車泊で「ご当地マンホール」

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宗吾霊堂(そうごれいどう)~其の一 in 千葉県成田市

2019年09月25日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・千葉県

成田市宗吾にある、真言宗豊山派の寺院「鳴鐘山:医王院:東勝寺」。義民『佐倉惣五郎』の霊が祀られていることから「宗吾霊堂(そうごれいどう)」と広くよばれています。 本来、真言宗の御本尊は「大日如来」ですが、ここでは「宗吾尊霊」を本尊としています。

境内を入ってすぐの「仁王門」は、宗吾様325年忌記念事業として、昭和53年(1978)に建立。

仁王門の内側には「金色仁王尊」と呼ばれる仁王像が、阿吽の呼吸で境内を守護しています。

「金色仁王尊」の身の丈は8尺8寸(3・34M)、鋳造・金箔仕上げで我が国で唯一のもの。

仁王門を入ってすぐ右手の参道の一画に「宗吾様御廟」があり、宗吾様と四人のお子が祀られます。

承応2年(1653)旧暦8月3日、直訴の罪により、公津ヶ原刑場にて磔刑に処せられた宗吾様。更に残された宗吾様の四人の子供たちも、打首という惨刑に処せられ、短い生涯を閉じました。「宗吾様御廟」に眠る親子の御霊を慰める香華は、どれほどの時を経ても絶える事はありません。

小さな池泉の側に建つ「鐘楼堂」は、昭和27年(1955)に宗吾霊三百年祭記念事業として建立。「梵鐘」には応長元年(1311)の銘が刻まれており、千葉県指定有形文化財となっています。

「鐘楼堂」の四隅の貫彫刻は「龍」のようですが、よく見ると背中に羽があるのがわかります。 いわゆる翼を持った「龍=飛龍」もしくは「翼竜」でしょうか。 これだけの緻密な彫刻は、おそらくそれなりに名のある宮彫師の手に寄るものでしょう。

「鐘楼堂」そのものが決して足場が良いとは言えない状況の為、四隅全部は写せていません。それでもこれだけの彫刻、無理を承知でご亭主殿に頑張っていただきました。(鐘楼の彫刻は2014年の参拝時。)

寺伝によれば【開創年代等については不詳であるが『桓武天皇』の勅命により、『坂上田村麻呂』が房総を平定した折、戦没者供養のために建立したという。たびたび火災にあって寺地を転々とし、寛文2年(1662)『澄祐』により再興され、下方字鐘打に移った。明治43年(1910)火災により焼失し、大正10年(1921)現在地に再建された。】

「宗吾尊霊」が祀られる「大本堂」は十間四面総欅造り総銅瓦葺で、大正十年(1921)に再建。 「大本堂」に架けられた「扁額:宗吾靈」は、徳川宗家十六代当主『徳川家達』によるもの。

「大本堂」前にあって境内を守護されるのは、大正9年(1920)4月建立の優雅な江戸流れ狛犬。 阿形は仔狛を、吽形は鞠を手にした、いわゆる「仔とり・玉とり」と呼ばれる一対です。

入母屋造り銅版葺き、千鳥破風を付けた「薬師堂」。『薬師瑠璃光如来』をご本尊とします。 明治43年(1910)に「供養堂」が消失したとき、「仮供養堂」として建立。 現在の本堂落成後に「五霊堂」となり、その後「薬師堂」と改称され現在に至っています。

「薬師堂」の前にあって境内を守護されるのは、慶応4年(1868)2月建立の素朴な江戸流れの一対。

平ぺったい頭は、撫でやすいという事も含めて😊どことなく愛嬌が感じられて、かなり好み。

2014年と2019年の二度に渡る「宗吾霊堂」の参拝、境内にはまだ多くの建物や碑があります。という事で、続きは明日の「宗吾霊堂~其の二」に。(最近、このパターンが多い)

参拝日:2014年5月20日&2019年3月17日


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