも右。

 

他は?

 

兄がいうには、母が左をやたら使う僕を見て矯正していたというのです。
左利きの人で矯正して右利きになった人って、その意識があるはずだと思うんです。でも、僕にはまったくそれがない。
可能性としては僕が物心つく前にとことん右を使わせて、それが当たり前のことって思わせたのか・・・

いろいろ考えたけどあり得ない話。

ただ、心当たりもいくつかあるのですよ。

いつまでも箸を上手に使えなくて、幼稚園の時に好きな女の子にそれを指摘されるのが嫌で、スプーンとフォークにしてもらったとか。
いつまでも靴の右左がわからなかったとか。
お遊戯とかそういうので、右左を逆にやってたとかw
少し大きくなって、野球でナチュラルに左打席にはいったとか、ボールをキャッチするのが右が楽で投げられないのに左で投げようとしたとか・・・
腕相撲は左の方が強いとか。。。

他にも思わず左を使ってしまうってことは多々あるんです。

じゃ、左がすごい器用かっていうとそうではないわけですね。右利きとして生きてきたわけで、40うん歳になって左利きだって言われてもそりゃ実績が違いますよってはなしで。

 

で、兄貴に言われたその話は忘れることはなかったけど、気にするようなことでもないので頭の片隅に追いやっていたわけです。

 

少し前の話なんですが、左手の親指の爪をはがしてしまって絆創膏をがっちりとつけていたんですね。

包丁を使うのも右手なので料理は普通にできると。爪はがしてかなり痛かったのだけど問題ないと思っていました。
ニンニクの下処理をするときです、ヘタを包丁で切って薄皮をむく・・・

???

あれれ?

なんだこれ?

皮がむけないのですよw

うまくむけない、つか、皮をつかめない・・・

 

!!!!

ナチュラルに左手で皮をむいていたのですよw
右手でニンニクをもって、左手の親指と人差し指をつかって皮をむく。親指にはガッツリと絆創膏がまかれているので、爪がつかえない。
ニンニクの薄い皮をもつことできないわけですね。

なんだこれーってなって、使う手を逆にしてみたら普通に不器用でむけないのです。利き手のはずの右手が全然つかえない。

同じような現象は玉ねぎでもおこりました。

 

その後、少し意識して生活してみたら、プラモデルを作るときも普通なこんな使い方しないよなー的なニッパやピンセットの使い方をしたり(説明が難しいので割愛します)、意外と器用に左手をつかっていたり。

本当は左利きとしてうまれたのかなー?と、もう一度兄貴に聞いてみました。

「そうだよ、間違いないよ。かあちゃんがずっとこの子はぎっちょだ!!って騒いでたもん」

 

僕がこれまで生きてきて、右と左で違和感を感じ続けていたのもあって、なんか今度は腑に落ちました。

 

かあちゃんはどんなマジックを使ったのか・・・

僕はまったくもって左利きという意識のないまま大きくなったわけです。
でも、箸はいつまでたっても上手にもてないし、字は練習しても全然綺麗に書けない。
常に右と左で何かしらの違和感がある・・・

 

この件に関しましてはもう少し自分なりに研究して報告していきたいと思います・・・

母の愛なのかなんなのか、すげーって思いました。かーちゃんマジックの正体見極めたいです。


あがぺーけちょんぱ

2021年04月18日 | Life

今日はちょっと興奮してるのか眠気がいつにも増してこないです。

落ち込んでいてもしょうがない、ほんの少しでもいいから前に進もう、失敗してもいいから1つ進もう。。。

 

と、思ったのです。
で、頑張ったのですよ。たいそうなことはしてませんがw

 

最近、老眼が酷くて漫画を集中して読めないのが悩みです。

積んでる漫画もたくさんあるのに、読みたい漫画もたくさんある。なのに読めない。
漫画ソムリエになりたいなーって思うくらいにアホほど読み漁った時期もあるのになー。定番ものしか読みませんでしたがw

