@PAYASO

少しだけ更新再開してます(愚痴オンリー)

どうせなら止り木的な人間になりたいって思ったのだけど

2022年06月26日 | Life

新しいブログを作ったのですが、まったくもって稼働することができていません。
しかも課金ブログです。お金のないなか新しい策の1つとして始めようとしたのですが、どうしていいかわからないっていう。
で、ここでちょっと慣らし的に書こうかなって感じです。

でも、書くことが本当にないのです。

なので繰り返し同じことを書いてるかもしれませんが、ご了承ください。


僕は正直、全然もてません。
顔が悪い、スタイルが悪い、頭が悪い、お金がない・・・いったいどんだけネガティブ要素があるんだって話な人間なのでしゃーないです。
そんなんだから自己評価も恐ろしく低く、それがばれないために偉そうに振る舞うため、性格も悪くうつるんじゃないかなっておもいます。はっきりいって最悪ですよ、物件としてはw

それでもたま~に僕なんかを頼ってくれる人もいます。

でも、ケンカしたわけじゃないのにいつの間にか疎遠になってしまうんですよね。
それは同姓でもそうだし、異性でもそうでした。中にはなんでこんなに僕みたいなのを相手してくれるんだろう?なんて人もいたのですが、やはりいつの間にかどこかに行ってしまいます。

で、ある時気づいたのが、疲れてる人や、本来の友人や恋人とうまくいってない人が、休憩的に寄っていく感じなんじゃないか?ってこと

上で散々に自分を蔑みましたが、一緒にいて嫌な思いをさせることはない・・・っては思っています。

だから疲れた~とか、ちょっとさびしいけど当たり障りのない人がいいな~とかそんな時の選択肢の1つが僕だったのかな~と

ある人は本来の目的を思い出して、ある人はもっと楽しいドキドキワクワクする友人が見つかって、ある人は彼氏ができて、ある人は元カレとよりをもどして・・・またある人は少し元気に前向きになって。

みんな僕のとこから旅立っていきました。

それでもいいかな~って思いました。
でもやはり寂しいです、僕でも。

19年間家に縛られた生活をしてると、止り木的に僕のとこに寄り道をしていく人達以外のずっと昔からの友人との関係も怪しくなっていきました。東京に住んでて帰省する度に会いに来てくれた友人は、僕の母の闘病が始まった頃から1度も会いに来てくれなくなりました。ある時誘われた東京での忘年会にも、父の世話があったので行くことができませんでしたし、それ以来連絡が途絶えました。

SNSなどでつながった友人も同年代だし今後うまくつきあっていけるかな~って思っていても、それもうまくいかなかったですね~

気が付いたら友達はほんの少ししかいなくなったし、自分から声をかけたり、誘ったりできる人はほぼゼロになってしまいました。

 

先日、アニメ「ダンまち」シリーズをネトフリで見直してたのですが、ロキファミリアが遠征から帰ってきて「豊穣の女主人」で打ち上げをするシーンがあるのですが(ヴェートのトマト野郎発言がないやつ)、あんなふうにわいわい楽しそうにしてるのが凄くうらやましく感じました。

あー、僕もあんなふうにお酒をみんなと楽しんだ時があったな~って。専門学校時代が最後かな~っては思いますが。

そうそう、お酒も辞めてしまったんですよ。
大好きだったし、お酒で誰かに迷惑をかけたこともなかったのですが、すっぱりとやめました。今年の11月1日でやめて丸9年です。

いつかそのやめた理由が解決したらまた飲もうって思ってはいたのですが、気が付けばもう解決するのは無理な状態で。
上げた拳の下げどころがわからなくなったみたいな感じで、多分、このまま一生飲むことはないでしょうね。

そうなると、お酒を一緒に飲みたいという人からのお誘いもなくなります。
全部一人でやっているので、打ち上げみたいなこともありません。

そもそも、お酒が好きな人はお酒を飲まない人と一緒に遊びたいとは思わないものですしね。

 

あとは人との縁がなくなるのが寂しいし怖いので、自分から誰かに声をかけることも友達を増やそうとすることもなくなりました。

 

