笛吹き朗人のブログ

器楽は苦手でしたがサラリーマンを終えた65歳から篠笛を習っています。篠笛を中心に日々のリタイア生活を紹介します。

函館ー啄木繋がり

2013-10-02 23:35:49 | 日記




北海道旅行3日目の今日は、小樽駅を8時12分発の電車に乗り、札幌で特急北斗(そうです、あの北斗です)に乗り換えて函館に向かいました。

途中で名物カニ弁当を買いました。

何故か少しパサついていましたが、カニの味は十分しました。

大沼公園を過ぎる時は天候も良く、小沼の先に駒ヶ岳の姿をしっかりと写すことが出来ました。

函館駅で小休止の後、定期市内観光バスに乗りました。

インターネットで申し込んで、お金もセブンイレブンで支払っていました。

ところが、いわゆる明治の開港以来に造られた煉瓦作りの倉庫群等は午前中のコースでないと見られないことがわかりました。

私は以前来たときに見ていたので、「まあいいか?」と言うことにしました。

最初の場所は、五稜郭です。

隣り合わせにある約100メートルのタワーから五稜郭の全貌が見られます。

五稜郭の中まで歩いて見ましたが、日本式の城に比べると構造が極めて簡単で、守りは弱いと思いました。

次はトラピスチヌ修道院でした。

厳かな気分になりました。

子供の頃に、何故か母親が、時々、ここのバター飴を食べさせてくれたのを思い出しました。
(とても上品な甘さで、田舎では超高級品でした。両親は一時帯広に住んでいたことがあるので、誰か知人がここにいたのかな?と思いました)
最後は、かつて啄木が「東海の小島の磯の白砂に我泣き濡れて蟹とたわむる」等を読んだと言われる砂浜の近くにある「土方・啄木記念館」に行きました。

土方とは、新撰組副長の土方歳三であり、彼は榎本武楊と共に函館戦争を戦って、この地で戦死しました。

啄木記念館で啄木の年譜を見ていたら、明治45年に啄木が肺結核で26歳2か月の人生を終えた直後のところに「妻・節子と長女・京子、千葉県安房郡北条町に移る」、「房総半島の地で6月14日に次女を出生し、房江と名付ける」と有りました。

なんと、北条町とは、今の館山市の中心部のことで、私の家内が9歳から18歳まで住んでいたところです。

節子は、その年の9月には函館に移り、翌年5月に肺結核で亡くなってしまいます。

啄木自身のことではありませんが、啄木に親しい方が千葉県に住んだことがあり、しかも、家内の住んでいたところに近かったと言うのです。

どちらかと言うとあまり親近感のなかった啄木に、急に親しみを感じて、売店で「啄木の函館」と言う本を買いました。

夜はお決まりの函館山からの夜景見物でした。

カラッと晴れ渡ると言う訳には行きませんでしたが、まあまあの夜景を見ることが出来ました。

明日は、早起きして、わざわざフェリーで津軽海峡を渡り、新青森から新幹線で仙台に行きます。

仙台は、懐かしいところです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする