@PAYASO

少しだけ更新再開してます(愚痴オンリー)

写真偶像

2022年06月22日 | Life

体調の悪さがヤバめなので先週くらいから作業量を減らしてます。
作業といってもなんの成果も出てないものなのですが、諦めたくないというか、1つくらいはやり遂げたいというか、ちょっと意固地になってる部分もありながら、頑張ってます。

空いた時間はアニメを見たり、少しだけ料理をしたり。

で、今日はちょっとだけ昔やってた写真の事を思い出したので通っていた学校の現在を調べてみました。

古い学校だったのですが、ちょうど僕が卒業する頃に改革があったりして、がらっと様相が変わったような変わらなかったような。在学当時から昔ながらのやり方に賛否があったりもしたのですが、僕的には愚直なまでに一貫してた「モノ」が心地よくもあり、厳しくもあり、あのままでいてほしいな~みたいな。

似たような話で通信制の大学でも、当時からレポートはネット提出がメインストリームになりつつあったのに、ボールペンで手書きでした、僕の大学は。レポート作成はパソコンでやって、手書きで清書する・・・なんとも無駄な過程なのですが、それにも意味があるなーって。卒業してからは手書きで文書作成なんてこはしなくなったので、その分、文書理解能力が落ちていったようにも思いますし。

話は戻して、専門学校の話です。

僕がお世話になった先生の1人は僕が在学中に他界されました。
今思うと、僕自身にとってもとても大きな出来事だったのですが、当時は必死だったので先生の他界をいつまでも引きずるわけにはいかない!!とばかりに考えないようにしていたと思います。でも、意気地無しの僕が卒業まで頑張れたのはこの先生のおかげだったと思っています。

正直、学校に入学して1週間もしないうちに、付いて行けない・・・辞めるようになるかなって思っていたのですね。

実習や試験などパスしなければならないものはたくさんありましたが、そこまで厳しくはありませんでした。

しかし、甘くもなくて、自分が思い描いたボーダーラインを超えて提出物を作成する、レポートを作成するっていうのはとても大変だったと思います。つまりはその学生次第なんですよね。適当に済ませようと思えば適当に済ませることもできる、どこまでも妥協を許さずに高めようと思うとどこまでも高められる。

自分が許せなくなるんですよ、そこそこで満足して提出してしまうと

そんな学校だったので途中リタイアする人もたくさんいました。
実力はあっても学校や先生の方針に従えなくてって人もいたし、途中で写真関連の就職が決まって辞めていく人もいたし、卒業3か月前に先生に強くダメ出しされて辞めた人もいました。

僕が1週間で辞めてしまっても全然おかしくない、普通のことだったかもしれません。
ま、実際、入学からしばらく仲良くしていた人が3,4人いたのですがその人たちは全員卒業前に辞めました。その後仲良くなった人達は卒業まで一緒に切磋琢磨しましたが。

亡くなった先生は、僕と同じ最寄り駅だったからか、出身が同じだったからかはわからないのですが、少しだけ僕を気にかけてくれてたように思います。

僕は写真が下手くそでした。
卒業までずっと下手くそだったと思います。多少、現像とプリントには自信がありましたが「写真」っていうものを卒業からしばらくして、写真をほぼ辞めてた頃にようやく理解したみたいな感じだったので、必死なだけで下手くそでした。

「昨日の夜さ、君の事を駅前で見かけたんだよ~。なんか下を向いて歩いてるから声をかけようかと思ったんだけど、今日の授業のためのプリントをこれからするんだろうなって思って声をかけるのやめたんだ」

とある授業の時に先生に言われた言葉です。
いやいや、声かけてくれよ~、迷ってんだから・・・これが僕が思った気持ちです。

当時、クラスで同じテーマで写真を撮ってました。テーマというほどではないのですが、生涯これを作品として高めていく人もいるので、テーマといえばテーマなのでしょう。トレーニングや同級生・先生と共通言語としての写真を持つためにはとても優れているトレーニングだったと思います。
写真をずっとやってた人も、専門学校に入ってから本格的に始めた人も、ほぼ同列に先生は見てくれたし、最初の1ヵ月程度では良し悪しも学生レベルじゃなかなかわからない。でも、写真を撮って、どれがいいか選んで、プリントして学校に持っていく・・・これを繰り返すんです。

「君はわかっててやってるんだよね、水増しって感じもするけど、この量の写真をちゃんと整えて最初にもってくるのは大変だったでしょう」

これがクラスで初めて写真を先生に見てもらった時の先生の言葉でした。
最初の授業では自己紹介と週末の浅草での撮影実習の説明と先生の作家としての来歴を聞くみたいな授業。その週末には浅草寺に集合して、とにかく10本フィルムを使う(20だったかな~)ことを目標にスナップショットを自由に撮ってみてと。
そして週明けの最初の授業でこの時の写真を、フィルム現像して印画紙に焼いて、台紙に貼って先生に見てもらう。現像もプリントも実習を1度経験した程度だったので、なかなかに大変だったんです。

10枚程度しか写真を持ってこなかった生徒もいたのに対して、僕は30枚程もっていきました。たぶん、クラスで一番多いくらいだったでしょう。

先生は水増しと言ったのだけど、実は全然そんなことなくて、どの写真がいいのかさっぱりわからなくて選びきれなかったってのが事実なのです、情けないことに。

「この構図は不思議だね~。あー、これはもったいなかったね。撮影場所が暗いところだったでしょ?これ、写ってるのはとてもいいのだけど、露出がダメだから写真ができてない。」

先生の講評はこんな感じだったと思います。

その浅草での演習と写真講評の後に、さきほど少し説明したトレーニング的なテーマを与えられて(これを言っちゃうとどこの学校のどの世代か即バレしそうなので伏せ時ますw)、平日、週末に関係なく撮影し、現像、プリント、台紙貼り、先生に見てもらうってのを繰り返しました。3か月間、何度も。

僕は最初の方に先生にハナマルをもらったんです。
先生は良い写真には〇、◎、そしてハナマルをくれました。さりげな~くくれるので、最初はぴんとこないのですが何気にレアだったんです、ハナマル。そしてその日の良かった写真を授業の終わりに全員に見せる。その日は僕の写真が選ばれたし、その後も何度も選ばれました。

ただ、駅前で先生が声をかけようか迷ったって時期は、完全に何をどうやって撮ればいいのかわからない状態だったのですねw下手くそなくせに生意気にもスランプに陥っていたのです。

「かっし~くん、スランプだぁ~」

って、同期の仲の良かったかわいい子に指摘されて気付いたのでした。
ハナマルをもらった後に、その写真しか見えなくなってしまったんです。こういう写真を撮るにはどうすればいいんだろう、同じものは撮れないよな・・・?、じゃ、違う感じで同レベルの写真ってどんな写真なんだろう?

他の学生よりも写真を持っていく量が多かった僕だったのですが、スランプになったらさらに多くなっていました。

「いいの上がってこないね~。でも、君はわかってるんだよね」

そんな風に先生には言われました。
僕は自分が下手くそであるってことを思い出し、あれこれ工夫して狙って撮ろうとしてもうまくいかないだろう。とにかく、撮って撮って撮りまくって、そのあとに必死に選んでみよう・・・そんなスタンスに切り替えました。
後に同級生にベタ焼き(コンタクトプリント、インデックスみたいなものだね)を見せたら、

「君が撮っとるのは、俺にはよーわからん。変な感じがする」

って言われたのでした。
それもそのはず、狙ってないのですから。特にその同級生はしっかりイメージを作って狙って撮るタイプの写真の上手い人だったので、僕のベタを見てもそうなると思われますw

そして、またハナマルを何度ももらえるくらいに成果がでてきました。
僕的にはまだまだ良し悪しがよくわかってなかったのですが、先生にはほめてもらいました。

「君はわかってやってるから」

いつも笑顔で先生にはそういわれました。
面白い学校で、生徒のやる気というか本気度みたいなのが自然とできあがっていくみたいな、そんな授業の進め方でしたね。
最初は学生が一斉に壁に写真を張り付けて、それを順番に先生に見てもらう方式だったのですが、途中からテーブルの上に個々に並べて見てもらう方式に変更されました。先生に見てもらった人から帰ってもいいよとなっていたのですが、用事があるから、家が遠いからと帰る人はいましたが、ほとんどの学生が最後まで残って他の学生の写真を見て、先生の言葉を聞いていました。
これが長いんですよ。夜間の学校ではあったのですが18時から始まって、終電ギリギリまで終わらないなんてのはざらです。だから最初は学生全員のを写真を食い入るように見ているのですが、徐々に、この人のは見るけど、この人のは見る必要はない・・・みたいな空気が出来上がっていき、面白い写真を撮る人、先生がほめる頻度が高い人の写真の時はテーブルを囲むように学生が大勢集まるのですが、そうじゃない人にはパラパラとしか集まらないみたいな。ちょっと残酷ですよね (^^;)

僕の時はまあまあ人が多く集まってくれていたと思います。本当にありがたいことに。

恥ずかしがりやなので、みんな見ないでーっと毎回なっていたのですが、嬉しいことだと理解して、ほんとうに同期の皆さんには感謝してました。そして僕的にはつまらない写真は無いっていう思いもあったので、学生全員の写真を必ずテーブルの近くで最後まで見ていました。

「後期はどんな写真を撮るの?」

夏休み前の最後の授業は先生との面談でした。
先生は僕にこう尋ねました。ま、みんなにそうだったのだと思いますが。

「僕はこのまま同じ写真を続けようと思っています。秋や冬になれば景色も人が着ている服も変わるだろうし、何より天候による撮影条件も変わりますから。あと、まだこの写真をわかってないので」

普段なら自分を守るために何重にも武装したりするんです、面談とかでは、僕は。弱い人間だし、何をやってても自信がないので。でも、先生には全部見透かされると思って全て正直に話しました。
最後の授業の前にあった他のクラスとの合同の合評会でも、他の先生に散々に言われたし、上に書いた同級生と同じように変だって言われたし。そういうことを先生に全部言いました。

