Poncoの ぴろ~・ぶっく 

枕元においたノートに
日々の生活で感じたことを
好き勝手に綴りたい・・・・。

合掌

2008年10月08日 | Weblog
俳優の緒方 拳さんが
肝臓のガンで、亡くなったので
その病気のことを
目にする。

さっきも、ワイドショーで
説明しているのを
みながら、疲れていたので
寝てしまった・・・・。

目がさめて、気がついた。

私が、月曜日の朝、受けた訃報の
死因も、「肝臓ガン」だった。

電話をくれた人は、二人の父を
「肝臓ガン」でなくした。

で、また、よく、考えたら、
私も、二人の父を
「肝臓ガン」でなくしているのだ。

1人は、肝硬変から肝臓ガンへ。
もう、1人は、胃ガンから、
長い年月をへて、最後は
転移性肝臓ガンだった。

医学のことは、よく、わからない。

夏目 漱石は、胃潰瘍で、亡くなったと聞く。
医学が、進歩した結果、
「肝臓ガン」が多くなった部分もあるのだろうか?

肝臓は、沈黙の臓器で、辛抱強いらしい。
それが、根をあげるほど、がんばって生きてくれた
人たちに、心から、感謝して、ご冥福を祈りたい。


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2 コメント

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合掌 (Shangri-La)
2008-10-09 17:24:12
「月のしずく」を聞きたくなり、またお邪魔してしまいました。
ふと目にとまった言葉に思わず・・・・

「肝癌」とは・・・
わが国では、今や肝癌による死亡者数は年間3万人を超え、悪性腫瘍による原因死の第3位(男性)、第4位(女性)となっています。外科的な手術、お薬を使う化学療法、などが治療の中心ですが、肝癌は肝硬変と言う病気が合併する場合が多く、肝臓の予備能力の低下した状態にあるため、抗がん剤の治療がかえって肝臓の機能を廃絶に落とし込む危険を伴うのです。 「教科書」から一部改

また「肝癌」とは・・
私にとってそれは、自分の人生を大きく変えただろう病気の名前なのです。


「肝癌」。私はその名を、11歳の若さで知ることになりました。どんなに恐ろしい病気かも知らないまま。そしてその悲しい結末だけが、幼い脳裏に焼きつきました。

私は18の頃、無理がたたって約一年間の床につき、絶望の淵で時間を過ごしたことがあります。ついその時まで、健康で過ごしていた自分だったのに。

その時のさびしい病室の中では、同じように父が過ごした「時間」に戻るのに、そう長くはかかりませんでした。しかし、父の病に比べれば、『治る』ということがどれだけ幸せなことであるのか。父の言葉が、「譲れない決意」に変わったのもその瞬間でした。

もう、五十路に手が届くのです。あのころと比べるとはるかに医学は進歩しました。しかし、今の医学をもってしても、やっぱり父は助からなかったと思うのです。

私の日常は、仕事上、周囲に病がたえません。しかし、いざ自分のことになると、やっぱり元気な時は、病気の存在すら忘れてしまうのです。一番そのことに敏感であるはずなのに・・・

このようなニュースを耳にする度に、
『今の健康を当たり前に考えていないか!』と、父に問いかけられている気がしてならならないのです。  
       『日記 「父の言葉」から 』 

追)↑GIRL NEXT DOOR 「Drive away」MV :何か元気が出そうなタイトルの曲ですね。またゆっくりと聞かせていただきます。

      お邪魔しました。 Shangri-La
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Shangri-La さんへ (Ponco)
2008-10-09 20:08:33
お忙しいのに、
たくさんのコメント
ありがとうございます。

そうでしたか・・。
お父さまは、「肝癌」でしたか。

私は、実父をなくしたのが、
4年ちかくまえです。

もう、私は立派な大人でした。
いえ、正確には、見た目は
大人でした。

「日曜日だから・・。」と
痛みを我慢する父を強引に
かかっていた病院に連絡をとり、
連れて行きました。

その日の当直の先生は、私より、
ずっと若い先生でした。
医者になりたて?と思うほど、
若かったです。

検査の結果を告げられたとき、
私は、その意味がわかったふりを
しました。
実際、理解しました。
余命を宣告されるであろう、
ということを。

自分が、若い医師より、
年をとっていることが
せつなかったです。

私は、父の子供であって、
立派な大人であるわけでは
ないのに・・・・・・。
親をかばって、宣告しないで
ほしい、とお願いし、黙っていた頃、
とても、苦しかったです。

父の死後、たえず、
「父だったら、なんと言うだろう?」と
自問自答しながら、生きています。
親とは、偉大ですね。


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