(画像:中越の風景)
そろそろスタッドレスも履き納めかなと思い、昨日は関越道の六日町ICを基点に、中越地区を一周。
路面はまったく雪がなくて、ノーマルでも全然問題なかったけどね。
新潟の、特に中越の風景は眺めていて何とも落ち着く感じがして好きだ。
緩やかに連なる低い丘陵に、杉林と棚田と農家の納屋がポツンポツン。
関東は晴れてたらしいけど、昨日の新潟は天気悪かったすね。小雨混じりの重い雲が垂れ込めて、雪景色も霞んで見えました。気温は高かったから、地面の雪が蒸発してモヤみたいな霧みたいな雲が地面を這ってて見通しもあまり良くなかった。
そんな曇天の下を、旧山古志村へ行ってみた。
山古志といえば三年前の中越地震の一番の被災地として全国にその名を知らしめた場所でもありますが、ちょっと幹線ルートからは外れてて行きにくい場所にあります。周辺の主要都市である長岡からも、小千谷からも、小出からも、山を越えないと行けないし。あ、だからヤマコシ村なのか。
ちなみに山古志と言えば中山隧道でしょう。
ってさも常識のように言っていいのかどうか分からんがw
ちょっと解説。
山に囲まれた村の中でも、特に最深部に位置する小松倉集落には病院もなけりゃ店もなく、最寄の街である小出まで片道2時間(徒歩)の辺境でありました。普段の暮らしはともかく、村で急病人だの妊婦だのが出た時、その不便さは大きなネックになっていたんだね。厳しい冬の峠道は積雪に阻まれ、強行突破を図った村人が吹雪に巻かれ、病人を背負ったまま峠で力尽きた人もいたらしい。
繰り替えされるその惨状に、「どげんかせんといかん」って事で(たぶん言ってないけどw)雪でも行き来出来るよう村人は峠に隧道(トンネル)を掘る事を決意。小さな村の人手は戦争に取られカネも人もない中、昭和8年からコツコツと人力で掘り進め、16年をかけて貫通させたのがこの中山隧道なんですね。
ちなみにこの中山隧道、平成10年に新トンネルが開通するまでは国道291号線の一部として国道指定されていたと言う事で全国的に有名でした。「未整備の国道手掘り隧道」と言う事で、「お好きな方にはたまらない」マニアスポットだったんだけど、実はこの隧道が国道指定されたきっかけは、獄中でこの中山隧道に関する手記を読み、その熱き思いに共感した田中角栄だったらしい。「国道指定されれば整備は進むだろう」と言う角栄の思惑通り平成10年に旧中山隧道の脇に新トンネルが開通し、旧隧道はその役目を終えた訳であります。しかしながら、往時の山古志の人の暮らしぶりを今に伝える貴重な土木遺産として旧隧道は廃道に陥る事もなく、今も地区の人によって整備され通行する事が可能です。
ちなみにこの隧道、坑口幅が1.4mで、国道のくせに軽自動車しか通行出来なかった事でも有名でした(笑)。
試しに坑口に車を接近させてみたんだが、その狭さがお分かりいただけるかと。
中に入ってみると隧道の歴史が書かれた銘板があり、その向こうには落盤防止用だろうか、天井を金網巻きにされた隧道が奥へ奥へと続いている。ちなみに30秒露光で撮ったんで明るく見えますが、実際は真っ暗に近いです(笑)。正直、中に進むのはとっても不気味なんですけど、折角ここまで来たんだからと納得させて歩いてみることにする。
隧道内は地下から染み出した雪解け水でびっしょり濡れており、天井からシタン、シタンとしたたる水の音と足音がビィン、ビィンと反響するのも不気味さを増すSEとして非常に効果的だ(笑)。朝7時に誰もこんなトコに来る訳ないんだけど、思わず心の中の観客が「シムラ~!後ろ!後ろ!」と叫び出す(笑)。手掘りのゴツゴツした岩肌にはノミを穿った跡が克明に刻まれていて、往時の難工事が偲ばれるのでありますが。あの地震でも壊れなかったと言うのは凄いな。
振り返ると、今入って来た坑口があたかも天国へのドアのように光り輝いていました。
当時の村人には、本当に天国への扉だったのでしょうねえ。
このトンネル、手掘り隧道としては日本最長で924mもあるんですが、300mくらい歩いて引き返しました(笑)ええ、ヘタレですともw
出た時のホッとした気持ちと言ったらw
隧道見学を終えて、山古志村の中を流してみる。
地震の痕跡…はもう3年も経てば何も残ってないのかなと。道はきれいに作り直されているし。ある家ある家みんな新築っぽいのはある意味で震災後と言う感じはするのと、川にも砂防ダム、山にも砂防ダムとやたらと砂防ダムが出来ていたのが印象的。山崩れによる土石流を防止するためなんだろうね。中越って地区自体がもともと地盤の弱い褶曲地形だし。
山古志の高台から村内を眺めてみると、曇天の下の冬の風景はいかにも中越的。
手前の池みたいなのは、この地区特産の鯉の養殖池でしょうか。
ただ、村人自体姿をあまり見ませんでしたけどね。
村を捨てた人も多かったのかもしれません。
そろそろスタッドレスも履き納めかなと思い、昨日は関越道の六日町ICを基点に、中越地区を一周。
路面はまったく雪がなくて、ノーマルでも全然問題なかったけどね。
新潟の、特に中越の風景は眺めていて何とも落ち着く感じがして好きだ。
緩やかに連なる低い丘陵に、杉林と棚田と農家の納屋がポツンポツン。
