Poncoの ぴろ~・ぶっく 

枕元においたノートに
日々の生活で感じたことを
好き勝手に綴りたい・・・・。

鎌倉の大銀杏

2010年03月10日 | Weblog
昨日から、荒れたお天気で
我が家では、外においてある自転車が
倒れたりした。

ニュースをみてびっくりした。
鎌倉鶴岡八幡宮のあの大銀杏が
倒れた!

金曜日におまいりしたところだ。
階段を上るとき、いつも目にする
大きな銀杏が音をたてて南に倒れた。

雄だそうで、さしずめおじいちゃんの
大往生というところか。

長い間、人々を見守ってくれた
大銀杏。
樹の中は、すでに空洞になっていた。

残念だし、寂しい、と思う。

ここまでくるのに、長かった・・・。

2010年03月05日 | Weblog
午前中、車で、鎌倉にいった。

八幡宮前は、渋滞していたらいやだなあ・・。
とおもっていたら、
小袋谷の前で、渋滞。
横須賀線の踏み切りが二つあるので
渋滞するけれども、それを越えたら、そうでもなかった。

八幡宮の駐車場がすいていたので
ほっとした。
若宮大路は、どきどきする。
前回、どんくさい運転をしたとたん
クラクションを鳴らされた。

まっすぐ、海にでるぞ!
とおもっていたのだが、途中で、車線が減るって
知らなかった。
またどきどき。

滑川を右折して江ノ電沿いに走る。
この道も、渋滞で、苦痛だった経験があり
こわい、こわい。
鎌倉花火大会の日の江ノ電、
死にそうだったな・・。

パニック発作を起こした道。
こわいよ~。
江ノ島までは、逃げる道もあるから。
と自分を納得させる。

信号で、とまると海をみる。
サーフィンをしているたくさんの人。
この間の津波警報のときも
たくさん、サーファーがいたと新聞で読んだ・・・。
あぶないですよ。

右に、カレーの珊瑚礁やら、世界一の朝食のお店BIllsが見える。
初めて、珊瑚礁をみたとき、
若者がデートにいくんだろうな。
私には、似合わないんだろうな。
とおもった。
今は、そのうち、行こう!とおもっている。
Billsgは、先日いったので、そういうお店を
みつけると、ほっとする。
(案の定、常連には、なっていない)
自分が知っているところがあると
パニック発作をおこす不安がへるのだ。
稲村ガ崎温泉も発見。
雑誌でしかしらなかったが
ここだったのか!
注意しないと、わからず、通り過ぎてしまう。

七里ガ浜をとおりこし、小動(こゆるぎ)を越えると
江ノ島はもうすぐ。

さて、どうしよう・・。
右折して、大船にいきたい。どこでまがるの?
とおもっていたら、車の流れで左折してしまった!

ああ、生しらす丼がおいしかった「とびっちょ」が!
しかし、また、今年は、しらすが解禁したときいていない。
今度、娘とその友達といこうね~と誘ってあるので
我慢しよう。
ひとりで、食べるのは、もったいない。

しかし、どうやって、もどればいいの?
とおもっていたら、Uターンできる場所があり、無事に
江ノ島からでられた。
あとは、モノレール沿いにかえりたい。

ナビちゃん、お願い!
とおもっていたら、やはり、右折をまちがって
このままでは、藤沢にでてしまう。
やはり、あの道のようだ!

途中で、方向転換をして、帰りなおし。
モノレールのしたを走る。

長女が幼稚園のときの遠足。
江ノ島水族館だった。
母親同伴だったので、赤ん坊をおいて
いったのだが、すごく疲れた。
モノレールがみえる狭い道で、渋滞していて
頭がいたくて吐き気までしていた。・・。
あれは、この道だったのか・・・。

鎌倉山のいり口は、いつだったか、
先輩の会で、歩いたところ。
そうそう、有名人の家があった。
楽しかったなあ。

そういう「点」をみつけることで、不安を消していく。

苦痛だった、この道。
一年前だったら、とても走れなかった道。
大船に近づいて、駅前の煩雑さをしっているから
たぶん、遠いだろうが、知っている道に曲がる。

なんとか、いつもとめる駐車場に入れられた。

こういう風に、自分の足で走るまで20年かかった・・・・。
「苦痛と不安」を「安心」に変える行動療法を
ちまちまと続ける。

ああ、がんばった。
自分で、自分をほめよう。


春眠?

2010年03月04日 | Weblog
本を読んで、結構、寝てしまった。

こういうことに自分でおどろいてしまう。

睡眠不足でもないのに、どうしてだろう?