「君はわかってるんだよ。この写真を続けるべきってこともわかってるし、隣のクラスの先生に言われたこともわかってる。だから大丈夫。後期も頑張りなさい」

こんな言葉だったと思う。
優しい先生だったけど、写真に関しては厳しかったし、写真に対して真面目になりきれてない学生を怒るときはとても怖かった。でも、先生はいつも僕には優しかったんだよね、不思議と。僕が弱虫だから心が折れないように優しくしてくれたのかなって、いまだに思ってはいるけど・・・まだ、わからないかな、先生の真意は。

その後、面談が終わった僕はなんとなーく名残惜しくて、学校のホールでぼけーっとパンフレットとかを見てた。そしたら、全員の面談が終わった先生が降りてきて、

「お、いたいた!よし、君も行くよ!!」

そう言って、最後まで残っていた学生数人と飲みに行った。二次会までいったのかな。ずーっとニコニコと笑って楽しそうにしてる先生を囲んで、本当に、本当に楽しい飲み会だった。

でも、これが僕が生前の先生を見た最後だった。

先生は夏休み期間に海外取材に行っていて、その途中で倒れた。
そのまま入院し、1度は退院するものの、翌年の3月に他界したのだった。学生の中には入院中の先生のお見舞いに行った人たちもいたのだけど、僕はなぜか行かなかった。先生にあれこれ質問をしたい、今やってる写真は正しいのかどうか聞きたいって思いもあったのだけど、自分でなんとかしなくちゃっても思ったし、なんとなく顔を合わせずらいってのもあった。そしたらあっという間に・・・

その後、2年になって、少しだけ写真がわかったけど、まだまだわからなくて。
でも、卒業まで必死に頑張ったし、まだまだだとは思ったけど、自分なりによくできたと思える写真も少し撮れた。学校の賞にはかすりもしなかったけど、卒展はそれなりの満足感があったし、ここまで辿り着けたことが何よりもうれしかった。

なにせ、1週間でついて行けないって思ってやめようとしてたのだからね。

そのあと、学校内のクーデターに軽く巻き込まれ、大学院的なのに進学していたのだけど3か月もしないうちに辞めた。

「退学届けなんてださないで、気が向いたときに来きてもいいのに」

と先生には言われたけど、しっかりと区切りをつけたいと思った。
写真をやめようって思って(どうせ下手くそだったし)、撮影をやめたけど、なんとなーく心残りが。
自分に足りないものはなんだったんだろうって考える日々を過ごした。

そんな時に友人が自殺をほのめかすようなブログを更新。
気になってメールしてみて、たわいもない会話をメールで交わした。次の友人のブログには「助けてもらった感じがする」と。それは僕の事ではないと思うのだけど、こういう時に助ける術ってなんだろうって考えて、臨床心理士を目指すために通信制大学にいくことに。

やめようって思ってた写真だったけど、心理学を勉強することで自分の中になにかしら一本の芯を作ったら、また写真ができるかもしれないし、何よりこれまでわからなかったことがわかるようになってくるかもって思ったのです。

でも、うまくいかなかった。
実家に戻ることになり、写真ができる環境が失われていったし、試してみても地元は好き過ぎてよい写真が全然撮れなかったり。そもそも、実家に戻って親の面倒を見て、大学の方もなんとか元に戻してっていうまでに時間がかかりすぎてた。ただでさえ下手くそだったのに、もっと下手くそになっててね。他にもたくさん理由があるけど、僕から写真ってものが失われてしまってた。

「君はわかってるから」

何度も何度も先生にかけてもらった言葉。
今でもたまに、

「先生、僕は全然わかってないよ。何もわからないよ、先生教えてよ!」

そんな言葉が思い浮かんできます。
たった三か月しか先生には教えてもらえなかったけど、人生で一番の恩師です。
1週間で辞めようと思ってた僕を励ましてくれたし、この先生にずっとついて行きたいって思ったし。でも、なんで先生死んじゃうかな~。あれからずいぶんたったけど、写真やめちゃったけど、また迷子になったし、全て辞めてしまいたくなってるよ。また励ましてよ、ハナマルをつけてよ・・・

でも、学校の事を久しぶりに調べて知ったことで、同級生というか友人だった彼がまだ頑張ってるってこと。

あれから展覧会の数ではなく、展覧会のタイトル・・・つまりは作品数でいうと15回。大きな賞を受賞してないけど、受賞歴もしっかりある。っていうか、当時と変わらず続けていることが嬉しかった。連絡を取って話をしたいっても思ったけど、僕のことなんか忘れてるだろうし、相変わらず情けない僕の姿を見せたくないし。でも、本当にうれしかったな~。ちゃんと写真を変わらず続けて、しっかりと個展を開いている君の姿は最高ですよ。

 

これからの人生、何ができるかわからないけど、あの時志したようなことを1つは成し遂げたい。写真では無理でも、当時の思いを1つは叶えたい・・・そんな風に思ったのでした。ずいぶんと心も体も年取ってしまったけどね。

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