@PAYASO

少しだけ更新再開してます(愚痴オンリー)

日々徒然と

2022年10月31日 | Life

こんなタイトルにするってことは、最終回だなーって感じなのです。

3ヶ月ぶりの更新になります。
前回の記事では自殺を仄めかす様な感じのことを書いてしまい申し訳ありませんでした。
でも、僕はある時から嘘をつきたくない、自分に正直に生きたいという気持ちが強いので、あれはあれであの時の事実なんですよ。両親を失って、愛犬を失って、長年の片思いも終わりを告げ(これは書いてませんでしたね)、少し前向きに頑張ったこともうまく行かず・・・

まあまあ、長引いてる軽度の鬱が強くなってた時期でした。申し訳ありませんでした。あんなことは書くべきじゃなかったです。

ほんの少しだけいつもより忙しい日々をおくっていました。

 

今日は朝のルーティンが終わった後、普段なら自室に行くところをリビングにいました。

ぼーっとテレビを見ていて、思い出したかのように洗濯をしようと思ったのですが、その前に今月の頭にあった法事の時に備えたお花を片付けなきゃと思って、お墓参りに。お花を買う余裕がなかったから、お墓参りってよりはお墓掃除かな。両親に話したいこともあったので。

洗濯もお墓参りも思いつきみたいな感じ。ぼーっと。

お墓参りの後はリサイクルごみを処分して、買い物へ。

家にもどったのは11時くらい。

あ、ご飯を炊かないと・・・と、おもむろにお米を研ぐ。

親父が生きていて一緒にご飯を食べるときは、親父の昼寝の時間の都合もあったから11時半に食べていた。親父がいなくなってからは、1人で食べるので11時だったり12時だったり。家で仕事をするようになってからは、11時には確実に食べ始めるように。仕事の進捗具合によっては10時半に食べることもあった。

ご飯が炊けるのは12時過ぎ。

洗濯機を動かす。

この半年以上は干すという作業を省くために乾燥までやっていたのだけど、今日から時間ができたし天気も良かったので洗濯のみ。ご飯が炊きあがるのが先か、洗濯が終わるのが先か・・・

この2つの作業が終わるまでの時間ができた。

これまでは晩御飯のおかずをあたためるだけの状態にまで仕上げてしまっていた。
そうすれば夕飯ギリギリの時間までお仕事ができるからね。

でも、今日は、今日からは時間がある。少しテレビでも見よう、お茶でも飲みながら。

ご飯が炊けるのが少し早かった。
直後に洗濯が終わった。炊飯器のご飯をほぐしてから、洗濯物を干した。

お昼ご飯はスーパーに売っている、ひき肉など具材をこねてハンバーグの形にまでしてあって、あとは焼くだけのやつだから簡単。

でも、その前にトイレに。

トイレに行くときはいつもスマホを持って行ってた。
でも、それも今日からは必要がない。メッセージが届いたらすぐに返信したい相手がいたのだけど、それも必要なくなった。

お昼を作って、食べて、後始末して・・・

あとは何をしようか。

 

母が他界して話し相手がいなくなりました。
愛犬が他界して遊び相手がいなくなりました。
父が他界してけんか相手がいなくなりました。

父が他界して1年間あれこれしてきましたけど、気が付いたら何もかもなくなっていました。

 

自分は何をこれまでやってきたのかな~、自分は何をしたかったのかな~、自分は何になりたかったのかな~、自分は何を求めていたのかな~。

 

※多くの記事はお蔵入りとなっていますが、長い間ありがとうございました。
 しばらく放置したのちに、思い出してログインしたらブログ丸ごと削除しようと思います。


いつまでこんな感じが続くのか・・・

2022年07月28日 | Life

世の中が凄い慌ただしいというか、ざわついてるというか。
色んな事が起こってますね。僕的には大震災からずっと世の中が変な感じだし、僕自身は実家に戻ってから・・・いや、楽しかった専門学校時代からざわついてる感じもしますが。ってことは20年以上ざわついてるのかな。

その中でもこの10年のざわつきは凄いことになっていて。

さらには母が他界した2016年からさらにざわついてるし、兄の病気から親父の他界っていう流れから続く2年半くらいはもっとざわついてます。ま、家のことだけじゃなくて10年続いたあることが終わりをむかえたのもこの2,3年の話なんですよね。

僕はこのブログを何度もやめてます。

1度は記事を全削除してやめようとしたのですが、その時はこんなコメントを頂き思いとどまりました。

「全削除するのもあなた次第ですが、私はあなたの通信制大学に関する記事を読んで通信制大学で学ぶことを決断しました。あなたのブログは私の人生を変えたんですよ。ブログなどネットの文章や写真などは瓶に入れて海に投げた手紙みたいなもので、持ち主の手から離れて海を漂うものだと思っています。もしよろしければ私の人生を変えたものを消さないでください」

もう10年以上前の話なので完全再現ではないですが、こんな感じのコメントを頂いて、嬉しく、嬉しくてたまらんって気持ちとともに、世の中に何かを放出することへの責任感を感じたのも事実です。

それでもうまくいかなかったり、僕がネットで自分の個人情報に関わるようなことを残すことが良く無い状況になったりして、現在は3年前くらいから以前の記事は全て非公開にしています。そして、僕の周りがざわつき過ぎているこの2年くらいは愚痴しか書いてないっていう最悪の状況なのが今のこのブログです。

正直に言います。

今、僕は死神に取り憑かれてると感じています。

もし他の誰かに迷惑をかけないっていう状況であれば踏み切っていたと思われる事が数回ありました。でも、その反面で誰かに迷惑をかけるって思いのみで行為に及ばなかったのは、僕に取り憑いてる死神はその程度だとは思っていますが。

ずーっと夢を持って生きてきました。

僕自身が怠惰であるっていうどうしようもないヘタレな人間なのですが、ずーっと夢を持ってそれに向かって生きてきたように思います。夢が叶いそうになってもヘタレが発動して踏みとどまってしまったってことも何度も有りましたがw

それでも自分がこの世に生を受けて下された命題が夢を叶えろ、夢に迎えってことだったんじゃないかな~ってくらいに、自分のスペックやポテンシャル、つまりは本来の能力に抗って、捻じ曲げて、それでもなんとかしようって生きてきました。

写真学校の時なんてまさにそれで、入学して月曜、火曜と座学をこなして、水曜日にあったメインのゼミ的な授業の時のことでしたが、他のクラスメイトや先生に圧倒されて3日目にして学校をやめる決意をしたんですよねw
気が付けば友人・仲間に助けられて、相対的に成績は悪かったですが、ヘタレな僕からしたら上出来もいいところまで頑張って卒業することができました。いまだに写真に対して未練があるのは、さらに限界突破してもっといいとこまでいけたんじゃないかって思いがあるからなのですが、僕のスペック的にはあまりにも上出来過ぎたので、上に行けそうってのは思い込みってやつだと思います。

実家に戻って、それなりに役目はあったし、僕がやらねば・・・って感じで両親の介護や闘病の手伝いをしてきましたが、やはり腐ってはいたと思います。確実にここで夢に向かって生きるっていうのが止まってしまいましたから。

何かやりたいことはないか、何か好きなことはないか・・・?

探しまくっていつの間にか10年近くが経過し、好きを見つけてからさらに10年近くが経過してました。

そして、僕が家に戻った原因である親父が他界し、ずっと大事にしてた愛犬も他界してしまって。

気が付いたらやっと見つけた好きも失ってしまったのかなっていうのが現在です。

 

やりたいことを探してるし、親父が他界した後も気晴らしでどこか遠くに旅行にいくことも模索しました。

でも何も見つけられないし、どこにも行ってないです。
・・・そっか、夢を追いかける事、好きなものを探す事、好きを続ける事、それら全てが難しくなるくらいにいつの間にか、年齢的な意味ではなく老いてしまったんだなぁ~って感じました。

このブログについても、何度も何度も楽しいことや紹介したいものを書こうと試みては、そんなに楽しくない、これもそんなに好きじゃない、わくわくもしてない・・・となって途中で書くのをやめてしまってます。もう好きなものも、楽しいものも、わくわくするものも何もないのですよ。

先週から久々にゲームをしてます。オクトパストラベラーです。

少し懐かしい雰囲気のあるRPGでそれなりに楽しんでます。
ゲームは素晴らしく良い出来で、最高の作品の1つっては思います。でも、時間を潰してるだけだなぁ~って感じるのですよ。僕の心が老化してしまってるせいで、最高な作品でもわくわくしなくなってしまってるんだなって感じるのです。全て僕が悪いのです。

僕に取り憑いた死神はヘタレやろうです。

ヘタレな僕に取り憑いたのがヘタレな死神ってのもなんですが、こいつに負けることはないと思います。つまりは生きていかなければならないってことは感じてるんです。

これからどうやって生きていこう?

