青空、ひとりきり

鉄路と旅と温泉と。日々の情景の中を走る地方私鉄を追い掛けています。

かみつけの 佐野の舟橋 継ぐ歴史。

2021年07月23日 17時00分00秒 | 上信電鉄

(続いて行く物語@佐野橋)

お国様が「不要不急の外出」を戒めるために、高速道路の休日割引を適用していただけなくなった昨今。しょうがないので深夜割引にギリギリにかかる早朝に圏央道のインターをくぐり、上信越道の藤岡のインターまでやって来た。言うて北関東なので、そんなに朝早く出てくることもなかったのだけど、一日かけてじっくりと撮るには、朝から沿線に立つに限る。久々の訪問となった上信電鉄とのファーストショット、どこで撮ろうかと目星を付けていたのは、高崎市郊外の烏川にかかる佐野橋。ここは、木造の人道橋が上信電鉄の鉄橋と並んで走る名スポット。この橋、鉄製の橋桁の上に木橋を乗せていて、大水や洪水の際は浮いて流れる事が前提のいわゆる「流れ橋」。近年では令和元年の台風19号で流れてしまったらしいのだけど、普通の道路橋より圧倒的に修復しやすいという利点により僅か9ヶ月で復旧に漕ぎ付けています。烏川は、碓氷峠北方の上信国境の山々を源流に、神流川から利根川に流れ込む群馬県の一級河川ですが、たびたび大雨や台風で水害を起こしているそうです。

上州富岡発5時半の高崎行き始発電車、橋を渡って行くのはJR時代の107系の塗装をそのまま使っている704-754のコンビ。最近知ったんだけど、この107系色って「ハムサンド」なんて言われてるんですってね。【白(パン)・緑(キュウリ)・桃(ハム)・白(パン)】という彩りの重ね合わせ、というのが理由らしいですが、鉄道ファンというのはこの手のモノのたとえが上手と言うか、何とも言いえて妙と申しましょうか(笑)。この辺り、烏川を渡る橋が周辺の上・下流延べ3kmに亘ってなく、佐野橋は高崎市街側の佐野町と対岸の城山・寺尾町方面を結ぶ重要な交通路。私が写真を撮っている最中にも、自転車に乗った学生や、犬を散歩がてらの人や、新聞配達のバイクなんかが思い思いにこの橋を渡って行きます。

高崎で折り返し、戻って来たハムサンド。木橋の欄干にハムサンドを挟んで。佐野橋の歴史は古く、万葉の時代からこの辺りには繋げた木船に板を渡した「佐野の舟橋」というものがあったそうで、江戸時代には「上州の奇橋」として葛飾北斎にも描かれた由緒ある橋です。橋の向こうに見える高架橋は上越新幹線の高架橋。木橋、鉄橋、PCコンクリートの高架橋と、時代によって様々な橋の歴史を見る事が出来ます。

遠くに高崎の白衣観音と観音山丘陵を望む佐野の木橋。歴史ある橋らしく、昔から佐野橋には橋にまつわる民話が伝承されています。橋を挟んで住む村の男女が恋仲となったのですが、その仲を良く思わない者が舟橋の板を外した結果、二人は夜の逢瀬の際に誤って川に落ちて溺れ死んでしまったのだそうです。その物語は、万葉集に「かみつけ(上野)の 佐野の船はし とりはなし 親はさくれど わはさかるがへ」という歌として残されていて、悲恋の物語を今に伝えています。佐野の舟橋の板が取り外され、親は私たちの仲を裂こうとするけれど、私達の仲を裂く事は出来ない・・・と、そんな意味なんでしょうかね。

上信電鉄と、佐野橋から振り返る上野国の民話と伝承。もとよりこの上信電鉄沿線は、上野三碑や富岡製糸場、そして上野国の一之宮である貫前神社など歴史にゆかしい名所旧跡の多い土地。そんな沿線の魅力をラッピングに込めたのが上信電鉄の最新鋭車両7000形。富岡製糸場の世界遺産登録に合わせ、輸送力増強のため群馬県と国の補助金で投入された車両。たった1編成、しかも自社発注の一品モノの貴重な車両です。


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 西上州、夏の灼熱物語。 | トップ | 朝日射す 八幡様の 水清く。 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

上信電鉄」カテゴリの最新記事