みちのくの放浪子

九州人の東北紀行

親鸞忌

2018年11月29日 | 俳句日記

親鸞聖人

11月29日〔木〕冬晴れ

今日は天才親鸞聖人の忌日。
先日、日本の国体についてこう書いた。
縦軸に神道を、横軸に仏教を置いて座標を作り、
そのゼロ点に天皇を据えた。
据えたのは聖徳太子である、と。

詳しくは、11月8日の当欄をお読み下さい。
しかし、如何なる法理も教えも国民の納得が有ればこそ国の羅針盤と成りうる。
当時は国民の殆どが記号の様な“カタカムナ文字”
しか知らなかった。

先進国である支那から伝わった文字は難解な“漢字”であった、まだカナ文字は発明されてない。
だから太子は「十七条の憲法」を表し、まず漢字を知る知識人に国の方針をお示しになった。

一年ほど前に地上波のテレビで某憲法学者が、あれは官僚の“服務規定”で“憲法”では無い、などと言っているのを見てしまった。
当たり前のことではないか!

それまでは成文化された規範など無かったのであるから、まず「和」を示し、「仏法僧」を示し、
「早くまかで、遅く出でよ‥」と勤勉を説き、次に「事を独断してはいけない、衆と論うべし」と
官僚に説いている真意がまるで分かってない。

大衆の拠り所と成れ!と官僚(政治家)のあるべき姿を示しているのだ。
つまりは、まず知識人が理想の人間像を国民に示して、この新興国の行く末を明らかにせよ、と言っているのである。

皆さんも是非一度「十七条の憲法」に触れて欲しいものです。
7世紀の始めにこんな憲法があったのか⁈と思う位のソブリンローが日本にはあったのです。

この憲法を基礎として律令国家が形作られます。
ところが、仏教(小乗仏教)は難し過ぎました。
それを“念仏”と言う手法により、我々下々にまで降ろしてくれたのが法然と親鸞という天才です。

明日は“念仏”について書きます。

(つづく)

〈念仏の 心強さよ 親鸞忌〉放浪子
季語・親鸞忌(冬)