みちのくの放浪子

九州人の東北紀行

神武東征

2018年11月02日 | 俳句日記


イワレの八女ヤマト国は、九州の大国と
してその名を天下に轟かせていた。
ヒコナギの戦死から既に10年、日高見の
大巫女様も身罷り、代が替わっている。

イワレは25歳、日向から呼んだ吾平津媛
に子が生まれた、タギシミミと言う。
この子がのちに魏志にある[倭国大乱]の
もう一つの原因を作る事になる。

九州は至って平穏であった。
小国の小競り合いは有るものの、八女か
ら使いが来ると言うだけで収まった。
四方(よも)の海も波静かである。

そんな或る日、日高見から使いが来た。
出雲の大国主が国を譲ると言う。


だが二人の息子の同意を条件とした。
二人は譲ることに抵抗しているらしい。
そこで日高見はタケミカヅチとフツヌシ
の軍事派遣を検討しているとの由。

イワレも吉備まで進出して、出雲に圧力
をかけて欲しいとの要請であった。

「さてどうする?皆の意見を聴きたい」

幕僚会議の席でイワレが問い掛けた。

「常々申します様に、尊はもはや九州の
大王で御座います。
大王が動きます時には外なる敵は怯え、
不在の時には内なる敵が喜びます。

尊がここに鎮座ましますので九州は平穏
なので御座います。
かと言って日高見は天孫の地、要請は命
令と同じ事、あとは時期の問題ですな」

キクチヒコが最初に口を開いた。
もう還暦を過ぎた最長老である。
その彼が「命令と同じ事」と皆に釘を刺
してくれた。

あとは軍の編成と序列、陸路か海路か、
道々の駐屯地等、具体的な協議である。
幕僚達は活発に議論を重ねた。

「大君、日向へはどう為さります?」

イツセが臣下として言上した。

「うむ、高千穂峰の神々と母上には出征
のご報告をするつもりじゃ。
それに兵は日高見からの者を選抜する。
この戦さは天孫の戦さじゃからな」

この一言で海路に決まった。

「ただ、水師は宗像族に頼む。
瀬戸内は汝らの海であろう」
「ハハッ」


宗像族の水師が畏まった。

後はキクチヒコが言ったように時期の問
題である、タケミカヅチ軍と時機を合わ
せなければならない。
その協議にはコヤネの子、アマオシを遣
わす事にした。

数日後、進路が決まった。
日向→豊国の宇佐→筑紫の岡田→安芸の
多祁理→吉備の高島と進む。


例によって、宣撫しながらの進軍である
から、数年はかかると思われた。

二ケ月後、アマオシが帰って来た。

「日高見軍の出立は2年後との事、今年
は米が不作で兵糧米に当てる事が出来ぬ
そうです」

この時代、貨幣経済には程遠い。
兵糧は携行するか物々交換で調達する。
従って進軍する前途が凶作の時は、携行
糧秣が尽きると作戦は終了する。

だから、兵站基地の設定が重要なのだ。
ニニギ尊が手ずから田植えをしていたの
はそう言う事であった。
天孫族は略奪はしない。

高千穂峡から西都原に移ったのも原因は
そこにある。
八女に入り込んだのも、瀬戸内海を飛び
飛びに進むのも同じ要請からであった。

ところが、騎馬民族は違う。
いく先々で肉という肉を食い尽くす。


それが普通であった。
ジンギスカンもそうした。
だから神出鬼没で強かった、早かった。
食い物が無くなるとその都市は捨てた。

支那の西域や華北民族は概ね同じような
戦さをしている。
秦が強かったのもそこにある。
漢民族では無かったのである。

江南の漁労民族はまた違う。
川と海には無尽蔵な魚がいた。
米が不作なら川か海に行けばよかった。
こういう民族は戦さが弱い。
逃げても飢えることが無いからだ。

閑話休題、
神武の進軍も従来通りに計画された。
イワレは報告者のアマオシに

「よし分かった。日高見軍が出立してか
らこちらも出よう」

そして皆に下知した。

「出雲の状況次第で日高見の急襲が有る
かも知れぬ。
その時は船で日本海を一気に攻め登る。
そのことも考慮して準備せよ」

「ハハッ」

こうして幕僚会議は終わった。
宮に戻ると吾平津媛(アイラツヒメ)が待
っていた。

「いつお立ちになるのですか?」
「いやまだ分からん、日高見次第じゃ」
「日向には?」
「寄る事にした。その時は一緒じゃ」

媛の眉が開いた。
のちの八女津媛である。

八女津媛神社の祭神、八女津媛

(…つづく)


11月2日〔金〕晴れ
晴れた。
だが秋晴れのそれではない。
やはり冬晴れの趣きである。
木枯らしが吹いていた。

今日も引きこもりが続く。
期限なんぞ切らねばよかった。
史料に目を通すたびに、
あれもこれもと盛り込みたくなる。

炬燵でゆっくりしたいのに。

〈焙じ茶の 香りゆかしや 置炬燵〉放浪子
季語・炬燵(冬)