関東は晴れてたらしいけど、昨日の新潟は天気悪かったすね。小雨混じりの重い雲が垂れ込めて、雪景色も霞んで見えました。気温は高かったから、地面の雪が蒸発してモヤみたいな霧みたいな雲が地面を這ってて見通しもあまり良くなかった。
そんな曇天の下を、旧山古志村へ行ってみた。
山古志といえば三年前の中越地震の一番の被災地として全国にその名を知らしめた場所でもありますが、ちょっと幹線ルートからは外れてて行きにくい場所にあります。周辺の主要都市である長岡からも、小千谷からも、小出からも、山を越えないと行けないし。あ、だからヤマコシ村なのか。
ちなみに山古志と言えば中山隧道でしょう。
ってさも常識のように言っていいのかどうか分からんがw
ちょっと解説。
山に囲まれた村の中でも、特に最深部に位置する小松倉集落には病院もなけりゃ店もなく、最寄の街である小出まで片道2時間(徒歩)の辺境でありました。普段の暮らしはともかく、村で急病人だの妊婦だのが出た時、その不便さは大きなネックになっていたんだね。厳しい冬の峠道は積雪に阻まれ、強行突破を図った村人が吹雪に巻かれ、病人を背負ったまま峠で力尽きた人もいたらしい。
繰り替えされるその惨状に、「どげんかせんといかん」って事で(たぶん言ってないけどw)雪でも行き来出来るよう村人は峠に隧道(トンネル)を掘る事を決意。小さな村の人手は戦争に取られカネも人もない中、昭和8年からコツコツと人力で掘り進め、16年をかけて貫通させたのがこの中山隧道なんですね。
ちなみにこの中山隧道、平成10年に新トンネルが開通するまでは国道291号線の一部として国道指定されていたと言う事で全国的に有名でした。「未整備の国道手掘り隧道」と言う事で、「お好きな方にはたまらない」マニアスポットだったんだけど、実はこの隧道が国道指定されたきっかけは、獄中でこの中山隧道に関する手記を読み、その熱き思いに共感した田中角栄だったらしい。「国道指定されれば整備は進むだろう」と言う角栄の思惑通り平成10年に旧中山隧道の脇に新トンネルが開通し、旧隧道はその役目を終えた訳であります。しかしながら、往時の山古志の人の暮らしぶりを今に伝える貴重な土木遺産として旧隧道は廃道に陥る事もなく、今も地区の人によって整備され通行する事が可能です。
ちなみにこの隧道、坑口幅が1.4mで、国道のくせに軽自動車しか通行出来なかった事でも有名でした(笑)。
試しに坑口に車を接近させてみたんだが、その狭さがお分かりいただけるかと。
中に入ってみると隧道の歴史が書かれた銘板があり、その向こうには落盤防止用だろうか、天井を金網巻きにされた隧道が奥へ奥へと続いている。ちなみに30秒露光で撮ったんで明るく見えますが、実際は真っ暗に近いです(笑)。正直、中に進むのはとっても不気味なんですけど、折角ここまで来たんだからと納得させて歩いてみることにする。
隧道内は地下から染み出した雪解け水でびっしょり濡れており、天井からシタン、シタンとしたたる水の音と足音がビィン、ビィンと反響するのも不気味さを増すSEとして非常に効果的だ(笑)。朝7時に誰もこんなトコに来る訳ないんだけど、思わず心の中の観客が「シムラ~!後ろ!後ろ!」と叫び出す(笑)。手掘りのゴツゴツした岩肌にはノミを穿った跡が克明に刻まれていて、往時の難工事が偲ばれるのでありますが。あの地震でも壊れなかったと言うのは凄いな。
振り返ると、今入って来た坑口があたかも天国へのドアのように光り輝いていました。
当時の村人には、本当に天国への扉だったのでしょうねえ。
このトンネル、手掘り隧道としては日本最長で924mもあるんですが、300mくらい歩いて引き返しました(笑)ええ、ヘタレですともw
出た時のホッとした気持ちと言ったらw
隧道見学を終えて、山古志村の中を流してみる。
地震の痕跡…はもう3年も経てば何も残ってないのかなと。道はきれいに作り直されているし。ある家ある家みんな新築っぽいのはある意味で震災後と言う感じはするのと、川にも砂防ダム、山にも砂防ダムとやたらと砂防ダムが出来ていたのが印象的。山崩れによる土石流を防止するためなんだろうね。中越って地区自体がもともと地盤の弱い褶曲地形だし。
山古志の高台から村内を眺めてみると、曇天の下の冬の風景はいかにも中越的。
手前の池みたいなのは、この地区特産の鯉の養殖池でしょうか。
ただ、村人自体姿をあまり見ませんでしたけどね。
村を捨てた人も多かったのかもしれません。
酷道サイトだかで興味を持って、行ってみようかと思った矢先に中越地震だったんだよな~。
その筋の方々にとって、ただでさえ「隧道」という単語はとても魅力的。「トンネル」じゃなくて「隧道」。これでご飯3杯はいける(笑)
動画にするとこうなるわけね。
http://www.nicovideo.jp/watch/sm2284203
中越地震で山古志の名前が出てまず思ったのが「中山隧道はどうなったんだろう」と言う…
手編みのマフラーが彼氏を、手打ちのちぢれ麺がラーヲタを。
それと同じように、手掘りの隧道に道ヲタは喜びますw
「隧道」ってのは、もともと古墳みたいな大規模な墓の中の、主が眠る石室に続く道の事だそうですよ。
そう思うと、重みのある神聖な呼び名だと思うねえ。
中山隧道には何となく胎内回帰を思わせる佇まいがあって、踏み込む時は神妙な気持ちになったw
「山の神様、失礼します」って感じで。