本日の夜12時をもって、野沢北高校の校長職を退職となります。何とも言えない、圧迫感・重圧・緊張感から解放された後はどうなるのか、今の段階では、見当がつきません。
あと、3分で、4月1日となります。これで無事に退職を迎えられます。みなさん、ありがとうございました。
午前中、最後の出勤に備え、散髪してきました。
午後、最後の出勤をし、校内を見回り、校長室のカギを教頭先生に託しました。
最後に校長室で、教頭先生と記念撮影をしました。
帰りましたら、退職祝いに頂戴したワインをいただき、退職を祝おうと思います。
教頭先生には、休日出勤していただき、申し訳ございません。
野沢北高校正面 お世話になりました。
国公立大学の追加合格も発表になり、本校も、信州大学にさらに1名合格となりました。
推薦合格 11
AO・その他 1
前期 45
中・後期 16 17
合計 73 74
内訳は、
◇国立大学 46名 47名
・北海道大学1名、東北大学1名、名古屋大学1名、金沢大学1名、帯広畜産大学1名、山梨大学1名、福井大学1名、埼玉大学1名、電気通信大学1名、横浜国立大学1名、愛媛大学1名、宮城教育大学1名、宮崎大学1名、上越教育大学1名、静岡大学2名、群馬大学5名、富山大学薬学部など5名、新潟大学歯学部など7名、信州大学13名14名
◇公立大学 27名
・静岡文化芸術大1名、公立諏訪東京理科大1名、都留文科大2名、秋田県立大1名、福井県立大1名、長岡造形大1名、長野県立大2名、横浜市立大学2名、首都大学東京3名、富山県立大2名、山梨県立大3名、長野県看護大3名、高崎経済大5名
200名の卒業生という集団で、今回は国公立大学だけを紹介しましたが、私立大学も含めて、本校の生徒諸君は、よく頑張ったと思っています。
昨年度の卒業生も、200名弱で、延べ80名の国公立大学合格者を出していました。
今年、うまくいかなかった生徒諸君も、来年、頑張ってください。健闘を祈っています。
最後に、かつて教頭としてお仕えした、定年退職された校長先生の最後の日のことを記します。
私が教頭職に就いたころ、退職される校長先生に、名前入りの懐中電灯を贈る風習がありました。
いまでは、行われていないと思います。
みなさん、なぜだと思いますか。
それは、校内を最後に見回って、学校を去るということを、象徴的に、「懐中電灯」に担わせたのだと私は思っています。
私も、名前入りの懐中電灯を購入し、最後に校長先生と一緒に校内を見回り、その懐中電灯を校長先生にお渡しして、校長室のカギをお預かりして、校長先生が帰られるのを見送ったことがありました。
校内を見回った後に、校長先生は、高校教育課に電話を入れ、「大変お世話になったことと、これにて学校を去ること」を伝えていました。
高校教育課も、その時間に残っていて、電話対応をしてくれていて、正直驚いた記憶があります。夜の10時頃のことでした。
今回は、日曜日ですので、私は、高校教育課には電話をしませんよ。働き方改革の流れに逆らうような行為は慎んだほうがいいと思っているからです。
さて、
この校長日記を、ご覧いただいたみなさん、大変お世話になりました。
改めて、御礼申し上げます。
2月に行われた最後の東信高校校長会の中の「退職校長講話」で、話をしましたことの一つは、私の校長職としての6年間は、「学校の情報公開」に努めてきたということでした。
「学校を内外に開く」その手段として、この「校長日記」は非常に優れた発信ツールだと思っています。
長野県内で初めて校長日記をネット配信された、当時の内堀繁利軽井沢高校校長先生(のちに上田高校校長先生も務められました)の先見性を、改めて、今、思います。その当時、教頭であった私は、そのあとを追いかけるように、登校日は欠かすことなく、6年間、書き続けてまいりました。
事前に、校内外からネタを集め、アップする前日までに予定原稿を書き、まず、朝起きると、その予定原稿を再度見直し、修正し、まず、1回アップしました。
その後は、追加記事を書いたり、写真を追加して、最終的には夕方から夜にかけて、その日の日記を完成させていました。
翌日以降も、時間のあるときには、以前の日記を読み返し、わかりにくい表現などを修正もしていました。
まぁ、この校長日記と共に、校長の職を行ってきたようなものでした。
校長日記を記すために、校内の動きには、敏感になりました。先生方に聞かないと、書けないことがいろいろありましたから。
この「校長日記」は、再度書きますが、「情報公開」の手段であり、日々の学校の様子を、できる限り、わかりやすく、読者の皆さんにお伝えすることに腐心してきたつもりです。
校長だからできることのひとつが、「校長日記」であったと思っています。
校長以外の教職員では、学校情報をどこまで明らかにしていいのか難しい面もあり、校長の決裁を受けて、アップしているようでは、リアルタイムに発信することはかないません。その意味でも、この「校長日記」を公開するという営みは、大切なものであったと思いますし、意義のあることともいえます。
明日からは、一切、こうした学校情報の公開には、タッチする立場にはありませんので、今日をもって、校長日記は終了します。
後は、北澤新校長さんに、お任せしています。
私、先生方や生徒諸君には話しましたが、来年度は、4月から野沢北高校で非常勤講師を勤め、2年生に日本史を教えます。月・火・木のある時間だけ、野沢北高校に出勤します。初授業は、4月8日(月)になります。ドキドキ、ワクワク、しています。
4月からお世話になる、いわゆる社研の私の机です
また、9月下旬から1月下旬にかけては、長野県立大学の非常勤講師も勤めることになっています。長野県立大学では、水曜日の午前中に一コマ100分間、14回、授業を受け持ちます。1年生が受講するという「信州学」という講座になります。
教師になりたくて、高校現場に勤めたわけですから、校長を退職したら、初心に戻り、やはり、一教師として、現場で、生徒諸君と一緒に、授業を創っていきたいと思った次第です。
みなさん、お元気で。ありがとうございました。お世話になりました。
この「校長日記」、しばらくの間、ネット上でみられるように、お願いしてあります。