部屋の内にいると、どこかで雲雀の声が聞こえてきそうな、見事に晴れわたる朝でした。
ところがパネェ!風が吹いて木々が大揺れに揺れています。その中を文語的に表現すると、
粟粒のような雪が流れ散っています。(ちょっとリテラシーチェック)。
晴天なのに可笑しいと思うでしょう。ところがベランダに出るとやはり猪苗代の上には雪雲
が湧いていました。ここから猪苗代高原までは直線距離で約20Kmです。
なので吹き運ばれてくるのです。でも手の平をかざしても乗ってくれません。その位の量です。
油断しているといずれ吹雪くかもしれませんので、買い物を早めに済ませてのち、一人で
禅僧のように端然粛々と(ここでもリテラシーチェック)朝食を摂りました。一汁一菜です。
癌のエネルギー源は糖分ですので過剰な糖の摂取は控えるように言われています。
なのに糖類の一種である多糖体は、糖そのものの吸収を阻害するのに有効なのだそうで、
アガリスクや霊芝などのきのこ類は抗癌治療に使われています。ですが、高額なので私は
いつも舞茸やブナシメジを欠かさず食しています。
きのこ類と言うものは使い勝手がいいですね。手をかけても掛けなくても調味料一つで
どうにでもなる、飽きが来ません。天の恵みですね。日本の女性のようです。
閑話休題(三たびチェック)、改暦のはなしの続きです。
人の一生は、太陽と月といったいどちらに支配されているでしょうか?
以前書いた「野生の思考」では人の生死や運命は天体の動きに左右されているというのが
野生の人類に共通した認識で、ことに月齢はシャーマンが占う時の基本だそうです。
そもそも暦の始まりは月の満ち欠けでした。太陽の出入りを一日として、月の満ち欠けの
一巡を一か月として、それに四季の移り変わりを観察して十二か月を一年としました。
この「一日・一月・一年」というのは、経験と観察から創造された新しい概念ですからまさに
「野生の思考」のなせる業ですよね。
使われている間にさらに観察すると、四季の移り変わりから少しづつずれが生じてきた。
そこで「閏」と言う概念が必要になった。でもまだ不都合があるから今度は星を観察した。
この経験と観測の繰り返しの中から「太陰暦」が生まれました。さらに太陽と星の観察から
より正確な「太陰太陽暦」が生まれたのだそうです。人間てのは凄いですよね。
ということで、まず太陰暦ありきで、そこから経験的にあみ出されてきたのが様々な占いです。
きのう書いたように旧暦は生活実感としての自然との調和、それにプラスして日常生活に宇宙
からのメッセージが年月日の修正なしに届けられる、こんないいことはありません。
スピリッチャルな人はもろ手を挙げて改暦に賛成でしょう。
< ほのぼのと 八紘一宇の 春節紀 > 放浪子
一月三十一日(火) 晴れのち曇り、一時小雪
日差しはあるが風強し
終日水音軒をたたく、春まじか