しまってある場所はわかるのだけど、パッと今、出すことができないので内容に間違いがあるかもしれませんが、1つ漫画を紹介したいです。

「アガペイズ」

という漫画です。山田玲司さんの作品ですね。

 

主人公の水樹百合はロックバンド(ビジュアル系?)のボーカルでものすごい人気者だったけど、実はゲイ。小学校の時の縁で甲子園を目指してる金田虎輝を愛している。
金田は親がプロ野球選手でその影響だったか何だったかは忘れたけど、なかなか自分らしく生きることができずにいる。水樹はそんな金田を救いたいと、アガペイズと契約し風水の力を駆使してやったこともない野球で金田に尽くしていく・・・

 

いやー、こんな内容だったかなーw
アガペイズとは、博愛、無償の愛、尽くす愛、見返りを求めない愛を意味するアガペーから。

水樹は金田のために風水を使ってピッチャーとして金田を支えていくのだけど、その力を使いすぎると命が蝕まれていく。
自分の愛は金田には届かない。でも、恩義もあり愛してやまない金田が甲子園に行くためなら、命を投げ出しても構わないっていう覚悟を持っている。

アガペーって概念が水樹のようにゲイであることから叶わぬ恋故に辿り着く境地であるなら少しわかる。

でもノーマルな僕にとって愛はどんなに頑張っても見返りを求めているはず。

それは性的なことではなくても、話をしたいっていう小さなものであっても見返りと考えてしまう。
見返りを求めている以上、水樹のように命をかけてしまってもアガペーの境地には辿り着かないはず。

死んだら少しでも覚えていてくれるかなー、記憶に残ってくれるかなー。

これですら見返りになるわけで。

 

いや、違うな。

本当に命をかけてまで愛を貫くっていうことを経験してないからわからないのだろうね。
見返りとは違う何かを求めるのかもしれないし。

と、考えるとかなり重たいテーマなんだけど、山田玲司先生らしいコミカルであるし、しっかりとメッセージも込められているけど、読みやすく面白いです。

理不尽な運命に立ち向かう時、もしかしたらアガペイズ的なものが必要になるのかもしれませんね。

でも、そんなドラマチックなことも中々ないのが実情です。

僕なんかはもういい加減に歳をとってしまったので、もしかしたらそんなシチュエーションに出会ったらアガペーの境地に辿り着くかもしれないなんて思ったりもしますが・・・

 


僕の夢は〇〇です!

2021年04月17日 | Life

って、小学生の時に書かされた記憶があるけど、今でもそういうのあるのかな?

ジャンプ黄金世代どんぴしゃだったので、がっつり漫画にはまってた僕の夢は漫画家になることだったはず。

でも、壊滅的に絵が下手なのをわりと早い段階で自覚してすぐに諦めました。

 

次に抱いた夢ってなんだろう?

なんか、夢というよりは家を出て地元から離れて一人暮らしをしたい。

ただこれだけだったように思う。
そんなんだから家を出るのがかなり遅くなった。

次は夢というよりは現実的な感じで写真家になりたかったです。
心理学を勉強したのは写真家になるための一環だったのと、何かしら手に職をつけたかったってのもあったかも。
でもそこで心理学を選択するあたりがとちくるってるなーって我ながら思うのですよ。

 

僕の夢ってそんなに大そうなもんじゃないです。少しだけ箇条書きにします。

・アラスカに行ってオーロラを見る
・年に1度、数年に1度。。。なんなら一生に1度でいいから写真展を開く
・1つ小説を書く
・1度でいいから新車購入をする
・もう一度東京か横浜で一人暮らしをする

あと2つくらいあるのですが、1つは自分の事ではなくて願いみたいなもの。もう1つは些細な事なのに叶わないので書きませんでした。

いや、まじでこの程度ですw
あ、あと車で2週間くらい北海道旅行するってのもありましたが、これすら叶えられる感じがしませんね。

お金持ちになれななくてもいいし、6畳の1K暮らしでも構わないし、新車購入も新車であればなんでもいいし。

 

たかだかこの程度の夢を1つの実現できそうにないってなると、情けなくて笑ってしまいますよw

 


