@PAYASO

少しだけ更新再開してます(愚痴オンリー)

嘘つき男爵の憂鬱

2021年03月31日 | Life

嘘は良いもの悪いもの?

人によって解釈は違うのかもしれないけど、基本的に僕は嘘は大嫌いです。
でも、このまま正直に言うことがその人のためにならないよなー、悲しませるよなーってなると正義の嘘もあると思います。あとはいわゆるロジハラってやつですね。ロジカルハラスメント、つまりは正論を振りかざすことで相手を傷つけたり、単に相手に対してマウントを取ろうとするのは好きじゃないです。ロジカルであることは良いことだし必要なことだけど、例えば相手のミスを徹底的にロジカルに攻撃してる人を見ると辛いものがありますね。そんな時は自分もできないふりをして一緒にミスを無くす方法を考えていってもいいよなって思います。それか優しく教えるって簡単な方法も。

嘘はありといえばありなんです。

ただし、それには条件がつきます。

・相手を傷つけないため
・その場の空気を壊さないため
・互いの利益につながるため

他にもあるとは思いますが、自分勝手な嘘はよくない嘘になるようにも思います。時には自分を守るための嘘っていうのも必要になるかもしれませんが、多くの場合は正直にいたほうが後々の良い結果を招くようにも思いますね。

 

僕の知り合いの友人に、とにかく嘘をつく人がいます。

 

僕自身も顔見知りなのですが、そこまで多く関わったわけでもないので嘘の現場には立ち会ってはいません。ただ、ちょっと変だなーって感じたことはあるのですが、それも直感的なものだったので嘘とは関係ないです。

「なんであの人は誰も得しない嘘ばかりつくの?」

知り合いにこんな言葉が投げかけられたそうなんです。
仕事関係でその嘘つきさんと関わった共通の知人らしいのですが、特に嫌な思いはしなかったそうなんです。でも、次から次へと嘘をついていく嘘つきさんに疑問が湧いて、次第には信用できなくなって、怖くなっていったそうなんです。それで、共通の知人である僕の知り合いに、あの人はどんな人なのか聞きにきたようなんですね。

僕の知り合いは、その時点では嘘つきさんの事を、そこまでおかしくは思ってなかったのだけど、確かに嘘をつくっては感じていたそうなんです。

それから嘘つきさんの言動を少し注意するようにしたんだそうなんです。そしたら、タイミング的にたまたまだったのかなんなのか、こんなことが起こったそうです。

 

知人:「嘘つきさん、この間お願いしてたものなんですが準備できましたか?」

嘘つき:「いやー、実は、空き巣にあってしまってごっそりと持って行かれたんですよー。その中にあなたのものも入ってて・・・」

知人:「え?まじですか!うちは大丈夫ですが、ちゃんと警察には届けましたか?」

嘘つき:「もちろん!っていうか、空き巣の被害を調べてた時にたまたまお巡りさんが通って。その人に伝えたんだよ。そしたら、この状況だと俺に落ち度がある可能性が大きいから事件にはできないって言われたの。やっぱりそういうのって難しいんだねー」

知人:「いやいや、どんな場合でも被害が出てるのですから事件になりますよ。」

嘘つき:「いや、難しいらしいっすよ。」

知人:「・・・そうですか」

 

ま、警察がそんな風に取り合ってくれないなんてことはないし、空き巣の被害を見てる時にたまたまお巡りさんが通るなんてこともない(僕はお巡りさんがパトロールしてるとこなんてこの20年見たことないです。パトカーはしてますが、わざわざ気にもしないような)。

 

※嘘の話をしておきながら↑の件も、これから書く↓の件もたくさんフェイクを入れてあります。

 

実は僕も間接的に嘘つきさん被害にあってることがわかりました。
知人がとあるゲーム機を探してると言ってきて、僕が持っていてもういらなかったので、それを売ることになったんです。知人が言うには嘘つきさんが欲しがっているのですよーってことでした。特に問題はなかったので売ったんですね。そしたら半年後に、

嘘つき:「いやー、あのゲーム機、壊れちゃって」

知人:「あー、そうですかー。修理できそうなんですか?」

嘘つき:「修理はできそうなんすけど、まあまあお金かかりそうで。」

知人:「それは痛いですね」

嘘つき:「○○さん(僕)が使ってた時からすでに壊れてたんじゃないかなー。多分そうだなー」

知人:「え?でももう半年たってますよね。それに○○さんはそんな不誠実じゃないですよ?」

嘘つき:「違うっす。半年前から調子悪かったんすよ。きっとそうだなー、○○さん、調子悪いの隠してたんだなー」

知人:「・・・」

 

ま、僕が渡す前に壊れてたってことはないですw
知人も少し使ってから嘘つきさんに渡していて、壊れてるなんてことは全然なかったし調子悪いこともなかった。嘘つきさんに渡して少ししてからも確認してて、調子いいですって返事をもらってるってことでした。

他にもこういうのが1件、2件じゃないんです。10件、20件、もしかしたら?ってのも含めたらもっとたくさんあって。

 

どうしてこの人は嘘をつくのか?

一言で片付けるなら、サイコパスだからw

ま、違うと思いますがw
サイコパスってのは切れ物のイメージがあると思います。詐欺師のパターンもあるので用意周到に人を騙すし、頭が良い人が多いので上手に人を騙すわけです。でも、何故か、わかりやすい嘘をぽろっとつく。明らかに嘘だってわかるようなことをあっさりとついてしまうっていう特徴もあるんですね。それこそ誰も得しないような嘘を。

それは自己保身ってのが第一だから理論的でなくても嘘をついて自分を守ろうとするのか、それとも自分のつく嘘はどんなものでもバレないと過信してるのか、それは専門書などで明らかになってるかもですが、僕にはわかりませんw

 

ただ、やたらめったらに嘘をつく人が身近にいたら、その嘘を指摘したりして反感を買ったりしないように、そっと距離を置くようにしたほうがいいかもしれませんね。

 

人格って色々あって、嘘つきも人格の1つだと思います。
良い嘘ってのはあるはずだと僕も思いますが、嘘を簡単につく人には気をつけたほうがいいでしょう。そして、そう言う人は一生治らないでしょうね。人格障害などを持っていないとしても。

僕は隠すってことも嘘の1つだと思ってて、隠すってことをするのも辛い感じがしてました。でも、隠す必要がある時っていうのも確実に存在してやむを得ないことだっても思うんです。
最近、隠す必要が無くなったことがあって、とても楽になった経験もしています。

どんな場合でも嘘っては不要なのかもしれませんね。正直に、誠実に。人を信用して生きていきたいものです。


後悔

2021年03月30日 | Life

後悔・・・しかないような人生でしたが、命に関わる後悔もあります。

少しネガティブになるので嫌いな方はここで離脱をお願いします。

 

 

母が病気になったのは青天の霹靂だった。
母の家系に癌がいなかったこと、母から話を聞いた時はすでに癌の事を何も知らないのに、少し触っただけでこれはヤバイっていう状態になっていたこと。

前にもここで書きましたが、母は手遅れでした。

でも、手術まで辿り着き、もしかして?と思わせるくらいに母は闘病を頑張り治療の成果がありました。いつもドラマなどを見ていて、

「私が癌になったら、延命とかしないでさ、ホスピスで楽に最後を迎えたい」

と言っていた母だったのですが、もし自分が今死んだら、父の介護が全て僕が背負うことになるからと闘病を頑張ってくれたのですね。

僕はどちらかというと、父に嫌われてます。嫌われてはいないとしても父は僕に関心がなかったです。子育てに飽きてしまっていたというのもあるんでしょうね。それに対して母は僕を愛していてくれましたし、兄達と比較してなんの才能もない努力もしない僕なのに、その未来を楽しみにしていてくれました。