自分の人生の残りの暇潰しはどうやってしていこう?

ずっと考えてますが、これすら答えが見つかりません。
でも生きていかねばならないのが現代なんですよね・・・

もういいのにな~

 


魔法の言葉

2022年07月23日 | Life

どうにも天候も世の中も安定しませんね。
しかもコロナはどうなってるんでしょうね。ただの風邪レベルまで落ちてるから心配いらないという話を聞く半面で、後遺症が酷いって話も聞きます。治ったはずなのにとにかく体調が悪いというものから、小さいお子さんがずーっと一か月以上熱が38℃前後から下がらないとか。情報は錯綜してるだろうし、わからないことも、先を読めない部分もあるから、十分に気を付けるにこしたことはないですね。

他にも安部元首相の殺害事件から始まる、統一教会の暗躍というかなんというか、闇の部分がさらけ出されてますね。

ある人は創価学会と統一教会の連立与党などと揶揄してたりもして、宗教が嫌いな僕としてはちょっと気持ち悪いな~と感じてます。スピリチュアル、洗脳、詐欺、マルチ、投資詐欺・・・世の中近づくべきじゃないことがたくさんありますので、まとめて僕が体験したり見聞きしたあれこれをそのうち書きたいと思います。

それから舞妓の闇・・・

僕は言葉を濁しましたが、ツイッターの元舞妓さんより前にこのブログで何気に触れています。あれ、真実ですよ。元舞妓さんの告白。あれこれ間違ってると言ってる人もいますが、あれは真実です。多くの人が闇の部分には足を踏み入れることができないっていうことと、あの界隈全体で隠している事。元舞妓であれ、芸妓であれ、自身が体験したこと、やってきたこと全て隠せと言われてるのと、自分がやってきたことを隠さないと、自分の汚点が世にでてしまう・・・そんな作用も働いていることを踏まえて舞妓について考えてみてください。
舞妓の事については僕はある人物をとことん追求したいと思っているし、許せないことがたくさんあります。これまた詳しく書くことができないのがもどかしいです。あの元舞妓さんの勇気は凄いと思います。

 

さてさて、前置きはここまで。

僕は相変わらず体調が悪いです。
時々出てはとまらなくなる咳の他にも、首から肩にかけて、左右を問わずに突然痛くなる症状にも悩まされています。

もう貯金が尽きそうなので、体調が悪いと言ってられないのですけどねw

身の回りでも色々あるんですよ。

多くが良くないことであり、1つはとても良いことであり。
これまた公にできない話ばかりでもどかしいのですが、僕的には自分の人間の小ささというか、器の小ささにがっかりしてばかりです。良いことは手放しで喜びたいって思いつつも、それができなくて。

自分の体調の悪さはこれらの事からくるストレスとかそういうのが症状として出てるってのはわかってるのですよ。

今日も朝からどすーんと落ちていたしね。

これらを解決する魔法の言葉を僕は知ってるんです。

これをビシっと言えば、今抱えてる心の問題から解放されるって言葉を知ってるのですよ。

でも、それを唱えてしまうとこれまで大事にしてきたことが全て崩壊するっていうのも知ってるのです。ま、メガンテみたいな魔法かもしれませんね。

人の気持ちを考えて生きなさい

優しい人になりなさい

母の教えはこれでしたが、僕にもしも子供がいたら、それが男の子なら、

冷徹な人間になりなさい

都合の良い時だけ優しくしなさい

人は利用するものです、利用価値がなくなったり、自分に都合が悪くなったら切り捨てなさい

整形してでもイケメンになりなさい

こんな風に教えるかもですね。
ま、今後、家族が増えるってことはないので悪魔みたいな人間を作り出すことはないのでご安心を。

 

そのうち魔法の言葉を言わなければならない。
これはわかっているのだけど、それすらもプレッシャーになってますね。頑張らないとです。


夢や希望の見つけ方(あと恋人も)

2022年07月11日 | Life

体調が悪いです。
こまったことにあちらこちら色々な症状が出てくるんですよ。
去年、親父が他界した後はとにかく足が悪かったです。色々調べると糖尿の症状に似ていたので、それかな~って思っていたので、とりあえず放置。それは徐々に良くなっていったのですが、3月末から時折咳が止まらなくなるというか、我慢できなくなるというか。それが今現在まで続いています。で、今度は肩が凄く痛くなって、40肩かな~、寝違えたかな?って思っていたのですが、ぱたりとよくなる。痛みの症状的には寝違えのそれなのですが、症状が消えるのです。治ったのかな~って思うと、また同じ症状がでる。現在は首筋にまで痛みがまわり、右肩だったのが左肩へと。

気持ちが落ち込むんですよね。

ただでさえ色々と追い込まれていて気持ちがダダ下がりなのに、体調が悪いとどうにもならないです。

この土日は完全に何もやらないぞって決めて、久々にSwitchの電源を入れてストアでゲームを探したら、こんなのを見つけました。

 

 

大分・別府ミステリー案内 歪んだ竹灯篭 ダウンロード版

任天堂の公式オンラインストア。「大分・別府ミステリー案内 歪んだ竹灯篭 ダウンロード版」の販売ページ。マイニンテンドーストアではNintendo Switch(スイッチ)やゲーム...

My Nintendo Store(マイニンテンドーストア)

 

 

『大分・別府ミステリー案内 ゆがんだ竹灯籠』

です。
絵柄を見るとピンと来る方がいらっしゃると思いますが、ファミコンの名作『オホーツクに消ゆ』が思い出されます。それもそのはず、ファミコン版のイラストを担当された荒井清和さんがイラストを担当されています。

オホーツクに消ゆといえば、あのドラクエの堀井雄二さんがシナリオを担当されていて、当時、『軽井沢誘拐案内』『ポートピア連続殺人事件』と並んで『堀井ミステリー三部作』と言われた名作ですよね。軽井沢誘拐案内は僕もプレイしたことはないのですが、ポートピアといえば、

「犯人はヤス」

で有名ですよね。オホーツクに消ゆも名作です。すげー面白いです。

で、ピンときた僕は即買いしてしまいました。
この数年・・・というか10何年、ゲームの情報を積極的に入れることをしなかったので、このゲームのことは知りませんでした。少し調べてみると、

『伊勢志摩ミステリー案内 偽りの黒真珠』
『秋田・男鹿ミステリー案内 凍える銀鈴花』

に続く第三弾ってことになるようです。

で、これを土日プレーしてたんですが、やっぱり面白いんですよ。
なかなか事件が起こらなかったり、昨今のゲームと比べると単調な作業的なフラグ立てゲームみたいな感じにはなるのですが、その世界にはまりこむ感覚はいいな~と。

色々な事を忘れて、ゲームに没頭しよう・・・そう決めて買ったゲームでしたが、半分は成功、半分は思うようにいかなかった感じです。

 

ここからが本題ですw

先日、10年来お世話になっているとあるお店の方とゆっくり話をする機会がありました。ま、友人ですね。少し年下の。

彼は僕の家庭事情をほぼ把握していて、最近の悩み事なんかも聞いてもらっています。色々話をして、彼に言われたのは、

「ちょっと飲みに行きたいです!お酒を飲まなくなったということなので、飲みに行くのは変ですが。長年の介護がやっと終わって、今度はお兄さんの面倒を見てる感じじゃないですか!人生そんなに長くないです。これから自分の人生取り戻しましょうよ、自分がやりたいことをやりましょうよ、恋人作りましょうよ、結婚だってできると思います!色んな恨み事もあるかもしれませんが、そんなのに時間使うよりは自分のために使いましょう。そういう話をするために飲みにいきましょうよ!!」

と。
とてもありがたい話です。
実際、今の自分に必要なことばかりです。でも、何もやりたいことないのですよ。あれほど惚れっぽかったのに、どんなに綺麗な人を見ても、話しをしても、なーんの感情も動かないし、正直、今から恋愛をして・・・ってのは面倒くさいだけです。

あれほど夢をたくさんもってて、やりたいことがたくさんあって、行きたいところもたくさんあったのですが、今はそれら全てがくだらなく感じるのです。自分が1人でいるイメージはわきますが、誰かと楽しく会話するようなイメージは一切わきません。

お酒も大好きだったんですよ。
僕はお酒で誰かに迷惑をかけたことはありません。トラブルに巻き込まれたことはありましたが、あれは酒癖の悪い友人が悪かっただけの話で。あ、一度だけ失恋したタイミングの飲み会で大泣きしたことはありますがw
お酒の席は楽しくだけがもっとうだったので、嫌な思い出もほとんどないのですよ。でも、9年近くもお酒をたつと、もう飲む気にもならないし、お酒なしでも飲み会楽しめるよーって当初は言ってたのだけど、楽しいわけがない・・・って感じにもなります。飲み会メンバーの送り迎えの役目ができるしね。

人生の楽しみって何?そもそも楽しいって?