落ち込んだ時にかまってもらいたい人

2021年04月17日 | Life

冒頭からなんですが現状、生きるの無理状態ですw

家のこと、未来のこと。

親父の介護から解放されてもそんなに良い未来はないんですよね。
でも、親父の介護を1人で続けるのは今後難しくなります。

夜中は親父がトイレなどに起きた時に世話をしなくちゃならなくなるし、日中は目が離せないのはこれまで以上になるし。

自分はいつ寝るのか、ヘルパーさんをお願いした場合はその代金をどうやって支払うのか・・・

週に1度の訪問看護は必須になるので、それ以外の介護サービスはどんな風にしていくか・・・

 

親父の気持ちや僕の気持ちとは関係なく、状況として僕が介護を続けるのは難しいのです。

それでも親父が入れる施設を探すまでに1,2年かかるかもしれないので、しばらくはキツイ状況を耐え抜かねばならないです。

 

と、介護の状況はこんなかんじ。
今は入院しているのでこの間に準備をすすめるっていうことと同時に、なるべく考えないってこともやらなければならないのですが(ストレス軽減のため)、まー、無理ですよねw

 

親父の介護の他にもこの2,3年であらゆる状況の変化があって、なかなかに厳しいですw

 

でも、誰かにすべてを打ち明けてつらいよー、たすけてよーっては言えないし、言う相手もいないのです。

親戚や兄貴にたまに愚痴をこぼしますが、それはほんの些細な部分でしかないし、解決に向かうこともなくて。

 

と!!!

 

ここまで書いてネガティブだなーって思います。
いや、ネガティブにならざるを得ない状況なんです。

僕はこのネガティブを発散する場所がありません。
だから自然とブログ、Twitterでは泣き言が多くなるしネガティブで満載です。

 

これは悪いところだなーって思うのですが、僕が落ち込んでる事やどうにもならないことで考え込んでることに気づく人ってリアル人間関係ではゼロです。

唯一気づく人がいたとしたら、亡くなった母だけ。

母は僕の耳かきや爪切りをする様子、テレビを見てる時や食事の時の様子から落ち込んでいることに気づいてました。
耳かきや爪切りは頻度がほんの少し上がるようです。食事や普段の様子のどんなところで気づいたのかはわかりません。他の人(家族も含めて)が気づかない何かがあったのでしょう。

 

友人知人、親類縁者・・・

誰も僕の事に気づかないのですよw

友人とご飯を食べに行ったときに、いやーつらいんだよーとか言いながらため息つきまくっても、

「そんなこと言って―。なんとかなるんでしょ?つか、そこまで大変っておもってないでしょーwww」

と言われます。

 

そもそもが常に何か新しい事、何か面白い事だけを考えて生き続けた人間なので、ネガティブでも表に出すのは最低って考えてしまうんですよね。

 

でも、ブログやTwitterでは思いっきりだしてるので、過去にはこのブログを見た友人から、

「あなたは言い訳ばかりをして現実から目をそらしていることに気づいてないのですか?」

って突然メールがきたりw
いやいや・・・・w

 

この10年くらいはlineなどもあって、ブログやTwitterを見た人と交流する機会も増えたのですが、そんな方達には甘えて愚痴を聞いてもらったり、泣き言を聞いてもらったりはします。
本当にありがたいことで、ストレスの緩和につながるし、前向きになって事態に挑むこともできてます。

 

自分でこんな風にいうのもあれなんですが、ネットでの僕をのぞいて、これまで僕とかかわってきた人で嫌な思いをした人ってほとんどいないと思います。

見た目が悪いので生理的に無理だった人もいるでしょうし、僕が心底相手のことを嫌い過ぎて態度に出てしまった人もいるでしょう。

でも、ほんの一時期でも僕を頼ってくれた人もいるわけです。

 

ま、僕の環境の変化などでみんな交流が途絶えてしまうのですけどね。

 