自分で言うのも何ですが、怠惰だし、ひねくれてる部分もあるし、どうしようもない人間ではあるけど、人の気持ちがわかる人間、まともな人間に育ったのは母のおかげだと思っています。

 

なので、母には感謝しかないのですが、母が亡くなるまでの3年くらいかな、僕は母に対してずーっと呪詛の言葉を投げかけていたように思います。

 

母への呪詛ではなく、僕がどうにもならずにうじうじしていた時にその原因となったことについて毎日のように母に投げかけていたのですね。

誰に相談できることでもない、母にあれこれ言っていても本質は話せない、どうにも自分で処理できなかったあれこれ。

 

母は全部受け止めていてくれました。
毎日、毎日繰り返される僕のどうにもならない堕ちた感情から発せられる言葉の数々を。
そして、母が病気を告白する前の月には1ヶ月ほど前から誰とも話ができないくらいに落ち込んでしまって。

そこから何とか立ち直って母に人生を立ち直したいからと相談を持ちかけた時に母から病気の話を聞いたのです。

もし、その1ヶ月の僕のダメな時期がなかったら母はもっと早く病院に行って治療が開始できたかもしれない・・・まずこれが大きな要因としてあります。

そして、数年に渡る呪詛の数々・・・

 

後悔しても遅いです。
病気の多くは免疫に関わるもので、免疫はストレスに関わるもの。
僕は母に甘えて母を殺してしまったのかな〜って思うことがよくあるのです。

考えたところでしょうがない、元に戻らない、後悔せずに前に進むしかない・・・

いつもそんな風には考えています。

母の命日の数日前にして、どうにもならなくなり文章にしようと思いました。

ごめんね、お母さん・・・

 


ただただ行きたかっただけって言えない

2021年03月28日 | Life

長野オリンピックの映像を見てふと思い出したことがあって書き始めてます。

僕は勉強ができなくて、大学受験が苦しかったです。
根性がない、努力できない、怠惰である・・これらは認めます。

1浪の時にどうにも予備校に行くのが辛くなって、10月くらいにはもう行かなくなってた。
大学1つ、1学科だけ受験してあえなく不合格。2浪目に突入するも宅浪を選択し、時期を見て母に大学受験を諦めることを告げたのでした。ごめんってしっかり言えたかなあの時。

で、それから2年かな3年か忘れたけど、やりたいことが漠然としか見つからずに自暴自棄な生活を送ってしまいました。

自分はパソコンで何かやりたい・・・

当時は今ほどパソコンが普及してなかったように思います。
ある程度人並みよりちょっとパソコンを扱えていた僕は、そんな風に思っても何をしていいかわからなかったし、何をやりたいかわからなかったなー。

 

仕事に就く、何かやりたいことを見つけることができない僕にも1つだけ望みがあって。

 

それは一人暮らしをしたい、東京に行きたい・・・

 

これだけ。

環境がまるで遠かったからすぐに忘れ去ったけど、ほんの少しだけ演劇をやりたいなんて思った時期もあって(行動には何1つ移せなかったけど)、それを叶えるために東京に行きたいってのはあった。でも、単なる憧れとして、漠然と・・・東京に行けば変われるかな、環境が変われば何かできるかな。そんな風に思ってたんだよね。

でも、何ができるわけでもなく、何かしたいわけでもなくて、ただただ時間だけが過ぎていた感じ。

そんな様子を見てた母が、

 

「あなた、パソコンのこと何かやりたいんだったら、親戚に相談してみる?」

 

そんな話を持ち出した。

よくよく話を聞くと、父方の親戚が長野でローカル誌の出版会社を経営してるっていう話。母はパソコンのことも出版のことも何も知らないのだけど、親戚の会社の話を聞いた時にパソコンがどうのこうのってのを耳にしたらしい。それでパソコン、パソコン言ってる俺に話を持ちかけたわけだ。

いやー、かあちゃん、ドンピシャw

笑ってしまった。
パソコンとプリンターをなんとか手に入れ、Photoshopを手に入れ、ネットにつなぎ・・・だいたいこんな環境で、ぽちぽちパソコンをいじっていて僕が気になっていたのは、DTPってワード。

DTP・・・デスクトップパブリッシング

つまりは、パソコンで写真を加工して、テキスト書いて、それらを合わせて編集して本を作る、出版する。

そんな感じのこと。
Photoshopいじりが楽しかった僕は、絵を描くっていうことはしなかったけど(絵心問題でできなかった)、その辺の写真を落としてはなんとなくいじったりして、何かを作るわけでもなく、Photoshopの操作だけ覚えようと遊んでいたのです。

そういうことをやってて出会ったのがDTPって言葉。

 

「かあちゃん、そこに行ってみたい。そこで働くわけじゃないけどいいかな?」

 

と。
そんな感じで母と一緒に長野に。
親戚に会社を案内してもらい、仕事内容を一通り聞いて、どんな技術が必要か話をして。

でも、僕はこの会社で働くことはなかった。

自分がやっていることがお遊びもいいとこだったわかったのが大きかった。
家に戻って、もう一度何が必要か学び直したかったし。

 

ただ、この時に行った長野が考え方を少し変えた感じもした。

 

当時、オリンピック間近だった長野はそれを理由に盛り上がるでもなく淡々とはしてた。
でも、自分の地元よりずっと都会だったし、街の雰囲気ももちろん違う。もし、ここに住むようになったら何かしら変わるんじゃないかなー、一人暮らしして、今まで出会ってこなかった人を知っていったら面白いんじゃないかなーって感じたのね。

だったらやっぱり東京だ!

長野にここまで期待ができたのだから東京はもっともっと違うはず。

そんな風に感じたのでした。

家に戻り、当時の30万画素のカメラを書いDTPのことを調べ、色々やってみた。
一度は東京の出版会社のバイトの面接を受け、家を出ようとした。あっさり不合格になったけど、そのまま東京に住んでしまおうともした(家族、特に兄貴と従兄弟の甘い何を考えてるっていうものすごい反対にあい無理だったけど)。

DTPの環境を作り上げるにはソフトだけでも100万近くかかるし、練習をするにしても素材がないし、目的もない・・・なかなかに厳し日々が続いて、僕の悪い癖が出ました。

諦めるか・・・

これです。

 

それから半年くらいかなー。またしてもものすごく無駄な時間を過ごしていたんです。

でも、せっかく買ったんだからとデジカメはいじってたし、それを元にPhotoshopもいじってたの。Photoshopなんて解説本も何も見ないで完全に独学で。だからたいした成長はなかったw

ただ、あれもしかして?

これって、コンピューター、DTP、Photoshopを学ぶって考えがそもそも間違ってるんじゃないか?

加工を学ぶんじゃなくて、素材作りなんじゃないか・・・?

 

僕のヘンテコな部分です。長所なのかもですが、特に役に立ったことはないですw

 

つまりは、パソコンを学ぶのではなく、写真を学ぶべきなんじゃないか!!!

