宮城県沖で16日起きた地震は、政府の地震調査委員会が発生を想定している宮城県沖地震と同じタイプの「プレート境界型」だったとみられる。プレート境界型地震は東北地方が乗っている北米プレートが太平洋プレートの潜り込みに従って引きずり込まれ、その反動ではねかえって起きる。
2つのプレートの境目が南北に通る宮城県沖はプレート境界型地震が過去、平均37年周期で繰り返し起きている。マグニチュード(M)7.4の78年の宮城県沖地震では、ブロック塀が崩れ落ちるなどし、28人が死亡した。
今回の地震、かなーり長い時間に渡ってかなーり強く揺れたのであるが、この地震で思い出した話を2つ。
神田駅のガード下に「mikado」という名前の”クラシック喫茶”があったのだが、その名の通りクラシック音楽が流れる喫茶店だったらしいのであるが、したがって当然わたくしは入ったことがないのであるが、いつのまにか、イタリアンレストランに取って代わられていた。
1978年の宮城県沖地震はなんとなく覚えていて、たしか夕方で、当時小学3年生だったわたくしは、渥美君の家の前で遊んでいるときに、大きな揺れに遭遇したのである。ついでにその近所には島田奈美の実家がある。さらに言えば、島田奈美さんは現在は島田奈央子という名前で音楽ライターをやっていらっしゃるのであるが、今でもきれいだわぁ……。
2つのプレートの境目が南北に通る宮城県沖はプレート境界型地震が過去、平均37年周期で繰り返し起きている。マグニチュード(M)7.4の78年の宮城県沖地震では、ブロック塀が崩れ落ちるなどし、28人が死亡した。
今回の地震、かなーり長い時間に渡ってかなーり強く揺れたのであるが、この地震で思い出した話を2つ。
神田駅のガード下に「mikado」という名前の”クラシック喫茶”があったのだが、その名の通りクラシック音楽が流れる喫茶店だったらしいのであるが、したがって当然わたくしは入ったことがないのであるが、いつのまにか、イタリアンレストランに取って代わられていた。
1978年の宮城県沖地震はなんとなく覚えていて、たしか夕方で、当時小学3年生だったわたくしは、渥美君の家の前で遊んでいるときに、大きな揺れに遭遇したのである。ついでにその近所には島田奈美の実家がある。さらに言えば、島田奈美さんは現在は島田奈央子という名前で音楽ライターをやっていらっしゃるのであるが、今でもきれいだわぁ……。