寺さんの【伝えたい話・残したい話】

新聞記事、出来事などから伝えたい話、残したい話を綴っていきます。
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(第2543話) 祝日の意味

2017年12月16日 | 意見

 “三日は「文化の日」だが、八十代の母に何の祝日かと聞くと「天長節」と答えた。明治天皇の誕生日だ。確かにそうだが、私たちの世代には一九四六(昭和二十一)年のこの日、憲法が公布されたことの方がなじみがある。憲法施行日はその半年後の四七年五月三日で、この日付が「憲法記念日」となっている。
 このように祝日にはそれぞれ由来や意味があるはずだが、近年のハッピーマンデーに代表されるように連休を増やすために日付が変わるケースがいくつかある。年ごとに日付が違うと祝日本来の意味が忘れ去られてしまうのではないかと私は心配だ。
 六四年十月十日に東京五輪の開会式が行われたことにちなむ「体育の日」は今年は十月九日だったが、歴史が書き換えられるような寂しさすら覚えた。連休になれば休暇が取りやすい人は多く、経済効果はあるのかもしれないが、これで良いのだろうか。”(11月25日付け中日新聞)

 岐阜県七宗町の福井さん(女・53)の投稿文です。ボクも全く同意見、同じことを感じている。祝日は長いこと9日であったと思うが、今は18日ある。祝日が増えたこともあまり意識しなくなったと思うが、日にちが年年で変わることも意識しなくなった原因と思う。1月15日の成人の日や10月10日の体育の日はきっちり頭に入っていたが、今では「今日がそうですか」と驚くことも多い。今や日本の祝日の数は先進国中最多という。有給休暇を取りにくい日本の労働事情に配慮して、公的な休日を多くしているともいう。先に挙げた成人の日や体育の日は祝日の日付を固定せずに月曜日として、週末に続けて連休を取りやすくするハッピーマンデー制度である。国民の休暇を多くするために取り入れた制度のようであるが、本末転倒になった気がする。祝日に意味とありがたみを全く感じられなくなった人は多いと思う。経済の前には何でも行う、そのひとつの気がする。何でも行うのであったら、有給休暇を取りやすくすることが本筋ではなかろうか。


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