 

と、思い至ったのです。
ネットで専門学校を調べました。
たくさんはないけど、いくつかはあります。その中で過去にテレビで見たことがあって、印象的だった学校の資料を取り寄せました。
パラパラと見たり、じっくり見たり。とにかくその学校資料は当時の僕にとっては興味深くて溜まりませんでした。

「かあちゃん、ここに行ってもいいかな?」

うちの母ちゃんは厳しくはないです。でも現実的な部分も強いです。無理そうなものは簡単に受け入れないし、反対もしっかりします。でも、

「いいよ、行きな」

あっさりでした。
後々に聞いてみたのだけど、僕が単に無駄に時間を潰してるようには見えなかった様子でした。言葉は忘れましたが、

「あなたは何かやりたくてうずうずしてるように感じる。大学は違うってのもわかってた。東京に住もうとした時にそのまま住ませてやりたかったけどあの時は難しかった。何かやりたいなら挑戦してみなさい」

僕はポーカーフェイスではないけし、泣き虫だけど、こういうことはあまり表に出さないタイプなんですね。ひっそりと燃えるというか。でも、母は僕の気持ちの動きにやたらと敏感だったように思います。兄貴達に対してはそうでもないのに。
ある時は爪切り、耳かきをしてる僕をみて、

「ちょっと落ち着きなさい。あなたがそれをやってる時はイライラしてる時だよ」

って言われたこともあって、そんなに変な様子で耳かきや爪切りをしてたわけじゃないのに。でも、ある時、血が出るまでナチュラルに耳かきをしてる自分に気づいて、かーちゃんすげーなーって思ったのでした。

 

話は戻って、かあちゃんはお父さんには言っておくし、お金の心配もしないようにと僕に伝えた。

 

「ところで、その学校の出願っていつまで?」

 

ま、僕のダメなところのもう1つ。タイミングが悪い。
ちょうど5日前にその年の募集は終わっていたのでしたw
ただ、また1年家にいるとなるとまた腐ってしまいそうだったので、地盤を作っておけと両親に言われて東京ではなく神奈川ではあったけど、家を出て念願の1人暮らしができるようになったのでした。

 

写真には興味があったし、学校に入ってデジタル云々ではなく、どっぷりと芸術写真にハマったところからすると一概に単なる言い訳として選んだ学校とも言えないって思う。

でも、僕の第一の目的は家を出ること、東京で一人暮らしをすること(神奈川だったけど)。

親には少し申し訳なくもあったけど、感謝してもし切れないくらいにその時は感謝した。

 

うまくいかないこともたくさんあったけど、一人暮らしは楽しかったし、東京も自分にはあっていた思いの外。

 

一言で言えば、環境を変えることが自分には必要だったんだ。

長野で感じた開放感のような期待感、これは本物だったと思う。

 

写真学校も大変だった。
でも、諦めなかったし、へこたれなかった。自分は変わったって思た。

 

当時を思い出すと、いまだに心がワクワクします。
最近、とある人に、あなたは環境を変えたほうがいいかもしれないって言われて、目が覚めるような思いがありました。

 

もちろん、父の介護もあるし、年だけとって空っぽになってしまった今の僕が環境を変えることは難しいし、環境を変えても辛いだけで何も変わらないかもしれない。

 

でも、でも・・・もう少し、自分の人生見つめ直してみます。


何にもないところは去るだけで何も来ない

2021年03月27日 | Life

自分の人生を語るなんて情けなくて恥ずかしくて、とてもじゃないけど無理です。

でも、顔が見えない此処ならって思うし、これまで隠すことはあっても嘘や事実と全く異なることを書くことはせずにきた此処なので少しだけいいかなーっても思うのです。

 

僕の人生でキラキラとしていた時期は3年だけだったと思う。

1年は小学校6年生の時に地区のソフトボールをやってた頃。

2年は写真学校の時。

人付き合いが苦手だった僕は4年生から入れる地区のソフトボールチームに入れずにいた。運動神経も鈍かったしね。でも6年の時だけちょっとやってみようってなって、これが恐ろしく楽しかったんだよなー。Aチーム(地区優勝するようなチーム)に入ることできなかったが、Bチームで楽しませてもらった。試合ってなるとガチガチに緊張してミスばかりしたけどね。

写真学校はたくさん語ってるから(非公開にしてるけど)、母の言葉を借りて。

「あなたがね、専門学校に行ってる時、いつも楽しそうに話をしてたし目が輝いてたのがよくわかった。それが家に戻ってからは嫌な思いばかりさせてしまってごめんね」

写真学校は大変だったし、いつも産みの苦しみと作業に終われててんてこまいだったのであっという間に過ぎ去ってしまったし、余裕もなかった。だから自分でも楽しかったとは思っていても、母からこんな風に言われるのはびっくりでもあった。

 

親父が倒れて実家に戻ることになったのだけど、あれから18年。

あと数年経てば自分の人生の半分は親父に捧げたことになる。

 

うーん。

 

空いた時間に何もしてこなかった自分も悪いのだけど、わりと多彩だった自分、面白いアイディアがいくらでも出ていた自分ってのはもうすでにいなくて、残ったのは空っぽの自分だけっていう。

 

親父の今回の入院で親父の介護について改めて考えなければならない時がきたみたいなんです。

 

一緒に住んでる兄貴がほんの少し協力的にはなったものの、親父の介護は僕1人でやっている。
頼れる人はいなくて(兄貴が金銭的に少し助けてくれている)、ケアマネージャーさんや滅多に行かない美容室の美容師さんなんかが僕に優しくて愚痴を聞いてくれるくらい。


今回の親父の入院すでに1ヶ月半を過ぎていて、すぐに退院・転院(リハビリ専用病院)できる可能性もあるけど、まだまだ先になる可能性もある感じで、先が読めない。読めていることは、自宅に戻った親父の介護はこれまでより過酷になるってことだけ。24時間監視体制を取らないとならないし、食事や水分摂取の管理もこれまでより厳しくしなくちゃならないし、他にも色々あるんです。

そんなもんだから入院中に気が休まることがなく、ストレスは半端ないし、気がつけば先々のことを考えてどうにもならなくなったり、過去のことが走馬灯のように頭の中でフラッシュバックしまくったり。

で、昨日、ケアマネさんに親父の病状の事と、少し先のショートステイの予約について電話をしたのだけど、これが止めになった。
少し先にお出かけしたい用事ができたのですね。そういう時は親父をショートステイに預けることにしてるんだけど、施設の予約が取れない可能性が高いってなったんです。体調が芳しくなく、まだ先のことがわからない場合は施設で予約を受け付けてくれないそうで・・・そりゃそうですよね。こちらでも親父の退院は見通しがついてないのですから。

コロナ禍もあってもうまるまる2年もどこにも出かけてなくて、今年も難しいだろうな〜って思っている最中にふっと急浮上した楽しみですよ。多分、大丈夫っては思っていても、それすらぽしゃってしまうってなって、なんか途方に暮れてしまったんです、昨日の午後の話ですが。

 

お出かけができなくなるかもしれないって事はもちろんだけど、それ以上にこれから親父のことをどうすればいいかわからないし、自分がどんな風に生きていけばいいかもわからなくなったし、そうなってくるとこれまでの時間についても考えてしまって。

 

夜になって、父方の従姉妹の顔がふと思い浮かんだんです。

電話をしました。

従姉妹は医療従事者であり介護関係にも明るい人で具体的な相談にも乗ってくれたし、なんと言っても、

「あなたはこれまでずっと頑張ってきたでしょ?しっかりやってきたでしょ。仕事ができなかったものやむを得ないこと出し。堂々と兄貴達に相談しなさい。そしておじちゃん(俺の親父)のことを施設に入れる準備をしなさい。それが正しい行動だし、自分自身のことを考えたら最善でしょ。潰れちゃうよ」

