みちのくの放浪子

九州人の東北紀行

阿武隈川

2017年05月31日 | 俳句日記


郡山市を流れる阿武隈河畔で、最も眺
めが良いと言われる安原橋からの写真
である。
上が川下、下が川上であるが、川上方
向には那須の山々が、川下方向の左手
には郡山市街地越しに、安達太良山と
会津磐梯山が望める。
今日は、いずれも雲がかかって、見え
なかった。

私は以前、ある提案書に、阿武隈川は
郡山市の宝の川であると書いたことが
ある。
実際にその昔は、産業的にも河川舟運
で賑わっていたらしい。
松尾芭蕉も曽良とともに、須賀川から
郡山まで舟で下っている。

この全国6位の長さの川は、日本では
珍しく南から北へ流れることでも有名
である。
那須塩原山系の北端から流れるこの川
は、東側の阿武隈高原と西側の猪苗代
高原及び磐梯、吾妻、蔵王の火山群に
挟まれ、否応無く仙台まで流れる。
ここで北から流れ下った北上川と出合
うのである。

仙台平野は、この二つの大河によって
形成された。河口付近で両の河は運河
で繋がって、舟運の中心地となる。
伊達の強さは、ここにあった。

上流の須賀川から、郡山、二本松市市
まで約30キロに及ぶ自転車道が河側を
走っている。
このあたりは、阿武隈高原の麓の里山
になるので、文字通り野鳥のメッカだ。
郡山駅からも近い。
だから、駅前に貸し自転車を配置して
観光客を集めてみては?と商工会議所
へ提案もした。

何事にも順序があるようで、まだ実現
はしていない。
一昨年の五月晴れの日に、こんな和歌
を詠んでみた。

〈見晴るかす 安達太良山や磐梯の
姿ゆかしき 那須は峰々〉放浪子

5月31日〔水〕晴時々曇
今日も、アイは来なかった。
代わりにコイが来て朝餉に
付き合ってくれた。
薄日が差して来たので、
遠出をしてみた。
快晴ならば、もっと意を
伝えられたと思う。








莢豌豆(さやえんどう)

2017年05月30日 | 俳句日記

昨日、莢豌豆を頂いた事を書いた。
記念の写真にした後、一莢づつヘタと
スジをむしって茹でた。
遠い昔、祖母と母が向かいあって、そ
うしてむいた莢豌豆を、ザル一杯にな
るまで支度していた事を思い出す。

初夏の風物詩である。日本では、季語
になるほど懐かしい光景であるが、欧
米でも同じような郷愁を呼ぶ光景もあ
るであろう。
外国人に俳句を理解してもらう端緒と
なるはずだ。

この長閑で平和な風景が、人類共通の
文芸的財産と認識されれば、争いも少
なくなるんじゃないかしら。
そんなことを思いながら茹であがった
緑色の芸術品にマヨネーズをつけて、
ビールと共に嗜んだ。
勿論、味つけ卵もいただきました。
黄身の半熟具合が絶妙でした。

〈筋を引く 莢豌豆や 母の景〉放浪子

5月30日〔火〕晴れ
川行き、アイは来ず。
雀とセキレイに餌を与える。
ランドリーで身綺麗に。
夕食は、玉ねぎと小松菜のごま油炒め。




初夏の公園

2017年05月29日 | 俳句日記

郡山市には、都市公園が多い。
写真は、農業用の溜池を改築した市民
公園である。
周囲一キロ程の遊歩道は、朝な夕な人
が行き交う。
私は、早朝の川行きをしなかった日は
ここを一回りすることにしている。
特に冬場は、水鳥を見る為に訪れる回
数が多い。

今の時期は、カルガモとカイツブリ位
しか見掛けないが、今日はバンを見た。
西日本では年中見ることができるが、
北日本では、夏鳥である。
真っ黒な身体に、顔だけが赤いマスク
を付けた様にくっきりと赤い、いささ
か不気味な鳥だ。
スマホでは遠すぎて、紹介出来ないの
が残念だった。

福岡では、サクランボが色づいていた
が、こちらではまだ青い。
やはり全てに半月のタイムラグがある。
木々もまだ新緑と言っていい。

〈若葉風 葉ずれの音も 緑かな〉放浪子

5月29日〔月〕晴れ
読者のお一人から新タマと小松菜と卵と
スナックエンドウを頂いた。
今日の食卓は賑やかになる。感謝合掌


アイちやん

2017年05月28日 | 俳句日記

風が軽い一日となった。
朝から晴れたので、待望の阿武隈川に
弁当を持って出かけた。
本当ならば、川の上流かなたに那須の
峰々が見えるのだが、残念ながら雲に
隠れている。
でも久々の川岸に腰を下ろすと、五月
の風が全身を透明にしてくれるように
爽快な気分となった。

アイは、見当たらない。
代わりに出迎えてくれたのは、雉子で
あった。スマホを構えて近づいてみた
が、ケンケンと鳴いて飛び去ってしま
った。

相変わらず鳥の声が喧しい。
今の時期は、葦切が至るところで鳴き
交わしている。ウグイスだって、まだ
鳴いている。
遠くでカッコウが、自分の名前を呼ん
でいた。

アイはいないが、ひとりで朝餉をとる
ことにした。
本来人類は、お天道様の下でメシを食
うように出来ている。旅をしない人間
は哀しいし、外でメシを食わない人間
は不健康だ。
今日の日の丸弁当は、とりわけ旨い。

そうしたところに、アイが来た。忘れ
てはいなかった。コレが彼の姿です。

もうじき彼ともお別れだ。
サヨナラばかりが人生さ。
ここで会えたのも他生の縁。
せめて居る間は、たらふく喰わせよう。

〈川風に 他生の縁知る 五月哉〉放浪子

5月28日〔日〕晴
みちのくは、今が絶妙の季節である。
あちこち放浪したいが、その間がない。
来年も、再来年も訪れたいものだ。


杜鵑花(サツキ)

2017年05月27日 | 俳句日記

郡山に帰ってから、連日の雨である。
今日も、阿武隈川へは行けなかった。
昨夜半、雨音の向こうにホトトギスが
鳴いていた。

梅雨時の長雨の夜に鳴くホトトギスの
声は、鳴き続けに鳴き通して、次第に
か細くなって、ハタと止む。
あっ!遂に血を吐いて死んだか、と思
わせる。
正岡子規先生が、俳号を子規としたの
を、なるほどと理解させる鳴き方だ。

この鳥の当て字の多さも、また興味の
あるところだ。
子規、時鳥、不如帰、蜀魂、杜宇など
があるが、一見意味ありな文字ばかり
が並ぶ。決して明るいイメージは湧い
て来ない。

和名でも「あやなしどり」と言う。
「あやなし」とは、つまらないとか、
取るに足らない、といった意味だから
気の毒になる。

ところが、何にでも救いがあるのもの
で、「杜鵑」という漢字があった。
音で読めばトケンだが、森の中で絹を裂
くような声で鳴いているから当てられた
文字であろうが、この字に花をつけて、
サツキツツジを指すことがある。
ホトトギスが鳴く頃に咲くからである。
ようやく明るい色が出てきた。

〈陸奥に 紅を呼びたり 杜鵑〉放浪子

5月27日〔土〕雨
散歩路にサツキが満開であった。
九州では盛りを過ぎていたと言うのに。