そんな風に心が鈍化してるように感じます。
あれほど好きだったものに興味がなくなり、何かをやろうとすると億劫なだけ・・・

前置きでゲームの話をしたのも、久々に楽しめる感覚にはなっているのだけど、ゲームに限らず、テレビも漫画もなんでもかんでも、これ以上はないなって気持ちになってるんですよ。あー、概ね楽しんだし、楽しかったあの頃を超えるものはないのだろうなって。

ゲームの進化も凄いし、漫画もアニメも楽しませるっていうことにおいての技術力は半端ないものになってるって感じます。

でも、あの楽しかった頃に、あれこれ余計な事を考えずに没頭できたあの頃に楽しめた、楽しんだもの以上のものって出てこないよな~ってなるのですね。

 

何か没頭できるもの、純粋に楽しめるもの、頑張ってあれを目指したいみたいな夢・・・

 

少しずつでも探さねばならないのでしょうね。

この19年で、そのうちの10年で、ここ最近の2年で・・・

たくさん失い過ぎたのかもしれないです。
なんていうのか、若さや希望や夢ってのはとても大事なんだと思います。

 


リビングに柿の種が転がってた場合の対処法

2022年07月04日 | Life

自分は心理学を少し学んでいるのである程度の鬱には対応できると思い込んでいます。

あー、こんな風になるんだー、こんな風に考えちゃうんだーって自分のことを客観視できているうちはいいのですが、気持ちの問題だけではなく体に色々と症状が出てくると対処困難になります。ふつうに登校拒否児の反応がでているのがちょっとおもしろくはありますが、良い状況ではないなーって心底感じます。ブログを書こうっておもっているうちはまだまだ元気な部類に入ると思うので、まだまだ大丈夫です。多分。

我が家は父が他界した後、じゃっかん家を持て余し傾向にあります。

そこまでは広くないのですが、兄貴と2人だと広く感じますし、実際部屋を持て余しています。3部屋くらい。
生活の場所はそれぞれの部屋とDLK+和室ってとこ。ざっくりとリビングってとこです。僕はリビングにずっといて親父を見ていたわけです。親父の部屋はリビングからすぐ近くだし、部屋にいる時は横になっておとなしくしているので、僕がリビングにいればなんとなるっていう寸法です。

親父はリビングにいる時はソファに座ってずーっとテレビを見ています。

親父が見ているテレビはさすがに一緒に見てられないので、小上がりの和室に少し小さめのテレビ(といっても42インチだったかな~)を買って、あとはノートパソコンでYouTubeとかを見る感じ。テレビは後にネットフリックス専用になってたかな。で、ニトリの一番安い座椅子で長い時間過ごしていたわけです。

僕にもリビングに居場所があったわけです。

去年親父が他界した後もしばらくはそこで過ごしてました。
パソコンを使った仕事もあったのですが、去年の4月頃にその仕事の依頼を頂いたときに、パソコンを買ったのですが親父の面倒を見ながらでも使えて、なおかつ自室でも使えるようにと比較的高性能のノートを買っていたので、それをリビングで使って過ごしていたわけです。

それが年末に兄貴がリビングに65インチのテレビを買いましてね。

自分で買ったっていう意識は強いものです。

兄貴が家にいる時はそのテレビを自分の思う通りに使うのです。僕が見たいものがあってお構いなし。僕がリビングにいても誰もいないかのように、ネットフリックスで自分好みのアニメやドラマ、映画を選び見る。少し見るとYouTubeに切り替えて僕が興味ないようなものを見る。ソファも独占し、エアコンなどの温度も自分の好みに(夏付けないから最強にムカつく)し、ここは俺の部屋ですよ~ってな感じで占拠しているわけです。

居心地が悪くなったので、兄貴が家にいる時に僕がリビングにいるのは、ご飯を食べる時(自室の場合も有り)、ご飯を作る時、朝起きて兄貴が出勤するまでくらいに自然となっていました。週末は最悪です、ずーーーーーっといますから。占拠してますから。

でも、掃除をするのは僕です。理不尽なことに。

僕もそれほどこまめに掃除機をかけるタイプではないですが、汚いのは嫌いなので掃除します。キッチンなんて綺麗なものです。
兄貴はそんな僕に対して、掃除をしません。掃除が苦手なのもあるのかもしれませんが、汚くても平気なのです。なんなら埃が舞っていても平気でいます。僕も仕事をするようになってそれなりにバタバタと過ごしているのですが、それでも家事の9割8分は僕の仕事です。兄貴にやってよーってお願いしてもやらないのでお願いすることすら諦めています。

それでも少し抵抗するときがあります。

洗濯も僕の仕事なので(多分兄貴はこの10年洗濯をしたことがないと思われます)、唯一乾かなかった兄貴のパーカーを干しっぱなしにしたのです。
1日たってもそのまま。2日たってもそのまま・・・3日目で次の洗濯の日がやってきて僕が折れました。畳んで兄貴の部屋にもっていきました。この些細な抵抗を何度か試しました。洗濯の日を1、2日先送りにしてやったこともあります。ずーっとそのままです。兄貴はそういう人なのです。

リビングの掃除をかけるのは本当に僕の仕事なのでしょうか?
使ってるのは8割兄貴です、兄貴はずっといます。何度も言いますが占拠しています。

こちらも些細な抵抗を試みました。
掃除をしないでみました。1週間、2週間・・・やはり僕の折れました。こんな埃だらけのリビングは恥ずかしいと。ちなみに兄貴の郵便物などはリビングの兄貴が座る周辺にたまっていきます。兄貴しか読まない新聞も何故かたまっていきます。数歩歩いて玄関の新聞入れにいれるだけなのに。

何をやっても家事を手伝ってくれることはありません。

前回の記事で書いた通り、現在僕は鬱な感じにあります。症状も色々でていて、凄くしんどいです。
兄貴が僕がこなしている分の家事に対する対価を支払ってくれるのならなんでもやりますよ。確かに兄貴が住宅ローンと光熱費を負担はしてますよ。僕は住まわせてもらっている立場です。だけど、家事の全てをこなすのはなかなかに大変です。無駄に広いですしね。
兄貴から生活費は援助してもらっています。つか、1食分の食費と住宅洗剤、シャンプー、ボディソープ、ティッシュペーパー、トイレットペーパーなどの生活必需品はそのもらってる生活費から出せってことなのでしょうね、一切買ってくれません。月々いくらもらっているか公表したいところなのですが、恥ずかしくてできません。この生活費をいくらもらってるか教えた友人などからは総じてすくねーって言われてるので、兄貴の名誉のためにも公表はしないでおきます。

現状に不満をもった僕はおばさんから兄貴に言ってもらおうと画策して、おばさんに相談に行きます。

「それはやってあげるあなたが悪い。どんなにリビングが汚れようが、どんなに洗濯物がたまろうがやらなければいい。やらなければ自然と自分でやるから」

と、おばさんに言われました。
でも耐えられますか?埃が舞う汚いリビングに、山盛りにたまった洗濯物に!!!!

僕は耐えられないです。

で、先日です。
ダイニング…つまりはDの部分に柿の種が落ちているのを見つけました。
僕はこの2か月ほど柿の種は食べていません。食べたのは兄貴です。

これどうしようかな~。
埃だと兄貴は平気だけど、柿の種が落ちていたとなればさすがに掃除するだろう。

よし、またやってみよう、兄貴が柿の種に気が付いて自分で拾って捨てて、さらには床の上に埃がたまってるのを目の当たりにして(柿の種拾う時に目に入るだろうと)、うわー、これは掃除しなきゃ!!!ってなるのかどうか。

柿の種を見つけたのは前回のお掃除から3日目。掃除してないLDK、いつになったら掃除するチャレンジ!!