と。

なんか、泣きそうになりました。つか泣きました。

これまで親父のあれこれが悪化したり、僕自身が介護について限界を感じてしまっても、身近にいる人は、

「しょうがないんだよ、頑張りなさい。」
「あれこれ考えずにやるしかないんだよ、頑張りなさい。」

こんなことしか言ってくれなかったし、何も手伝ってくれなかった。
なんか報われた感じがしたんだよね。

ほんの少し遠くに住んでるのでなかなか会えないし、連絡も取れないけど、すぐに現状を把握してくれて、過去の母から聞いた話、僕から聞いた話をしっかりと覚えてくれていて、状況を理解してアドバイスしてくれた上に僕を肯定してくれたことがありがたかったです。

 

親父を施設に入れる。

そんなに簡単なことじゃないです。入所条件はもちろん金銭的なこと。

そして何よりも気持ちの問題です。
従姉妹の言葉ですっとした思いはあっても、親父を施設に入所させてしまうって考えるとこれまた自分に大きくのしかかるものがあるように感じました。

親父は僕のことは好きではないんですよ実は。

嫌いでもないだろうけど、上の2人の兄貴と比較すると僕のことは好きではないというか興味がなかった。成長するに連れて、生意気になるし、兄貴達と違って優秀ではなかったのでますますその傾向は強くなっていったでしょう。面倒もかけたしね。
でも、僕は兄弟の中では一番親父のことを考えてる人間だったりもするんですね。チグハグなことに。

 

「もしお母さんとお父さんが離婚したら、あなたはお父さんについていくだろうね。お兄ちゃん達はわたしに着いてくるけど」

 

これはある時母が僕に言った言葉です。
間違い無いでしょうね。兄貴達は親父に着いていくっていう選択は絶対にしないし、僕は親父を選んだと思います。母のことが大好きでも。両親には本格的な離婚危機はなかったけど、親父のお酒のことで母がそんなことを考えていても不思議ではなかったし、そんなことを考えた時に僕に伝えた言葉なのでしょう。

 

そんな親父と僕の関係であっても、母が亡くなってからの6年はより濃いものになっていました。

たくさん喧嘩もしたし、嫌な思いもしましたし、辛いことも、体力的に大変なこともたくさんありました。
でも、昨年の9月に退院して、それから1、2ヶ月過ごして体調が落ち着いた頃には、これまでで一番良い関係も築くことができていました。

僕の人生を見事に潰してくれた親父に対する恨み、小さい時から兄貴達に対するような愛情を求めていたこと、この6年の関係の色々・・・

多少なりには親父に対する愛着も強くなっていたのでしょう。

 

施設に入れなければ僕が限界に達する、でも、親父を失うことも寂しい。

 

頭の中でぐるぐる回り回って訳がわからなくなりましたw

 

改めて言いますが、今の僕は空っぽです。何もありません。

親父の介護から解放されたらこんなことをやろう、これを行動に移そう、そんなことでありふれていました。でも月日は残酷で僕も歳をとりましたし、できることできないことで言えばできないことが増えたし、失ったこともたくさんあるし。

情けないことばかりであれですが、生きる自信が無いのですよ。

でも長生きしたいし死にたくはないし。

 

こんな状態の僕なので、親父を失った先のことが全く見えなくなりました。

 

人生がうまくいく人いってる人って、自信に溢れてるからどこにいてもキラキラしてるし、人も寄ってくるし、手に入れられるものも多くなると思います。

そうじゃないと、人は寄ってきません。去っていきます。何も無いから何もかも手に入れるのが難しくなります。

 

気がつけば40数年の人生のうち18年は泥沼の底にいて、キラキラしてたのたった3年だけ。

 

僕はそんな風になってしまっていました。
少し前に書いたエンディングノートの記事では「誰かに誇れる自分になりたい」と書きましたが、これは心の底からの希望です。こんな僕にでも優しくしてくれる人はいて、その人が優しくしたことを後悔しないようにはなりたいって思うのです。でも、それすら自信を無くしてしまうくらいに押し潰されそうです。

 

生きることは難しい。
人生イージーモードも強くてニューゲームもない。

これは真理だと思います。
じゃ、自分はハードモードだったかというとそれも違う。自分が怠惰だった部分、割り切れなかった部分、無能だった部分が今の空っぽの自分を作り出しているのは間違いないのですから。

 

親父を施設に入れる。自由になる。自由になった自分にできること・・・

 

少し考えなくちゃならないですね。ただ生きるだけでは満足できないし、でもできることも限られてきているのですから。

 

頑張ります。
頑張ります。
頑張ります。。。


庭仕事は蚊に刺されるから苦手だったのです。

2021年03月23日 | Life

春は曙・・・

季節ごとにここが良い、ここが嫌い、そんなのは人それぞれですよね。

僕は、
春は午前中が好きです。
夏は夜が好きです。
秋は夕方が好きです。
冬は朝が好きです。

先ほど、なんとなくさびしい気持ちになりました。

春の夕方、段々と太陽が沈む時間が遅くなっていって、ある意味ではどんどん冬の終わりと春の到来を感じる時間のような気もします。なのでワクワク感がありそうなものですが。

少し前からなんとなく感じてた春の夕方の寂しさ。

 

庭に少し出てみて答えがすぐにわかりました。

 

母との思い出ですね。

家の手伝いはまあまあしてたけど、庭仕事なんてのは年に1度手伝うかどうかでした。

でも、今の家を建てて芝生を敷いたり、その管理をしたり。

家ができてほんの数年の期間ですが、母と一緒にやっていた時期があったんですね。

 

愛犬をリードでつないで、晩御飯前のほんの少しの時間に雑草を抜いたり、小さな小さな家庭菜園を手入れしたり。
そんなことをしてると近所のおばさんたちがやってきて、母と話をし始める。犬は嬉しそうにあちらこちらにおしっこしてはウロウロ。

 

楽しかったんだよなー、この時間が。
家のトラブルで夢や希望を横浜に置いてきて、ずーっと良いことも楽しいこともない時間の中で、なんとなく心が軽くなるような楽しさがありました。

 

今は芝生は半分以下になり、家庭菜園は撤去され、庭仕事をするのはイヤイヤながら時間を見つけてやる程度。

 

環境ってのは変わってしまうもんなんですね。

 

菜園などは規模や方法を変えてまた作ればいいし、芝生だってまだまだちゃんとあります。

でも、母と愛犬はもう帰って来ないわけで。

 

昨日のブログのエンディングノートの話ではないですが、これから楽しいことを作っていかねばですね。自分のエンディングノート(=僕の生きた道)に、たくさんの楽しいこと、嬉しいこと、幸せなことが刻めますように。


2021年03月22日 | TwitLonger

恥の多い生涯を送って来ました。

 

・・・人間失格を読んで最初に浮かぶ感想ってどんなんだろう?

あー、自分のことにあてはまる。なんか共感できる、自分もこんな感じだよ。

 

僕は何気に人間失格を読んだことがないw

もうこれ自体が人間失格なんじゃないかとさえ思われますね。はい。
なんとなく、人間失格という言葉に引っ張られた感想を持っちゃうようにも感じます。名著所以の素晴らしさかな・・・なんて思ったりもします。太宰は天才ですしね。

で、ですよ。

僕は長年このブログをやってきて(長年休んでもいたしほとんどうが非公開ですが)、ほぼ全てをパソコンで書いています。もちろん昔はパソコンしか書く術がなかったわけですが、今はスマホのアプリなんかもあるわけです。

昨夜書いたブログはスマホで書いています。

普段と雰囲気が違うのは思いを込めたからってのもありますが、スマホで書いたことが大きいでしょう。感覚が違いますよ。だからなのか、

「心の音が聞こえたから今夜はおやすみなさい」

なんて自分らしからぬ「良き」なタイトル!