生きる上で発散ってものは必要だと思う。
でも、そのすべてが発散できたり解決できたりができない場合が多く、あることに関してはどうにもならなかったりもするのですよね。
だから、ネガティブを吐き出して発散する場所があるってのは自分にとってプラスだったりします。

ネガティブを見た人から嫌われるって意味ではマイナスですがw

 

ま、ま、ま、それでも現実の僕のすべてを受け止めてくれる人が欲しいって思います。これまた叶わぬ願いですけどねw


やったもん勝ち

2021年04月16日 | Life

これ以前にも何度か書いた気がする。

少なくともTwitterでは常に言い続けてるやつ。

 

少し前の話になるのですがラジオを聴いていてとあるアーティストさんが新曲を発表してました。
正確なものは忘れてしまいましたがざっくりというと歌詞の内容は以下のかんじ。

「かあちゃん、これまでずっと迷惑かけ続けてごめんな。これからはしっかり働いて親孝行するからな」

これです。
多分、この曲の主人公はぐれてて散々やらかしてきたのでしょう。
何かあればお母さんを泣かせて、それでもへんてこは矜持のために喧嘩したり悪さしたり。ババアどけ!くらいに母ちゃんを足蹴にしていたかもしれません。

でも、高校を卒業して就職して一転、初給料でプレゼントと共にこの言葉をお母さんにささげたのかもしれませんね。

そうなるとお母さんは大泣きです。

こんないい子に育ってくれてー!!ってなるかもしれません。
このぐれていた子も変な仁義をもってたりするので、少々悪さは続けても親孝行は続けたりします。母ちゃん大喜びです。

 

更生するってことは素晴らしいことです。

就職して親孝行をすることも素晴らしいことです。

 

では、この腐れヤンキーに弟がいたとしたらどうでしょうか。

弟はとにかく無難です。
兄貴のように悪さをすることもなく、普通に高校に行き、普通に大学に行きます。
やがて就職も普通にするでしょう。何も悪いことをしたこともなく、兄貴がそんなんなので日常的に家の手伝いもしていましたし、家にお金もいれていました。

普通というものに疲れた弟は、突然仕事を辞めます。

なんとか自分の夢を叶えようと必死になります。
すると自然と家の手伝いができなくなりました、仕事は安定しないので家にお金をいれることができなくなりました。

これまで普通に生きてきただけに、なかなか夢は叶いません。

精神的にまいってしまって1年ほど引きこもってしまいました。

 

お母さんはこう言いました。

 

「こんな子に育てた覚えない」

 

これまで普通にしていた弟、1つの躓きでダメダメ認定されてしまいました。
この後、家を出て普通に働きはじめますが、ダメダメ認定はぬぐいきれませんでしたとさ。

 

と、ちょっと弟の設定が甘いですが、優等生やまともに生きてきた人ってほんの少し冒険しようとしたり、ほんの少し失敗をしたりするとボロボロな評価に変わってしまう場合があります。
この弟くんは間違いなくクソヤンキーの兄貴の影響を受けています。兄貴があんなんだから家の手伝いをしよう、学校に行くとおまえの兄貴はうんたらかんたらと友人、先輩、先生にあれこれ言われるので、目立たないように普通に無難に過ごすのです。

でも、更生した兄貴が家のことをしっかりやるようになり、母ちゃんのストレスもなくなったようなので、普通に無難に生きるのをやめていいかなって考えるのです。

僕だって自由にしてもいいんじゃないかと!

仕事を辞めた時点で白い目で見られます。
クソ兄貴には、

「お前はなんもできないのだから無難にしとけ」

と言われたかもしれません。
なんとか頑張ってみるけど、なかなかうまくいきません。生活もあれます。
そうすると、何故かこの子はダメな子っていうレッテルがはられていきます・・・

 

