今日は、沖縄復帰50年の日だ。
大学を出て2年目の秋から、本社の法規部門の末席にいたので、復帰の国会審議に合わせて、沖縄と本土の制度を比較する仕事に携わったが、復帰を見ぬ間に転勤になった。
労組の看板は、ベアなど身近な要求に追われていたが、私は、「沖縄→Japan」を掲げた。
昨日、ある番組で、座間味健二さんの「復帰とは、日本国憲法の適用下になることだ」と言う発言を聞いて、「はっ」と思った。
座間味さんは、1970年5月に起こった、アメリカ兵による前原高校一年生の少女暴行事件(強姦目的でサトウキビ畑に引き込み、瀕死の重傷を負わせた)の際に、同校の生徒会長として、アメリカ軍抗議の演説をした人だ。
当時は、アメリカの施政権下にあって、アメリカ軍は治外法権にあり、アメリカ兵は、全く犯罪に問われなかった。
復帰に伴い、当然、アメリカ兵も日本人と同じ法が適用されるものと期待したが、現実は、日米地位協定により、今も、治外法権が残っている。
座間味さんの言う「日本国憲法の適用下」になっていないのである。
「本土並み」が、適っていないのである。
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私は、千葉県東金市出身の落語家、柳家吉綠さんを応援しています。
http://ja.Wikipedia.org/wiki/柳家吉綠
大学を出て2年目の秋から、本社の法規部門の末席にいたので、復帰の国会審議に合わせて、沖縄と本土の制度を比較する仕事に携わったが、復帰を見ぬ間に転勤になった。
労組の看板は、ベアなど身近な要求に追われていたが、私は、「沖縄→Japan」を掲げた。
昨日、ある番組で、座間味健二さんの「復帰とは、日本国憲法の適用下になることだ」と言う発言を聞いて、「はっ」と思った。
座間味さんは、1970年5月に起こった、アメリカ兵による前原高校一年生の少女暴行事件(強姦目的でサトウキビ畑に引き込み、瀕死の重傷を負わせた)の際に、同校の生徒会長として、アメリカ軍抗議の演説をした人だ。
当時は、アメリカの施政権下にあって、アメリカ軍は治外法権にあり、アメリカ兵は、全く犯罪に問われなかった。
復帰に伴い、当然、アメリカ兵も日本人と同じ法が適用されるものと期待したが、現実は、日米地位協定により、今も、治外法権が残っている。
座間味さんの言う「日本国憲法の適用下」になっていないのである。
「本土並み」が、適っていないのである。
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私は、千葉県東金市出身の落語家、柳家吉綠さんを応援しています。
http://ja.Wikipedia.org/wiki/柳家吉綠