みちのくの放浪子

九州人の東北紀行

3月29日の日記から

2016年04月02日 | 記事

 筆者は、天気が良ければ毎回のように手弁当を持参して、阿武隈川の河畔に出むき鳥を観察しながら

朝食をとります。この日は殊に快晴で、河原でメモを残しました。

3月29日 快晴。

 風は凪いで、山々は純白の頂を朝日に輝かせ、川面は鏡のように天地を映している。

 幽そけき有明の月が中空にかかり、孤高の姿を消し行く中に、雲雀が上がり、鶯は啼く。

 天然は、昨日までの冬を遥か昔の如く忘れさせ、今日の福島の春を迎える。

 有難き大自然の営み、有難きイデアの世界。

 

 快晴の日はそれまでも何度かありましたが、さしもの太陽も風の寒さには敵いません。

お弁当を食べようにも手がかじかんで開けなくなります。

東北の冬場の冷たい偏西風は、西国人には想像もつかないほど厳しいものです。

 たとえば、晴れた日に40㎞離れた西の猪苗代高原にかかる雪雲から、ここ郡山までちらりほらりと

小雪が舞い降りてくることがあります。それはそれで風情があるのですが、30分もすると、

吹雪いてくることになりますから体に気を付けないといけません。でもこの日は違っていました。

文字通りの春のあけぼのでした。

 河原へ出かける日は、日の出を楽しむために、朝刊も読まずに家を出ます。

この日帰って読売新聞を開くと、関西外語大の五藤かおりさんの記事を見つけました。震災後の

ボランティア活動で福島にのめり込み、「産地(原発の避難指定区域)を失っても、大堀相馬焼(国指

定伝統工芸品)の伝統を絶やさぬように踏ん張っている現地の方の力になりたい」と、

英語の教師になる夢を捨てて、大阪の親元を離れ、浪江町の相馬焼協同組合に就職を決めたそうです。

 お釈迦様は、「菩提心(迷いを断ち切って、人のためになろうとする悟りの境地)を起こした時から

その人は菩薩様だ」と言われています。

かおりさんは菩薩様です。そんな若者が東北には沢山訪れています。

きっとそのうち、今朝のようなイデアの世界が東北に現れるでしょう。感動の朝でした。                               

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ブログの再開

2016年03月27日 | 記事

 二年ぶりにブログを再開しました。お彼岸も過ぎて、東北も光のどけき春となりました。

 九州くんだりから、東北に住み着いて1,460日目の今日ですが、毎回春になると九州にいた時よりも

春の到来がありがたく、凍り付いていた全身の氷が少しづつ、少しづつ解け始め、陽光も、そよ風も、

鳥の声も、花の色も、心の奥、脳幹の中心にまで沁み込んで来るような気がしてきます。

 北国の人は、みんなこのような喜びを味わっているのでしょうか。

それとも、生まれながらに繰り返されてきた季節だからと、いつもの情感で受け止めて、

意識は別の方向へ流れてしまっているのでしょうか。と、すればもったいない話です。

 私は震災の翌年に、お釣りの人生が復興のお役に立たてばと思い、福岡からやってきました。

そして、もっと前向きな真摯な気持ちで、人生の進路を変え、被災地に移り住んだ若者たちが大勢いることを知りました。

嬉しい限りです。難渋されている方はもっと有難いことでしょう。この若者たちに大いに期待します。

 そこで私は、東北の若者と、こうした得難い心を持った全国からの若者たちにエールを送る意味で、

南国人としての立場から、諸々の考え方や受け止め方を比較しながら、

東北の将来性・可能性のヒントを、このブログで提言していきたいと思っています。

 四年住んでみて、東北にはすごい宝が眠っているような気がしてきたことも、再開のキッカケです。

皆様とともに、その宝を探し当てる旅に出かけましよう。イザベラ・バードのように、芭蕉のように。

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