こういうのありますよね。
散々悪いことしてても、ほんの些細な良いことをすれば許されてしまうみたいな。

これまでさんざん暴力をふるってきた旦那が突然優しくなったらすべてを許すどころか、暴力をふるう前以上に評価があがるとか。

うちの親戚に2人兄弟がいます。

弟はとにかくまじめに何1つ失敗せずに就職し働いています。

一方、兄貴は放蕩者で、中高はさんざんに荒れて新聞沙汰になってます。結婚就職状況を同時にするのですが、子供が生まれるちょっと前に失踪します。
子供が生まれてしばらくたった頃のふらっと現れて、離婚成立。やがて他の女性と結婚、離婚・・・最後は飲み屋で出会ったフィリピン人の若い子と結婚しようやく落ち着きます。

弟と長年同居してるおばは、弟の悪いところばかり目につくようになり、その嫁とも折り合いがわるいです。

遠くに住んでるたまに会う兄貴は孫たちの面倒見もいいし、愚痴などをしっかり聞いては優しく話してくれます。

 

弟の評価は現在最悪です。おばの生活を長年支えてるし確固たる地位を築くくらいに仕事も頑張ってるのに。
兄の評価は最高です。

「あの子は苦労したから。・・・だから人の気持ちがわかるし、何より弟よりずっと大人になったんだよ」

新聞沙汰になった時はさんざん泣かされたし、失踪したときは奥さんと子供のためにどんだけ頭を下げてお金を使ったかわかりません。

 

そういうのを全て消し去ってしまうんですよ、不思議なことに。

 

ずーっと真面目に誠実に生きてきても、ほんの少しの失敗がすべてをダメにします。
それまで築いてきた評価なんてのはなかったものとされて、その1つの失敗だけが残ります。

でも、ずーっと悪いことをして生きてきた人が、「普通」になるだけで最大限の評価を受けます。

これが世の常だと僕は思います。

 

ずるいですよねw

 

僕もどちらかというとずーっと真面目にやってきたタイプです。
悪いことはやったことないし、女遊びもないです。お酒ではめをはずしたこともなければ、いかがわしいお店に行ったこともないです。
でも、受験を失敗したあたりから怪しくなります。
母は僕のことは認めてくれていましたが、挑戦がうまく実を結ばずにやがて介護のために無職になりすべてを諦めます。

介護というものがあったからましでしたが、それでも世の中からの評価はかなり低いです。無職という一点に尽きますね。
ま、僕の場合はこれまでずっとまじめにやってきたわけじゃなく、怠惰でもありましたのでやむをえないですが。

でも、他人に対しては悪いことはしてませんよ。

 

ずいぶん前になりますが、僕は生きるのがつらいくらいに落ち込んだことがありました。

うんと、専門学校か大学の時の話なのですが、当時の知り合いがまだここを見てる可能性がほんの少しあるので、どちらの学校の時かってのは言いませんし、ほんの少しだけフェイクを入れておきます。嘘はつきたくないのでこの2点だけお許しください。

これはある人とのいざこざが原因です。
僕は悪くなかったのです。唯一悪かったとすればその人のことを見誤ったということ、関わったということです。
その人のためにあれこれやりました。頑張りました。
でも、ずーっと嘘をつかれていたし、裏切られていました。しょうもないことで。

僕はその事件をきっかけに知り合いや友人をたくさん失ったし、レールからはずれてしまいました。
長い期間人間不信になったし、うまく日常を過ごすこともままならなくなりました。

でも、風のうわさで聞いた話ですが、その人はそういうちょっと危うい部分は影を潜めて良い人の部分だけのこって、今は順風満帆に過ごしているようです。

僕の場合は親の介護ってのあったので一概には言えませんが、ま、うまくはいってないですね。順風満帆からは程遠いです。
これから何かするにしてもたくさんの大事な若い時間を失ってしまっていますし。

 

・・・

なんとなく自己弁護になってしまいましたがw
犯罪を犯してもいつかは許されます。でも、被害者はいつまでたってもその犯罪の傷が癒えませんし、犯罪という事実から逃れることができません。
殺人を犯しても、その人は数年で許されます。でも故人は帰ってきません・・・

元腐れヤンキーが更生して親孝行の働き者になることはとても素晴らしいことです。
でも、その腐れヤンキーにカツアゲされたり殴られた人は多少なりにその傷が残りますし、親孝行も働き者の現在も関係ありません。

許されるのならばやったもん勝ちなんじゃないか?