福山雅治さんの曲名を合わせただけなんですけどねw

 

でも、スマホで書く感覚の違いは大きいと思ったのでした。

 

そして本日も少し実験。

今日のブログのタイトルは「報」です。

 

いつも・・・というか7割は文章を書いた後にタイトルを決めています。昨夜はタイトルからでしたが。

今日はタイトルから決めています。じゃ、この「報」はどんな意味でしょうか。答えは最後に。

 

ここまでの流れに関係のない話ですが、エンディングノートを少しずつ書いていこうって思っています。

 

エンディングノートの構想は数年前からあります。
具体的にいうと母が亡くなった後の8月です。おばさんとの話の中で、自分が死んだ時に遺書ほど強くはないけどある程度の方針を示すことができるからいいと思うよっていう僕の提案ですね。おばさんはまだまだ元気ですが80を過ぎています。そして、家族のことで少し悩みを持っていました。そもそもおばさんのとこは仲良し家族なので必要ないと思うのですが、悩みが全くないわけもなく、どうやって角が立たないように家族にそれを知らせるかを考えていたわけです。

自分が死んだ時に伝われば十分。

この言葉ですね。角は立たないはずです。
エンディングノートを少しずつでいいから書いていくと良いはずですよね。伝えたかったけどなかなか伝えられないこと。良いことならほんのりと素敵じゃないですか。良くないことでも工夫をすれば優しく伝わるかもしれない。

死者の特権。

そんなものがあればいいのかなと。
もちろんおばさんにはそこまでは伝えなかったですが。

 

僕バージョンのエンディングノートはどんなだろう?

 

2年くらいずっと考えましたが、実務的なことばかり出てきます。

自分が親父より早く死んだ場合
保険などの支払いをどの口座にいくら入れればいいか。

自分が兄より早く死んだ場合
支払いのあれこれ(保険はほとんどない)

共通
車の処分について。
荷物(遺品)の処分について。
デジタル荷物の処分について(パスワードなど)。
友人への連絡について。
葬儀の仕方について。
兄が1人でやるための家事について。

ざっとあげるとこんな感じかな。


母は突然に意識がなくなり突然に亡くなった。
なので大切なものを大切にしてあげられなかったかもしれないって思いが強かったから、自分は・・・って思うのだけど、なんとなくその大切なものってのがなんなのか思いつかなかったかな。

棺に一緒に入れるものを、

「あいつはこれが好きだったから」

と、えらい勘違いなものを入れられるのは困るなーとか考えると少しおかしくもなってくるw

 

うん。

 

大切なもの、それはなんだろう。

思い浮かぶのは大切な友人、大切な人。

でも僕はそういった大切に関わる思い出の品がなかったりもする。

 

大切なものは、必要以上に覚えてる僕の頭の中の記憶なのかも

 

そんな風に思い始めると、エンディングノートに何を残すべきなのかぼんやりと浮かんでくる。

 

小学校の時に楽しかったこと悔しかったこと

少し大人になってやりたかったこと、好きだったこと、好きになった人

自分の道が見えてきて、本当にやりたかったこと、行きたかった場所、一緒にいたかった人

挫折をしてぼーっと生きていた頃に、悔しかったこと、嬉しかったこと、泣きたかったこと・・・

 

ほんの少しでもいいから本当の自分を知って欲しかったのかなーと、まだ元気にピンピンしてる自分を俯瞰して見始めることができた。

 

恥の多い人生だったぜ!

 

これじゃしっくりこないよねw

 

恥の多い生涯を送ってきました・・・

 

この出だしって本当にしっくりくるんですよ。自分の人生・・・いや、多くの人が人生を振り返るときに。

自分の人生を振り返るとき、やり残したことの多さ、後悔の多さ、人に知られたくないことの多さ・・・

でも、そういうのも知ってもらえたら浮かばれるのかなーっても思うんですね。

 

僕は明るい人間だと思いますよ。

だから少し自分の失敗ばかりの恥の多い人生を見てもらって、笑ってもらえたら嬉しいんじゃないかなと思うのです。

 

高校と大学の受験失敗。
その後の2、3年のダラダラ生活。

 

僕の後悔の多くはここに凝縮されてます。
怠惰だったんです、単純に。この時間に怠惰だったからその後どんなに頑張ってもうまくいかないんだってずーっと思っているわけですね。

でも、その後は人並み以上に努力しました。

でも、実を結びませんでした。

そしてまた怠惰な時間が流れ、後悔を蓄積させていきます。母が亡くなり、家の問題が全て自分の元に。

でも、自分の能力以上に頑張ったよ!

でも、必死になんとかしようとしてきたよ!諦めなかったよ!

 

でも、怠惰な時間があったからそれが大きくのしかかってくるんですよ。他人からも自分自身からもお前はダメだって言われるしかないのですな。

 

こう終わってしまったら、エンディングノートで笑ってもらえないよねw

 

エンデイングを迎えるまでに時間はたくさんあるんです。だからこそ書くエンディングノートなわけですね。

 

僕は怠惰な時間を取り戻すくらいには頑張ったって思います。家のこともそうじゃないところでも。だから、

 

報われたい

 

そんな風に思います。もっと自分らしく生きたいですね。

 

なので、エンディングノートで笑ってもらえるようにこれからのテーマは「報われる」「報われたい」です。

 

エンディングノートの面白いところは完結させるのが難しいってことかもですね。
元気なうちにある程度を書く。若いうちから書いていくと、テーマが変わってくる。テーマが変わってくると結末が変わってくる、結末が変わってくると、また新しいテーマが思い浮かぶ・・・その繰り返しになるかなーって思います。40代には40代の時に伝えたいことがあって、60代には60代の、80代には80代の。そして死ぬ間際には死ぬ間際の。

だから完結させることができない。

エンディングノートは前向きでもあるんですね。

 

もちろん、僕の場合ですがw


心の音が聞こえたから今夜はおやすみなさい

2021年03月22日 | TwitLonger
福山雅治さんの「心音」とても好きな曲です。

ドラマは見る事ができなかったのですが、ある時、アルバムで聞いて心にじんわりと響きました。
なんだろうあの感覚。なんとなく、元気のなかった時だったり、自分の気持ちに寄り添ってくれたり。

高校1年だったか、中3だったかは忘れてしまったけど、その頃からずーっと福山雅治さんが大好き。
でも、アルバムを全部買ったわけじゃないし、ライブにも行った事がない。今日やってた配信も見れなかったなー。

高校の時は学校に馴染めず体調壊し、予備校の時は途中で諦めちゃったけど友達作りを手伝ってくれたり、写真学校の時は表現に行き詰まった時にテンションを上げてくれたり、寄り添ってくれたり。

そのあと、自分の人生、ずーっと真っ暗で、離れてしまったり。

でも、時々聞こえてくるんですよ、ドラマの主題歌で、CMで。

俺、元気ないけど、福山さん頑張ってる!

