みちのくの放浪子

九州人の東北紀行

改暦の効用(Ⅱ)

2017年01月31日 | 俳句日記

 部屋の内にいると、どこかで雲雀の声が聞こえてきそうな、見事に晴れわたる朝でした。

ところがパネェ!風が吹いて木々が大揺れに揺れています。その中を文語的に表現すると、

粟粒のような雪が流れ散っています。(ちょっとリテラシーチェック)。

 

 晴天なのに可笑しいと思うでしょう。ところがベランダに出るとやはり猪苗代の上には雪雲

が湧いていました。ここから猪苗代高原までは直線距離で約20Kmです。

 なので吹き運ばれてくるのです。でも手の平をかざしても乗ってくれません。その位の量です。

 

 油断しているといずれ吹雪くかもしれませんので、買い物を早めに済ませてのち、一人で

禅僧のように端然粛々と(ここでもリテラシーチェック)朝食を摂りました。一汁一菜です。

癌のエネルギー源は糖分ですので過剰な糖の摂取は控えるように言われています。

 

 なのに糖類の一種である多糖体は、糖そのものの吸収を阻害するのに有効なのだそうで、

アガリスクや霊芝などのきのこ類は抗癌治療に使われています。ですが、高額なので私は

いつも舞茸やブナシメジを欠かさず食しています。

 きのこ類と言うものは使い勝手がいいですね。手をかけても掛けなくても調味料一つで

どうにでもなる、飽きが来ません。天の恵みですね。日本の女性のようです。

 

 閑話休題(三たびチェック)、改暦のはなしの続きです。

 人の一生は、太陽と月といったいどちらに支配されているでしょうか?

以前書いた「野生の思考」では人の生死や運命は天体の動きに左右されているというのが

野生の人類に共通した認識で、ことに月齢はシャーマンが占う時の基本だそうです。

 

 そもそも暦の始まりは月の満ち欠けでした。太陽の出入りを一日として、月の満ち欠けの

一巡を一か月として、それに四季の移り変わりを観察して十二か月を一年としました。

 この「一日・一月・一年」というのは、経験と観察から創造された新しい概念ですからまさに

「野生の思考」のなせる業ですよね。

 

 使われている間にさらに観察すると、四季の移り変わりから少しづつずれが生じてきた。

そこで「閏」と言う概念が必要になった。でもまだ不都合があるから今度は星を観察した。

 この経験と観測の繰り返しの中から「太陰暦」が生まれました。さらに太陽と星の観察から

より正確な「太陰太陽暦」が生まれたのだそうです。人間てのは凄いですよね。

 

 ということで、まず太陰暦ありきで、そこから経験的にあみ出されてきたのが様々な占いです。

きのう書いたように旧暦は生活実感としての自然との調和、それにプラスして日常生活に宇宙

からのメッセージが年月日の修正なしに届けられる、こんないいことはありません。

 スピリッチャルな人はもろ手を挙げて改暦に賛成でしょう。

 

      < ほのぼのと 八紘一宇の 春節紀 >   放浪子

 

一月三十一日(火) 晴れのち曇り、一時小雪

          日差しはあるが風強し

          終日水音軒をたたく、春まじか

 

 

 

 

 

 

 

 

 


改暦の効用(Ⅱ)

2017年01月31日 | 俳句日記

 部屋の内にいると、どこかで雲雀の声が聞こえてきそうな、見事に晴れわたる朝でした。

ところがパネェ!風が吹いて木々が大揺れに揺れています。その中を文語的に表現すると、

粟粒のような雪が流れ散っています。(ちょっとリテラシーチェック)。

 

 晴天なのに可笑しいと思うでしょう。ところがベランダに出るとやはり猪苗代の上には雪雲

が湧いていました。ここから猪苗代高原までは直線距離で約20Kmです。

 なので吹き運ばれてくるのです。でも手の平をかざしても乗ってくれません。その位の量です。

 

 油断しているといずれ吹雪くかもしれませんので、買い物を早めに済ませてのち、一人で

禅僧のように端然粛々と(ここでもリテラシーチェック)朝食を摂りました。一汁一菜です。

癌のエネルギー源は糖分ですので過剰な糖の摂取は控えるように言われています。

 

 なのに糖類の一種である多糖体は、糖そのものの吸収を阻害するのに有効なのだそうで、

アガリスクや霊芝などのきのこ類は抗癌治療に使われています。ですが、高額なので私は

いつも舞茸やブナシメジを欠かさず食しています。

 きのこ類と言うものは使い勝手がいいですね。手をかけても掛けなくても調味料一つで

どうにでもなる、飽きが来ません。天の恵みですね。日本の女性のようです。

 

 閑話休題(三たびチェック)、改暦のはなしの続きです。

 人の一生は、太陽と月といったいどちらに支配されているでしょうか?

