「神話」はフアタジーである。
今日の社会心理学では、仮想現実と雖も
現実だと捉えている。
映像と演出で人は如何様にでも騙せる。
仏陀が喝破したように、凡ゆる事象は心
の持ちようで苦とも楽ともなる。
ディズニーが好きか、スピルバーグが好
きかで、現実社会の見方が変わるのだ。
故に、「神話」のありようが民族の品位
を代弁してしまう。
その点我が国の「神話」の出来は幸いで
あった。
下地に一万数千年の縄文と言う平和な時
代の記憶があったからである。
その時代は「輪(循環)」を享受して、
「和(調和)」を尊んだ。
異文化の侵行を受けるまでは。
海幸彦の進言を受け入れて、高千穂郷に
橋頭堡を築き、肥後に前線基地を置いた
ニニギ軍は、AD60年の船出以来10年を
そのままに過ごした。
何もしていなかった訳ではない。
この時代の戦は日々の営みの中に闘いが
あり、同盟があり、敵との和睦があり、
じわじわと版図を広げていく。
特に縄文人の闘いはそうであった。
何よりも「和」を旨として進んだ。
穏やかに、たおやかに「知らし召す」こ
とを心掛けた。
ニニギは既に45才、ヒコナギは二人の妻
を娶り、4児の父である。
この年にイワレビコが産まれた。
筑紫では相変わらず金印を巡って争奪戦
が続いている。
とはいうものの双方とも決戦に至る連合
組織は未だ出来上がっていなかった。
従って、クニ境いで小競り合いをするば
かりで、農繁期に入ると兵隊はいない。
自給自足の生活にとって、金印は絶対的
な価値を持っていなかった。
ただ渡来人の勢力は、その価値を知って
いたのである。
彼らは本土での使い道を知っている。
手にすれば直ちに渡来連合の王となる。
そうなれば漢の支援を受けて、一挙に事
を決して、奴国のみならず倭国すら伺う
こともできるのである。
だから、互いに牽制し合うことになる。
奴国側にとっては幸いであった。
ただ渡来人の数は年々増加していた。
この頃、忍坂大室屋(吉野ヶ里)は益々砦化
され、倭人の脅威となっていた。
その事が、ニニギ勢力を筑紫に呼び寄せる
動機となる。(…つづく)
9月30日〔日〕終日風雨
どうやら直撃は免れたようである。
無論、外へは出ない。
お陰で資料の整理が出来た。
年代の整合性がついたのが何よりだ。
但し、強引な解釈と偏見に満ちた物語
になる事は間違いない。
唯々、読者の皆様に、あの時代の光景を
想起出来るよう心掛けて行きたい。
〈いにしへの 秋の嵐に 降臨す〉放浪子
季語・秋の嵐(秋)