みちのくの放浪子

九州人の東北紀行

俳句の世界の鳥たち

2017年08月31日 | 俳句日記

午前六時半の福岡市の空である。
気温は23度、二日酔いでもない限り、外
へ出たくなるのが人情と言うのもだ。
またぞろ季節に誘われて大濠公園へ。

初鴨の期待もあって双眼鏡を手にした。
阿武隈川では目にした時分である。
残念ながら姿は見えなかった。
仕方なく、雀と鳩を相手に弁当を開く。

餌を撒いているから、周りは鳥だらけ。
暫くして、ツグミがやって来た。
えっ⁉︎、もうツグミ?、と思って写真に
収めたが、どうも色が違う。

どちらかと言うと、色合いは留鳥の椋鳥
に近いが、ムクは嘴と足が黄色なのだ。
帰ってから、また調べ始める。
結論はクロツグミとしたが自信は無い。

クロツグミはツグミの一種だが、季節は
逆で、夏に日本で繁殖して、秋が来ると
東南アジアへ帰る夏鳥である。
でも、生息地は山地なのだが⁈

彼らが帰ると、冬の鳥達が渡って来る。
俳句の世界では、渡り鳥と言えば鴨や雁
や鶴等の大中型の鳥を言い、和歌の風情
を其の儘に残している。

そして、小鳥と言えば、専ら秋冬の小さ
な鳥を言い、ジョウビタキやアトリ、ツ
グミ等の渡り鳥や、山地から降りて来る
カラ類などの漂鳥を言う。

あくまでも、秋、冬、そして早春の情趣
を伝えてくれる鳥達のことなのである。
俳句など詠まずとも、兎に角、楽しみが
メジロ押しの季節が到来しつつある。

〈常ならむ 世にも常なる 小鳥哉〉放浪子
季語・小鳥(秋)

8月31日〔木〕晴れ
大濠公園の南側に、ベーカリーがある。
評判の店らしい。
たまたま、母の為に、ここでメロンパン
を買って帰った時、非常に喜ん食した。
93歳の母、一瞬一瞬を喜んでくれるのが
私の出来る最終の孝行と言うのもだ。
ここのガーリツク・トーストも超旨い。
一枚10円、前日の売残りの食パンを加工
したものだと言うが、良心の塊である。
人は、良心の塊の中に生きている。






半月とちちろ虫

2017年08月30日 | 俳句日記

月が美しい時効に差し掛かっている。
昨日は、殊の外予定が順調に進み、薄暮
には横になった。
微かな虫の音に気付いて目を覚ます。

時刻は9時を僅かに過ぎたばかり。
それならばと起き上がり、玄関を出て
手摺から身を乗り出し、耳を澄ませた。
中空には半月が掛かり、夜風が誘う。

動機は、その月を撮りたかったのだ。
そそくさと寝間着を浴衣に着替え、外に
でると、坂道を登った。
見晴らし良く撮りたかったのである。

それが良くなかった。
坂の頂きに着いた時には、半月に雲がか
かって、隠れたり、また出たり。
暫くは、晴れそうもない。

仕方なく街灯の光の中を、トボトボと下
り行くと、辺りはすだく虫の声。
コロコロ、リリリ、チンチロリン。
誰が歌っているのか、とんと解らない。

帰り着くと調べ始めた。
歳時記にこうある。

閻魔蟋蟀〜コロコロ (えんまこおろぎ)
三角蟋蟀〜キチキチキチ(みつかど 同 )
綴刺蟋蟀〜リリリリ (つづれさせ 同 )
鈴虫 〜リーンリーン
松虫 〜チンチロリン
鉦叩き 〜チンチンチン
馬追い 〜スイツチヨ
轡虫 〜ガチャガチャ (くつわむし)
螻蛄 〜ジージー (おけら)

てな具合で、何処でも聴ける虫の音を上
げてみた。
詳しい向きは、ネットで。
秋の夜が楽しくなること請け合いだ。

〈半月や ちちろの声の 届きをり〉放浪子
季語・ちちろ虫(秋) ちちろ虫=蟋蟀

8月30日〔水〕晴れ
昨日が順調すぎた、今日はギクシャク。
と言って禍福では無い。
何方かと言うと、前向きに忙しかった。
ただ、ネットが開かないのは痛かった。




溢れ蚊(あぶれ蚊)

