昨日は、ハイブリッド民族倭人(弥生人)
の誕生について書きました。
今日は、倭人が樹立したヤマト政権につ
いて書き起こしたいと思います。
ついては、縄文時代と弥生、古墳時代の
人口分布と動態について「近代以前の日
本の人口統計」を参考に話を進めます。
「クニ」の形成は民の動きですから。
まず縄文・弥生時代の年代別人口分布を
民族学者、小山修三博士の地域別推定に
よって観てみましょう。
遺跡数、戸数や平均寿命から算出です。
博士は地域を九つに分けました。
東北、関東、北陸、中部、東海、近畿、
そして、中国、四国、九州です。
遺跡研究では、更に分類されています。
年代は、
①縄文早期 (8100)年前
② 同 前期 (5200)
③ 同 中期 (4300)
④ 同 後期 (3300)
⑤ 同 晩期 (2900)
⑥弥生後期(1800)、古墳時代の入口。
これに、地域と人口を当てはめます。
[地域] 東北、関東、北陸、中部、東海
①→2000....9700....400....3000...2200
②→19200..42800..4200..25300..5000
③→46700.95400.24600.71600.13200
④→43800..51600..15700..22000..7600
⑤→39500...7700...5140...6000...6600
⑥→33400.99000.20700.84200.55300
[地域] 近畿、 中国、 四国、 九州
①…→300…..400…..200..…1900
②…→1700…1300….400….5600
③…→2800…1200…200….5300
④…→4400…2400…2700…10100
⑤…→2100…2000….500….6300
⑥…→108300,58800,30100,105100
これに年代ごとの合計を入れます。
①→ 20,100
②→105,500
③→261,300 *縄文期の最大値
④→160,300
⑤→ 75,800 *縄文期の最低値
⑥→594,900*弥生期の最終値
(単位 人)
この表を観ると、どなたもお気付きの事
だと思いますが五つの事象が有ります。
〈事象〉
⑴ 全地域の④⑤間400年の急減。
⑵ にも拘らず東北は一定の水準を保つ。
⑶ 関東の⑤の激減。
⑷ 弥生期の近畿・九州の急増。
⑸ 全国合計②③間と⑤⑥間の増加率。
⑴に関しては昨日述べたように地球規模
の気温の低下による食料不足でしよう。
⑵は縄文文化の先進地域だけに対応力が
あったのではないでしょうか?
⑶は、この時期富士山が連続して4回も
噴火した事が調べて解りました。
⑷が渡来人の急増説の根拠となっていま
すが昨日述べたように、千年間で10万人
に満たないのですからハイブリッド化と
水稲栽培の恩恵でしよう。
⑸も同じことで、狩猟採集社会と農耕と
ではカロリー換算では雲泥の差があった
のだと思います。
鉄器の普及のお陰です。
しかし、争いでかなりの死者が出ている
でしよう、にも拘らず年間160人と520人の差ですから増加率は3.5倍です。
その勢いは古墳時代に更に加速します。
明日はこの環境を踏まえた上で、社会構
造の変化を探って見ましょう。
8月31日(金) 晴れ 午後に驟雨
秋の気配を探りに大濠公園へ。
ちっとも暑く無い。
気温と体温がバランスすると、
こんなにも身体が軽くなるのかと思う。
亀が二匹、気持ち良さげに甲羅干しを
いていた。
明日は長月、あとひと月もすれば水鳥達
が三々五々とやって来る。
楽しみだ。
〈軽き身を 揺らして映す 水の秋〉放浪子
季語・水の秋(秋)