寺さんの【伝えたい話・残したい話】

新聞記事、出来事などから伝えたい話、残したい話を綴っていきます。
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(第2652話) お姉ちゃんを捜しに

2018年08月02日 | 出来事

 “「いっぺんお姉ちゃんを見に行こうか」。母が私に言った。中学生だった私は、一度も名古屋の栄にある百貨店の丸栄に行ったことがなく、うれしくて小躍りした。六歳上の姉は高校卒業後、手芸材料関係の会社に入社した。商業簿記を学んだから事務職かと思いきや、すぐに丸栄に派遣されたのである。
 人見知りで口下手なお姉ちゃんが、母は心配だったのだろう。娘が粗相なく仕事をしているのかを見たくて、私を誘ったのだと、今になって親心が染みる。広くて華やかな店内をキョロキョロ。いったいどこに行けばよいのか、姉の姿を探してウロウロ。そしてやっと見つけた。「おねえー」と言いかけて、売り場に近づこうとすると、母に腕を引っ張られた。「やめとこう。もう見たからいい」と。そのときお客さんはいなくて、姉は本を見ながらレース編みをしていた。お客さんに教えることもあるのか、勉強がてらの練習だろうか。
 お姉ちゃんを探しに行ったその日のことは、母は黙っていた。ずっとその後も。私も忘れていた、丸栄がなくなると聞くまでは。今度、古希になった姉に会ったら、あの日のことを打ち明けようか。何を今さら、と笑われるかもしれないけど。”(7月16日付け中日新聞)

 愛知県清須市のパート・高山さん(女・65)の投稿文です。創業400年の丸栄が、今年6月30日に閉店した。いろいろな思い出話が紹介された。高山さんも閉店を機会に、昔のことを思い出された。いつまでも子供を思う母の愛である。働く姿を見に行っても、声をかけなかった。静かに見守る姿である。それが高山さんのお母さんであった。声をかける方法もある。どちらがいいかは分からない。一瞬の気持ちである。親子は何だかんだ言いながら、いざという時には思いやりを発揮する。これでいいのである。
 ボクらの子供の頃は百貨店に行くのが大きな楽しみであった。多くの人にはそうだったろう。屋上に上がれば見晴らしは良かったし、遊園地もあった。食事もできた。名古屋で言えば、その他には動物園とテレビ塔くらいであった。と言いながらボクには親と百貨店へ行った思い出はない。当然ながら買い物もない。その流れか、ボクは一人前になっても百貨店で買い物をしたことはほとんどない。百貨店の袋を持っている人を見ると、今でもボクより豊かな人に見える。


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