車泊で「ご当地マンホール」

北は山形から南は大分まで、10年間の車泊旅はマンホールに名所・旧跡・寺社・狛犬・・思い出の旅、ご一緒しませんか。

ご当地マンホールin旧大正町&旧十和村(四万十町)

2020年08月16日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・高知県

旧幡多郡大正町は高知県の西南部、幡多郡北幡地域に位置した町です。四万十市、幡多郡佐賀町・大方町・十和村、高岡郡窪川町・檮原町に。また県を跨いで愛媛県北宇和郡鬼北町に隣接。町域の平野部は四万十川、梼原川沿いにわずかに見られるものの、そのほとんどが山林で占められており、国道381号線沿い、道の駅四万十大正の向かいにある「轟(とどろき)公園」は、南北に広がるレジャーゾーンとして人気のスポット。公園内には、羽の重さが1.5トンもある大きな石の風車や野外ステージがある他、郷土資料館、ヤイロチョウの森ネイチャーセンター等が併設されています。「町の木:ヒノキ」「町の花:エビネ」「町の鳥:ヤイロチョウ」を制定。

旧キャッチフレーズは「花とロマンの里 大正町にみんなでいっしょに暮らしましょう」

明治22年(1889)、町村制の施行により、幡多郡東上山村が発足。

1914年、東上山村が改称し、幡多郡大正村となる。

1947年、大正村が町制を施行、幡多郡大正町が発足。

2006年、幡多郡十和村、高岡郡窪川町と合併、幡多郡四万十町となりました。

マンホールには「町章」を中心に、「轟公園の石の風車」がデザインされています。

昭和42年5月3日制定の町章は「「大」を抽象化表現したもので羽形と鋭角で、町の健全な発展を、曲線化した下部で、町の和を表現しています。」合併協議資料より

轟公園内には、国の重要文化財「旧竹内家住宅」が移築され、季節に応じた催しなどとあわせて、一般公開されています。

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旧幡多郡十和村(とおわそん)は高知県の西南部に位置した村です。四万十市、幡多郡大正町に。さらに県を跨いで愛媛県北宇和郡鬼北町・松野町に隣接。村名は、昭和村・十川村から一字ずつを取って命名。村の中心部を東から西に四万十川が蛇行して流れ、流域沿いに農地が点在し、総面積の約9割を山林が占めています。「町の木:コウヤマキ」「町の花:カワツツジ」「町の鳥:メジロ」を制定。

旧キャッチフレーズは「十和に生きる」

明治22年(1889)、町村制の施行により、幡多郡西上山村、十川村が発足。

1928年、西上山村が改称し、幡多郡昭和村となる。

1957年、昭和村・十川村が合併、幡多郡十和村が発足。

2006年、幡多郡大正町・高岡郡窪川町と合併、高岡郡四万十町となりました。

昭和38年10月制定の村章は「TOWAの「T」と「W」の図案化 「W」で未来への飛躍を現す 円は和を現す」合併協議資料より

山が新緑に染まる4月~5月、四万十川で開催される「鯉のぼりの川渡し」をデザインした街灯、実物はもっと華やかで勇壮な眺めになる事でしょう。

(※)旧幡多郡十和村では、ご当地マンホールの類は見つけられませんでした。

撮影日:2013年3月23日


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