2017年08月29日 | 俳句日記

また撃って来た、困った事である。
考えてみれば彼の国は、先の大戦という
夏が終わっても、その時の夏を引きずっ
て生き残った、溢れ蚊のようなものだ。

民族自決の意思の元に、独立を果たした
国では無い。
当時の周辺大国の覇権構造に依って人工
的に作られた気の毒な国といえる。

そして、約3000万の国民が、僅か10万
足らずの人民軍幹部に支配されて、しか
も、そのほとんどが飢えていると聞く。
共産主義の政治力学は破綻したのに。

普通の人間ならば、不思議に思うはずだ
ろうに、そんな気の毒な国民を誰も、ど
の国も、助けようとしない事を。
危険度は、日に日に増大している事を。

戦争◯ナーズなんて防虫剤をぶら下げて
済むことでは無い。

〈目覚め時 飛ぶな溢れ蚊 煩わし〉放浪子
季語・溢れ蚊(秋)

8月29日〔火〕晴れ
久々に、懐かしいお世話になった人々と
幾人も交信した。
と言うのも、居所が確定したからだ。
ご無沙汰を詫びるばかりであった。
「父帰る」の勝手な親父も、その後は
この通りであったのかもしれない。
明日も、いい日にな〜れ。

山の粧いを待つ

2017年08月28日 | 俳句日記

バス停の向かい側に、昔、修道院があっ
た小山がある。
ボンヤリ眺めている間に、あっ!ここは
紅葉スポットかも知れないなと思った。

街路には、常緑樹のヤマモモとイチョウ
が交互に植えられ、巨木と言っていい程
の楠木の周りに、桜やいろは紅葉が配さ
れて、その向こうに楓科の梢が見える。

シーズンともなると、緑色を残す中に、
赤、黄、橙等の色が競い合い、小山なれ
ども、秋の山そのものの風情を醸すので
はないか⁉︎と思ったのである。

季節の山を表す季語に、
春は「山笑う」
夏は「山滴る」
冬は「山眠る」
そして、秋は「山粧う」がある。

俳句詠みには基礎的な知識で、四季を観
る時の受け方を見事に教えてくれる。
この場所に、またひとつ楽しみが出来た
ようで嬉しかった。

〈身も騒ぐ 山の粧い 待ち切れず〉放浪子
季語・山粧う(秋)

8月28日〔月〕晴れ
3、4日前とはまるで違う気候となった。
夜明けとともに鳴いていた蝉が、今朝は
7時を過ぎても鳴かない。
おや?と訝っていたら、半をまわって、
ようよう鳴き始めた。
それだけ気温に差が出来た。
奴らは気温に左右される。
人間様は、これから元気になる。
おいおい!秋の虫が鳴いている。
私にとっての初音だ。



日曜日の天神地下街(福岡市)

2017年08月27日 | 俳句日記

いよいよ秋めく気候に、部屋を開け放ち
ゆっくりと時を過ごしたかったのだが、
どうしても、天神に出かけなければなら
ない用事ができた。

普段は、甚平か、浴衣に兵児帯で、町内
をうろつく私なのだが、さすがに九州一
の繁華街天神まで出かける勇気は無い。
仕方なく、半袖の柄シャツにスラックス
といういでたちでバスに乗った。

朝夕は確かに秋となったが、日なかはそ
うもいかない、早々に地下街へ降りた。
賑やかなことこの上ない。
さすがに九州一の人の寄りである。

何処の地下街もそうであるが、これだけ
の地下空間が出来上がるのも、建築工学
の発展の賜物である。
何人がその事に気付いているのだろう⁈

そう思っている矢先に、待ち合い広場の
フレスコが目にとまった。
パリの街並みが描いてある。
地下街は、まさにパリのパサージュだ。

パリのガイドブックには、必ずパサージ
ュが紹介されている。
冬場は零下になるパリでは、ここが人々
の集いの場であり、憩いの場であった。

パサージュの女王と言われるギャルリー
・ヴィヴィエンヌは1826年に完成され
ているし、パサージュ・デ・パノラマは
1800年の完成である。

以来、200年間パサージュはパリの誇り
として愛されて来た。
天神の地下街は、贔屓目ではなく良く出
来た地下空間だと思う。

この子たちは当然のように、生まれた時
から、ここを往来する。
これから世紀を超えて、ここを守って行
くのが、この子たちの努めなのだろう。

〈愉しやな 地下の街でも 秋めいて〉
放浪子 季語・秋めく(秋)

8月27日〔日〕晴れ
今日も、愉しかった。
不本意ながら、街に出たのも良かった。
郡山からも、素敵な夕暮れのが届いた。
いずれ読者に届けたいものだ。