以前書いた「野生の思考」では人の生死や運命は天体の動きに左右されているというのが

野生の人類に共通した認識で、ことに月齢はシャーマンが占う時の基本だそうです。

 

 そもそも暦の始まりは月の満ち欠けでした。太陽の出入りを一日として、月の満ち欠けの

一巡を一か月として、それに四季の移り変わりを観察して十二か月を一年としました。

 この「一日・一月・一年」というのは、経験と観察から創造された新しい概念ですからまさに

「野生の思考」のなせる業ですよね。

 

 使われている間にさらに観察すると、四季の移り変わりから少しづつずれが生じてきた。

そこで「閏」と言う概念が必要になった。でもまだ不都合があるから今度は星を観察した。

 この経験と観測の繰り返しの中から「太陰暦」が生まれました。さらに太陽と星の観察から

より正確な「太陰太陽暦」が生まれたのだそうです。人間てのは凄いですよね。

 

 ということで、まず太陰暦ありきで、そこから経験的にあみ出されてきたのが様々な占いです。

きのう書いたように旧暦は生活実感としての自然との調和、それにプラスして日常生活に宇宙

からのメッセージが年月日の修正なしに届けられる、こんないいことはありません。

 スピリッチャルな人はもろ手を挙げて改暦に賛成でしょう。

 

      < ほのぼのと 八紘一宇の 春節紀 >   放浪子

 

一月三十一日(火) 晴れのち曇り、一時小雪

          日差しはあるが風強し

          終日水音軒をたたく、春まじか

 

 

 

 

 

 

 

 

 


改暦の効用

2017年01月30日 | 俳句日記

 くもり空から時おり小粒の雨がおちてくる天候でした。といって霧雨のようでもありません。

はらはらと降る小雪が気温に敗けて嫌々しながら地上に降りてきた、そんな感じです。

 

 川へ行くのをためらっていましたら、結局友人からの電話で行きそびれてしまいました。

ご譲位の記事が続きましたのでお叱りの電話です。しつこ過ぎるから、も少しサラッと書け、

あれではせっかくの天皇フアンが減るぞ!と言うお叱りでした。

 

 ということで、今日はやわらかく暦(こよみ)のことを少し書きます。

改暦の経済的効果は書いたとうりです。だいたい西暦が一般的に使われだしたのは

戦後のことです。これもGHQの指導ですよ。

 

 ただし、太陽暦を採用したのは明治五年のことです。随分と反対の意見があったそうです。

文明開化のシンボリックな転換だったのでしょうけれども、伝統文化に携わっていた人たちや

四季の天候にかかわる農林漁業にいそしむ人たちは戸惑ったようです。

 

 文芸文学の世界では未だに影響がありますよ。たとえば、俳句歳時記などには

 「季語=五月雨(さみだれ)・・・旧暦の五月にふる長雨のこと」 と、注釈をいれて

  ー 五月雨を あつめて早し 最上川 ー 芭蕉

と例題をあげてます。

 五月に降る長雨? 梅雨のことかな。

 そのとおりです。旧暦五月は今の六月ですから。

 

 高浜虚子の句にこんなのがあります。

  - 蚊の居ると つぶやきそめし 卯月かな -  虚子

卯月は四月の異称です。四月に蚊?となりますね。陰暦の四月ならば今の五月ですから

納得がいきます。

 

「サクラ~、サクラ~、弥生の空に、霞か雲か・・・」と謡われる歌詞も季節感がずれます。

現在の弥生である三月に咲いている桜は緋寒桜などで雲や霞のようには咲きません。

花は四月でしょう。であれば四月を弥生(=三月)にかえるべきです。

 

 超大国アメリカはトランプショックで、イギリスもメイ首相が独立独歩の政策をします。

背景には、ボーダレス・エコノミーに象徴される近代西洋文明に対する反省があると

文明批評家たちが言っています。グローバリズムにストップがかかりました。

 

 であるならば、世界第三位の経済大国日本は、歴史的伝統回帰を遂げることで

おとなしく淑やかに存在を世界にアピールしましよう。それは陰暦に戻すことです!。

 

   < 平成の 御世を言祝げ 福寿草 >  放浪子

 

一月三十日(月) 曇り 時折小雨

         午後から気温が下がり始める

         夜半から雪になるかも、風邪に注意

 

 

 

 