ま、結果は予想通りでした。

掃除をしないどころか、柿の種の存在にすら気付きませんでした。

LDKを掃除しないチャンレジ8日目で僕が降参しました。
柿の種を拾ってすてて、しっかりと掃除機をかけました。フロアモップもかけました。

 

現状を打破するためには僕が家を出るしかないのでしょうね。
母が病気になる数年前に言ってたことを思い出します。

「今は私とあなたでお父さんを見てるからいいけど、これ、私がお父さんよりも先に死んだらさ、あなたがお父さんの面倒を見ることになるよね。そうなるとお兄ちゃんは手伝ってくれないよ。そしてお父さんが死んだあとは、お兄ちゃんは家事なんて何もできないから、それを全部あなたがやるようになって、お兄ちゃんはあんな体形だから、万が一に倒れたりしたら今度はお兄ちゃんの介護しなくちゃならなくなるね~」

と。
母、マジで予言者。ほぼ当たってます。
兄貴は一昨年の春に大きな病気をしています。その時も職場復帰するまで全部面倒見たし、職場復帰後の半年くらいは送り迎えをフルでやってました。

寝たきりにこそならなかったけど、母の予言は怖いくらい当たってます。兄貴、なーんもやんねーもんな~。

今は僕が家にいてお金にならない仕事をやってるからいいけど、僕の貯金もあと2か月くらいで尽きるでしょう。そうなると外に仕事に出ることになるのですが、仕事から帰ってきたら家事をやって、僕ごときは大した稼げないから給料のほとんどが生活費に消えて、お金がないから自分で弁当とか作ってもっていくわけですよ。想像するだけでキツイです。体力的にも精神的にも。

 

どうしてもんですかね、これ。


トイレットペーパーの値段

2022年06月30日 | Life

今日はボーナスの支給らしいですね。
ちっとも関係ありませんが。

今日は朝から作業していました。
パソコンでぱちぱちと。順調に作業してるつもりでも思うように進まない。そういう時はあるんですよ。なんの作業をしてるのかはここでは書きませんが、ものによって差があるというか、同じようなことをやっててもこっちは簡単、こっちは難しいみたいな。

それに加えてちょっと難しい話というか問題というか。
僕は直接的には関係ないのですが、ちょっとというか、かなりというか、重い話が僕の周辺であって、その話を少し考える時間があって、ぐっとダウンな感じになりました。

なんとなーく気付いてる方もいらっしゃると思いますが、僕はこれまで生きてた中で経験してこなったような鬱にあります。

あー、これまでのってファッション鬱だったんだな~って思うくらい、今は辛いです。

少しだけ心理学を学んでいるので自分の心の状態把握はある程度できてるのですが、自分ではどうにもならない事だったり、失ってしまったものだったり、過去10年に渡る長期的なものに関わる話だったり、色々有り過ぎてどうにもならないんですよね。

特にこの2年間の家族とのトラブルや愛犬と親父の他界は大きいです。
そしてもう1つ、こちらも喪失感的な内容のものなのですが、心にぽっかり穴が空くくらいならいいのに、なんていうのか空いた穴をぐいぐいと広げようとされたり、空いてしまって傷ついてる箇所をぐりぐりとえぐられるような思いに苛まれています。

 

と、ここまではいつものブログの前置き。

 

前置きが長いことはよくあるのですが重いことは珍しいかもですね。

 

先日の話です。

おおそよ11か月ぶりにトイレットペーパーを買いました。

僕は主に主夫をやっています。
結婚してなくて配偶者がいないのだから「主夫」とは認められないらしいのですが、やっていることは主夫です。19年前に実家に戻ってからは主に母のサポートだったのですが、家事をやることも多々ありました。母が闘病に入ってからは、食事を作ることもあったし、洗濯・掃除をすることもありました。それなりの頻度で。

しかし、母が他界した後は完全に主夫でした。

一緒に住んでる家族は兄貴と親父。
家の掃除から洗濯、炊事まで全て僕がやっていました。

なので、生活必需品の買い出しも僕の仕事になります。

トイレットペーパーもその買い出しの中に当然含まれるのですが、我が家は少しだけ一般的というか平均的な家庭と事情が違いました。

 

ここで質問なのですが、3~5人家族として月にトイレットペーパー何ロール使いますか?

 

我が家では母が他界した後は18ロール入りのトイレットペーパーパックを月に1パック確実に買っていました。多い時は2パック買ってました。

恐ろしいですよね。
僕が1人暮らししてた時は年に2パックも買ってなかったと思います。しかも12ロール入りだったような。僕の下宿先というか住んでたアパートはボロかったので、ウォッシュレットなんてものはありませんでした。だからまあまあ使うはずですよね。
今住んでる家はトイレが2つあるけど、当然ウォッシュレットがついており大きい方をしてもトイレットペーパーはワンカット分で済みます。それで間に合わなくてもそんなに使いませんよね。

しかし、昨年他界した親父がやばかったんです。

これはアルツハイマー型認知症の影響もあったのだと思うのですが、兎に角、大量に使うんです。大きい方もおしっこの時も。介助するときもあったので親父のトイレでの行動の一部始終を見たこともあるのですが、トイレに入ってまずかなり多めのトイレットペーパーを取り、畳んで手にもちます。用を足した後はその畳んだのの他に使い、手を洗って手を拭くためにまた使う(タオルあるのに)。その後、便座などの掃除をする・・・トイレットペーパーで。

トイレ掃除は最近は適当だけど、親父が居た頃はしっかりやってました。
親父にも、もし汚したら言ってね、掃除をするからって伝えてあったし。でも、ダメなんですよね~。じゃ、親父の後はトイレが綺麗になってるかというとそんなことはなくて、トイレットペーパーは強度的には弱いので、ペーパーカスがポロポロおちてしまうんですよね。だから、隙間にカスが入ってたりとかえって掃除が大変になるくらいで。

親父の介護はそこまで手がかかるものではありませんでした。
もちろん、母1人では難しいことがあったり、僕1人でも手に負えないことが多々あり、簡単に評価できな部分でありますが、これはまた別の話で。

手がかからないのだけど、ストレスは半端なくて、特に母が他界してからはヤバかったです。
で、そのストレスの5割以上はこのトイレットペーパーに関するものでした。1日1ロールを日課にしてるの?って思うくらいに、1日1ロールから2ロール使ってました。これは5年半1人で介護してる間に2度ほどしかありませんでしたが、3ロールってのもありました。

親父の介護がきつかったから、ショートステイに月に10日は行ってもらってたんですね。

そして、1階のトイレは親父が汚すので僕も兄貴もほぼ使ってませんでした。
なので親父1人で1ロール使いきったのもわかるし、月に確実に18ロール入りワンパックを使い切るってのも把握できてました。

お願いだからやめてくれ・・・

親父に土下座してお願いしたこともあります。
でもやめないんですよね。認知症なのでやむを得ないのですが。

母もこのトイレットペーパー問題には大いに頭を抱えてました。

トイレットペーパーは高いものではありませんので家計に大きく響くってことはないです。でも、全部トイレに流すわけじゃないので、トイレに設置したゴミ箱に毎日大量に捨てられるトイレットペーパーゴミを見てると頭がおかしくなっていきます。

母は困り切ってノイローゼっぽくなってたように感じました。

「今日、セールだからトイレットペーパー買いに連れて行って」

母に月に2回言われたセリフです。
近所のドラックストアで月に2回トイレットペーパーが安くなるのです。安くなるといっても40円程度なのですが、それでも大きいと。こういうセール品はお1人様1点までってしばりがあるじゃないですか、だから僕も1つ買って欲しいと。あとは大物商品になるので、車で運んで欲しいと。

毎月そんな感じで買っていたので、我が家にはトイレットペーパーをストックする場所に4パック、玄関に2パック、僕の車のトランクに2パック・・・みたいな感じで大量にストックされていました。

「お母さん、たくさんあるから買わなくていいんじゃない?」

って言ったことがありました。

「でもね、たくさん買っておかないと落ち着かないの。みるみる減っていくでしょ?たくさんあればある程度、気持ち的に落ち着くのよ」

と。母はこのトイレットペーパー大量買いの他にも、溜まったトイレットペーパーゴミをどう処理していいかわからなくなって、右往左往するなんてこともありました。

 

まー、大変でした。

 

なかなか共感してもらいにくい話だと思いますが、思い出しただけでも気が沈むくらいにきつかったです。

 

そして親父が他界して・・・というより、去年の2月半ばから家にいなかったんですね。病院と施設を行ったり来たりしてて。親父が家からいなくなって16ヵ月程経過したわけですが、そしたらトイレットペーパーが減らない減らない。ちょっと無駄遣いしたかなーって思っても減らないです。年に1パックで済むとまではいきませんが、2パックで確実に済みます。

週に2回ある可燃ゴミについても、親父が居た時は45リットルのゴミ袋が毎回パンパンになってました。多い時は2袋だすことも。それも今となってはゴミ袋半分以下です。週に1度で十分何じゃないかって量です。

それもそのはずで、トイレットペーパーだけじゃなくティッシュも大量に使っていたんですよね。
もちろん、親父のリハビリパンツなどのゴミもありましたしね。

 

で、約11か月ぶりにトイレットペーパーを買ったら、最後に買った時は税込み398円だったのに、同じものが税込み440円になってたんですよね・・・

 