なんてことを思ったり、聞きたくなくなったり。


昨年は僕の人生の中でも大変な時間でした。母の闘病や死というもの以上ではなかったけど、家族のトラブルってこんなに大変なんだって。
母の時はほぼ自分一人で手伝ったけど、何にもできなくて。でも、去年のは自分でなんとかしなくちゃならない部分がたくさんあってね。

やっと落ち着いた時に聞こえてきたのが、「心音」でした。


でも、どこか悲しい曲で。

この主人公の気持ちはどんななのかなーってずーっと考えて考えて。


ある時、気づいたんです。


いや、自分で作ったw


1997年リリースの福山さんの当時のヒット曲、「good night」です。僕が完全に福山さんにはまった曲。


あれ?


この曲の主人公が将来「心音」の主人公なんじゃないか?


と。


good nightの主人公ダメなやつなんですよw

必死に女の子の気を引こうとしてるけど、全然ダメ。で、やってることも全然ダメでさ。そんなんじゃふられるよーって。大人になってみないとわからなかったけどさw当時はこの主人公が大好きだったわけで。

で、23年たって大人になってのが心音の主人公!


と、解釈しました。

ダメダメなあいつ、すげー大人になった!

なんかそんな風に感じられて、福山さんを好きでよかったなーって。鬱っぽかったんだけど、元気でたんだよね。


ま、成長してもふられそうだけどねw


興味ある方は、心音とgoodnightの歌詞みてくださいね!おやすみー


主役には主役の苦労があるのだから、素直に主役を好きになろう

2021年03月10日 | Life

これ、今の時代だと挑戦的なタイトルになるのかも。

少し前の話ですが、スラムダンクの映画化が発表されました!

僕ら世代にとっても、少し上の世代にとっても、伝説を聞きながら育った世代にとっても嬉しいニュースでした。
ほんの少しですが不安もありながら、連載の後の話を描くのかな〜、それとも山王戦をしっかりと描くのか、はたまたオリジナル!!

日に日に期待が高まります。

 

そんな中、これまた1ヶ月以上前の話になるのですがとある俳優さんのラジオをたまたま運転中に耳にしたのです。

「発表されましたね、スラムダンクの映画!私、スラムダンク大好きなんですよ。花道も、ミッチーも、りょうちんも、ゴリもメガネくんも、流川も、仙道も!誰が一番好きかって言われるとすごく難しくて。なんていうのか、もうみんな主役じゃないですかー」

と。

この俳優さんは大好きなんだけど・・・

 

ちょっと待て!!!!

 

みんなが主役ってどういうことやねん!!!

 

主役は桜木花道ただ1人だ!!!

 

と、車の中で絶叫したのでした。
気持ちはすごいわかるのです。ミッチーが好きっていう人の気持ちもすげーわかるし、ゴリだってメガネくんだって良い。なんなら魚住やフクちゃんだって面白いし、やたら老けてる牧だって最高だし、最強を狙うのに飄々としてる仙道だって大好きだ。

でも、主役は桜木花道なんですよ。

 

主役って何故か人気投票で3位とか5位とかになったりするパターン多いですよね。

セーラームーンを見てても、いやー、俺はマーキュリー推しだよ、ビーナスが一番可愛いじゃん!なんて声を聞くし、最近のアニメでいうとリゼロなんか本来はヒロインのはずのエミリアよりもレムが圧倒的な人気を得てしまったりしてる。キン肉マンや男塾だって、ロビンマスクの方が好きーとか飛燕の方がカッケーよね!なんてこともあった。

世界的な視野で見るとディズニーなんかどうだろうか?

ミッキーマウスの人気は高くても、ドナルドダックがいいとかそんな風に言ってしまう人がたくさんいるんじゃなかろうか。

 

仮にミッキーが主役じゃなくて、プルートが主役だったらどうだろうか?

 

プルート僕も好きですよ。でも、ディズニーは今のディズニーにはなり得なかったんじゃなかろうか。
アニメとして確固たるポジションを得られるかもしれないけど、例えば、トムとジェリーくらいだったんではなかろうか。

 

じゃ、話を戻して、スラムダンクの主役がミッチーだったらどうだったろうか?

基本、ヤンキー漫画の要素があったので無理なく物語は進行したかもしれない。
でも、花道のような感動が次から次へとやってくるような物語にはならなかっただろうし、ミッチーの物語もつまらないものになった可能性だってある。桜木花道が主人公だからこそ、名作になり得たのであって、普通のヤンキー更生スポーツ漫画になってたのではなかろうか。

 

主役っていうのは何も漫画やアニメだけの話ではない。

アイドルグループにはリーダーなりセンターが存在するし、ドラマにも必ず主人公が存在する。バンドにだって主役がいて、大体の場合はボーカルがそれにあたるだろう。

 

みんな、主役を推すのはカッコ悪いとか思ってないかい?

 

主役はいろんな苦労を背負って、その物語をその物語たらしめているんだよ?

最初はなんだったろう?

サムライトルーパーかな。聖闘士星矢かな?

 

逆張りなんて言葉がない頃から、主役よりもセンターに立ってる人よりも横にいる人を応援する、好きになる、推すのがかっこいいなんて思ってないかい?

 

確かに、星矢よりも氷河がカッコよかった。瞬が可愛かったし、紫龍は自分で目を潰しすぎた。

 

気持ちはわかるけど、主役が必死になって頑張ってるからこそ成り立つものがあるのですよ・・・

 

あれかな、人気投票をやって主役を入れ替えるようなことで盛り上げていったアイドルグループなんかが出てきたから、多くなったのかな。

 

 

いろんな人に喧嘩を売ったわりには取り止めもない内容になってしまったけど、

 

主役を推せ!好きになれ!

どうしても他が好きになったら、せめて主役を悪くいうな、しっかりと主役がやってる仕事を見ろ!!

 

と、思うのでした。


親父の病気 後編

2021年03月07日 | Life

続きです。

親父の病気は「正常圧水頭症」というものらしい・・・

となったのが前回。
先生からの電話の後、腰から髄液を20ccほど抜いて様子を見るという検査が始まった・・・と思われます。
っていうのもこのコロナ禍のせいで全く会いに行けないからです。唯一許されているのが週に1度、病棟ごとに割り振られた曜日に着替えを持っていき、洗濯物を受け取れるってことだけ。様子は逐一報告してくれるのですが、なかなかコロナ禍以前のようにはいきませんね。

正常圧水頭症によって、足元がおぼつかなくなる、頭がぼんやりする(認知症の症状)、おしっこのトラブルなんかがあるのですが、尿閉はどうかは微妙なところではありますが、親父は現在の状態(要介護2、アルツハイマー型認知症)になる以前にもおしっこのトラブルがあったのです。正確な日付は忘れてしまったのですが、多分、8年前くらい。やはり尿閉症状で2ヶ月1回とか、3ヶ月に1回とか病院に行き導尿してもらうってのが続きました。これは2、3年くらい続いたでしょうか。その時も原因がわからず、いつの間にか治っていました。

正常圧水頭症という病気を詳しくはわかりませんが、もしかしたらその時にも同じようにこの病気になっていたのじゃないか?親父の認知症の引き金はアルコール依存症ではあったけど、ある時からより酷く認知症の症状が出て介護認定を受けるようになったわけで、そのある時っていうのが、この原因不明の尿閉が続いた時と被ってるんじゃないか?そして、原因不明だった尿閉が実はこの正常圧水頭症だったんじゃないか?

なんていう疑問が浮かび始めたわけです。

無知な素人なりに。

 

もしかして、親父、手術を受けることである程度認知症が改善されてしまうんじゃないか!!

