@PAYASO

少しだけ更新再開してます(愚痴オンリー)

後悔

2021年03月30日 | Life

後悔・・・しかないような人生でしたが、命に関わる後悔もあります。

少しネガティブになるので嫌いな方はここで離脱をお願いします。

 

 

母が病気になったのは青天の霹靂だった。
母の家系に癌がいなかったこと、母から話を聞いた時はすでに癌の事を何も知らないのに、少し触っただけでこれはヤバイっていう状態になっていたこと。

前にもここで書きましたが、母は手遅れでした。

でも、手術まで辿り着き、もしかして?と思わせるくらいに母は闘病を頑張り治療の成果がありました。いつもドラマなどを見ていて、

「私が癌になったら、延命とかしないでさ、ホスピスで楽に最後を迎えたい」

と言っていた母だったのですが、もし自分が今死んだら、父の介護が全て僕が背負うことになるからと闘病を頑張ってくれたのですね。

僕はどちらかというと、父に嫌われてます。嫌われてはいないとしても父は僕に関心がなかったです。子育てに飽きてしまっていたというのもあるんでしょうね。それに対して母は僕を愛していてくれましたし、兄達と比較してなんの才能もない努力もしない僕なのに、その未来を楽しみにしていてくれました。

自分で言うのも何ですが、怠惰だし、ひねくれてる部分もあるし、どうしようもない人間ではあるけど、人の気持ちがわかる人間、まともな人間に育ったのは母のおかげだと思っています。

 

なので、母には感謝しかないのですが、母が亡くなるまでの3年くらいかな、僕は母に対してずーっと呪詛の言葉を投げかけていたように思います。

 

母への呪詛ではなく、僕がどうにもならずにうじうじしていた時にその原因となったことについて毎日のように母に投げかけていたのですね。

誰に相談できることでもない、母にあれこれ言っていても本質は話せない、どうにも自分で処理できなかったあれこれ。

 

母は全部受け止めていてくれました。
毎日、毎日繰り返される僕のどうにもならない堕ちた感情から発せられる言葉の数々を。
そして、母が病気を告白する前の月には1ヶ月ほど前から誰とも話ができないくらいに落ち込んでしまって。

そこから何とか立ち直って母に人生を立ち直したいからと相談を持ちかけた時に母から病気の話を聞いたのです。

もし、その1ヶ月の僕のダメな時期がなかったら母はもっと早く病院に行って治療が開始できたかもしれない・・・まずこれが大きな要因としてあります。

そして、数年に渡る呪詛の数々・・・

 

後悔しても遅いです。
病気の多くは免疫に関わるもので、免疫はストレスに関わるもの。
僕は母に甘えて母を殺してしまったのかな〜って思うことがよくあるのです。

考えたところでしょうがない、元に戻らない、後悔せずに前に進むしかない・・・

いつもそんな風には考えています。

母の命日の数日前にして、どうにもならなくなり文章にしようと思いました。

ごめんね、お母さん・・・

 


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