って、これだけを話したいブログだったのに、何故か盛り上がってしまいました。
介護の苦労って実際にやった人じゃないとわからないし、ケースバイケースで各家庭、各要介護者によって違うので難しい問題ですよね。

僕は疲れ切ってしまいました。


どうせなら止り木的な人間になりたいって思ったのだけど

2022年06月26日 | Life

新しいブログを作ったのですが、まったくもって稼働することができていません。
しかも課金ブログです。お金のないなか新しい策の1つとして始めようとしたのですが、どうしていいかわからないっていう。
で、ここでちょっと慣らし的に書こうかなって感じです。

でも、書くことが本当にないのです。

なので繰り返し同じことを書いてるかもしれませんが、ご了承ください。


僕は正直、全然もてません。
顔が悪い、スタイルが悪い、頭が悪い、お金がない・・・いったいどんだけネガティブ要素があるんだって話な人間なのでしゃーないです。
そんなんだから自己評価も恐ろしく低く、それがばれないために偉そうに振る舞うため、性格も悪くうつるんじゃないかなっておもいます。はっきりいって最悪ですよ、物件としてはw

それでもたま~に僕なんかを頼ってくれる人もいます。

でも、ケンカしたわけじゃないのにいつの間にか疎遠になってしまうんですよね。
それは同姓でもそうだし、異性でもそうでした。中にはなんでこんなに僕みたいなのを相手してくれるんだろう?なんて人もいたのですが、やはりいつの間にかどこかに行ってしまいます。

で、ある時気づいたのが、疲れてる人や、本来の友人や恋人とうまくいってない人が、休憩的に寄っていく感じなんじゃないか?ってこと

上で散々に自分を蔑みましたが、一緒にいて嫌な思いをさせることはない・・・っては思っています。

だから疲れた~とか、ちょっとさびしいけど当たり障りのない人がいいな~とかそんな時の選択肢の1つが僕だったのかな~と

ある人は本来の目的を思い出して、ある人はもっと楽しいドキドキワクワクする友人が見つかって、ある人は彼氏ができて、ある人は元カレとよりをもどして・・・またある人は少し元気に前向きになって。

みんな僕のとこから旅立っていきました。

それでもいいかな~って思いました。
でもやはり寂しいです、僕でも。

19年間家に縛られた生活をしてると、止り木的に僕のとこに寄り道をしていく人達以外のずっと昔からの友人との関係も怪しくなっていきました。東京に住んでて帰省する度に会いに来てくれた友人は、僕の母の闘病が始まった頃から1度も会いに来てくれなくなりました。ある時誘われた東京での忘年会にも、父の世話があったので行くことができませんでしたし、それ以来連絡が途絶えました。

SNSなどでつながった友人も同年代だし今後うまくつきあっていけるかな~って思っていても、それもうまくいかなかったですね~

気が付いたら友達はほんの少ししかいなくなったし、自分から声をかけたり、誘ったりできる人はほぼゼロになってしまいました。

 

先日、アニメ「ダンまち」シリーズをネトフリで見直してたのですが、ロキファミリアが遠征から帰ってきて「豊穣の女主人」で打ち上げをするシーンがあるのですが(ヴェートのトマト野郎発言がないやつ)、あんなふうにわいわい楽しそうにしてるのが凄くうらやましく感じました。

あー、僕もあんなふうにお酒をみんなと楽しんだ時があったな~って。専門学校時代が最後かな~っては思いますが。

そうそう、お酒も辞めてしまったんですよ。
大好きだったし、お酒で誰かに迷惑をかけたこともなかったのですが、すっぱりとやめました。今年の11月1日でやめて丸9年です。

いつかそのやめた理由が解決したらまた飲もうって思ってはいたのですが、気が付けばもう解決するのは無理な状態で。
上げた拳の下げどころがわからなくなったみたいな感じで、多分、このまま一生飲むことはないでしょうね。

そうなると、お酒を一緒に飲みたいという人からのお誘いもなくなります。
全部一人でやっているので、打ち上げみたいなこともありません。

そもそも、お酒が好きな人はお酒を飲まない人と一緒に遊びたいとは思わないものですしね。

 

あとは人との縁がなくなるのが寂しいし怖いので、自分から誰かに声をかけることも友達を増やそうとすることもなくなりました。

 

友達がいなくなる理由って、自分次第って思います。

自分のスペック的なものだけではなく、自然と人を避けるようになっていくんですよね。

僕は小さい時から結婚願望が凄く強かったです。
その反面でおばさんの離婚のゴタゴタを小学1年の時に見ていて、怖いっていう感覚もありました。記憶力がやたらいいのと、マセてたのかなんかしらないけど、おばさんが離婚にあたって泣き泣きうちの親父に相談をしてるのを覚えてるんですよね。生々しい話はなかったけど、離婚ってこんな感じなんだってのは強烈に覚えてて。

それでも自分は家族を作るんだって気持ちはあって。

でも、そういうのもさ、自分の能力を勘違いしてたから強く思えただけであって、大学受験を失敗したあたりから結婚というものが遠い存在で諦めてたかもしれないです。そのうち、写真やったり、心理学やったりでやることがたくさんあって、そういう結婚に対する気持ちもどうでもよくなってはいたのですが、両親が相次いで倒れるというトラブルで実家に戻って、実家に縛り付けられるようになってから、また、ふつふつと結婚願望が出てきてもいました。

これはどうしてそうなったか理由はわかってます。
環境を変えたかったのが1つ。絶対に無理だろうっていう大前提のもとで10数年ぶりに好きになった人ができたのが1つです。

実家でどうにもならない日々を過ごしてて、こんなんで人生終わるの嫌だなーって強く思っていましたからね。

親父の面倒を見るのは楽なようで凄く大変で。
僕が自由になるのは難しいなと、母が生きてる時も思ってました。
母が他界したあとは、父がショートステイで施設にいるときだけ自由になりましたが、それですら2,3泊で必ず親父は帰ってくるので自由なようで、普段できない掃除などで終わってしまうのがほとんどでした。

親父が生きている限りは自由はないな~って。それじゃ気持ちとしてキツイので、断固として施設に入ることを拒否していた親父にこんな風に話をしていました

「父ちゃんさ、もしね、僕がここから通えない所からお仕事の良い話をもらった時と、相手もいなし万が一もないけど結婚することになったらさ、親父には申し訳ないけど施設に入ってもらうことになると思うけど、それは許してくれる?」

親父は記憶障害があったので覚えていなかっただろうけど、この話をするたびに、

「そういう時はしょうがないな」

って優しく話してくれてました。
そういう万が一がなかったらやっていけない、親父の死以外の終わりがなければやっていけないって思ってのことで可能性はなったんですけどね。
これに似た話がもう1つあって、母が生前まだ元気な時・・・病気の気配すらなかったことに、やはり何度かこんな話をしていました。

「もしね私(母)がお父さんより先に死んじゃったらさ、あなたが1人でお父さんの面倒を見なくちゃならなくなるね。お母さん元気だからそういうことはないと思うけど、万が一、そうなったらあなたには迷惑ばかりかけるね。しかも、お父さんが死んだあとはもしかすると長男の世話をしなくちゃならなくなるってのもあるもんね」

それから2,3年後に母は乳がんと診断されて、1年の闘病の末に他界してます。
そして兄は2年前に大きな病気をして死にかけてますし、父は昨年の秋に他界しました。

母の話が予言みたいになってしまってますが、それが僕の運命だったのかな~って。
気が付けば実家に戻る前は20代だったのに、40代過ぎて随分たってしまってますからね。結婚は諦めるしかないのが現状です。

なんていうのか、ステージに立つ前に終わってたみたいな。

これから新たに恋愛をしてというか、誰かを好きになって結婚までってなると、あまりにも気が遠くなってしまって。
自分が生きれるかどうかしか甲斐性がないのに、誰かを養うことは想像できませんしね。

 

と、だらだらと書きましたが、友人がいなくなるのも、結婚できないのも、なんもかも自分の選択と責任って感じって思います。
両親をほったらかしにして自分の人生を生きるっていう選択肢もありましたからね。ま、そんな自分を一生許さなかったと思いますが。

止り木的に僕のとこで休憩していってくれる人も今後は現れないでしょう。

さびしいけど生きなければならないので、全て受け入れるしかないですね。


写真偶像

2022年06月22日 | Life

体調の悪さがヤバめなので先週くらいから作業量を減らしてます。
作業といってもなんの成果も出てないものなのですが、諦めたくないというか、1つくらいはやり遂げたいというか、ちょっと意固地になってる部分もありながら、頑張ってます。

