ことばにならない風の声

今日もどこからか風はやってきてやがてまたどこかへいくだろう。
何に向かっているのか己でさえもわからずに、、。

ひとりでいると。

2018-12-27 00:38:12 | 日記



まあまだまだ日は浅いですが、人と一緒に暮らしてからというものの、こうしてひとりの空間?時間?がぽっかりできると驚いてしまっている自分に出くわす。


大学生に入ったころから一人暮らしが始まったが、一人でアパートの一室にいることをさみしいやらなんやらはあったけども、あまり孤独も感じないまま、こわさも感じないまま、それが普通でむしろ心地よいぐらいの日々を過ごしていた。



私は人付き合いがそこまでいい方でもないから、自分ひとりの時間も多かったように思う。

人と一緒に暮らすなんてこともしたことがなかった。

周りの友達やらでも同棲しているなんていう子もいなかったし、みんなひとりが普通だったのだ。


けど当時のことを思い返すと、人と一緒に暮らしているような人のことを想像しては、よく人とずっと一緒にいれるよな、とか、多分寂しがりなんだろな、とか、ある意味ひとりの時間を過ごしてないから、このひとりのさみしさは知らないだろう、彼らにはこのなんとも言えない虚しさはわからないだろう、人と一緒にいるとそういうことを思う暇もないままなんだろう、とか、勝手に思っていた。


けどそういう感情は今になって思えば、そうやって人と過ごせるっていうのは、私自身をカタイと見れば、ヤワラカイ人たちなんだろうと思ってたからこそ、羨んでいたんだということを思うし、今から思えば、ひとりでいるときの強みというか、自由さってのは、ほんとに全くもって自由だったからこそ、今ではもう得難いものになってしまったと強く思う。




人と暮らすとなると途端にこうも縛りがあるものか、と思う。

良くも悪くもだ。


まぁ自分たちがそうやって決めた暮らしぶりなんだけども、毎日ちゃんと朝昼晩ごはんを欠かさず食べて、早くに起きようと心がけて、お金に関しても、なんだか急に我が物顔で買うことができなくなったっていうか、いちいちこれ買っていいものかなんて相談したりして、、今日は何をするかを考えたりして、、


とにかくいつも同じことを繰り返しふたりでやってたりして、日々が堂々巡りしていく感覚。


ひとりのときは、大学生という時期がそうさせる部分も大きいだろうが、いつ寝ようがいつ起きようが何を食べようが食べまいが、何をするのも思い立てばするし、なければそのままだし、そこに疑問も考えることもなかった。

まずもって、明日のごはんは、、とか考えたことなかった。


今から考えるとあり得ないことだもの。

今なんてこの毎日のごはんのことをどれだけ繰り返し考えることか。

買い物をすれば、この数日のことを思い巡らし、何を買おうか食材とにらめっこだし、朝ごはんを食べ終わればお昼のことを考えるし、お昼ごはんを食べれば、夜ごはんのことを思うし、どんだけ食べるんだと思ったりする。

毎日毎日えらい(大変な)ことだ、ほんに。



そんな中、急に家にひとりになると、それがまた滅多にないから、急に心細くなってしまって驚く。

この山の中の一軒家だからだろうか、いや、これは大きいに違いないが、ひとりでいるということが似合わない雰囲気で、あー一軒家でひとりで暮らされてる方はどんな思いだろうかと、想像する。


逆にと言ってはなんだけども、都会のアパート暮らしの一人暮らしはまだいいのかもしれない、なんだか紛れ込めてる感じがあるし、周りもみんなそうだという安心感もある。



にしても、何が言いたいかっていったら、こうしてひとりを急に感じると、あーふたりでいることの思う通りになっていかない感じに煩わしさやら面倒くささやら感じて文句ついてるけど、いなくなった途端、自由になった途端どうだろう、急にその自由を私は持て余してしまっていて、あれ?ってなってる。


つまりは、自分が人と暮らしていることで、自分の役割やら居場所にすっかりどしんと座り込んでいて、それによってはじめて自分がいきいきと動けていることに気づいていないのだ。


そうやって文句を言う相手がいて、文句を言いたいほどのことがあって、それを当たり前に感じる分には不満のところしか見えないのだが、不満というのは決して不満だけでは成り立ってないというのか、満足(とは、本人の意識下の中では思えずにいることかもしれないが、)の面があって、今で言う、どしんと座り込んでいる自分の居場所に安心しながら、はじめて不満が生まれてくる、ということもあるのではないか。



などと、いろいろ考えた次第。

けど、ひとりでじっとしていると、言葉が生まれてくる、ような気もするなぁ。


実際は、一人暮らしも何人暮らしも関係なく、いつだって、この私はわたしというひとつが生き死にいくものであるはずだけれども、すっかり寄っかかってしまって、そういうひとりということを感じずにおることを逃れ逃れ紛らわしているようだ。



そんなこんななことを思ったりして、ふと、このなーなー感は慣れたらやばいぞ、と自分に言い聞かせにゃなと思った次第だす。



ほだらば。