車泊で「ご当地マンホール」

北は山形から南は大分まで、10年間の車泊旅はマンホールに名所・旧跡・寺社・狛犬・・思い出の旅、ご一緒しませんか。

一畑(いちばた)薬師 in 島根県出雲市小境町

2018年06月15日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・島根県

出雲市小境町、標高200mの一畑山上に建つ「一畑(いちばた)薬師」。「目のお薬師様」として知られます。 私たちは大駐車場から参拝させて頂きましたが、昭和36年までは1300段の石段を登るしか手段は無く・・難易度高すぎて並の覚悟では参拝できません(-_-;) ともあれ「亀趺(きふ)」の寺号標に出迎えられて

駐車場から百八基の灯籠が並ぶ道を進み、某有名人(?)の出迎えを受けて最初の石段を登ります。 某有名人(?)ってって誰!?と、もしも気にして下さった方、疑問のお答えは後ほど(^^;)

ここで出雲構えの狛犬さんに遭遇、お寺だからとさして期待していなかったご亭主殿は大喜び(笑) 年代が分からないのが残念ですが、顔立ちも尾の立ち方も堂々としておりとても良い姿。

ご亭主殿の喜びは更に続き、仁王門の近くでは、これも堂々たる出雲丹後系の狛犬さんに遭遇。 阿形さんは口中に玉を含み子狛を前足の間に、吽形さんは穏やかな表情でその姿を見つめています。

予期せぬ場所での予期せぬ良き出会い(早口言葉みたい)を面白がっているかのような、阿形さんの良き笑顔(^.^)

仁王門を潜り境内へ・・・参道正面には、明治時代に再建された薬師本堂。 臨済宗妙心寺派、及び一畑薬師教団の総本山「醫王山・一畑寺」:通称「一畑薬師」。

縁起【寛平6年(894)、漁師の与市(のち出家して補然と称する)が、海中から引き上げた「薬師如来像」を本尊とし、医王寺として創建したという。天台宗に属したが、正中2年(1325)、『石雲本竺』が臨済宗南禅寺派寺院として再興し、寺号を「成徳寺」と改め、承応2年(1653)には「一畑寺」に改名。寛政2年(1790)、妙心寺派に転属し、昭和27年、一畑薬師教団を開き本山となり現在に至っている。】

薬師本堂の右手には「中国観音霊場・第26番札所」「百八観音霊場・第31番札所」の観音堂。「瑠璃(るり)観世音菩薩」を本尊とします。お堂の正面には、普陀山(ふださん)より請来されたお前立ての「瑠璃観世音菩薩石像」があり、また堂内には日本全国の観音霊場の朱印を拝見することが出来ます。

本堂の向かって左手には「十六羅漢堂」。表情豊かな十六人の羅漢様が参拝者を迎えます。「羅漢」とは修行僧、信者の施しを受け得るに値する尊貴な人という意味だそうです。

十六羅漢はお釈迦様の高弟十六人を指し、一般的に仏道修行者の群れを五百羅漢と呼びます。五百は単に「多い」という意味で、例えば京都の「愛宕念仏寺」には1200体の羅漢さんが座しています。

話がそれましたが、本堂の東側に設けられた展望所からは、回廊や本坊付近の景色が一望でき、たとえ正規の石段から参拝された方でも、きっとその雄大な景色に癒されることでしょう。整然と立ち並ぶ甍、その向こうに広がる山々がどのあたりなのか、地理に疎い私には全く分かりません。

ですが、山波の遥か向こうに「大山」の姿を確認できたときは、思わず感動しました。 標高1,729m、その美しい姿から「伯耆富士」の異名を持つ「大山」。お薬師様の御利益で目が見えるようになった方がこの景色をご覧になったなら・・・。それは思わず鳥肌が立つような感動であろうと思います

一畑寺の奉納絵馬は「目のお薬師様」らしく、大きく一文字「め」の文字が墨書されています。羅漢さんの膝元に掛けられた膨大な絵馬の数・・幾多の人の切なる願いが籠められた絵馬に、私たちも願いを託しましょう。

ご 詠 歌【 目のくもり やがて晴れゆく医王山 これぞ日本 一畑の山 】

さて冒頭で触れた石段で出迎えてくれた某有名人(?)。実はあの「ゲゲゲの鬼太郎」に登場する『目玉のおやじ』。「一畑寺」が目の薬師であることに因んで奉納されました。

そうそう、『水木しげる』の作品中に登場する『のんのんばあ』。大層「一畑寺」を信仰していたそうで、境内には「のんのんばあとしげる少年」のブロンズ像も奉納されています。・・・と言う事は、『のんのんばあ』は、1300段の石段を登って参拝されていたんですよね・・・

参拝日:2013年5月24日

 


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