最近、コタツでも寝てしまう時期があって、
考えてみたら、カフェインを抜いていたのだ。
それで、朝のコーヒーを普通のにもどした。

なのに、どうしてこんなに寝てしまうのだろう?
春眠の時期だから?

最近、春めいて私が苦手な季節になってきた。
まだ3月は活動できると思っているので
自分で、納得がいかない。

やる気がないのは、面白くないことだ。

子供の用事に対応できるように
体力温存するのが、私なりの守りの体制なのだが
こんなに寝てしまうってなあ・・・。
どこも痛くないが、絶好調でもないのかしらん?

生来、怠け者なだけ?

日露戦争のころ

2010年03月04日 | Weblog
今日も
家から一歩もでないで
こもっている。

午前中、「坂の上の雲」をベットで読んだ。

今、日露戦争の旅順、攻撃である。

私は、日本史が好きであったが
近代史が、よくわかっていなかった。
幕末から近代にかけて
戦争が多いし、歴史の授業でも
たいてい、学年末で時間切れになっていたから
「よく、わからないなあ~」とおもっていた。

日露戦争が、中国を舞台に闘っていることも
ピンとこなかったのだ。

乃木将軍が、大変な思いをした
203高地も、美談のように聞かされていたが
司馬遼太郎先生は、「乃木は無能であった」と手厳しい。

戦争はいけない。

私たち世代は、そういう教育を受けたから
それは、当たり前のことだった。

明治の日清、日露戦争のころの日本がおかれた
国際的な環境を読んでいると
「もし、この戦争をしていなかったら?」
「もし、この戦争に負けていたら、日本はどうなっていたんだろう?」と
素朴に思った。

すくなくとも、列国の餌食にされていたことは
確かなんだろうな。

同じように島国の英国の外交は
「老獪」と表現されている。

そう、老獪なんだ!

日本が、外交がへたなのも
鍛えられた歴史が浅いからかもしれないが、
戦争を回避するには、老獪でないといけないのだろうな。
とは思う。

しなくていい喧嘩は、避けるにこしたことはない。
ああ、私も老獪になりたい!
(母は、私を「悪い人間ではないが、まっすぐすぎる」と
先日もいった。
子供達は、「大人げない」という・・。)

たい吉の誕生日

2010年03月03日 | Weblog
昨夜、ちょっとテンションがあがることがあったので
いい意味での、緊張感がでてきた。

最近の私は、でかけては腰がいたみ、
数日、休んで、また動き出す、を繰り返していた。
そうして、2月は過ぎていった。

さて、今日は、3月3日。
ひな祭り。
今年は、私にしては、本当に珍しく
一体もお雛様を飾らなかった。
このブログの壁紙が唯一。

今日は、猫のたい吉の誕生日(らしい)
満5歳になる。
猫の5歳は、人間でいうと40歳くらいになるのだそうだ。
ここのところ、たいちゃんは、私にべったりくっついて寝ている。
5キロのがっちりした肉体が、のびきって私に抱えられて寝ている。
アメリカンショートヘアのオスだから、骨太である。

「もう、おじさんだ!」とからかう。
アメリカンショートヘアは、もともと、アメリカの移民達がねずみとりに
かっていた猫なので、陽気で、やんちゃ。そして、丈夫らしい。
いろんな点でバランスがよいので、人気らしいが
今は、室内飼いが一般的なので、ご近所でもみかけない。
たい吉も、箱入りひとり息子なので、性格は割りとおっとりしているとおもう。

今日は、美味しい缶詰をかってこようね。

できるだけ、長生きしてほしい。
友人の猫ちゃんの出産予定でもある。
そちらも、気になってしかたない。

父親はペルシャ。母親は普通の猫だから
「父親に似て頭が大きいと難産にならなかしら?」と友達は心配している。
先日、最後の「妊婦検診」にいったところ6匹が元気にいるのがわかったらしい。
里親を募集します、とメールがきた。

猫のお産で、ここまで医療がかかっていて
衛生的にうまれるのをきいたことがないし
母親は、先住の猫や犬をなめて元気にしてくれたので
ラッキーキャットだと思うから
きっと、いい子猫がうまれると思う。
ペルシャ猫は、それなりに病気に注意したり
毛の手入れも大変だが、猫好きにはたまらない
「猫の王様」なので、飼ってみたいのだが
今の我が家で、どうだろうな~?
短毛のたい吉も毛は散るし、
ブラッシングもしてやるので、まあ、それなりに大変。

たい吉は、もともとは、不衛生な店にいたので
子猫のときに、すでに病気だった。
それをここまで治していったので
彼もまたラッキーキャットだと思う。

でも大事なのはご縁。

もし、今の私だったら、目やにだらけの子猫を引き取る気はなかった。
無事に5歳になってよかったね、たいちゃん!