秋田県横手市増田町 千葉建築のブログ

秋田県の県南、横手市増田町の工務店、(有)千葉建築のブログです。
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名字の日

2010-09-19 10:20:30 | こよみ
9月19日(旧暦8月12日 四緑 先勝 壬申)


おはようございます。横手市増田町の工務店、千葉建築です。

今朝は雨の朝となりました。

晴れの日が続いた今年の夏と初秋でしたが、天気の良し悪しがはっきりとしてきた時期となりました。

体調を崩さないように気をつけたいと思います。


今日は「苗字(名字)の日」だそうです。

明治3年(1870年)に、新政府の太政官布告によって平民にも苗字を持つことが許されました。

ただしこの時点では普及せず、あらためて5年後の明治8年(1875年)2月13日に「すべての国民に苗字を名乗ることを義務付ける」こととしました。

というわけで、1年間の記念日で苗字にちなむのは今日と2月13日ということになるそうです。


苗字は「名字」ともいい、民法上では「氏」、一般的には「姓」ともいいます。

日本では古代に、同じ先祖を持つ血縁集団を「氏」とし、下って大和朝廷の時代には氏のほかに、朝廷から「姓」を職種や貢献度などに応じて与えられる「氏姓制度」が採られていました。

飛鳥時代に律令制が採用され、貴族階級が成立してくると、しだいに家系や家族などのより細かい単位での呼び名をあらわす習慣が出てきて、その家系家族の出身地で区別がなされるようにもなってきました。

平安後期~鎌倉時代に進む中で、貴族に代わって武士が力を持つようになると、その武士が管理している荘園(土地)の名や開拓した土地の名、郡の名などを「名字」として名乗るようになりました。

例:徳川家康の正式名称は「徳川次郎三郎源朝臣家康」
  名字:徳川 通称:次郎三郎 氏:源 姓:朝臣 本名:家康

江戸期には、名字が武士階級=支配層の象徴となるようになり、庄屋や名主などを除く庶民は、名字を持っていましたが普段は使用を制限されていました。

明治期に、先程の政策によって名字が義務化されると、元々の名字を名乗ったり、土地の有力者に習って名字を変えたりして、全国に多種多様の名字が並ぶようになりました。

その数は、同じ字で読み方が異なるものを区別すると30万種以上になるそうです。

世界的には、移民国家のアメリカでは150万種の姓があり、中国では逆に少なく、4000種ほどになるとのことです。


日本で最も多い名字は「佐藤」さん、ついで「鈴木」さん、「高橋」さん、「田中」さん、「渡辺」さん、「伊藤」さんとなっているそうです。

多い名字でも、そのルーツはさまざまであり、また少ない名字がある地域に集中していたりと、実に興味深い発見があります。

自分が普段使っている名字の元を辿っていく事は、先祖に思いをはせ、また家族のことを考える上でも大切なことだと思います。

そういったことを考えるきっかけの日であってもらいたいとも思います。

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