きらく堂日記

鍼灸師の喜楽堂が日々の出来事、過去の思い出、趣味にまつわる話などを綴った日記帳(=雑記帳)です

思い出探し(34)・クラスメートとの再会

2010年10月04日 | 思い出探し
写真;退院直前にベッドスクールの社会見学で自衛隊のキャンプを訪問。歩いて病院の外に出たのはこれが初めてでした。

腰椎カリエスで入院していた西多賀ベッドスクール(西多賀国立療養所)を退院し、夏休みあけの中学3年の2学期から元のクラスに復帰した。

仙台の国立療養所に入院した当初は、治るのだろうか?家に帰れるのだろうか?クラスのみんなと再会できるのだろうか?会えるとしたら何時になるのだろうか?とあれこれ思い悩んだものだが、カリエスという病気にしては極めて短期間で完治できたのはまさに奇跡で・・・友達と再会したときには本当に嬉しかった。

入院中の1年間は通常では経験できないような様々な出来事があったわけだが、それでもいわば隔離された病院の中での生活であり、病気の子供たちと白衣の天使や優しい先生たちに囲まれた特殊な世界で1年間を過ごした後の私にとって、1クラス50名で12クラスというマンモス中学校(団塊の世代はみんなそうだったが)に戻り、真っ黒に日焼けした元気一杯のクラスメート達に迎えられた当初は、懐かしく、嬉しい気持ちの反面、なんとなくしばらくは馴染めなかった。

クラスメート達もコルセットでがっちり固められた、青白い顔をした病気上がりの私には大分気を使ったとみえて、それを感じた私は何となく落ち着かなくて、チョッと惨めで、教室での居心地は必ずしも良くなかった。
外で走り回ることも出来ず、周りの目を気にしながら教室の中で何時も本ばかり読んでいたように思う。今にして思えばなんていやな子だったのだろうと恥ずかしい。
なんとか自分の居場所を見つけ、元の感じに戻ったのは、東京オリンピック(昭和39年)も終わって、その年も暮れようとしているころであった。

当時の関心事はひとえに高校受験のことであり、小学校のころから何故か知らないが決めていた仙台一高の受験に向けての勉強に熱中していた。高2の兄から譲り受けた3畳の個室で夜遅くまで勉強した記憶があるが、深夜放送などを聞き覚えたのもこのころである。
高校、大学、エンジニアとしての会社勤務、その時々でそれなりに勉強はしていたはずであるが、振り返ってみると、病気入院中から中学卒業までのこの期間が一番勉強した時期のように思われてしまう。

病気あがりのくせにやたらと頑張りがきいたようにも思うが、勉強に打ち込めたのは、身体が思うように動かせない状態でもあり、他に打ち込めるものが無かった・・・出来なかった、そんな環境であったからのようにも思われるが、決して砂を噛むような・・・という生活ではなく、なぜか心はやたら熱かったように思われて懐かしいのである。

<鍼灸マッサージサロン・セラピット>