そんな風に思ってしまう人もいると思います。
そんな世の中じゃだめですよね。

腐れヤンキーがやがて親孝行で働きものになって、最上級の評価を受けるっていうモデルケースがあれば現在進行形で腐れヤンキーの人がその道にすすもうとするかもしれません。だから、もしかすると世の中がうまくいくように、やったもん勝ちでのちに更生するっていうことが最大限の評価を受けるのかもしれませんね。

 

ものは考えようです。
人ってのは根本的な部分では変わることはありません。
でも、良い方向にすすむことで変化する場合もあります。世の中から腐れヤンキーがいなくなって、親孝行者だけになったらどんなによいことか。

 

なので、真面目くんは失敗を恐れずに何かをしろ!ってよりは、真面目街道を慎重に進むしかないのかもしれません。
そして、評価はそこそこで、最大限の評価を受けることはなくても、頑張り続けるしかないのです。得るものがすくないどころか、後からやってきた腐れヤンキーに横取りされるかもしれないですがw

 

ま、頑張りましょう


結局性根は変わらないものだから

2021年04月15日 | Life

日付変わったからもう1つ。

僕はそもそもがダメ人間っていう自覚はあります。突然だけど。
高校受験も失敗と言えば聞こえは多少良いけど、そもそもがやる気なかったというか高校行きたくなかった。
大学受験なんて全然届きそうにもなかったし。

受験諦めて数年間ふらふらもしてた。

やりたいこともやる気もなくてふらふら〜って。

その後、少しは頑張りました。それまでも分を取り戻そうとしたけど、全然足りないんだよね覚悟が。

 

18年前に親父が倒れて実家に戻ったわけだけど、もし、これがなくてそのまま横浜で18年過ごしていたらどうなっていただろうって考える。

理想的には心理系の仕事しながら写真作品を作って・・・

 

でも、それは無理って当時わかってたんじゃないかなーっても思う。

僕は写真家としてはそこそこまでいけたかもしれないけど、そこそこからは抜け出せなかったっても思う。
そもそも個展をやる資金繰りに苦労してやめてしまったんじゃないかと。ギャラリー代が無料で個展ができるメーカー系のとこに応募しまくっても通らなくて、やがて諦める。続けることに意味を見いだせなくなって、写真を嫌悪する・・・

そんなパターンだったんじゃないかな。

それだったら実家で両親の面倒を見るってのは悪くない話だったのかも。

 

あまりにも自虐的かなw

今、色々と考えなければならないことがあって、そこで自分の18年ってのも考えなくちゃならなくて。

もしも何々だったら・・・

 

って過程は無意味すぎるくらいに無意味なんだけど、少しはそれにすがってもいいんじゃないかと思ったり、今日みたいに性根は変わらないのだから同じような結果になっただろうって思ったり。

 

父を老人ホームに入れる。
必要なことだけど、考えなくちゃならないことだけど、なんか、自分の人生を振り返って喪失感を強く感じる日々なのでした。

 

どんなに考えても後悔しても戻ってこないし、戻れないのだけどね。


ぐち

2021年04月14日 | Life

最近、ちょっと別のパソコンのキーボードに慣れるためにブログ更新多めにしてました。

今日は久しぶりにお気に入りのMacBook Airで。

キータッチ、キー間隔、どれもちょうど良いんですよね。
最近慣れようとしてるやつはテンキーが不要、キータッチは良いけどストロークが少し深め。
やっと慣れ始めてはいるのだけど、おっさんには厳しいですね。はい。

 

話は突然に変わるのですが、去年から色々あってそろそろギブアップしたい感じが強いです。

いや、一昨年からかな。

母が生きていた時は本当によかったです。
僕の立ち位置的には父の介護というよりは、母の手伝いをする感じでいられました。
好き勝手やれる時間も多少はあったし、わがままも言えた。
友達は今と同じくいなかったので、何か会った時は母に愚痴ることもあったなー。母ちゃんは答えは出してくれないけど、聞いてくれるので助かっていました。今は僕の話を聞いてくれる人はいないです。

