きらく堂日記

鍼灸師の喜楽堂が日々の出来事、過去の思い出、趣味にまつわる話などを綴った日記帳(=雑記帳)です

思い出探し(43)・夜汽車とブドウ酒

2010年10月12日 | 思い出探し
・・・昭和41年頃・・・

高校2年生の春だったと思う。
弘前市で開催された合唱コンクール(確か朝日新聞主催)の東北地方大会に出場した。
仙台から弘前まで夜行列車で行って、到着した日にコンクールに出て、その日のうちにまた列車で仙台に戻ったと記憶している。

鈍行(今の普通列車)の夜行列車で何時間かかったか定かでないが、兎に角長い長い夜を列車で過ごした。
最初は元気一杯で騒いでいた合唱部の仲間も次第に疲れてきて、一向に時間も距離もはかどらなくて、元気がなくなってきた・・・とそんな時、一人の先輩がぶどう酒のビンを取り出してきて・・・当時はまだ今のようにワインなどは流行っていなくて、酒は今で言うポートワイン(赤玉ポートワイン)。
あのやたら甘くて、その割にはアルコール度数が高くて、主に女性が食膳に少し飲むといったものだったが、当時我々一高生は「ぶどう液」と呼んで、何かの集まりの時には飲んでいた。

今思えば、当時は学生に(大学生だけでなく高校生にも)寛大な時代であって、酒なども大っぴらでは無く、なにかの行事で学生が集まった時に悪戯心半分で隠れて飲んでいる分には、大人たちも余りとやかく言わなかった。
酒の上での悪戯や大立ち回りをした先輩達の話が語り次がれていたが、そんな話が長年語り継がれるくらいに、酒の上でのトラブルは実際には無かった訳である。
なにしろ「自重献身」が一高の校訓なのだから・・・!

甘い酒と列車の揺れに身を任せて、床に敷いた新聞紙の上で眠りに着いたと思ったらもう弘前に到着していた。弘前城址の近くに会場があり、桜が満開だったのが印象に残っている。残念ながらというか、当然というか、コンクールの結果は散々だったと記憶している。
成績などにあまり頓着しないのが一高生で、皆での旅の楽しい思い出だけが残っている。

3年生になったある日、仙台駅の近くにある麒麟ビール工場の創設記念か何かのお祭りがあり、ジュースなどが飲めるという情報がクラスに広がって、結果放課後にクラス一同そろって工場見学(見物、冷やかし?)に出かけた。

途中、ビールを注文したら出してくれるかどうか・・・?ということが話題になり、「出してくれるだろう。」「いや、高校生に出してくれるわけが無い」などワイワイ、がやがやの道中だったが、工場を見学したあとの休憩所でウエイトレスのお姉さんに「何にしますか?」と聞かれた最初の奴が勇気をふるって、周りの客の目を気にせずに大声で「ビールくださ~い!」と言ったら、さっとビールが出されて・・・おかげで学生服姿での酒盛りが始ってしまったのは、今考えてもおかしくて楽しい思い出である。

そういえば、気仙沼の母がたまに私の下宿に様子を見に来たときなどにも・・・帰る途中に仙台駅近くのレストランで一緒に食事をするのが常だったのだが・・・母の方から「ビール飲もうか?」などと言い出して、一緒に飲んでいたので、「飲酒は二十歳になってから!」などと杓子定規に扱われる現在からしたら親たちも随分お酒には寛容な時代であったし、また当時の高校生は現在よりは大人に見られ、また大人の扱いを受けていたように思う。
当時でもまだ旧制高校のイメージを引きずっていたせいかも知れない。

<鍼灸マッサージサロン・セラピット>