空いた時間はアニメを見たり、少しだけ料理をしたり。

で、今日はちょっとだけ昔やってた写真の事を思い出したので通っていた学校の現在を調べてみました。

古い学校だったのですが、ちょうど僕が卒業する頃に改革があったりして、がらっと様相が変わったような変わらなかったような。在学当時から昔ながらのやり方に賛否があったりもしたのですが、僕的には愚直なまでに一貫してた「モノ」が心地よくもあり、厳しくもあり、あのままでいてほしいな~みたいな。

似たような話で通信制の大学でも、当時からレポートはネット提出がメインストリームになりつつあったのに、ボールペンで手書きでした、僕の大学は。レポート作成はパソコンでやって、手書きで清書する・・・なんとも無駄な過程なのですが、それにも意味があるなーって。卒業してからは手書きで文書作成なんてこはしなくなったので、その分、文書理解能力が落ちていったようにも思いますし。

話は戻して、専門学校の話です。

僕がお世話になった先生の1人は僕が在学中に他界されました。
今思うと、僕自身にとってもとても大きな出来事だったのですが、当時は必死だったので先生の他界をいつまでも引きずるわけにはいかない!!とばかりに考えないようにしていたと思います。でも、意気地無しの僕が卒業まで頑張れたのはこの先生のおかげだったと思っています。

正直、学校に入学して1週間もしないうちに、付いて行けない・・・辞めるようになるかなって思っていたのですね。

実習や試験などパスしなければならないものはたくさんありましたが、そこまで厳しくはありませんでした。

しかし、甘くもなくて、自分が思い描いたボーダーラインを超えて提出物を作成する、レポートを作成するっていうのはとても大変だったと思います。つまりはその学生次第なんですよね。適当に済ませようと思えば適当に済ませることもできる、どこまでも妥協を許さずに高めようと思うとどこまでも高められる。

自分が許せなくなるんですよ、そこそこで満足して提出してしまうと

そんな学校だったので途中リタイアする人もたくさんいました。
実力はあっても学校や先生の方針に従えなくてって人もいたし、途中で写真関連の就職が決まって辞めていく人もいたし、卒業3か月前に先生に強くダメ出しされて辞めた人もいました。

僕が1週間で辞めてしまっても全然おかしくない、普通のことだったかもしれません。
ま、実際、入学からしばらく仲良くしていた人が3,4人いたのですがその人たちは全員卒業前に辞めました。その後仲良くなった人達は卒業まで一緒に切磋琢磨しましたが。

亡くなった先生は、僕と同じ最寄り駅だったからか、出身が同じだったからかはわからないのですが、少しだけ僕を気にかけてくれてたように思います。

僕は写真が下手くそでした。
卒業までずっと下手くそだったと思います。多少、現像とプリントには自信がありましたが「写真」っていうものを卒業からしばらくして、写真をほぼ辞めてた頃にようやく理解したみたいな感じだったので、必死なだけで下手くそでした。

「昨日の夜さ、君の事を駅前で見かけたんだよ~。なんか下を向いて歩いてるから声をかけようかと思ったんだけど、今日の授業のためのプリントをこれからするんだろうなって思って声をかけるのやめたんだ」

とある授業の時に先生に言われた言葉です。
いやいや、声かけてくれよ~、迷ってんだから・・・これが僕が思った気持ちです。

当時、クラスで同じテーマで写真を撮ってました。テーマというほどではないのですが、生涯これを作品として高めていく人もいるので、テーマといえばテーマなのでしょう。トレーニングや同級生・先生と共通言語としての写真を持つためにはとても優れているトレーニングだったと思います。
写真をずっとやってた人も、専門学校に入ってから本格的に始めた人も、ほぼ同列に先生は見てくれたし、最初の1ヵ月程度では良し悪しも学生レベルじゃなかなかわからない。でも、写真を撮って、どれがいいか選んで、プリントして学校に持っていく・・・これを繰り返すんです。

「君はわかっててやってるんだよね、水増しって感じもするけど、この量の写真をちゃんと整えて最初にもってくるのは大変だったでしょう」

これがクラスで初めて写真を先生に見てもらった時の先生の言葉でした。
最初の授業では自己紹介と週末の浅草での撮影実習の説明と先生の作家としての来歴を聞くみたいな授業。その週末には浅草寺に集合して、とにかく10本フィルムを使う(20だったかな~)ことを目標にスナップショットを自由に撮ってみてと。
そして週明けの最初の授業でこの時の写真を、フィルム現像して印画紙に焼いて、台紙に貼って先生に見てもらう。現像もプリントも実習を1度経験した程度だったので、なかなかに大変だったんです。

10枚程度しか写真を持ってこなかった生徒もいたのに対して、僕は30枚程もっていきました。たぶん、クラスで一番多いくらいだったでしょう。

先生は水増しと言ったのだけど、実は全然そんなことなくて、どの写真がいいのかさっぱりわからなくて選びきれなかったってのが事実なのです、情けないことに。

「この構図は不思議だね~。あー、これはもったいなかったね。撮影場所が暗いところだったでしょ?これ、写ってるのはとてもいいのだけど、露出がダメだから写真ができてない。」

先生の講評はこんな感じだったと思います。

その浅草での演習と写真講評の後に、さきほど少し説明したトレーニング的なテーマを与えられて(これを言っちゃうとどこの学校のどの世代か即バレしそうなので伏せ時ますw)、平日、週末に関係なく撮影し、現像、プリント、台紙貼り、先生に見てもらうってのを繰り返しました。3か月間、何度も。

僕は最初の方に先生にハナマルをもらったんです。
先生は良い写真には〇、◎、そしてハナマルをくれました。さりげな~くくれるので、最初はぴんとこないのですが何気にレアだったんです、ハナマル。そしてその日の良かった写真を授業の終わりに全員に見せる。その日は僕の写真が選ばれたし、その後も何度も選ばれました。

ただ、駅前で先生が声をかけようか迷ったって時期は、完全に何をどうやって撮ればいいのかわからない状態だったのですねw下手くそなくせに生意気にもスランプに陥っていたのです。

「かっし~くん、スランプだぁ~」

って、同期の仲の良かったかわいい子に指摘されて気付いたのでした。
ハナマルをもらった後に、その写真しか見えなくなってしまったんです。こういう写真を撮るにはどうすればいいんだろう、同じものは撮れないよな・・・?、じゃ、違う感じで同レベルの写真ってどんな写真なんだろう?

他の学生よりも写真を持っていく量が多かった僕だったのですが、スランプになったらさらに多くなっていました。

「いいの上がってこないね~。でも、君はわかってるんだよね」

そんな風に先生には言われました。
僕は自分が下手くそであるってことを思い出し、あれこれ工夫して狙って撮ろうとしてもうまくいかないだろう。とにかく、撮って撮って撮りまくって、そのあとに必死に選んでみよう・・・そんなスタンスに切り替えました。
後に同級生にベタ焼き(コンタクトプリント、インデックスみたいなものだね)を見せたら、

「君が撮っとるのは、俺にはよーわからん。変な感じがする」

って言われたのでした。
それもそのはず、狙ってないのですから。特にその同級生はしっかりイメージを作って狙って撮るタイプの写真の上手い人だったので、僕のベタを見てもそうなると思われますw

そして、またハナマルを何度ももらえるくらいに成果がでてきました。
僕的にはまだまだ良し悪しがよくわかってなかったのですが、先生にはほめてもらいました。

「君はわかってやってるから」

いつも笑顔で先生にはそういわれました。
面白い学校で、生徒のやる気というか本気度みたいなのが自然とできあがっていくみたいな、そんな授業の進め方でしたね。
最初は学生が一斉に壁に写真を張り付けて、それを順番に先生に見てもらう方式だったのですが、途中からテーブルの上に個々に並べて見てもらう方式に変更されました。先生に見てもらった人から帰ってもいいよとなっていたのですが、用事があるから、家が遠いからと帰る人はいましたが、ほとんどの学生が最後まで残って他の学生の写真を見て、先生の言葉を聞いていました。
これが長いんですよ。夜間の学校ではあったのですが18時から始まって、終電ギリギリまで終わらないなんてのはざらです。だから最初は学生全員のを写真を食い入るように見ているのですが、徐々に、この人のは見るけど、この人のは見る必要はない・・・みたいな空気が出来上がっていき、面白い写真を撮る人、先生がほめる頻度が高い人の写真の時はテーブルを囲むように学生が大勢集まるのですが、そうじゃない人にはパラパラとしか集まらないみたいな。ちょっと残酷ですよね (^^;)