国家運営のジャイロスコープとしての座標軸

2017年01月29日 | 俳句日記

 天と地がひっくり返ったように、薄く真白な雲が雪原のように空一面に広がっています。

ゆっくり西へ動いていますから風がないわけではありませんが、地上では感じません。

曇り空でも手袋がいらない陽気ですから、昨日に引き続きもう春です。

もう一度言います。ジャパンファースト!四季通りの暦から日本へ回帰していきましょう。

 

 ということで、国体論のさわりを。

イメージを座標軸で共有していきます。縦軸(Y)が神道の軸です。横軸(X)が仏教の軸です。

 故三島由紀夫先生は「天皇は、時空の座標軸の中心におわすべき方である」とおっしゃられ

ましたが、私のような凡庸な人間には難しすぎてよく理解できませんでした。何となく超越的なご

存在であるとは感じましたが、超越的なご存在であるならば、なぜ八百万の神々に国の安寧と

国民の弥栄とを祈られるのであろうか?

 

 陛下がご先祖様の皇祖皇宗に祈られるのは、われわれ一般国民が仏壇にむかってご先祖を

拝むのと同じではないか、どこが超越的なのだろうと思ってしまったのです。

 ところが神道を勉強していくと、ことの起こりは古代人共通の世界観であるシャーマンを伴った

アニミズム(祖先崇拝)に由来することがわかりました。

 

 文化人類学の検証では、世界中の宗教の始めは自然や先祖を崇拝する多神教であった

ということが解かっています。神道もごく自然にそこから始まりました。だからといって多神教

だから未開で、文明が発達したら一神教になるというのは誤りです。

 

 一神教の起こりは、アケメネス朝ペルシャが古代オリエントの再統一をしたときにゾロアスター

に命じて統一宗教を作らせたことに始まります。ゾロアスター(ドイツ語読みでツアラストラ)は、

善なる神と悪い神が天上で戦って、善神が勝利するという一神教の教義を書き上げたのです。

2500年後ニーチェによって神は殺されますけど。

 

 それが、支配、被支配の繰り返えされる歴史の流れの中で、多神教を滅ぼしていきます。

元凶は間違いなくローマですね。ローマも元々は多神教だったのですけどキリスト教を国教と

してからおかしくなります。キリスト教も同様におかしくなりました。

キリスト様が可愛そうですよね。心からそう思います。 

 

 話をもとに戻します。

 「神道」は森羅万象の超常現象を含む自然の在り方を畏れ敬い、自然に逆らわずに生きる

ことを本質としました。「しらしめす」ということはこの生きる道を示すことで統治するということ

なのです。ですので善い事は拒否せずに受け入れます。逆に悪いことは忌むのです。善悪は

経験則に基づきます。いわば感応の世界観といえますね。

 

 かたや仏教は、お釈迦様が自らの精神世界と現実世界を極限まで見つめ導き出した世界観

に基づいて衆生を救う教えですから「信と行」を説きます。つまりは信じることと実行することを

修行の根本に置いて「悟り」を開けば人々が救えますよ、と言う訳です。

今日的に表現すれば実践哲学の教えですね。こちらは観応の世界観と言えましょう。

 

 そこで思い出していただきたいのですが、日本は二万年ものあいだ人間が生存するのに最適な

自然環境の中で、外敵から皆殺しにされるようなこともなく「倭国→和国→大和→日本」と国体を

維持して今日に至っています。何度か危ないこともありましたが、その都度難を逃れてきました。

 

 刀伊の乱、元寇、維新の時も欧米の植民地にはならず、終戦後も米ソの対立のお蔭で四分割

統治を避けられました。不思議と必要な時に必要な人材が現れて、今日まで国を保って来ることが

出来ています。不思議な国です。

 

 再び座標軸に戻ります。

 神道軸は上が天上界です。下は黄泉の国、つまり幽界です。O点は天界と幽界のあいだ、つまり

現世です。そこに天孫が降臨されました。同時に人々は素直にそれを受け入れました。君民一体の

思想が生まれました。天孫がこのクニを力で支配しようと思わなかったからです。

 

 仏教軸は、左が極小(量子)の世界、右が極大(宇宙)の世界です。もちろん想念上ですが、ここに

想いが至るお釈迦のIQはいったいどの位あったのでしょう。そこまで考察を深め人を救済する法を

説いたのですから、こんにちまで優秀な仏弟子が途絶えず競って学んでいるのも頷けます。

 

 仏教軸XをY軸に交わらしたのは聖徳太子です。太子は仏教の深遠な哲学性に感銘を受け、

当時の周辺世界と対等以上に付き合うためには仏教の人間観と社会観を広く民衆に広めなければ

ならないと十七条の憲法を発布し、自らも三経義疏を著わし学問府であった寺院の建立に努めます。

 