友達がいなくなる理由って、自分次第って思います。

自分のスペック的なものだけではなく、自然と人を避けるようになっていくんですよね。

僕は小さい時から結婚願望が凄く強かったです。
その反面でおばさんの離婚のゴタゴタを小学1年の時に見ていて、怖いっていう感覚もありました。記憶力がやたらいいのと、マセてたのかなんかしらないけど、おばさんが離婚にあたって泣き泣きうちの親父に相談をしてるのを覚えてるんですよね。生々しい話はなかったけど、離婚ってこんな感じなんだってのは強烈に覚えてて。

それでも自分は家族を作るんだって気持ちはあって。

でも、そういうのもさ、自分の能力を勘違いしてたから強く思えただけであって、大学受験を失敗したあたりから結婚というものが遠い存在で諦めてたかもしれないです。そのうち、写真やったり、心理学やったりでやることがたくさんあって、そういう結婚に対する気持ちもどうでもよくなってはいたのですが、両親が相次いで倒れるというトラブルで実家に戻って、実家に縛り付けられるようになってから、また、ふつふつと結婚願望が出てきてもいました。

これはどうしてそうなったか理由はわかってます。
環境を変えたかったのが1つ。絶対に無理だろうっていう大前提のもとで10数年ぶりに好きになった人ができたのが1つです。

実家でどうにもならない日々を過ごしてて、こんなんで人生終わるの嫌だなーって強く思っていましたからね。

親父の面倒を見るのは楽なようで凄く大変で。
僕が自由になるのは難しいなと、母が生きてる時も思ってました。
母が他界したあとは、父がショートステイで施設にいるときだけ自由になりましたが、それですら2,3泊で必ず親父は帰ってくるので自由なようで、普段できない掃除などで終わってしまうのがほとんどでした。

親父が生きている限りは自由はないな~って。それじゃ気持ちとしてキツイので、断固として施設に入ることを拒否していた親父にこんな風に話をしていました

「父ちゃんさ、もしね、僕がここから通えない所からお仕事の良い話をもらった時と、相手もいなし万が一もないけど結婚することになったらさ、親父には申し訳ないけど施設に入ってもらうことになると思うけど、それは許してくれる?」

親父は記憶障害があったので覚えていなかっただろうけど、この話をするたびに、

「そういう時はしょうがないな」

って優しく話してくれてました。
そういう万が一がなかったらやっていけない、親父の死以外の終わりがなければやっていけないって思ってのことで可能性はなったんですけどね。
これに似た話がもう1つあって、母が生前まだ元気な時・・・病気の気配すらなかったことに、やはり何度かこんな話をしていました。

「もしね私(母)がお父さんより先に死んじゃったらさ、あなたが1人でお父さんの面倒を見なくちゃならなくなるね。お母さん元気だからそういうことはないと思うけど、万が一、そうなったらあなたには迷惑ばかりかけるね。しかも、お父さんが死んだあとはもしかすると長男の世話をしなくちゃならなくなるってのもあるもんね」

それから2,3年後に母は乳がんと診断されて、1年の闘病の末に他界してます。
そして兄は2年前に大きな病気をして死にかけてますし、父は昨年の秋に他界しました。

母の話が予言みたいになってしまってますが、それが僕の運命だったのかな~って。
気が付けば実家に戻る前は20代だったのに、40代過ぎて随分たってしまってますからね。結婚は諦めるしかないのが現状です。

なんていうのか、ステージに立つ前に終わってたみたいな。

これから新たに恋愛をしてというか、誰かを好きになって結婚までってなると、あまりにも気が遠くなってしまって。
自分が生きれるかどうかしか甲斐性がないのに、誰かを養うことは想像できませんしね。

 

と、だらだらと書きましたが、友人がいなくなるのも、結婚できないのも、なんもかも自分の選択と責任って感じって思います。
両親をほったらかしにして自分の人生を生きるっていう選択肢もありましたからね。ま、そんな自分を一生許さなかったと思いますが。

止り木的に僕のとこで休憩していってくれる人も今後は現れないでしょう。

さびしいけど生きなければならないので、全て受け入れるしかないですね。


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