さあ、2015年も今年後僅かとなりました。今日はスーパーマツオカへ行って買い物をしてきました。注文していた2重のおせちも届きました。今年もこうやって大晦日を暮らせることを感謝いたしたいと思います。
今年も思い越せば色んな事がありました。ノーベル賞の話題、惑星探査機の活躍、経済のあり方、児童殺傷や、ネットの炎上まで。
今私たちの世の中は監視社会に入ろうとしています、この監視社会はみんな自信安危になり一度過ちをおかせば二度とも社会には復帰できないと言う特徴があります。
さらに根拠をでっち上げられると言う特徴をもった困った状態です。
誰がこんな社会を望んだのでしょうか?それは今の大人であると言えます。そう数年前の自己責任の社会とは今の社会と言えます、理想の自己責任社会は今の問題の一端を担っています。
高齢者でも働いていると言う人がいますが、もっと高齢になればそれは実現不可能に近くなります。何故か?人間は高齢になれば色んな病気を持つことになるからです。こんな当たり前のことを今の1億総活躍社会といっている人は気づいていません。
何時までも物事が続くと思っている、いわゆるぐうそうを抱いているのに近いからです。
始まりがあるものは必ず終わりが存在します。私たちはせいぜい100年くらいしか生きることができません。
さらに世の中には話の上手い事が良いことであるような風潮ができています。私たちには人権と共に考え得る自由も存在しています。考えを放棄するような事はおろかなことだと思いませんか?
こんなインターネットと言う便利なものができたのに人を中傷して傷つけて、あげくのはてには犯罪に使う。こんなこと恥ずかしいと思いませんか?
みんな違ってみんないい社会は何処へいったのか?自分で考えずに人から言われた流行品を買う、そんなもの面白いんでしょうか?
私は洋楽の歌詞は大局的で面白いと思います、邦楽の歌詞はどれも同じに見えてつまらないです。さらにこれは素晴らしいだろうと人に思わせることを狙った作品は面白くないです。失敗してそうな作品の方が面白い。
所詮売れる作品しか評価しないなんてそれでも哲学的な考え方はそこに存在していないように見えます。
色々と書いてきましたがこのブログも何時無くなるか分かりません、突然消えるかもしれません。その時は世の中には必ず終わりがあることを思い出して・・・・・・っって言い訳か( ̄▽ ̄;)いや、出来るだけ続けられるよう頑張りまっす(^_^;)
さて皆さんにとって良い2016年であるように祈っています。
それでは最後に一言、
私たちは 必ず幸福にならなければ いけない
以上、今年最後のなんじゃこりゃあ!!ブログのエントリーでした。
そりではよいお年をq(^-^q)