みちのくの放浪子

九州人の東北紀行

天孫降臨と日向三代(その3)

2018年09月30日 | 俳句日記


「神話」はフアタジーである。
今日の社会心理学では、仮想現実と雖も
現実だと捉えている。
映像と演出で人は如何様にでも騙せる。

仏陀が喝破したように、凡ゆる事象は心
の持ちようで苦とも楽ともなる。
ディズニーが好きか、スピルバーグが好
きかで、現実社会の見方が変わるのだ。

故に、「神話」のありようが民族の品位
を代弁してしまう。
その点我が国の「神話」の出来は幸いで
あった。

下地に一万数千年の縄文と言う平和な時
代の記憶があったからである。
その時代は「輪(循環)」を享受して、
「和(調和)」を尊んだ。

異文化の侵行を受けるまでは。

海幸彦の進言を受け入れて、高千穂郷に
橋頭堡を築き、肥後に前線基地を置いた
ニニギ軍は、AD60年の船出以来10年を
そのままに過ごした。

何もしていなかった訳ではない。
この時代の戦は日々の営みの中に闘いが
あり、同盟があり、敵との和睦があり、
じわじわと版図を広げていく。

特に縄文人の闘いはそうであった。
何よりも「和」を旨として進んだ。
穏やかに、たおやかに「知らし召す」こ
とを心掛けた。

ニニギは既に45才、ヒコナギは二人の妻
を娶り、4児の父である。


この年にイワレビコが産まれた。

筑紫では相変わらず金印を巡って争奪戦
が続いている。


とはいうものの双方とも決戦に至る連合
組織は未だ出来上がっていなかった。

従って、クニ境いで小競り合いをするば
かりで、農繁期に入ると兵隊はいない。
自給自足の生活にとって、金印は絶対的
な価値を持っていなかった。

ただ渡来人の勢力は、その価値を知って
いたのである。
彼らは本土での使い道を知っている。
手にすれば直ちに渡来連合の王となる。

そうなれば漢の支援を受けて、一挙に事
を決して、奴国のみならず倭国すら伺う
こともできるのである。
だから、互いに牽制し合うことになる。

奴国側にとっては幸いであった。
ただ渡来人の数は年々増加していた。
この頃、忍坂大室屋(吉野ヶ里)は益々砦化
され、倭人の脅威となっていた。


その事が、ニニギ勢力を筑紫に呼び寄せる
動機となる。(…つづく)


9月30日〔日〕終日風雨
どうやら直撃は免れたようである。
無論、外へは出ない。
お陰で資料の整理が出来た。
年代の整合性がついたのが何よりだ。

但し、強引な解釈と偏見に満ちた物語
になる事は間違いない。
唯々、読者の皆様に、あの時代の光景を
想起出来るよう心掛けて行きたい。

〈いにしへの 秋の嵐に 降臨す〉放浪子
季語・秋の嵐(秋)

天孫降臨と日向三代(その2)

2018年09月29日 | 俳句日記


日髙見国(高天ヶ原)から天照大巫女の命を
受け、鹿島立ちする情景は25日のブログ
に書いた。
ここに私のミスがあった。

天照様が「嗚呼吾子よ!汝はまだ若い」
と抱きしめたのは、ニニギではなくヒコ
ナギである。
年齢は15〜6であろうか?

日向三代は、降臨したニニギを初代とし
て、山幸彦→ヒコナギ→イワレビコ(神武)
と続くが、山幸彦は薩摩の海人(海幸彦)
を天孫族に加える為に1世代創作した。

つまりは、ここで山幸彦とヒコナギに兄
弟契りを結ばせた訳である。
天照様の兄君であるオオヤマツミの娘の
コノハナが薩摩の海岸にいる訳が無い。

ニニギとコノハナは日髙見国で結ばれて
いた、その子がヒコナギなのである。
そのヒコナギがニニギに付いて行くと言
ったので祖母が別れを惜しんだのだ。

ニニギの瓊瓊杵尊と書く。
瓊瓊とは、美しい盾を持つ美丈夫の意味
である、というと木花咲耶姫も桜に喩え
られる人だからヒコナギは美男だった。

そのせいか、ヒコナギは海人族から豊玉
姫と妹の玉依姫を娶る。
豊玉姫は三人のお子を、玉依姫は一人の
お子を産んだ、イワレビコである。

ヒコナギは彦渚武鵜茅葺不合尊と書く。
彦は力のある男子の尊称、渚鵜茅は渚に
住む鵜の茅の巣、葺不合は屋根がふけな
い事、武は武功の人への諡である。

つまりは「このお方は海鳥の鵜の巣の様
な粗末な屋根の家も建てれぬ程に戦いに
明け暮れた尊いお人だった」という事を
表しているのだ。

事績を辿るとその通りの事が伺える。
イワレビコは神日本磐余彦尊と書く。
磐は励むと読む、余は末っ子のこと。
字義通り「神国日本を建てた末っ子」。

これらの事を頭に入れて、23日のブログ
を読んで下さい。
こうして、丁度2千年前の倭国防衛戦そして日本建国のお話が始まるのです。


9月29日(土)雨
風が出てきた。
今は沖縄辺りだろう。
今年の台風は古代史に登場する地域を
直撃する。

何かの啓示だろうか?
村山内閣の時に阪神淡路。
菅内閣の時に東日本。
だとするならば明日は沖縄奪還。

スピリッチヤルな友人から☎️があった。
来年の御譲位に向けて神々の動きが、
より活発になって来ているとの由。
女神の力が増していると言う。

〈が国難に 大和撫子 疾く咲けよ〉放浪子
季語・撫子(秋)