僕の時はまあまあ人が多く集まってくれていたと思います。本当にありがたいことに。

恥ずかしがりやなので、みんな見ないでーっと毎回なっていたのですが、嬉しいことだと理解して、ほんとうに同期の皆さんには感謝してました。そして僕的にはつまらない写真は無いっていう思いもあったので、学生全員の写真を必ずテーブルの近くで最後まで見ていました。

「後期はどんな写真を撮るの?」

夏休み前の最後の授業は先生との面談でした。
先生は僕にこう尋ねました。ま、みんなにそうだったのだと思いますが。

「僕はこのまま同じ写真を続けようと思っています。秋や冬になれば景色も人が着ている服も変わるだろうし、何より天候による撮影条件も変わりますから。あと、まだこの写真をわかってないので」

普段なら自分を守るために何重にも武装したりするんです、面談とかでは、僕は。弱い人間だし、何をやってても自信がないので。でも、先生には全部見透かされると思って全て正直に話しました。
最後の授業の前にあった他のクラスとの合同の合評会でも、他の先生に散々に言われたし、上に書いた同級生と同じように変だって言われたし。そういうことを先生に全部言いました。

「君はわかってるんだよ。この写真を続けるべきってこともわかってるし、隣のクラスの先生に言われたこともわかってる。だから大丈夫。後期も頑張りなさい」

こんな言葉だったと思う。
優しい先生だったけど、写真に関しては厳しかったし、写真に対して真面目になりきれてない学生を怒るときはとても怖かった。でも、先生はいつも僕には優しかったんだよね、不思議と。僕が弱虫だから心が折れないように優しくしてくれたのかなって、いまだに思ってはいるけど・・・まだ、わからないかな、先生の真意は。

その後、面談が終わった僕はなんとなーく名残惜しくて、学校のホールでぼけーっとパンフレットとかを見てた。そしたら、全員の面談が終わった先生が降りてきて、

「お、いたいた!よし、君も行くよ!!」

そう言って、最後まで残っていた学生数人と飲みに行った。二次会までいったのかな。ずーっとニコニコと笑って楽しそうにしてる先生を囲んで、本当に、本当に楽しい飲み会だった。

でも、これが僕が生前の先生を見た最後だった。

先生は夏休み期間に海外取材に行っていて、その途中で倒れた。
そのまま入院し、1度は退院するものの、翌年の3月に他界したのだった。学生の中には入院中の先生のお見舞いに行った人たちもいたのだけど、僕はなぜか行かなかった。先生にあれこれ質問をしたい、今やってる写真は正しいのかどうか聞きたいって思いもあったのだけど、自分でなんとかしなくちゃっても思ったし、なんとなく顔を合わせずらいってのもあった。そしたらあっという間に・・・

その後、2年になって、少しだけ写真がわかったけど、まだまだわからなくて。
でも、卒業まで必死に頑張ったし、まだまだだとは思ったけど、自分なりによくできたと思える写真も少し撮れた。学校の賞にはかすりもしなかったけど、卒展はそれなりの満足感があったし、ここまで辿り着けたことが何よりもうれしかった。

なにせ、1週間でついて行けないって思ってやめようとしてたのだからね。

そのあと、学校内のクーデターに軽く巻き込まれ、大学院的なのに進学していたのだけど3か月もしないうちに辞めた。

「退学届けなんてださないで、気が向いたときに来きてもいいのに」

と先生には言われたけど、しっかりと区切りをつけたいと思った。
写真をやめようって思って(どうせ下手くそだったし)、撮影をやめたけど、なんとなーく心残りが。
自分に足りないものはなんだったんだろうって考える日々を過ごした。

そんな時に友人が自殺をほのめかすようなブログを更新。
気になってメールしてみて、たわいもない会話をメールで交わした。次の友人のブログには「助けてもらった感じがする」と。それは僕の事ではないと思うのだけど、こういう時に助ける術ってなんだろうって考えて、臨床心理士を目指すために通信制大学にいくことに。

やめようって思ってた写真だったけど、心理学を勉強することで自分の中になにかしら一本の芯を作ったら、また写真ができるかもしれないし、何よりこれまでわからなかったことがわかるようになってくるかもって思ったのです。

でも、うまくいかなかった。
実家に戻ることになり、写真ができる環境が失われていったし、試してみても地元は好き過ぎてよい写真が全然撮れなかったり。そもそも、実家に戻って親の面倒を見て、大学の方もなんとか元に戻してっていうまでに時間がかかりすぎてた。ただでさえ下手くそだったのに、もっと下手くそになっててね。他にもたくさん理由があるけど、僕から写真ってものが失われてしまってた。

「君はわかってるから」

何度も何度も先生にかけてもらった言葉。
今でもたまに、

「先生、僕は全然わかってないよ。何もわからないよ、先生教えてよ!」

そんな言葉が思い浮かんできます。
たった三か月しか先生には教えてもらえなかったけど、人生で一番の恩師です。
1週間で辞めようと思ってた僕を励ましてくれたし、この先生にずっとついて行きたいって思ったし。でも、なんで先生死んじゃうかな~。あれからずいぶんたったけど、写真やめちゃったけど、また迷子になったし、全て辞めてしまいたくなってるよ。また励ましてよ、ハナマルをつけてよ・・・

でも、学校の事を久しぶりに調べて知ったことで、同級生というか友人だった彼がまだ頑張ってるってこと。

あれから展覧会の数ではなく、展覧会のタイトル・・・つまりは作品数でいうと15回。大きな賞を受賞してないけど、受賞歴もしっかりある。っていうか、当時と変わらず続けていることが嬉しかった。連絡を取って話をしたいっても思ったけど、僕のことなんか忘れてるだろうし、相変わらず情けない僕の姿を見せたくないし。でも、本当にうれしかったな~。ちゃんと写真を変わらず続けて、しっかりと個展を開いている君の姿は最高ですよ。

 

これからの人生、何ができるかわからないけど、あの時志したようなことを1つは成し遂げたい。写真では無理でも、当時の思いを1つは叶えたい・・・そんな風に思ったのでした。ずいぶんと心も体も年取ってしまったけどね。


少し休憩中

2022年06月16日 | Life

日本、大丈夫なんすかね?
経済のことも、政治のこともなーんも知らんけど、なんとなーく漠然とした不安がより強くなってると感じる今日この頃です。
上島竜兵さんのことがあったり、色々ありますもんね。コロナで変わった世界観なのかもしれません。

って、世間のことを心配するよりも自分のことをなんとなしなきゃならない感じの私です。

2月の半ばだったかな〜。
そのくらいから準備を始めるもなかなか一歩を踏み出せず。3月の半ば前くらいに自分の生活のためにあれこれ始めました。3ヶ月とりあえず頑張ってみようってことで。

何をやってたかはとりあえず伏せさせてください。

で、3ヶ月、法事などの止むを得ない日以外は土日も休まずに作業を続けましたが、結果的にいうとほぼ成果なしでしたw

この「ほぼ」ってのがポイントで、着手してから2、3週間経過したところでお仕事に関するとても良い話をいただいたことがありました。条件を聞くところまではいかなかったのですが、僕ごときを雇ってくれるというだけでもありがたいわけです。

でも、タイミングがとても悪かったです。

お誘いを受けた1ヶ月前なら何もやってなかったわけで喜んで飛びついたと思います、1ヶ月後だったら現在頑張ってることが思うようにいってなかったのでやはり飛びついたと思います。

お誘いを受けた時、2、3週間なんの動きもなったのに、動きがあったんですよね。しっかりとした成果があったわけじゃなくて、ほんのちょっと動きがあった感じで。だから「ほぼ」成果がないというわけです。動きがあった時の感触としてはこのまま上がり続けるんじゃないかっていう雰囲気がありました。しかし、動きがあったのはその瞬間だけで、先方様にお断りを入れた途端に動きは止まりました。

こんなもんかなーと、また頑張りました。

作業量を倍にしたり、工夫をしたり、あれこれ頑張っても成果なし。

もうやめようって思い始めたら、また動きが・・・

山あり谷ありならまだしも、時々山があるだけであとは動きがなくなる

気がつけば始めてから3ヶ月が経過してて、辞める決断も続ける決断もできないままに疲れてしまった感じです。
そこでこの間の土日は休もうって決めて。今週に入って色々調べたりしながら、少し作業をしては休んで。新たに何かをやろうと手をつけては休んで。昨日は思い切って丸1日休んで。

まー、休んでも何かしらはやるし、気になって色々考えるし、うまくいくにはどうすればいいのか考えるし、そもそも家事は普通にあるのでそれはやらなきゃならないしで、休んでるの休んでないのかわからなくて、成果が出てないのに休むことに罪悪感が出てきたりとw