 しかし、やはり第一条は神道の根本である「調和」の精神をもってこられました。第二条が「三寶」

を敬えです。三宝とは「仏」と「法(仏の教え)」と法の実践者の「僧」としています。当時の先進

国家を目指すためには僧侶の持つ実践力が不可欠だったということでしょう。

 

 この憲法を役人への教書だという方がいますが、そのころ文字が読める民衆がいったいどれほど

居ましたでしょう。まずは役人に徹底して模範を示せと憲法の中で指示してるではありませんか。

 私は、この十七条の憲法を以って日本の「国体」が定まったと思います。皆様はどう思われますか。

 

 まえに国体とは国の品格だと言いました。この座標軸の中心に同じ価値観をもつ品格のある国民が

いたからこそ幾多の困難を乗り切って来れたのではないでしょうか。もちろん祖霊のお働きもあったと

思います。この座標軸は国と日本人のジャイロスコープだと思っています。このジャイロセンサーが

あるから我が国はぶれないでいられるのです。 

 

      < 冬往きて 御楯鎮めよ 西の風 >  放浪子

 

一月二十九日(日) 曇りのち晴れ

          アイが待っていた。今日の餌はパン屑のみ

          いささか不満げ、キチとツグミは喜ぶ。

          夕刻、コメを買う。

             


ご譲位とご即位の有難い意味

2017年01月28日 | 俳句日記

 タヘッ!日にちを間違えました。今日が二十八日、旧正月です。

カレンダーを見違えました。ゴメンナサイ。

 

 超忙しい時に曜日の感覚が無くなることはありますよね。十年一日の如く過ごしている時にも

こういう事があるんですね。悲しい事なのか、シアワセな事なのかよく分かりませんが、まだ

「猫がネズミを獲ることを忘れ、人が借金の有ることを忘れる」ほどの陽気ではありませんのに。

 

 でも、川岸の陽だまりで背中に感じる温もりは幸せそのものです。

こんな日に家族と連れだって初詣に出かけたいものです。江戸までは皆そうしていたのです。

 

 やはり暦(こよみ)を替えましょう。そしてデフレを脱却しましょう。

デフレ脱却といえば、もうひとつ大きなチャンスが日本にはあるのです。

天皇様はそのキッカケをくださいました。それがご譲位です。

 

 平成31年1月1日をもって新しい天皇にご即位をして戴き、新元号に切り替えるという案に

宮内庁は元旦の宮中行事の神聖さと多忙さを理由に抵抗していますよね。

 ならばご譲位の日を延ばして二十七日に儀式を執り行い、新元号を発布して二十八日に

新天皇の元に新しい御世の初春の宮中行事を行って戴いてはどうなのでしょうか。

 

 この度のご即位と新元号の発布は、有難いことに喪を伴わないのが最大の特徴です。

ということは、内外を問わず大いに祝い喜ぶことが出来るのです。近代のみならず近世でさえ

無かったような祝賀の式典が繰り広げられるのです。

 

 昨日も述べましたように、西暦で新年を迎える各国の元首の皆様も様々な新年行事を

抱えておいでだと思います。

 

 今上陛下が世界中の元首の皆様にご迷惑を掛けぬようご配慮なさるお気持ちであろうと

御察し申し上げますと、ご即位の日付が元旦という安直な案は出てこないと思うのですが、

大御心を体しない政権だと言わざるを得ません。このままでは何かが起こりますよ。

 デフレ脱却と世界に日本を知らしめすこんなビッグイベントを賜っているにも拘らずにです。

 

 それはそれとして、ここで重要なことは、日本は太古から国民を「おおみたから」として大切

にしてきた、という「国体」を内外に「シラシメス」絶好の機会であるということです。

 「ウシハク」ではない「シラシメス」統治を行って来たということをご理解していただくのです。

そうすれば地球人類が救われるかもしれません。

 

 政府と有識者と国民にご提案申し上げます。これから二年間のタイムスケジュールは

優秀な内閣と司々がご処置なさるでしょうからご期待申し上げますが、オリンピック前だと

いうこともご配慮の賜物だと思いますよ。

 

 明日は、私が持ち続けてきた国体のイメージをかきましょう。

 

     < 陽だまりに 仏ぞおわす 初不動 >  放浪子

 

一月ン十八日(土) 晴れ やや風の有り

          アイ達がいない、連れだって遊びにでも行ったか?

          ツグミだけは来てくれた。餌を与えて帰る。

          また来つつある寒波に備えて灯油買う。、