みちのくの放浪子

九州人の東北紀行

雛祭りと俳句

2019年03月03日 | 俳句日記

内裏雛


3月3日〔日〕曇りのち雨

雲に覆われて、時折ボツボツと小さな雨粒が落ちる生憎の桃の節句であった。
それでも近くのイオンに出かけてみると子連れの家族が普段より多く見られる。

昨日あんな風にブログを締めくくったので、なにかホッとする気持ちでその光景を眺めた。
夕刻には、若い家族が年少さん位の女の子をバスの窓まで抱き上げ、お婆ちゃんを見送っていた。

俳句にすれば、

〈じゃあ又ね 小さなおててと 雛の宴〉放浪子
季語・雛の宴(春)

と言うところか。
今年は土日であったから、博多駅でもあちこちに見られる情景であったろう。

何事も過ぎ去った後は緊張から解放された安堵感と寂寥が同時に襲ってくる。
高浜虚子・年尾親子の雛祭りに因む名句がある。

《美しき ぬるき炬燵や 雛の間》高浜虚子

この場合「雛」は「ひひな」と読ませる。
古語である。

それに対して高浜年尾先生は、

《雛の間の 更けて淋しき 畳かな》高浜年尾

と詠まれた。

両句の間にどの位の時の流れがあるのか知れないが、昨日今日の事では無い気がする。
すでに“ぬるき炬燵”の余熱すらない家族の見送った年輪を数える句だと思われる。

年中行事とは家族の年輪そのものなのでしょう。
どうぞ皆様大切にして下さい。

〈馬齢すら 抗うことなし 雛祭り〉放浪子
季語・雛祭り(春)





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1 コメント

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Unknown (takahashiomi)
2019-03-04 00:05:19
はじめまして。
虚子が好きで、俳句の意味を探していてこちらのブログに辿り着きました。とても参考になりました。更新応援しています。

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