悪循環そのものですね、何もかもが

朝、8時半には部屋に行って作業を始めて、2時間くらいしたら食材などの買い出しをして。
晩御飯用に1品何かを作るか下拵えをして、自分のお昼を作って食べて。片付けをしたら部屋に戻って作業して・・・

作業もうまくいく時はいいのだけど、思うように行かない時は時間との戦いだったり、自分のモチベーションや体力との戦いだったり、全然お金にならないことを続けることの大変さだったり、その繰り返しだったのですが簡単なことではなかったです。あまちゃんな僕にはなかなかのプレッシャーでしたし。

少々疲れたかなーって。

バイトをしたり、僕でもできるような仕事をさせていただくことが嫌なわけじゃないんですよね。
19年間、ほぼ家に閉じ込められてて、自由になったのだから何かに挑戦したいし、もう少し自分の時間を持ちたいし、19年を取り戻すことはできなくても残り少なくなってきた自分の人生を少しでも自分らしく生きたいかなーと。

年齢が年齢なので、ここから先、冒険をすることはできないです。できることは限られていて、行ける場所も、買えるものも限られています。恋愛ももうできないでしょう、家族を持つこともできないでしょう、それでもほんの少しでいいから生きてるって実感を得たいし、自分が望むことを少しでいいから叶えたいって思うわけです。

少し休んで、また頑張ろう、そんなふうに思う今週1週間なのでした。


こっちはダメで、こっちはOKなのは何故?

2022年06月03日 | Life

3月の末くらいから、時折咳が出るんすよね~
なんのタイミングかはわからないけど、軽い喘息みたいな感じ。これが3日前くらいから少しひどくなって、おとといの夜には近所のドラックストアに行って薬を購入。今日はちょっと効いてる感じがあったけど、寝不足も重なってかなり眠い1日でした。

 

 

女子中学生を15歳未満と知りながら働かせた疑い コンカフェ店長ら逮捕 東京・秋葉原(ABEMA TIMES) - Yahoo!ニュース

 13歳の女子中学生を15歳未満だと知りながら東京・秋葉原のコンセプトカフェで違法に働かせたとして、店長の男らが逮捕された。 東京・秋葉原のコンセプトカフェ「ぶら...

Yahoo!ニュース

 

 

ところで。
このニュース少し気になりました。

基本的に15歳未満ってことで労働基準法のこの1文

「使用者は、児童が満15歳に達した日以後の最初の3月31日が終了するまで、これを使用してはならない(56条1項)」

より完全にアウトになるんですよね。
そのうえ、客に対してお酒を注ぐ接客もしていたのでひどいものです。

でも、キャバクラはダメだけどガールズバーはオッケーとか法律のあれこれというか、抜け道みたいなのは他の接客や労働に関する話でありますよね。なので、この経営者はなんで私たちだけ!!みたいに言ってそうって思いました。他のお店はもっと酷いことやってるでしょーみたいな。

しかしながら先ほど挙げた労基の1文に完全に抵触してるのでアウトなのでいたしかたかないかと。

 

と、ここまでは前置き。

今日話したいのはこの事件と似てないようで似てる話。

もしかしたら最大級の闇にケンカを売るような話になるかもだから、部分部分で言葉を濁すのはご了承ください。

 

日本の古都の話です。

そこでは綺麗に着飾ったかわいらしい(おぼこいっていうのかな?)女の子たちが働いてます。
踊ったりしてね。

この子たち、すげー若いです。

とある年齢になると役職名が変わり、衣装や髪型、化粧なども変わっていきます。

 

この子達の多くは先程の労基の1文からは逃れる感じの16歳になる年齢でデビューします。

なので先ほどの年齢制限はクリアします。

その子たちの主な仕事はお客様に「踊り」を披露することです。

でも、その踊りはお酒が出る食事の場で披露されます。

 

その子たちはおしゃくをします。

そして、お客にすすめられればお酒を飲みます。

 

やがて年齢を重ね18歳になると、所属する事務所のようなものの代表のような人に男の人をあてがわれます。

そこから先は自由恋愛になるのかな?

ま、ソープランドや飛田新地にシステムは似てるかも。
もちろん、私はもちろん一般人は踏み込めない領域なので詳しくはわかりませんが、ソープランドは女性がいる特殊浴場でお風呂に入るついでにその女性と恋愛関係になれば、エッチができるみたいな。飛田新地はそれの料亭バージョンみたいな。

一緒にお食事したり、デートしたりして恋愛関係になればエッチできそうだな~って僕はその古都のシステムを聞いて思いました。

 

なんでこれが現代日本において許されてるの?

 

お酒がともなう接客に関しては労基がどういう風になっているのか、僕は知りません。
でも、日本の法律では20歳にならないとお酒を飲むことができないっていうのは知ってます。常識ですね。

それから、18歳になったからといって、所属先が男を斡旋するのって法律的にどうなの?

なんとなーくですが、管理売春みたいな感じですよね、これ。

 

もう何年も前になりますが、このことについて調べてみたことがあります。

調べるいうても古都に接点がないし、もう学生でも研究者でもないので現地取材や文献をあたるみたいなことはしませんでした。

ま、ネットで調べて、調べて、調べまくりました!

結果、

「え~・・・すげー怪しいじゃん。何これ?」

でした。

調べてみるとわかるのですが、多くが体を売るということについて否定しています。
否定していなくても(他に有名な呼び方があるのですが、その女の子達が所属するところを事務所とさせていただきます)、

「今の世の中ですから、ほぼ全ての事務所は体を売るようなことはさせません。あるとしたら質の悪い事務所です」

みたいな事が書いてありました。

怪しい・・・

本当に怪しい、なんだこれ・・・調べれば調べる程そんな風に僕はなりました。

 

で、それからしばらくたって、遠い遠い知り合いの知り合いに実態を聞くことができました。

未成年飲酒はもちろん、男をあてがうみたいな文化はしっかりと残っているという話です。

まー、たとえお金があっても普通の人はそこで遊ぶことはできないし、遊ぶためにはかなりの段階を踏んでいかねばならない。女の子をあてがってもらうためには、莫大なお金をその界隈に落とさなければならないし、社会的な信頼度もかなり高いものがなければならないわけだし。

つまりは、既得権益みたいなもので、守られて、守られて、守られつくされてるのが、その古都にある、とある界隈なのですよ。

 

ネットであれこれ書いてる人の多くは、映画や物語で知る外側からの情報だけで書いてるのかもしれませんね。

 

もちろん、僕のこの情報も遠い遠い知り合いに担がれたのかもしれません・・・(と、一応、書いておきましょうw)

 

実際、その「事務所」によっては男とそういう関係になることを選択させる場合もあるようです。

でも、拒否すればその先の役職にすすむことができないかもしれないし、その界隈で活躍することができないかもしれない。もちろん、それ以上のポテンシャルを持っている子ならば、体を売ることなく上にいけるのかもしれないけど、それでもその界隈から離れない限りは日の当たる場所を歩ける感じではないよな~、名前や出身などを隠して生きるしかないよな~って思いました。

 

僕は知識はないけど歴史が好きだし、写真を通して芸術や文化の大切さもしっかりと学びました。

でも、こんなクソみたいな歴史や文化を大切にしてる日本は終わってるな~って思いますし、それにのっかって遊んでる連中はウンコ以下だなっても思います。

日本のロリコン文化が生んで、継承し続けた最悪の文化であり歴史なんじゃないかって思っています。

歴史・文化として大切にしたいのなら、未成年飲酒や売春みたいなものを省いて綺麗なものだけ残しても十分に存在する価値があり、日本の美しい文化の一翼を担うものであるんじゃないのか?って思うんですよ。

 

でも、そうじゃなく、古い歴史の悪い部分をしっかりと残したままで現代に残るってことは、それが必要だと、そういう遊びをしたいと、それを求めてると・・・そういう人種が存在するってことですよね。しかも財力も権力もあるような人達だったりするわけですよね。最悪ですよ。

逮捕されたコンカフェの経営者は労基を守ってなかったので逮捕されて当然です。

でも、国に守られているのかなんなのかしらないけど、もっと凄いことをやってる人たちが何故か許されているってことを知らなければならないって思います。

 

仮に、僕の子供が「これ」になりたいって言ったら、絶対に反対します。
知り合いの子供がなりたいって言ったら、それも絶対に反対します。今はそれについての知識があるので。

 

今、日本はいろいろと考えなければならない時期にきてると思います。
震災などで疲弊しきってるってのもありますが、気が付いたら弱い国になっていたし、住みにくい国にもなってしまいました。お金持ちの人たちが日本を捨てて海外に移住しろみたいなことを言い始めるのも当然です。

ひとつひとつ、こういうのを無くしていかなくちゃならないんじゃないのかなーって思います。