夕庵にて

スマホでパチリ・・・
ときどき写真と短歌を

蝉の羽化

2016年07月26日 | 写真
今はあちこちで空蝉がしっかりと木にしがみついているが、羽化は見たことがない。

ネットで検索したら羽の美しさに見とれた。時間がたつほどにたくましい茶色に

変身してゆくのだ。長らくの地中での生活から羽化してわずか10日余り、

子孫を残す宿命にあんなに必死になってメスを呼ぶ。蝉の生態ほど不思議なものはない。

 薄明にかさねの色に羽化しゆく蝉のドラマに刻(とき)を忘れて  teto

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ひまわりと夕日

2016年07月25日 | 写真
夏の花といえばひまわり、鶏頭、おしろいばな、カンナ、朝顔だったのが、

今はこの花たちを探すのはひと苦労。ひまわりは最寄りの駅の花壇にボランティアの

人たちが雛段様に咲かせてくれていた。向日葵はやはり夏にふさわしい花。









夕方陸橋から見た夕日。どこから見てもあたりの雲をそれぞれに染めながら

一日の終わりを告げる夕日は荘厳な感じ。風に吹かれながらしばらく夕景に見入った。

おぞましい事件もあわただしい都知事選挙も一瞬忘れて・・・

明日こそどうぞ平穏な一日でありますように祈る。



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元興寺の桔梗

2016年07月24日 | お出かけ
朝の涼しい風にさそわれて奈良の元興寺さんを訪ねた。

丁度桔梗が石仏の右に左にと揺れていた。





       

境内には小さい鬼が潜んでいるという。粗いがユーモアのある鬼達であった。

      

境内には早くも鮮やかな芙蓉が咲いていた。





帰りはならまちの散策し、懐かしい吟松の手打ちそばを食べる。短めの腰のあるざるそばでほっと一息入れた。


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『檸檬』 梶井基次郎著

2016年07月23日 | 


梶井基次郎著『檸檬』を読む。

一つの檸檬からいろいろな言葉を紡いでゆく。檸檬を買って京都丸善の書店の

洋書棚のてっぺんに檸檬をひとつ乗せて置いてゆくというたわいもない

行動なのだが、檸檬の持つ重さだとかその色、その時の心理状態であったり、

言葉の持つ不思議な美しさと完璧さをゆっくりと味わった。

一人称で書かれているのでさして物語性はないぶん文章を鑑賞したわけだが・・

梶井は31歳という若さで夭折。生まれは大阪。かつての文学者がそうであるように

彼もまた結核に倒れた人。大学の留年を繰り返しつつも作品は完成してゆく。

病身で徐々に精神も病んでいく。それゆえに生まれた作品は静謐にして澄明。

生まれたのが1901年、100年も前に書かれたものと思えばもう古典ではある。

『桜の樹の下には』

「桜の樹の下には屍体が埋まっている!これは信じていいことなんだよ。

何故って俺はあの美しさが信じられないんだよ。

馬のような屍体、犬、猫、そして人間、屍体はみな腐爛して蛆がわき、たまらなく

臭い。それでいて水晶のような液をたらたらとたらしている。

桜の根は貪婪な蛸のようにそれを抱きかかえ、いそぎんちゃくの食系のような

毛根をあつめて、その液体を吸っている。」

読むのがためらうようなすごい描写、透視力だ。人に話すとみな眉を潜める。

孫に話すとそんなこと言わないで!と気味悪がられた。

満開の桜の樹の下に立つ時、いつもこの話を思い出すのはやはりさくらの精を

思うからかもしれない。ちょっと怖いような謎を含んだような、美しいだけでは

済まされない魔のようなものを感じるのだ。
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蘇民将来の護符

2016年07月17日 | 日記
昨日の歌会で会員さんから祇園祭の宵宮の日にだけ授けられるという護符をいただいた。

一年間玄関先に飾る厄病除け、家内安全のお守りである。

文字は蘇民将来の故事に因む。ちなみに会員さん宅は放下鉾を引くそうである。






京都の友人は家の中に居てもコンコンチキチンのお囃子の音が聞こえてくると

家の中に居られず鉾を見に行くという。今頃はきっと汗をかきながら1年に1度の

お祭りを楽しんでいるに違いない。
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