みちのくの放浪子

九州人の東北紀行

あとがき

2018年11月09日 | 俳句日記
11月9日〔金〕晴れのち曇り



随分長いこと書いてしまった。
いつの間にか86日も書いた。
概ね一日800字を目安に書いていたが、
日によっては大幅に超えた。

結果として原稿用紙200枚弱にはなった
のかも知れない。
実際、新聞に連載される本職の方の凄さ
が身に沁みて分かった。

動機は、今上の最期となる終戦記念日の
ご様子を観たことにある。
陛下は戦中派、然も40年余を昭和天皇の
おそばで過ごされた。

ご心中お察し申し上げると、代々勤皇で
鳴らした菊池の流れをくむ者として、何
か子や孫に遺して置かなければ昭和天皇
や今上に申し訳ないと思ったのである。

然も今年は維新150年、南洲翁は菊池氏
であるし、旅順封鎖の広瀬中佐も菊池の
出であるので、及びもつかぬが明治から
の歴史について雑文を遺す事に決めた。

それは謂わば日本人論となる。
明治からでは浅過ぎるのではと思った。
そこで年表を縄文まで遡る。
戦後教育では習わなかった世界である。

当然[古事記]に行き当たる。
そこにレヴィ博士が応援を下さった。
サルトルなんぞクソ喰らえ!と昔から思
っていた処に[月の裏側]である。

それから日本の古代史にのめり込む。
始めは[古事記]である。
そして[国体論]まで行き着いた。
なんとも愉しくも厳しい86日であった。

〈霜月の 夜陰の雨や 役終えぬ〉放浪子
季語・霜月(冬)