みちのくの放浪子

九州人の東北紀行

民族自決と台湾

2017年10月31日 | 俳句日記

昨日の産経新聞の記事を読んでいたら、
涙が流れて来た。

「死んだら《島原の子守唄》で送って
欲しい」

台湾の実業家で親日家であった蔡焜燦氏
が、友人であった音楽家の加藤さとる氏
に生前から依頼していた言葉である。

この7月に亡くなった蔡焜燦氏を偲ぶ会が
9月23日に行われた際、高齢であるために
出席出来ない加藤氏は、自らがピアノを
弾き、奥さんの歌う「島原の子守唄」の
テープを霊前に供えたという。

テープは厳かに会場に流れた。
加藤さとるさんは蔡焜燦氏との15年に亘
る交友の中での約束を果たした。
また蔡氏の日本への想いも達せられた。

蔡焜燦氏の事績はネットでも詳しい。
特にご著書「日本人よ胸をはりなさい」
は、今こそ読まれるべきものだ。

ある意味戦後の日本政府は台湾を見捨て
続けてきた。
身動きの取れない「憲法」の故に。

しかし尚、知日派の台湾の人々は、日本
を信じ礼讃して下さる。
東洋の歴史の流れの中に果たした、日本
の役割を正当に評価しているからだ。

一刻も早く、日本は国際社会の中で最初
に民族自決を主張した国としての誇りを
取り戻し、普通の国になるべきだ。
同胞台湾や沖縄を救うために。

〈懐に 石は抱けど 熱き秋〉放浪子
季語・熱き秋(秋)

10月31日〔水〕晴れ
早朝から大濠公園に行った。
水鳥の数が格段に増えていた。


鳥達も危険な処には来ない。
平和で安寧であればこその飛来なのだ。
インバウンド戦略なんぞ捨て置け。
普通の国になれば、悪口をいう国も無く
なって観光客も増える。
日本は堂々と進めば良い。



金柑と尉鶲(ジョウビタキ)

2017年10月30日 | 俳句日記

台風と総選挙が、わが国の総ての罪穢れ
を吹き飛ばして、秋が戻って来た。
この青空を仰ぎ、やましく卑しい心を抱
く者はあるまい。

居るとするならば、何物かに取り憑かれ
自分を見失った可哀想な魂だけだろう。
それが証拠に、今日の子雀達はすこぶる
元気がいい、丸い心は直ちに反応する。

ほどよく穂を着けたススキが清しい秋の
風に揺れて、行く秋を惜しんでいた。

金柑も摘み取りの時期に向けて、実を寄
せあって色づき始めている。

公園の何処かで尉鶲が啼いていた。
冬告げ鳥と言われるこの鳥の、物悲しげ
なヒッヒッという声は、冬の到来を情感
を込めて、ものの見事に告知している。

ある地方では、彼の茶色い羽根の両側に
白い斑点があることから紋付鳥とも呼び
「ほら紋付が来たよ。そろそろ正月の
紋付の準備をしなければ…」
と、言っていたという。

暦の上では明後日から冬である。
冬の装いや暖房の準備に忙しくなる。
それもまた楽しい季節の風物詩である。
誰しもが平和な正月を願っている。

〈願わくば 平和も告げよ 尉鶲〉放浪子
季語・尉鶲(秋)

10月30日〔月〕曇りのち晴れ
午前中は頸を竦めるような風が吹いた。
コートを羽織って出かけたが、昼前から
太陽が顔を出して、イソップ童話さなが
らにコートを脱いだ。
でも、太陽政策が通用しない国もある。



カフェ・ザンドゥ

2017年10月29日 | 俳句日記

3年前に郡山市で「ホテルプリシードと
奥の細道」と云う随筆を書いた。
そのホテルが奥州街道に面して建ってい
たからである。

そこに「ヴァンベール」なるレストラン
があって、オムライスが評判であった。
幾度か通っている内にマネージャーから
書けと言われて書いたのがそれである。

今度の旅では、福島県まで足を延ばせな
かったが、小倉で「はるやのうどん」を
食べ損なった私は、新幹線の中で旅の終
わりをオムライスで締めようと思った。

博多駅から地下鉄に乗ると、真っ直ぐに
「カフェ・ザンドゥ」に向かった。
今、若者達が集まる大名地区のこの店は
表参道のライトレストランを想わせる。

3時を回っていたのに若い女性客で賑わ
っていた。
スケルトンの空間にパラレルな直線を配
したインテリアと黄色灯が生きている。

肩の凝らない軽い空気感が、若い人たち
に受けているのであろう。
写真のセットは850円、グラスワインを
飲みながら帰福した安堵に浸った。

旅の郷愁は食の想い出にある。

カフェ・ザンドゥ HP.cafexando.com

〈行人も 各々となり 暮の秋〉放浪子
季語・暮の秋(秋)