 

と、ミラクルを信じるようになりました。

もしかしたら年齢的な問題で手術を受けるのが難しいかもしれない。
でも、親父のQOLを考えた時に、手術を受けずに頭がぼんやりとしたまま過ごす15年よりも、多少リスクを冒してでも手術を受けてこれまでより少しはっきりした頭で過ごす8年10年の方がずっと幸せなんじゃないだろうか?それに僕の介護も確実に楽になるわけで、親父の介護が終わった時のために勉強を始めたりなんだりできちゃうんじゃないだろうか??

 

ま、甘い考えだったんですけどねw

なるべくポジティブにいたかったので、詳しく病気のことを調べたりもせずに2週間くらい経過したところで、再び、先生から電話がかかってきました。

 

「結果からいうと、髄液を抜いての検査は全く変化を見られませんでした」

 

とのことでした。
親父は髄液を抜いても、歩行が改善されることも、その他動作や認知機能が改善されることも、尿閉が改善されることもなかったそうです。歩行などはやはりこれまでの経過の通りのままで、入院中にリハビリを実施したので入院時の悪い状態よりは改善していますとのことだし、尿閉に関しては前立腺の問題は多少あるようだけど、それが主原因だとしても他にも要因がある可能性もあって、1つの原因を取り除いただけではわからないことなどを説明を受けました。

尿閉の原因がわからないままな出し、出来うる検査はしているので、導尿カテーテルと尿が入るパックをつけたままの退院となるとのことでした。

 

・・・これまで親父の面倒を見ることについてはかなり苦労してきました。
そして去年の退院時には自分の睡眠時間を削りに削って面倒を見て、僕が睡眠障害に苦労するくらいになりました。親父は寝たきりではないので自分の判断であれこれしてしまうから、寝たきりを介護しているよりもある意味においては面倒を見るのがかなり大変です。

その親父がカテーテルをつけたまま帰ってくる!!

 

僕は大パニックとなりました。

すぐにケアマネさんに連絡して対応を協議。
親父の元々の主治医のところに行き、相談。

ま、そうですよ、やれることなんて限られていて、他にもそういう状態の方の面倒を見てる人はたくさんいますよと言われて仕舞えば、それはそうなのですが。

 

まだ正式決定ではないですが、とりあえずは、昨年の入院時と同じく、リハビリ専門病院への転院をすることにはなりました。2週間〜1ヶ月かな。もしかすると2ヶ月になるかもしれませんが。

 

親父のカテーテルはいつ取れるのか?→今のところわからない。症状が緩和するまで。

親父のカテーテルはどうやって交換するのか?→訪問看護を利用していただくことになります。

親父が勝手にカテーテルを抜いてしまったらどうするのか(前科あり)→訪問看護は24時間サービスです。ご連絡ください。

僕が夜通し親父の様子を見ることになるけど、これはどうする?→デイケアなどを利用し、日中寝てください。

 

対応策をざっくりと書くとこんな感じ。
医療保険、介護保険を使うことになっていくけど、お金はどのくらいかかるのだろう。いつまで続くのだろう・・・
正直、対応策を提示されても気が遠くなるような思いでした。

 

親の病気と介護、本当に難しい問題です。
親父の年金がちょい多いのと兄貴が2人いるっていう面で僕はまあまま恵まれてはいますが、それでも気が遠くなるほどに大変だし、ストレスやら疲労がじわじわと備蓄されていきます。正直、リハビリ病院への転院がなかったらパニックどこの騒ぎではありませんでした。

それでも親父の命に関わるような感じではなくてよかったなーって感じています。

自分のやるべきことをしっかりやって、なんとか乗り切ろうと思います。親は元気が一番ですよ。ほんと。


親父の病気 前編

2021年03月06日 | Life

先月、親父がまた入院しました。

ブログのネタもいくつかあったのですが、精神的に追い込まれてまして書こうと思っては断念、書こうと思っては断念・・・を繰り返してですね、またしてもこういうネタになってしまいました。

 

先月、1週間くらいのショートステイから帰宅した親父の様子が少し変でした。

ぼーっとしてるのと足元がいつもよりおぼつかない感じ。

「ねえ?なんとなくぼんやりしてる?」

と聞いてみると、

「うん、そうだな、なんかぼーっとするな」

と、自己認識あり。親父はアルツハイマー型認知症ではあるのだけど、自分でぼんやりを認識しているって言うのは珍しい。それでもその日は普通にご飯を食べて自室で休んでいた。少し前からお漏らしが多くなったなーとは思っていたのだけど、ちょくちょくトイレに行っては尿取りパッドを交換するってのを繰り返していた。半日で3、4枚程度使ったかな。

親父が帰宅する日は準備があれこれあるので、僕自身も少々疲れていた。でもすぐには眠れなくて、1時を過ぎてもうつらうつらする程度でそろそろ眠れるかなーってところで友人からLINEが入った。時間は1時半くらいだったかなー。そこから1時間程度やりとりをして、トイレを済ませて眠ろうとしたのだけど、何か物音がしたわけでもなんでもないのに、なんか変な胸騒ぎがして親父が使っている1階のトイレに行ってみた。

そしたら親父がトイレに行ってる様子だったので、声をかけてみた。

 

僕:「大丈夫?」

父:「うん。でも、ちょっと動けない」

僕:「ん?どういうこと?」

父:「トイレで転んでしまって起き上がれなくなった」

僕:「え!鍵は開けられる?」

父:「なんとかやってみる」

 

たまたま鍵に手が届く場所だったのかガチャっと音がして鍵が開いた。
トイレやお風呂の鍵はドライバーなりなんなりで外からも開けることができるのだけどね。

ドアを開けてみると便器の横で倒れてる親父がいた。

 

僕:「大丈夫かい?どこか痛いとこはない?」


と、親父を起こしてからあちらこちらを触って確認して聞いてみた。

 

父:「うん、痛くはない。ありがとう。」

僕:「トイレはどうする?もう済んだの?」

 

と聞きながらふと親父が倒れていた床をみたら、直径でいうと3センチ程度のおしっこたまりがあった。量はそんなに多くなくてせいぜい大さじ2杯弱くらいだろうか。

 

僕:「どうしたの?漏れちゃった?」

父:「転んだ拍子に。うーん、おしっこはもう出ないな。したいのだけど」

僕:「したくなったらまた行けばいいよ。もう寝ないと。着替えは大丈夫?」

 

親父の服や下着は汚れてなかったけど、尿取りパッドがいくらか黄ばんでいたので寝室に戻って交換して横にさせた。

兄貴も僕も2階に寝てるし、ほとんどの場合で3時頃は完全に熟睡しているのでもし友人からLINEがきてなかったら親父は朝誰かが起きるまで(僕が起きる5時まで)、トイレでずーっと倒れたままになってたかと思うとゾッとした。そんなに寒い日ではなかったのだけど、2、3時間身動きが取れないっていうのは精神的に参ってしまうだろうし、82歳の親父にとっては身体的にも堪えることだろう。ほんと、偶然に助かったという感じ。自分が完全に入眠せずにうつらうつらしていたこと、友人がタイミングよくLINEをくれたこと。友人にも神様にも感謝したいところ。

 

で、翌日。

7時過ぎくらいに親父の様子を見に行くと、着替えをしていた。

 

僕:「大丈夫?どこか痛くない?」

父:「大丈夫。」

僕:「よかった。じゃ、ご飯用意するから起きてきてね」

 

トイレ、着替え、洗面に1時間くらいかかる親父。その日はすでにトイレを済ませていたのか、比較的早く起きてきた。リビングに入る時にまたなんとなく胸騒ぎがして、もう一度確認した。

