夕庵にて

スマホでパチリ・・・
ときどき写真と短歌を

薬師寺の蓮の花

2020年07月17日 | お出かけ
やっと長い雨から解放されて晴れ間の見えた昨日、薬師寺の蓮の花の撮影に出かけた。我が家から電車で10分あまりで、世界遺産の薬師寺がある。コロナを恐れながら蜜を避けつつ早々に帰宅。

パンフより

ゆく秋の大和の国の薬師寺の塔の上なるひとひらの雲  佐々木信綱


東塔を背に咲き誇る蓮の花。白鳳時代の”凍れる音楽”という愛称で親しまれ、相輪の上に取り付けられた水煙は24体の飛天の透かし彫りがある。

すいえんの あまつおとめがころもでの ひまにもすめる あきのそらかな
会津八一


netより拝借


 

  

西塔は焼失されたが、昭和56年に再建。華麗な姿は人々を魅了する。







 





 
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憑神(つきがみ)

2020年07月14日 | 
「憑神」 浅田次郎著 新潮文庫


書店の浅田次郎の棚を見ていて、表題と表紙の絵の面白さに魅かれて手にした一冊。

時は幕末、処は江戸。貧乏御家人の別所彦四郎は、文武に秀でながら出世の道をしくじり、夜鳴き蕎麦一杯の小遣いもままならない。ある夜、酔いにまかせて小さな祠に神頼みをしてみると、霊験あらたかにも神様が現れた。だが、この神様は、神は神でも、なんと貧乏神であった!それから疫病神や死神に憑りつかれ、とことん運に見放されながらも懸命に生きる男の姿は、抱腹絶倒にして、やがては感涙必至。・・・😭 

物語の終盤、三河武士の主人公は厄病を取り払い、明治の御代の安泰のために「限りある命が虚しいのではない、限りある命ゆえ輝かしいのだ。武士道はそれに尽きる。生きよ」と幼い息子に言って馬上の人となる。「小さな損得に一喜一憂し、神頼みなどしている限り、人は本当に幸せな心の境地に達することは出来ない」主人公はこの心理に気づき、先祖代々の影鎧をつけ、将軍の影武者として、颯爽と上野の山の彰義隊のところへはせ参じる。武士に憑りついた貧乏神も疫病神も死神もなすすべがない。人は神に勝ったのである。・・・・      解説より抜粋                 

最後の何ページかは、武士の言葉にすかっとして気持ちがよかった!!😤
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歌人 岡井隆さん 死去

2020年07月12日 | 短歌
現代歌壇の牽引者で宮中歌会始の選者だった岡井さんが亡くなられた。92歳の高齢だったが、寺山修二や塚本邦夫らと前衛短歌を展開した立役者として知られる。嫌われた文語と口語をみごと織り込んだセンスの良さ、今や短歌会は容認の傾向にある。時代とともに自我を貫き通した波乱の人生だったようだ。

手元に彼の歌集がある。今日はこれを読んでご冥福を祈りたい。
 
                

つきの光に花梨が青く垂れてゐる。ずるいなあ先に時が満ちてて


たぶん私は後悔せずに去るだろうこの世の果てまで歩みたる後

自分がこの世を去る時の自分の姿を想像する。岡井の死、老いに対する観念は、研ぎ澄まされて甘美にさえ詠っている。               合掌
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梅雨のお土産のキノコ

2020年07月12日 | 日記
昨日は、午後から薄日が射してきたのでいつものスイレン池の公園までウオーキング。薄日なのでスイレンは完全には開ききってはいなかった。池面に輪ができるのでよく見ると、なんとかめさんが這い上がってきた!おまけにその後ろに子亀までついてきた!!餌を求めてか必死だ!何も持ってなかったのを悔やんだ。!早々にその場を立ち去ったのだが、これから公園に来るときは、パンくずでも持ってこようと思った。

   

帰り道、湿った草むらに可愛いキノコがあちこちに生えていた。天候、湿度、場所を選んで一生懸命に・・・肉厚で美味しそうねぇ~

 


 


   

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元興寺の桔梗・・・・2

2020年07月09日 | お出かけ
本堂左手に広がる庭園には桔梗が満開だった。ここ2,3日の雨風に少し痛んではいたが、石仏の間からのぞく桔梗の花は、風が吹くたびにやさしく語りかけたり、じゃれあったりしているかのようだ。












 元興寺は浄土信仰が盛んになりこの一角が極楽坊と呼ばれ、僧坊の一部を改造した極楽房は曼荼羅堂ともよばれる。この寺を支えるものは政府でも貴族でもなくて、むしろ無名の庶民と呼ばれる階層のひとたちが中心となったようだ。決して華美ではないが、古都の歴史を物語る街の中にひっそりと溶け込んで建つお寺だ。


            
 

また、この境内のどこかにひっそりとが隠れているらしい。石仏の後ろや、古株の祠や、葉隠にそれを見つけるのも楽しいが、今回は雨が降りそうだったので帰りを急ぎ、4匹しか見つけられなかった~
その表情がなんとも素朴でかわいい~この鬼たちも平城(なら)の庶民の守り神だったのかもしれないと思うと、味わい深いものがある。

 

 


女流歌人、大伴坂上郎女は奈良の元興寺の里を詠んだ歌を残している。

ふるさとの飛鳥はあれど靑丹よし平城(なら)の明日香を見らくしよしも
万葉集6
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