10月29日〔日〕雨のち曇り
週末は雨に閉じ込められた。
お陰で旅の整理が着く。
それにしても福島県の秋が恋しい。



小倉の母味「はるやのうどん」

2017年10月28日 | 俳句日記

小倉に着いたのは13時を少しまわった頃
だった、再開発が進む地域を見る為だ。
小倉駅の左手に在った郵便局跡が、複合
施設に変貌しつつある。

これが完成すれば、駅前の景観はガラリ
と変わり、文字どおり小倉は北九州市の
政治経済の中心地になる。
五市合併の後の舵取りは難しかった。

それぞれに生立ちが違った地域を一つに
する事の難しさは歴史が証言している。
北九州市は、今でもその課題を抱え挑戦
し続けているのだ。

クラスター的に都市を発展させる為には
強力なエネルギーを放散する核が必要だが、北九州市にはそれが無かった。
九州新幹線の開通が小倉をそうした。

これからの小倉の変貌が北九州市の変貌
を牽引することになる。
駅前の魚町・京町地区は急速に再開発が
進むことになるだろう。

問題は在来線の地上交差だ。
スロープ交差は冠水の危険性がある。
在来線の高架化が喫緊の課題であろう。
駅前の計画道路は見事に完成していた。

帰途、小倉に立ち寄った理由がもう一つ
あった、母味「はるやのうどん」だ。
私は、中高生の頃、小倉で育った。
常に腹をすかせている年ごろである。

「はるやのうどん」は小倉の若者達の救
いであった。
やや甘めの麺の多い煮込みうどんは、育
盛りの胃袋に流し込むように入った。

それでいて価格は市価の8割程である。
常に店内は若者達の体臭で蒸れていた。
皆、ここで腹を落ち着かせて、更に家に
帰って夕食に臨むのである。

その記憶は、半世紀ののちまでも私達を
機会ある毎にここへ通わせる。
読者に紹介しようと立ち寄ったが、改装
中で残念なことに願いは叶わなかった。

小倉のこれからの変貌に、ここのうどん
で育った多くの者達が関わる事だろう。
楽しみなことだ。

〈秋深し 遠い記憶と 母の味〉放浪子
季語・秋深し(秋)

10月28日〔土〕雨
歯を食いしばった2日間であった。
今日は、ゆっくりと身を癒やしている。
人間、幾つになっても時折の緊張感は
必要で、それが有るから生きておれる。
それにしても小倉は面白い。


ファイアー

2017年10月27日 | 俳句日記

「赤坂 わらやき屋」の炎のパフォーマンスである。
藁束を焼いて、鰹、鯨、牛タン、土佐鶏
などを炙っている。

すべてレアに焼いているから、素材の味
が失われることなく、藁の香がパリッと
移り絶妙な味覚を味わうことが出来る。
土佐の銘酒、焼酎とこれがよく合った。

昨夜は、ここでご馳走になった。
毎度の事で、この旧友には幾ら感謝して
も足らないほどにお世話になっている。
彼が気に入って当然のお店であった。

都内の15カ所に店舗を構えているので、
東京で名の通った繁華街には必ず在ると
言ってもいい。
飲んで食って一人単価が4千円だった。

昨日の、議員会館地下の醤油ラーメンと
合わせて、読者には是非訪ねて欲しいと
思い、お知らせした次第である。
今日は、これから小倉に向かう。

〈赤坂の 秋の味覚や 友の情〉放浪子
季語・秋の味覚(秋)

10月27日〔金〕晴れ
小倉行きを決めたので、早朝から東京を
立った。
薄手のコートを用意して正解だった。
行き交う人も冬の出で立ちだ。
さて、九州はどうだろう?

我なりに意義のある上京であった。
常に、元寇が頭にある博多人の緊張感も
伝える事ができた。
ファイアーには「撃ち方始め!」の意味
もあるが、正恩君よ使ってくれるな。