 

僕:「大丈夫かい?どこか調子悪くない?」

父:「実はお腹が痛い。ものすごく痛いのではなく、じわーっとだけど」

 

前日からの様子の変化、夜中の転倒もあり、かなり不安になったのですぐに診察券を出しに病院に行った(っていうのもクリニックの近所の人が7時くらいから診察券を出して予約しちゃうのですよw)。順番は12番目だったので、家に戻り親父にゆっくりと準備をさせた。

 

僕:「尿検査があると思うんだけどトイレはどうする?」

父:「行かなくていいかな。実は行っても出ないんだ。あと痔が痛くて・・・」

 

思ってた以上に大事かも。痔に関しては親父は酒飲みだったせいもあって40年来の付き合いのはず。痔ではない僕にはよくわからないのだけど、普段は自分で「戻す」らしい。それが今日は戻らないらしくて痛いと。

病院に着いて尿検査を促されたのでとりあえず連れて行ってズボンやら下着やらを脱ぐのを手伝っていると、親父のちんこから尿がチタチタと漏れていた。そのまま便座に座らせたら、ずーっとチタチタ出ているからかほんの少しだけ尿が取れたところで、

 

父:「でない」

 

と。でも、着替えを手伝っているとやはりチタチタと漏れるのでとりあえず尿取りパッドだけ交換した(3枚ほどいつも持ってきている。他にリハビリパンツ2枚と下着を上下1組、スラックスとポロシャツを1枚ずつ。

そのまま血液検査をし診察になった。

主治医に状態を全て伝えると、去年入院した時のように血液に炎症反応が出てる。もしかすると再発したのかなーってことで、そのまま去年入院した総合病院に紹介をしてもらい行くことに。タイミングよく土曜日だったのだけど主治医がいたのだ。

 

病院に着いて待ち時間が少しあった。でも30分ちょいくらいかな。
その間に、おしっこに行きたいと訴えること2回、大きい方をしたいと訴えること2回あった。最初のおしっこの時に尿取りパッドに大便が少し着いていた。尿取りパッドを交換する。おしっこは出なかったけど、やはりチタチタ漏れている。2回目のおしっこの時もおしっこはでず。でも尿取りパッドが尿で汚れていたので交換する。親父のおしっこの出かたを例えるなら、パッキンが壊れて水漏れしてる蛇口のような感じ。チタチタ、タラタラとちょっとずつ漏れる。なんだろうなこれと、不思議な感じがした。
で、2回目のおしっこから戻ってしばらくすると、

 

父:「トイレに行きたい」

僕:「え、また!」

父:「今度はうんちだよ」

僕:「もうすぐ診察で呼ばれるけど我慢できないよね?じゃ、行こう」

父:「もう出てしまった」

 

急いでトイレに向かったら少量ではあるものの大便が漏れていた。
親父をトイレに残したまま病院の売店に尿取りパッドを買いに行く。普段は尿取りパッドも替えは1枚しか持って行ってないのだけど、今日はプラス2枚の3枚あったのに使い切ってしまったのだ。
親父の用足しが終わったのだけど、痔が「出ている」状態なのでお尻を拭くのが辛いというのでウォシュレットを使わせてみた。なんとか綺麗にできたようなので、着替えを手伝う時に肛門が目に入り、なるほど、「出っぱなし」「戻らない」っていう痔はこういうことなんだと理解。ま、痛そうだよねw

しばらくして診察が始まる。親父が診てもらうのは総合診療科。なのでくどいくらいにあれこれ問診をしながら確認をしていき、触診、CTなどの画像診察をする流れ。CTを撮る前に、

「うーん・・・状態から判断すると、水頭症かパーキンソン病だとしっくりくるかなー。説明がつくというか。とりあえず、去年病気したお腹のところと、頭のCTを撮ってみましょうね」

僕は親父がCTなどを撮る間(他にレントゲンも撮ったらしい)、土曜日の午後になっていたので救急外来の待合室で長々と待たせられた。思えばこの場所は去年の4月に兄貴が救急車で運ばれて、検査が終わるのを待っていた場所。兄貴はその後他の病院に再度緊急搬送されて緊急手術となったのだけど。1年もしないうちにまたここにいるんだな〜と、高齢の家族を見る大変さを思い知らされる気分だった。ま、去年は兄貴だったわけだけどw

1時間から2時間近くまったところで、処置室に呼ばれた。
親父は導尿カテーテルを入れられて、導尿されていた。その時点でパックに溜まった尿の量は1200cc。そりゃお腹も痛くなりますよ。チタチタと尿が漏れますよ・・・

とにかく現状では病名もわからないのでってことで検査入院となった。
このコロナ禍、入院してしまうと会うことはできなくなる。あのお漏らししまくりで、足元がおぼつかない親父を目の当たりにして、実は僕は気が遠くなっていた。あー、この状態の親父の面倒を見るのかーと。

これまでもお漏らしはいくらでもあった。
なんなら数年前に10日間で親父の洗濯だけで10回以上、ダメにした下着の枚数8枚以上って時もあったくらいで。

今回は様子が違ったのは、尿だけではなく便の方も数回に渡って漏らしたこと、痔の様子がよろしくないってこと、夜中にトイレで転んだってこと。

おしっこはなんとかリハビリパンツと尿取りパッドで抑えることができる。
大便も1日に2回くらいまでなら対応できる準備は整っている。

でも、大便を日に3度、4度と漏らされると下着などの衣類や寝具などが追いつかなくなる可能性がでかい。何よりも僕の精神が保てなくなる・・・そんな風に感じたのです。去年、退院してから3週間近く、夜中に親父がトイレなどで起きる度に僕も起きて面倒を見てたのですが、親父は3週間くらいで元に戻っていったから良いけど、僕は昨年末まで1、2時間で目が覚めてしまう、夜間頻尿・・・などに悩まされ続けたわけです。ようやく普通に睡眠できるようになって(と言っても2時間くらいで目が覚めるのは治っておらず)、1、2ヶ月でまたあの生活に戻るのかって思うと気が遠くなって倒れそうになるわけです。

なので検査入院で病名もまだわからず不安があったものの、親父が入院となってホッとしたというのが本音です。

 

親父が入院して1週間くらいしたところで主治医から電話が。

 

「お父様の病名は多分、正常圧水頭症でしょう」

 

とのことだった。この病気は脳の髄液がうまく処理できなくなって、多くなってしまい脳を圧迫することによって、足腰がふらつく、ぼんやりする、尿が出なくなるなどの症状が出るということで、親父の症状に完璧に合致していた。ネットで調べると、「手術で治る唯一の認知症」なんて見出しがあるくらいで、髄液を胃に流すような処理をするための手術をすることで解決する病気とのことだった。ただ、親父は高齢なので手術に耐えれるかどうかわからないことから、手術するかどうかはとりあえず置いといて、この正常圧水頭症の検査をしていくということだった。

検査の方法は脊椎から髄液を20ccほど抜いて脳圧を緩和して、現在出ている症状がよくなるかどうかを見るってことだった。

その検査をやることになったので、親父の入院はそこから少なくとも2週間くらいは伸びて、手術となった場合は一度退院して日程を決めたのちに再度入院して手術となるスケジュールになるとのこと。

 

・・・ちょっと長くなったので続きは後編か中編で。

 

この正常圧水頭症と診断されたことで、ミラクルというかがっかりというか、そういうことが起こる可能性が出てきた話から、今日決まったあれこれの話までですね。

長々とありがとうございました。次回もよろしくです。