父の介護の愚痴ならば聞いてくれるんですけどねw話したいのはもっと他のことだったりして。

でも、母が生きている時は自分の存在価値についても微妙に思っていました。

僕は本当に必要なのかって。
なので何度も横浜に戻るって話になりました。でも、その都度、家で何かしらのトラブルが発生して立ち消えになりました。

母が亡くなって以来、家のことと父の介護は全て僕がやるように。
母が亡くなってからまるまる5年が経過し来年には七回忌になるわけですが・・・

自分の存在価値について、母が亡くなって5年間の生活の中でやっとわかりました。

案外、自分は母にとって必要な存在だったってことです。

 

1人はきついんです、単純に。

一言で言い表すことはできないですが、介護って1人でやるものじゃないなーってようやくわかってきました。

それから僕が母に愚痴を聞いてもらったのと同様に、僕も母の愚痴を自然と聞いていたんですね。

介護ってやってみないとわからないことが多く、そんな介護の大変さを理解してくれる人じゃないと愚痴は単なる文句にもなり得てしまうし、共感を得ることが難しい場合も多いんです。

 

父は現在入院中なのですが、今後の介護の方針や更に少し先のこと色々考えなくちゃならないんです。

 

生きるのって難しいな〜。

 

父を施設に入れて。
僕は自由になれるのかもしれない。

でも、もうやりたいことも何もかも見失ってしまってるんです。
だったら親父の介護を続けた方がいいかもって思うのですが、現実的にそれも厳しくなりつつあって、退院後は僕の睡眠時間を取ることが難しくなりそうなんです。
それでもなんとかする!くらいには思うのですが、ま、無理でしょう。持って1年かそのくらいかなー。

18年の介護生活は僕の夢も希望も何もかも奪ってしまいました。

自分で放棄したとも言えるのですが。

 

それでも生きなきゃならない。これを考えるだけでもしんどくなってきますね。

この先、余計なこと書きそうだし、書いてて気が滅入ってしまったので今日はこの辺で。


誰がための・・・

2021年04月14日 | Life

このブログは2005年に開設しました。

1月ごろだったかな。

文章を書くのが苦手だったし、へたくそだったけど、自分が頑張った専門学校時代のことや通信制大学のこと。
はたまた日々思うこと、愚痴、思い出。そんなのを自分のために残したいっておもって開設したのです。
恥ずかしい事が多いし、できが悪い文章が多いのでそのほとんどを非公開にしています。

昨日、ちょっといろいろあって確認のためにも過去のブログ記事を遡って読んでいました。

文章は誤字脱字だらけな上に話は今以上にくどいw

読みにくさも半端ないし、内容もしょうもない。

 

でも、たまにこいつやるなーってことがあったり。

少し楽しくも、でも、落ち込んでいる時の記憶がよみがえることがたくさんあったし、もう戻らない事もたくさんあり、ほろ苦く、悲しい、そんな気持ちになりました。

 

2012年の9月のとある投稿。

ある人への思いを書いていました。
その人が読むわけがないブログだったのですが、少し遠回しに、それでいて直接。そして、嘘偽りなくしっかりと書いていました。

僕は変わっていない。

このことに大きく安堵したし、自分の偽らざる心は誠実だと感じました。

 

家のことや色んなことが重なって、昨日はめそめそと泣いていました。

人のために泣けるようになってこそ・・・そんな風に思いますが、自分のために泣きました。

でも、途中からは人のために泣いていたようにも思います。

 

半分は大人になり切れず、半分は大きくなった心を。

 

やっとそんな風になれたようにも思いますよ。
生きる事は難しく常に悩み後悔しなかなか前に進めずにいますが、1つでも変わらない大きなものと、1つでも成長できたもの。
これがあればもう少し頑張れそうです。

泣くならばうれし泣きがいいし、人ために涙を流せるような優しい人になりたいです。