この校長日記、今日で今年度300号を数えます。読者の皆さんの温かい励ましの声があり、何とか続けてこられました。
ほぼ毎日書くということは、「習慣」になってしまいました。
さて、高校の教員異動の2次分が昨日、県教委のホームページ上に発表になりました。
本日の新聞にも掲載されています。
以下の通りです。
http://www.pref.nagano.lg.jp/kyoiku/koko/jinji/h30-2.html
本校の新しい教頭先生には、吉澤健二高校教育課主任指導主事が赴任されます。
少し私的なことをまた書きますが、吉澤教頭先生とは、軽井沢高校と高校教育課の2箇所で一緒に仕事をしました。
また、一緒に仕事ができることをうれしく思っています。
本校から異動になる先生方、また、本校に赴任される先生方も掲載されています。
本日は、特編授業最終日です。
大掃除もあります。
1月の本校を会場に行いました、数学オリンピックで賞状をもらった生徒に、昼休み、校長室で賞状を渡しました。
これって、実はすごいことなのですよ。
1学年は、午後、学年集会を行っていました。
2学年は、午後、信州大学の藤森教授に進路講話をしていただきました。ありがとうございました。
担当の澤田先生から、藤森先生の紹介をするように、昨日いわれました。何をしゃべろうかと思案しましたが、原稿を書き、紹介しました。
私の紹介場面
藤森教授講演冒頭
講演終了後、生徒が校長室で藤森先生と懇談していきました。
最後に記念撮影
こちらも少し私的なことを書きますが、藤森先生は、大学時代の2級後輩で、民俗学を研究する仲間でした。それ以来のつきあいですから、40年近い長いつきあいになります。
藤森先生は、本校の同窓生でもあります。藤森先生の母校の野沢北高校の校長職に就くとは、大学生のころには、夢にも思いませんでした。また、大学生のころは、佐久に対する知識は、ほとんどありませんでした。私、中信の出身ですので。
教員として最初に赴任した臼田高校以来、佐久に住む期間もだいぶ長くなってきました。
大学時代のことを思い出すと、同じ学類の長野県出身者に、野沢北高校出身の女性がいまして、それで、野沢北高校を知ることになりました。彼女は小諸市出身でした。
その昔、私、高校の教員をする傍ら、長野県史民俗編の編纂委員を務めていて、その民俗調査で、盆行事調査を実施したときに、藤森家の迎え火の様子を写真に収めさせてもらいました。
昭和59年(1984年)8月のことです。帰省中の藤森教授の後ろ姿が写っています。
藤森先生の著作に、こんな著作もあります。藤森先生から、刊行当時頂戴しました。
2000年(平成12年)1月1日発行の書籍です。
岳南会関係書籍にも、寄贈されています。
信州総文祭関連記事が、昨日の信濃毎日新聞に掲載されていました。
以下からご覧いただけます。
http://www.shinmai.co.jp/news/nagano/20180319/KT180318SJI090008000.php