Poncoの ぴろ~・ぶっく 

枕元においたノートに
日々の生活で感じたことを
好き勝手に綴りたい・・・・。

天然素材

2011年04月04日 | Weblog
昨日、アルパカをみにいくのに
狐の襟巻きはしていくものじゃないなあ・・。
と、反省。
動物が好きなのか?
残虐なのか?矛盾している。
 
 
私は、「素材」がなにであるか?
に 興味がある。
毛皮は、確かに暖かい。
だからといって、毛皮のために
動物を殺すというのには
反対で、だったら、しなければいいじゃないか、
と、グリーンピースに怒られそうな矛盾をもっている。
自分では、毛皮のコートを買いたいという発想はなく
昔、フェイクのファーコートを買ったくらい。
 
それで、たまたま、私のところにやってきた
動物系の自然素材は、とにかく「貴重品」であるから
大事に愛用したい、というのが
私の今のポリシーである。
 
一番、愛用しているのが、狐の襟巻きで
次が、たい吉の毛(?)
この冬は、たい吉の毛の温かさが有り難かった。
娘は、ラクダの毛のハーフコートを愛用しているが
それは、もともとの持ち主が誰だったか?
わからないくらい昔にうちの実家にやってきて
今、彼女は、着たおしているから
裏地にやぶけたりして、普通なら、捨てても
おかしくないくらいであるが
軽くて暖かいので、手放せないらしい。
 
ちょっと、申し訳ない、とおもっているのが
ラッコの襟巻きで、今は、ワシントン条約があるから
とても、手にはいらないだろう。
あんなに可愛いラッコなのに
襟にまくなんて・・・。と、思うのだが、
襟巻きになったラッコは、本当に柔らかく、肌触りがいい。
これも、誰かが、オーダーで持ち込んだものだと思う。
そして、一番の極め付きが、アザラシの帽子。
これは、亡き父が、妹夫婦が、アンカレッジによると
きいたとき「おい、アザラシの帽子があればかってきてくれ」と
冗談とも本気とも、わからないことをいったのだが
アラスカのアンカレッジには、あったので、妹たちは
買ってきた。
ご満悦の父は、そのロシア人がかぶっていそうなアザラシの
帽子をかぶり、サングラスをして、ダブルのコートをきて
妹たちと和歌山の田舎のほうに遊びにいったそうだ。
すると、人々に、遠巻きに「外人だ、外人だ、ソ連の人ちゃう?」と
騒がれたという。
 
もう、20年くらい前の話である。
父は、洋服屋であったから、背広やネクタイは、普通人より
派手であった。
 
私も、父の写真を飾っていて
「洋服屋なの」といったら
「ああ、よかった、かたぎじゃないのかとおもいましたよ」と
いわれて笑ったことがある。
 
アザラシの帽子は、そういう父のいちびり(ふざける)
というか、ユーモアの象徴であったが、私自身はみたことがなかった。
12月の父の七回忌法要のあと、古いたんすの中からでてきた
アザラシの帽子をはじめてみた。
 
なるほど、フカフカで、柔らかく、暖かそうだ。
しかし、サイズが小さい。
その場にいた、私、娘、妹夫婦の誰も
きつくて、かぶっているのが大変そうだった。
父の頭は小さかったのだろう。
しかも、はげ頭だから、これをかぶると
暖かく、極楽であったことだろう。
 
アザラシの帽子は、、また、たんすの中へしまわれた。
 
ラッコのほうは、今は私の手元にある。
娘は日常的に使うのが、どうももったいなくて
着物とともに、お蔵入りである。
 
こうやって、私の手元にやってきた動物系のものは
大切に使いたいと思う。
これもまた、命を「いただきます」といって
もっていたいと思う。
 
化学繊維で軽くて暖かいものが多い昨今。
私も、そういうものに囲まれた冬だった。
 
夏は、麻が、着たくてたまらなくなる。
植物性は、気が楽だ。
 
人間は、傲慢にも、ほかの生き物を
利用して、生きてきた。
だから、粗末にしてはならない、とおもうのである。