天孫降臨と日向三代

2018年09月28日 | 俳句日記


昨日書きましたように、私の「古事記」
と「邪馬台国」に対する認識は読み手の
それを越える事はありませんでした。
こんな難解な連立方程式は解けません。

なのに日頃鬱々として腑に落ちない古代
史の謎に挑んで見ようか⁈と決意したの
は田中英道先生の「日本国史」を読んだ
からです。

レヴィ博士の「月の裏側」も又そうで、
この二人のご著書を繋いでくれたのが、
「三内丸山」の縄文への誘いでした。
敢えて云えば私の東北での五年間です。

九州生れの九州育ち、カーナビなんぞ無
い時代に、九州を町図一つで目的の家に
辿り着く位に走り周っていました。
仕事柄ではありますが。

そんな私が四十路を過ぎてから街づくり
を仕事にした為、後学と称して機会があ
れば全国を旅する様になりました。
だが東北地方には縁が無かったのです。

そこへ「3.11」です。
我が同胞の二万人の命が奪われ、国土が
削られ、町が消えました。
座視は出来ず還暦過ぎで移住しました。

そして一気に東北六県を回ります。
その感想は、四年前に書いた随筆に書き
ましたが、九州育ちだけに「薩長史観」
を越えていない自分に気付きました。

ほぼ「目から鱗」「井蛙の認識」、日本
の原風景はここにあった!という感動。
すると面白いように歴史を通して現在が
見えて来たのです。

以前にも書きました。
「轍鮒の急」(荘子) 辞書を開くこと‼︎
動機はそこに有りますから「福永説」に
翻弄される訳にはいきません。

ここ三日で彼の説が観えて来ました。
彼の説も踏まえ、ブリコラージュしなが
ら初志を貫徹してみます。
タイトルを変えて書いて行きます。

楽しみながら、但し、片目をつぶって読
んで下さい。
なにせ、素人の雑文ですから。


9月28日〔金〕晴れのち雨
また台風が来るらしい。
行きつけのコンビニで、
渡来人女性にそう話すと、
「慣れてます😌」と回答があった。

そうだった。
彼女はベトナムの人だった。
同じモンスーン地帯の同胞である。
腹が座っていて頼もしい限りだ。

〈名も知らぬ 島の実見たし 秋の風〉放浪
子 季語・秋の風(秋)






邪馬台国は福岡県田川市にあった?(福永説)

2018年09月27日 | 俳句日記


これまで「古事記」に関しては、武光誠
先生や田中英道先生のご著書を下敷きに
、勝手な空想を交えて面白おかしく書い
ていていました。

そこへ、この福永晋三さんの御説が目に
止まったので慌ててしまったのです。
昨日書いた通りでです。
で、一旦手を止めて検証しています。

福永さんの講演動画を一晩中見ました。
20年間踏査を重ねて導いた説だけに、な
るほどと唸らせるところはあります。
だが物証が少ない。

まだ宮崎康平さんの推論の方が夢が有っ
て好感がもてます。
文献と地名の照合が主で、古事記そのも
のの否定みたいで嫌になりました。

真実を明らかにしたいならば、考古学者
の手を借りて悉皆調査をすべきです。
本来ならば、日本の古代史をひっくり返
すような着想ですから。

も少し、勉強させてもらいます。


9月27日〔木〕快晴


暗いうちに仮眠から目を覚ました。
新聞を取りに行くと、
秋の冷気が身に沁む。
十六夜の月が、
西の空にまだ掛かっていた。

一等星があちこちに見える。
晴れるな!
日の丸弁当をこしらえる。
始発のバスに乗った。

残念ながら、渡りは確認出来ず。
珍しくカワセミが飛んだ。

〈水の秋 浮世の音の 無かりけり〉放浪子
季語・水の秋(秋)


ブログのお休み

2018年09月26日 | 俳句日記
昨日の稿をアップした後にユーチューブ
の古事記関連の記事を点検していました
ら「福永晋三」という研究家が新説を公
開されていました。

全く知らない研究発表です。
近いうちに新刊書を出されるような事を
仰っていましたが、中に重要な事柄の年
をお話しになっていました。

神武天皇の即位の年がAD121年である事
ヒコナギノミコトがAD83年に忍坂の大
室屋の砦(吉野ヶ里)を落とした事、それ
が邪馬台国筑豊説の文脈で語られている
のです。

しかも、神武東征なんぞ無かったと断言
していますから、なにおか況やの驚天動
地の自説展開でした。
これは見逃せません。

来年の御譲位を見据えた言論戦の匂いす
ら漂います。
じっくりと構えて勉強させて頂きたいと
思います。

それに、私もケアレスミスを犯してしま
いました。
構想を練直し、出直したいと思います。
悪しからず。


9月26日〔水〕曇りのち晴れ
出直し出来ない外交が展開されている。
当事者の立場を忖度すれば、本当は感謝
しなければならないのだろう。
来月の閣僚人事は、日本を取り戻す陣容
で固めて欲しいものだ。

〈凝り過ぎず 夜なべ愉しむ 調べ物〉放浪子 季語・夜なべ(秋)